もう一人の私
神楽堂
また会えたね……でも、もう会えない……
世の中には自分にそっくりな人が何人かいるという。
そして、私の前で寝ている女性はその一人なのだろうか。
実にそっくりである。
似ているとかそういうレベルではなく、まったく私と同じ顔をしている。
まるでコピーだ。
これまでの人生でここまで自分に似ている人に、私は会ったことがない。
目の前で寝ているその女性の顔をよ~く見てみた。
すると、私との違いをいくつか発見した。
まず、髪の分け方だ。
私はいつも左に4、右に6の割合で前髪を分けている。
しかし、目の前の人物は、6:4で分けている。そこに違和感を覚えた。
さらに、違いを発見した。
ほくろだ。
私は、右目の目尻に涙ボクロがある。
この人物にも涙ボクロはあるのだが、その位置は反対側だった。
* * *
そもそも、私がいるこの場所はいったい、どこなのだろう?
とても殺風景な部屋だ。
やがて、この部屋に夫が入ってきた。
夫は、私の目の前で寝ているその女性を見て、とても驚いていた。
え? そっち?
私はここにいるというのに夫はまったく気づかず、目の前の寝ている女性に一生懸命話しかけている。
ちょっとさみしい気もするが、夫には私が見えていないのだろう。
声をかけてみることにした。
できなかった。
私には声を出すことも、物音を立てることもできなかった。
そうか……そういうことなのね……
* * *
そもそも、なぜ私はこんな事になったのだろう。
あいまいな記憶を辿ってみた。
職場を早退し、急いで息子が通う学校に向かっていたはずであった。
息子は?
そんなことを思い返していた時、ドアを開けて入ってきたのは我が最愛の息子であった。
息子は、まだ小学校2年生。
なかなかこの事態を把握できないようだった。
どういう顔をしていいかすら、わからないようだった。
部屋に職員らしき人が入ってきて、夫と話している。
今日中に運び出さないといけないとかなんとか……
そして、夫はあちこちに電話をかけはじめた。
* * *
部屋に台車が運ばれてきた。
台車の上には、水差し、茶碗、脱脂綿、お箸が置かれている。
夫は、茶碗に水を注いだ。
そして、箸で脱脂綿をつまむと、茶碗の水に浸した。
その浸した脱脂綿を、目の前で寝ている「私」の唇に当てた。
次に、箸を息子に持たせた。
「パパがしたみたいに、やってごらん」
「これなに?」
「末期の水だ」
「まつごのみず? なにそれ?」
「……ママに、水を飲ませてあげるんだ」
「自分で飲めないの?」
「……ああ、そうだ……」
「ふーん」
そう言うと、息子は不器用な手付きで、目の前で寝ている「私」の唇に濡らした脱脂綿を当てた。
「ママ、お水おいしい? たくさん飲んでね」
私の目の前の、そっくりな「私」の唇が濡れる。
同時に、夫の頬は涙で濡れていた。
「……そのくらいでいいだろう」
「ママは、いつ起きるの?」
「……」
* * *
部屋にスーツを着た人が入ってきて、夫と打ち合わせをしている。
「奥さんの写真、ありますか?」
「え~っと……」
夫はスマホを操作して、私の写真を探している。
私は写真写りが悪い。
いつ見ても、写真の中の私はなんだか変だ。
でも、今日、その理由がわかった。
洗面所でもお化粧台でも、私はいつだって鏡の中の私をたくさん見てきた。
鏡に映る、左右反対の私を見慣れていたのだ。
写真写りが悪いと思ってしまうのは、鏡の自分とは左右が反対なので、見慣れない顔に思えてしまうからだ。
目の前で寝ている「私」への違和感はこれだったんだ。
もっと、いっぱい、家族で写真を撮っておけばよかった。
もっと、いっぱい、息子の手を握ってあげればよかった。
遠足のお弁当、息子が好きなおかずをもっと入れてあげればよかった。
参観日や学校行事、もっと行ってあげればよかった。
私はすべてを思い出した。
「参観日、ぜったい見に来てね!」
結局、仕事をうまく切り上げられなくて、大慌てで職場から飛び出して車を走らせる私。
早く息子の学校に行かないと授業参観が終わってしまう。
無理して交差点に突っ込んだのがまずかった。
ものすごい衝撃の後、そこからの記憶がない。
そして、今に至る。
参観日を見に行くという、息子との約束は守れなかった。
これからは息子のことはすべて、夫に託すことになるのか……
息子の学校のこと、書類とか学用品の準備とか大丈夫かな?
いろんなお金の振込先や引き落とし口座、どれがどれだったか、一覧を作っておけばよかった。
そんな現実的なことを心配している自分に苦笑した。
息子はこれから、どんな人生を歩むんだろう。
背が高くなって、声変わりして、生意気な口を利くようになって……
やがて、彼女を連れてきて……
残念ながら、それを見ることは叶わないみたい。
私の意識がだんだんと消えていく。
最期に息子と夫の顔を見つめたが、かすんでしまってほとんど見えなくなってしまった。
また会えたね、でも、もう会えない……
代わりに見えてきたのは、一面のお花畑。
「私」の顔に白い布が被せられた。
< 了 >
もう一人の私 神楽堂 @haiho_
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