< 第三章 > - 第七節 - 「宝貝」
「例のものを。」
と言われた工藤は、一辺5㎝ほどの箱をテーブルの上にそっと置いた。
置かれた箱は、緑色のビロードを纏い、上面に金色の糸で中華風の龍が刺繍されていた。
「田中君、これを君に進呈しよう。箱を開けてごらん。」
藤本にそう言われた田中は、
「ありがとうございます。頂戴いたします。」
と言って、箱を受け取り、正面の留め具を外し、箱を開けた。
中には直径3㎝ほどの硝子玉が入っていて、丸く窪みの付けられた緩衝材にすっぽりと納められていた。真っ赤なフェルトの緩衝材のせいか、硝子玉はほんのり赤い色味を帯びていた。
「箱から出してごらん。」
藤本に促された田中は、箱から硝子玉を取り出し、手に持ってみた。
手に持った途端、身体からすうっと何かが抜けていく感じがした。血の気が引くような、立ちくらみでもしたような、そんな感じで意識が遠のきそうになり、危うく硝子玉を落とすところだった。
なんとか意識を飛ばすこともなく、落とさずにすんだ硝子玉を、改めて手の中で転がしながら、繁々と見た。無色透明の硝子玉が、蛍光灯の光を受けて、キラキラと光る様は、不思議なぐらい神秘的だった。
卵よりも少し軽いぐらいの硝子玉は、最初こそ違和感があったものの、徐々に馴染んできた。
「どうかな。手に馴染むかな。」
「はい。最初こそ何かを吸い取られるような感じがしましたが、今はしっくりと手に馴染んできました。」
「そうか、それは良かった。それは『
そう藤本が説明した。
「田中君、それが心得其の三にある法具のことだよ。」
と源藤が脇から声をかけた。
心得其の三とは「自然の力を受ける法具を持つ」と言う一文で、自然からの力を授かるために、法具を肌身離さず持ちましょう、と説明されている。
「それと何かを吸い取られるような感じがしたのは、君の手に馴染もうと作用した証だから、あまり気にしなくて良いよ。詳しいことは後でね。」
と源藤は、さらに続けて補足してくれた。
「これが。」
田中は、ビー玉の親玉かと思うほどのこの硝子玉が、そんな大層なものだと知り、驚きをもって見つめ直した。
そして、手で握りしめたり、照明に翳して見たりして、様々な角度から眺め、無色透明の硝子玉に対する価値観をアップデートした。
「そうだ。それが心得にある法具そのものだよ。
一応簡単に説明しておくと、その宝貝は、気を通すことで使用できるようになる。宝貝に気を通すことで、体外と体内の気を同調させることができ、気を認識する補助をしてくれるんだ。」
田中の様子を見ていた藤本が、孫に玩具を買い与えた祖父の様に、少しうれしそうな顔になり、そう説明した。
「では、これを使えば、私も気を認識でき、あのモヤモヤも晴れると言うことですか。」
田中は一縷の望みができたことをうれしく思い、弾みそうになる声を抑えながら聞いた。
「そうだね。少しやり方とコツがあるから、使い方は源藤君に詳しく指導を受けると良いよ。
それと、この宝貝は、気を練り込めば練り込むほど育つから、君の専用として育て上げて欲しい。いずれ、君の守り神として助けてくれるようになるはずだから。」
藤本は、顎髭をしごきながら、穏やかに、にこやかな声で説明してくれた。
「ありがとうございます。大切に使わせていただきます。」
田中は深々と頭を下げ、礼を言った。
「では、二人とも忙しいだろうから、これ以上引き留めるのは辞めにしよう。
田中君、詳しいことは、源藤君や、工藤君に聞いてくれれば良いから。解決できない問題があれば、私も助けに入るから、安心して相談して欲しい。」
藤本が優しく穏やかな声で言った。
「今日はお忙しいところ、私のためにありがとうございます。不安だった気持ちも大分楽になりました。いただいた宝貝を存分に活用して、一日も早くお役に立てるよう頑張ります。」
田中は晴れやかな気持ちでそう述べた。
「まあ、そう気張ることなく、無理しない程度にね。源藤君もよろしく頼んだよ。」
藤本は、田中に対する期待感を滲ませながらも、優しい声をかけた。
田中と源藤はこうして辞去した。
「工藤君、田中君はどうだい。」
二人が部屋を出て行った後、藤本は工藤に聞いた。
「どう、とおっしゃいますと。」
藤本の意図が掴めずに、工藤は聞き返した。
「あぁ、あの気の量と言い、無属性なのに、補助なしで気を認識できたことと言い、やはり彼は大物になると思わないか。」
藤本は田中の将来性に期待してそう言った。
「田中君を見ていると、君に宝貝の使い方を教えた頃を思い出すな。君も気を感知するのに苦労してたからね。」
藤本は懐かしそうな表情で、そう言った。
「私も田中さんと同じように、無属性ですからね。あの頃の私は、会長の言われるままに気を練ってみても、何も感じませんでしたから。」
少し恥ずかしげに、顔をうつむけて工藤は言った。
「それが、今や一流の気功術師だ。素晴らしい限りだよ。
ところで、君の属性を田中君に教えなくて良かったのかい。」
「ええ。いずれ彼自身が感知できるようになるでしょうから、その時にでも答え合わせをすれば良いかと。」
藤本の言葉に、顔を上げてそう宣言する。
「なるほど。ライバルに手の内は見せないと言う訳だ。君もなかなか策士だな。」
「別に彼を敵視してる訳ではないですから。ただ、私のように悩み、苦労することで、彼が大きく成長できればと願ってのことです。」
自分が苦労してきたことを思い出してか、少し遠い目をしながら、工藤は応えた。
「そうか。スパルタ方式という訳だな。まあ、そういうことにしておこう。」
そう言って、藤本は声を上げて笑った。
「それにしても、田中君はウチに長く勤めてくれそうで、一安心だよ。」
一頻り笑った藤本は、話を戻した。
「そうですね。宝貝もお渡しできたことですし。これからウチのために尽力してくれるとありがたいですね。」
「そうだな。まずは宝貝を使いこなせるようになって貰わないとな。心得の修得が完了したら、次の段階へ進むから、工藤君もそのつもりでいて欲しい。」
「分かりました。あちらへ連れて行かれるのですか。」
「いや、それはまだ考えていない。まあ、いずれは連れて行く必要はあるけどね。」
「わかりました。」
藤本は機嫌良さそうに、田中の今後のことを、工藤と話し合った。
工藤にとっても、これまで田中は脅威の存在であったが、今となってはこの会社、延いては自分たちを助けてくれる、心強い味方になってくれそうで、機嫌の良い藤本を見て、そう確信した。
いずれにせよ、藤本と工藤の二人にとって、田中が重要な人物として、今後の成長を楽しみにしているのは確かだった。
一方、社長室を後にした源藤と田中は、階段を降りながら、宝貝のことを話していた。
「源藤さん、これいただいたは良いですが、肌身離さず持ち歩くべきなんですよね。この箱に入れたまま、鞄にでも入れて持ち歩いても良いのでしょうか、それとも袋にでも入れて首から提げたり、ポケットに入れたりして持ち歩くべきなのでしょうか、どうしたら良いですか。」
そう聞かれた源藤は、作業着の前を少し開けて、首から提げた巾着袋を田中に見せた。
源藤の胸元に下がっていたのは、ピンク色の生地に、子供たちに人気のアニメキャラが描かれた巾着袋だった。おそらく奥さんが、子供たち用に何かを作った残りの端切れを用いたのだろう。かなり年季が入っていて、汚れや
「私はこの巾着袋に入れて持ち歩いてる。ウチの社員のほとんどはこうして袋に入れて持ち歩いてるかな。
仙道君はシリコンと金属ワイヤーで留めて、チェーンを取り付けて、首からぶら下げていたね。彼女器用だから、自分でやったみたいだよ。
もし気になるなら、今度仙道君に作り方を聞くと良いよ。」
「分かりました。取り敢えずはこの箱ごと持ち歩きます。」
「それと、その宝貝の使用方法については、下で簡単に説明しよう。」
「はい。よろしくお願いします。
ところで源藤さん、会長と工藤さんの属性って何なのですか。会長にはオーラのようなものが見えるんですが、工藤さんからは何も感じられなかったので。」
「ああ、あの二人の属性は、誰も知らないと思うよ。私も知らない。
以前興味本位で聞いたことがあったけど、その時ははぐらかされてね、工藤さんには『あなた自身が感知できるようになったら教えてあげます』と言われて、それから聞けずじまいでいるんだ。
何となくだが、会長は仙道君と同じ系統のような感じはするけど、工藤さんは系統すら検討つかないんだよね。
まあ、いずれ君自身が感知できるようになれば、自ずと分かると思うよ。」
「そうなんですね。お二人の属性を感知するのも修行の内と言う訳ですね。分かりました、自力で解明してみます。」
「おお、その意気だ。できる限りサポートはするから、何でも相談して。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
「じゃ、裏庭で修行の続きをやろうか。宝貝の使い方も早速教えるから。」
そう言って源藤は社屋裏手に広がる竹林へと足を進めて行った。
(道教だとか、気功術だとか、修行と称して何をやらされるのか、変な宗教まがいの会社かとも思ってたけど、なかなかどうして、面白そうな会社じゃないか。こんな怪しげなものまで貰ってしまったし、後には引けないな。
俺にこの道の才能があるなら、一つ気張ってみるか。)
そう心も新たに決意し、源藤の後ろについて、田中も歩き出した。
竹林 ~竹林庵の物語~ 劉白雨 @liubaiyu
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