西瓜教の繁栄

暇崎ルア

西瓜教の繁栄

「部屋の中で西瓜を叩き割って、白い壁や床を汚す様子を見てみたい」

  そんな考えが俺の頭の中に侵入してきたのはいつのころだったろうか。

 汚れひとつない部屋の中に立っている俺。そばにはひと玉の大きな西瓜がある。

  それを両手で持ち上げる。その時西瓜は俺の中で「憎い人間の頭」そのものになっている。

  俺の両手にがっしりと掴まれてそいつの恐怖に怯えた顔を思い浮かべながら、床に叩きつける。実際は赤と緑の縞模様のウリ科の実だが。

  力加減されることなく振り落とされた頭部もとい西瓜は割れる。ぱっくりと口を開けた切り口からは脳みそと血、ではなく西瓜の赤い果肉と黒い粒粒とした種が白い床を残忍に染め上げる。

  そして目の前の白い壁は、血飛沫のような西瓜の汁で汚れている。スプラッタ映画のように。

  俺はこんな妄想を幾度となく頭のなかでしてきた。いつか白い床と壁の部屋を持 てるようになったら、実行する予定だ。いつのことになるかはわからないが。

  そして今、俺はその時に思い浮かべる嫌いな奴は誰にしようかとにやにやしながら夕暮れの街を歩いている。全く、どいつもこいつも叩き悪たくなるようなむかつく面をしてやがる。

 その中からそこそこの美貌を持った女がこちらに向かって歩いてくる。こいつはいい女だな、と内心舌なめずりしていると女なんと俺の前で立ち止まった。

 見間違いではない。アーモンド型の美人特有の瞳が俺を見つめている。

「突然すみません。少しお話よろしいでしょうか」

「はい、何でしょうか」

 怪しい宗教勧誘のような誘い口だが話ぐらいは聞いてもいいだろう。

「単刀直入に申し上げます。あなた、マスター・ウォーターメロンに対して不敬な思想を抱いていますわね?」

「は?」

「あなたは神を信じますか?」を予想していた俺は、意表を突かれる。

「とぼけても無駄よ。ウォーターメロン様はなんでもお見通しなのですから」

「その、マスター・ウォーターメロンとは」

「ごめんなさい、日本語で言い直しますね。西瓜様のことです」

「何ですか、その西瓜様とは」

 女は口に両手を当てると、ひああっと甲高い悲鳴を上げた。

「あなた、マスター・ウォーターメロンを知らないのですか? 今の時代そんな人間がいるとは。ああ、何ということでしょう」

 女は硬く汚いコンクリートに膝から崩れ落ち、おいおいと大きな声で泣き出す。

「ど、どうしたんです」

 気遣いのつもりで近寄った俺に、顔を上げた女はきっと俺をにらみつけた。

「近寄らないでください。この心得違いめが」

「なっ」

「心得違い」という言葉を実際に人の口から聞いたのは初めてだという驚きと、どうして俺がそんな罵りを受けなければならないのかという恐怖が俺を襲った。

「お前のような人間は生きていてはいけないのよ。こうしてやるわっ」

 女は般若のような形相のまま懐から何かを取り出すと、勢いよく振り回した。ひゅっと音を立てて長い鞭のようなものが俺の腕をかすめる。俺の手首をかすめた後にだらりと地を這ったそれは、緑色をしていて植物の蔓のように見えた。

 直後、俺の右手首を鋭い痛みが襲い、熱いものがつうと垂れていく感覚があった。どうやら流血したらしい。

「何をするんですか。いきなりっ」

「心得違いものにはこうしてやるのが一番だからよっ。悔い改めなさいっ」

 何を悔い改めろと言うんだ、と反論する前に、女が緑色の鞭を頭上高くまで振り上げる。今度は俺の左肩を直撃し、俺は痛みに顔を歪めた。

「痛いですよ。さっきから、あなたは何をしてるんですか」

「黙りなさいっ。あなたを改心させるためにはこれしかないのです」

 目を異常なほどまでギラギラとさせた女が三投目を振り上げる前に、俺は踵を返して逃げ出すことができた。待ちなさいっ! という背後からの声は当然無視だ。

 人の波を押しのけながら死に物狂いで俺は走った。嫌な予感とともに振り返ると、信じられないことに女は異常に速い速度で俺を追ってきており、肝を潰す。

 息を切らしながら走り続けると、交番が見えてきた。しめた。あそこならこの異常な女もどうにかしてくれるかもしれない。

「す、すみません。変な女に襲われているんです。助けてくださいっ」

 交番に駆け込んだ俺を出迎えたのは、眠たそうな顔をした若い警官だった。必死な姿の俺をのんびりとした顔で見返してくるのに妙に腹が立った。

「どうしました。異常な女というのはどこにいるんです」

「あれですよ。ほら、いるでしょう」

 女は鞭を持ったまま、交番の入口に佇んで俺をにらみつけている。俺と同じぐらい走っているはずだろうに息の一つ切らしていない。どういう身体をしているんだか。

「ほらっ、鞭のようなものを持っているでしょう? あれで俺を襲ってくるんです」

 女の姿を見た警官はああ、と納得したように頷いた。

「ああ、なあんだ。西瓜の鞭じゃないですか」

 すいかのむち、という耳慣れない言葉に俺はぽかんと口を開けるしかできなかった。

「何の鞭だか知らないが、それを公然と振り回すのはおかしいでしょう」

「いやいや、全然おかしいことではないですよ。それよりもあなたが教えに背くようなことをしているから、戒めを受けているだけでしょう。彼女は単なる西瓜教の伝道師です」

 ついに警官まで訳のわからないことを言い出した。この世界でおかしいのは俺なのだろうか。いや、そんなはずはないのに。

「戒め、ですって」

「そうですよ。マスター・ウォーターメロンの偉大さを理解しない人間は悔い改めるしか道はないんですから」

「その警官の言う通りよ。だから、あなたはこの鞭を受けなさい。これもあなたのためなのです」

 仲間を得たとばかりに余裕そうな顔を浮かべた女が鞭を両手でしならせながら俺に近づいてくる。

「ほら。痛みも永遠ではないのですから、受け入れればいいんですよ」

 危機感も糞もない表情で、警官は交番の入口から俺を女の方へと押し出した。

「お、おい。何をする」

 よろよろっとした俺の右肩に三投目の鞭がばしいっと振り落とされた。

「さあっ、悔い改めなさい」

 女は嬉々とした顔つきで、確実に鞭を俺の身体に打ち付け続けた。

 一体どれだけの鞭を俺は受けたのだろうか。ものの数分で俺の白かったポロシャツは血と汗でぐっしょりと濡れていた。

「これぐらいでいいでしょう。どうです、あなたの考えは悔い改められましたか」

 座りこんでひいひいと情けない声を出している俺を女が見下ろしている。皮肉なことに尊大そうな表情をした女はこの上なく美しく見えた。

「どいつもこいつも頭がおかしいのか、この世界は。何が西瓜の伝道師だ。意味の分からんものを振り回しやがって。傷害罪で捕まりやがれ」

 たまりにたまった不平をぶちまけた俺を、女も警官も信じられないという顔で見てくるのが気に食わなかった。

「何ということなの。これだけやっても、心を入れ替えないだなんて」

「ここまで強情な精神を持てるとは大したものだと褒めるしかありませんね」

 今度は二人とも憐れむような視線を向けてくる。なぜだ。なぜ、俺がそんな目で見られなければいけない。

 その時、爆発音のようなどーんと言う轟音が辺りに響いた。

「な、なんだ。今度は」

 見上げると、誰もいない青になった横断歩道のど真ん中に巨大な物体が出現していた。どうやら、上空から落ちてきたらしい。

「ああっ。マスター・ウォーターメロン様が直々に降臨してくださるとはっ」

「ありがたき幸せ」

 さっきまで俺を見下ろしていた二人は、飛来した巨大な物体に向かって、額を押し付けんばかりにひれ伏している。

 二人だけではない。そこらを歩いていた通行人や、止まっていた車から降りてきたドライバー、コンビニの店員も店から飛び出てすぐにひざまずいた。辺りを見回して恐怖する。どうやらひざまずいていないのは、俺だけらしい。 

 それは「二〇〇一年宇宙の旅」に出てくるモノリスのように見えたが、それは灰色ではなく緑と黒の縞々をしていた。

「何がモノリスじゃ。この儂の姿を見てもわからんというのか」

 轟音に負けないぐらい低く野太い声が聞こえた。俺の心を読んでいるのか。

「皆、よく布教を続けていてくれたな。嬉しい限りじゃ。しかし、まだお前のように信徒でないものがいたとは」

「信徒、だと」

「そうよ。我々はマスター・ウォーターメロンの教義に従う信徒なの」

 ひざまずいていた女が巨大な西瓜を見上げたまま、感嘆するような声をあげた。女は愛しい男を見上げるような視線を西瓜に向けている。

「西瓜様が人類に恩恵をもたらし始めたとともに、教義も人々に伝わっていくようになったの。今こうして私たちが西瓜を食べ続けていられるのは、マスター・ウォーターメロンのおかげなのよ」

「うむ。彼女の言う通りじゃ」

 巨大西瓜の満足げな声の後に、辺りから一斉にそうだあというコーラスが上がった。

「西瓜は切り分けた後にかぶりつき、丁寧に食べていくべきなんじゃ。だというのに、貴様は『叩きつけたい』などという心得違いを起こした。言語道断じゃ」

 続いて、恥を知れぇ! というコーラスによる俺に対するものらしい罵倒。

 ああ、本当に俺だけがこの世界では異端らしい。

「何なんだ、あんたは。何者なんだ」

「決まっておる。西瓜として西瓜の恩恵をお主ら人間に分け与える神じゃよ。ここにいる彼らは信徒じゃ。儂を信じてついてきてくれる健気で従順なものたちじゃ。この街以外にも信徒は大勢おる」

 途中からの言葉は全て俺の耳をとすり抜けて行った。

「じゃが、貴様は儂の存在を知ることなく今まで生き続けていたようだな。嘆かわしいことだが、仕方ない。西瓜同様、人間たちも繁栄を続けていくものなのだからな。信仰をすり抜けて生きていくものたちがおってもおかしくはないわい」

 マスター・ウォーターメロンが同情するような声を出す。信徒たちの沈痛そうな泣き声が響き渡った。俺の側にいる二人もおいおいとむせび泣いている。

「だが、心配はいらん。これからは貴様も立派な信徒になれるぞ。これで爪弾きにされることもなくなるぞ。安心せい」

 わっはっはと高笑いが聞こえたかと思うと、巨大な西瓜から弾丸のような速度で何かがびゅんと俺の頭に飛んできた。かわすこともできずまともにくらい、身体がふらふらとよろめく。

「何だ、今のは」

「貴様は伝道師がいくら説いてもなかなか効かない強情な心の主のようじゃ。だから、儂直々に教義を与えてやったのじゃよ。直接、貴様の脳内にな」

「素晴らしいですわ! マスター・ウォーターメロンから愛と救いを授けられるなんて、あなたは一生感謝するべきよ」

 ひざまずいていた女が立ち上がり、スタンディング・オベーションする。

「すごいっ。マスター・ウォーターメロンの説教を実際に見たことは初めてです。感動だあ」

 若い警官は顔をぐしゃぐしゃにしながら泣き出し始め、群衆も喝采に沸く。

「お、俺はまた何をされたんだよ。うっ」

 頭を抑えて俯くしかできなかった。俺の頭の中で何かが膨張している。自分でも意味はわからないが、何かが俺の頭の中で動いているのだ。しかし、何がどうなっているのか。

「おう。儂の教えが貴様の中に浸透し始めたようじゃな」

 西瓜が俺のために説明をしてくれているが、そんなものを聞く余裕などない。

 俺の頭が、頭が。俺は一体どうなるんだ。

「心配するな。苦しみは一瞬じゃ。もう少しの辛抱じゃよ」

 もはや俺の鼓膜は、内側で発せられるみしみしみしという音しか聞こえなくなっていた。


 私は西瓜教の信徒。入信を初めて四か月ほどしか経っていないが、敬虔な信仰への姿勢が認められ、ついに「西瓜の伝道師」として、西瓜の蔓の鞭を持たせてもらえることとなった。入信から半年以内で一般信徒から伝道師への昇格は初めてだという。

 伝道師の仕事は、鞭を使っての説法と布教だ。私がまだ信徒ではなかった愚物だった時代、あの女性が請け負っていた役目である。マスター・ウォーターメロンの愛ある教義を全人類へと伝えるなくてはならない存在だ。そんな仕事を任せてもらえてとても光栄に思う。

 マスター・ウォーターメロンから教義である「知恵と信義の種」を授けてもらってから、私の人生には尊ぶべき西瓜の存在と崇敬なる信仰心が生まれた。

 もう西瓜様をひと玉ごと割って己の殺傷欲を満たそうなどという考えはすっかり消え去った。心底愚かだったと思う。恥ずべき人間だった。

 だが、今の私は違う。偉大なる作物・西瓜様の恩恵を頂く一人の人間として私は生まれ変わったのだ。

 西瓜は丁寧に切って食べるべし。種は飲み込まず、西瓜の更なる繁栄のために地中に埋めるべし、という教義を胸に布教を続けている。

 先ほど「西瓜は生で食べるのは嫌だ。ジュースにした方が食べやすく、手も汚れない」などとのたまう非信徒のインフルエンサーがいる、とマスター・ウォーターメロンからお告げがあった。

 何たる無礼者、愚か者だ。何が「若者に人気のインフルエンサー」だ。今すぐ悔い改めてもらわねばならない。

 今日も私は西瓜様のありがたい蔓の鞭を手に教義を知らぬ者の元へと向かう。

 偉大なるマスター・ウォーターメロン、西瓜様の永遠の繁栄のために。

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西瓜教の繁栄 暇崎ルア @kashiwagi612

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