< 第三章 > - 第六節 - 「属性」


 田中の修行を途中で切り上げて、昼食後、軽トラで帰社した二人は、社に着くと、一旦建築部のデスクに寄って、荷物を置いた。

 源藤が内線で、工藤に帰社を伝え、二言三言言葉を交わした後、田中についてくるよう言い、社屋の三階へと上がっていった。

 田中にとっては、初めて来る場所だ。

 三階に上がるとそこには重厚な木製のドアがあり、源藤は備え付けのインターフォンを押して、到着を告げた。

 中へ入るようにと言われ、田中も源藤について中に入る。


 ドアを開けるとそこには、どこにでもあるような住宅の上がりがまちがあり、3畳ほどの玄関ホールが広がっていた。正面には品の良い風景画が飾られ、下駄箱の上には、小ぶりだが穏やかな色をした、こちらも品の良い花瓶に、社屋の庭で見かけた花が、綺麗に生けられていた。

 二人が中に入ると、奥から、そのまま上がってくるよう声がかかり、靴を脱いで、用意してあったスリッパに履き替えて、奥へと向かった。


 玄関ホールの先にある扉を開けると、そこには、工藤と、いつものように中華服を纏った藤本会長が、応接用のソファに座っていた。

「忙しいところ、わざわざ来て貰って済まないね。」

藤本は開口一番そう言って、二人を迎え入れた。

「いえ、こちらこそお時間いただきありがとうございます。」

源藤がそう応えると、田中も源藤と一緒に軽くお辞儀をした。


二人が応接セットのソファーに着座したところで、

「では、早速なんですが、田中さん先程の修練で体験したことを、詳しく話して貰えますか。」

そう言って、工藤が話を切り出した。


 田中は促されるままに、修練の様子を頭から語った。

 吐納法が当初意外に苦しかったこと、丹田で感じた鼓動が非常に小さく、認識するのに戸惑ったこと、そして、体外の気を認識しようとした時に感じたモヤモヤについても、あと一歩で何かを感じ取れそうだった焦燥感についても、事細かに語った。時折客観的な視点で、源藤からも補足があった。

 

 藤本と工藤は、口を挟まずに、耳を傾けていていたが、田中の話が終わると、

「田中君、ここで吐納法をやってみてくれるかな。体外の気を感じるつもりで。」

と藤本が言った。


「わかりました。」

そう言って田中はソファーから立ち上がると、藤本のすべてを見通すような視線に緊張しながらも、源藤から教わったとおりに姿勢を正し、ゆっくりと呼吸を始めた。

 目を瞑り、丹田の鼓動を感じると、頭の中を無にし、意識を集中した。

 田中は、ものの数分で、午前中の修練よりも強く、モヤモヤを感じた。しかし、頭は明晰で、意識ははっきりしているのに、このモヤモヤしたもどかしさだけは、やはり拭えなかった。


 10分ほどしただろうか、

「田中君ありがとう。呼吸を元に戻して良いよ。」

と藤本から声がかかった。

 田中は、ゆっくりと呼吸を整え、目を開けると、促されるまま着座し、藤本の一言を緊張しながら待った。


「田中君、君はこの会社に入って3週間ほど経ったと思うが、ここでの仕事はどうかな。」

 藤本の一言目は、田中の予想とは違って、唐突な話で面食らってしまった。

「あっ、はい、お陰様で楽しく仕事をさせて貰ってます。」

なぜ、藤本がこんなことを聞いてきたのか、その意図が掴めなかったが、簡潔に田中が答えると、藤本が続きを促すような目をしていたので、

「最初は、畑違いの仕事だと気負って、肩に力が入っていましたが、皆さん良くしていただきますし、源藤さんが懇切丁寧に教えてくださるので、ご迷惑をかけながらも、なんとかやらせて貰っています。」

と田中は、当たり障りのない回答をした。


「田中君、この先この会社で仕事をしていく気はあるかな。」

長く伸びた白い顎髭をしごきながら、黙って聞いていた藤本は穏やかに聞いた。

「はい。もちろんそのつもりですが、あの、何かご迷惑をおかけしましたでしょうか。」

 田中は、藤本の質問の意図を掴めず、内心焦った。またここをクビになったら、今度こそ路頭に迷うかも知れないと、不安になったのだ。


「あっ、いや、そう言うことではないんだ。犯罪でも犯さない限り、私は迷惑なんて思わないから、そこは安心して貰って構わないよ。

 実は、君が、我が社を気に入ってくれて、長く勤めてくれるかどうか、それを確認したかったんだ。」

 なぜ唐突に、こんな質問をしてきたのか、藤本の本心は良く分からなかったが、質問の意図をようやく理解し、田中は一安心した。

「もちろん、置いてくださるのであれば、末永く勤めさせていただきたいです。」

 藤本が何を考えているのか、田中は訝しんだが、それでも素直な気持ちとして、そう応えた。


「社員に気功術を強要するような会社であってもかな。」

藤本が、低音かつ穏やかな声で、念を押すように聞いてきた。

「はい。気功術という新しい世界に足を踏み入れたことに対し、期待感もありますので、是非色々とご教授ください。」

田中は、藤本の声色に少しビビりながら、なんでそこまで念を押すのかよく分からなかったが、とにかく素直な気持ちを伝えた。


「そうか。それはありがたい話だ。では、改めてこちらこそよろしく頼むよ。」

藤本は顎髭をしごく手を止め、そう言って頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

丁寧に頭を下げた藤本を見て、そこまでするのかと驚きながらも、慌てて田中も深々と頭を下げた。

 藤本は、自分にどんな価値を見出しているのか、何を期待しているのか、自分をどうしたいのか、田中にはまったく見当もつかなかったが、とにかくクビは免れたことだけは確かなようで、ひとまず安堵した。 


「では、そろそろ本題に入ろうか。」

藤本は頭を上げると、そう言って話を続けた。

「源藤君からも伝え聞いてるとは思うけど、田中君の気が無属性であることは間違いない。気の流れにも異常は見当たらないし、田中君自身にも問題はない。

 そこは安心して良いよ。」


「ありがとうございます。」


「君の無属性に関して話を進める前に、源藤君から説明されていると思うけど、気と言うものについて、改めてここで話をしておこうと思う。重複する部分もあると思うが、知識を整理する上でも聞いて欲しい。」


「わかりました。よろしくお願いします。」


「そもそも、気と言うものが何なのかと言う話からしよう。

 気は万物の根源であると考えられているんだ。宇宙創成のビッグバンは聞いたことがあると思うが、これも気が関わっているとされている。」

 藤本はこう切り出して、長い説明を始めた。


 藤本の説明によると、気と言うのは万物の根源であると同時に、万物の熱量、すなわちエネルギーであり、このエネルギーが原動力となって、万物が創成されたらしい。


 しかし、実際には、気には熱量がなく、無形無相むけいむそう無声無臭むせいむしゅう無音無声むおんむせいの、言うなれば、存在そのものが認識できないものであると言うことらしい。

 そして、この認識できなかった気と言うものの存在を確信した祖先が、様々な努力を経て、認識できるようにしたらしい。


 この過程で編み出された、様々な方法を体系づけたのが気功術であり、気を認識し、取り扱う方法が網羅されていると言う。

 そして、気功術をおこなう上で、基礎の基礎となるのが吐納法で、吐納法を実践することで、気を取り扱うことができるようになると言う。

 

 この吐納法には、「納気のうき」、「吐気とき」、「胎息たいそく」の三種類があって、それぞれ、「納気」は息を吸い込むこと、「吐気」は息を吐き出すこと、そして、胎児の呼吸法とも言われる「胎息」は「気」を出し入れすることを、それぞれ指す。

 気功術を実践するにあたり、一番重要となるのが吐納法の「胎息」で、気を体内に取り込むためには、この胎息ができなければならないと、藤本は説明した。


「胎息は、単に気を取り入れれば良いと言う訳ではなく、気を認識し、その流れを意識して体内に取り込んで、その上で気を練る必要がある。

 これは、気を練ることで、体外の気を体内の気と混ぜ合わせ、原動力にしていくためでもある。

 体外の気を認識せずに、胎息をおこなおうとしても、気の流れが判別つかないため、気を上手く練ることができなくなるんだ。

 ここまでは、理解できたかな。質問があれば遠慮なくどうぞ。」


「では、一つ伺いたいのは、この胎息ができないから、私は気を認識できなかったと言うことなのでしょうか。」

 藤本の長い説明が、ようやく一段落いちだんらくついたところで、田中はずっと心に引っかかっていた、認識できないと言う不安を解消しようと質問した。


「そうだね。その質問に対しては、否定も肯定もできないんだ。」

藤本は、そう田中の質問に答えて、説明を続けた。

「それは、田中君が、モヤモヤを感じている時点で、胎息をおこなっているはずだし、かといって、気を認識できていないのでは、胎息がきちんとおこなわれていないとも言えるからなんだ。

 つまり、これは胎息だけの問題ではなく、属性が絡んでくるからなんだ。」


「属性ですか。つまり私が無属性であることに関係があると言うことですか。」


「そう。その通りだよ。

 属性と言うのは、いくつかの系統があって、その下に付随する形で属性が存在するんだ。

 系統には、熱、光、香臭こうしゅう、においだね、それに、液体、気体、電気など、様々ある。

 そして、その系統に付随するのが属性で、例えば熱系統には、高温の熱から低温の冷気まで存在し、光系統には、まばゆい光から、暗黒の闇に至るまで存在する。 

 ウチのメンバーで言えば、源藤君は熱だし、同系統の対極にあるのが森野君の冷気になる。他にも、仙道君は光で、その対極にあるのが、千葉君の闇になる。

 こんな風に同じ系統の属性でも、状態によっては異なる属性になるんだ。」


田中が頷いたのを見て、藤本は続けた。

「気は元々認識できないものではある、そのため、認識するためには属性が必要になるんだが、その属性にする行為が胎息ということなんだ。」


 藤本の説明によると、体外の気を認識する方法は、胎息によるものだが、胎息の際に自己の属性を通すことで、認識できるようになるらしい。

 丁度、気と言うものを濾過器に通して、検出器で検出し、属性と言う信号に変えて脳に送るようなイメージであると言う。

 しかし、無属性の人は、例え気を検出できても、属性の信号が無であるため、送られてきた信号を、脳が認識できないと言うのだ。


「田中君は、無属性であるため、そもそも気そのものを認識することはできないはずなんだ。

 ところが君は、気の流れを認識し、丹田で気を練り、モヤモヤとは言え、体外の気を認識できた。こんなことは普通できないし、まさに奇跡と言っても良いほどなんだよ。

 認識できた時点で、通常なら、君の属性は無属性ではなく、有属性と言っても良いはずなんだ。」


 田中は、藤本の説明を聞いて、やはり自分は無属性であるために、気を認識できないのかと、心底落ち込んだ。それでも、気を練ることができたのは僥倖だったのだと、自分を慰めた。


「だが、君の属性は紛れもなく無属性であり、モヤモヤが晴れないのも、無属性である証拠でもあるんだ。

 さらに言うと、私も工藤君も、すべての属性を認識できる技能があるから、君の属性が無属性であることは、間違いないんだ。

 ただ、そう悲観することはない。」

と言って藤本はさらに説明を続けた。

 

 藤本によると、そもそも、無属性の人は生まれにくく、藤本が知るだけでも、歴史上片手に届くぐらいの人数しかいなかったようだ。

 無属性で生まれたとしても、普通の人は、気と言うものを知ることもないし、例え知ったとしても、気を認識できないため、適性がないと諦めてしまうことが多かったようだ。


 気功法が確立し、気を認識する方法が解明されると、無属性と言うものが存在することも判明したが、結局、無属性の人が、気を認識できないことに変わりはないため、その存在が認知されることは、ほぼなかったに等しい。


「故に、無属性であることは、非常に珍しいし、歴史的にも芽が出ないことが多いんだ。そのため、無属性であると認知され、尚且つ気を練ることができた田中君は、誇るべき存在だし、無属性の人にとっての希望になるかも知れないのだ。

 そこで、君には私からこちらを進呈しようと思う。」

藤本はそう言って、工藤を促した。

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