< 第三章 > - 第五節 - 「万物の根源」


 田中の心得会得のための修練は、体外の気の流れを感じることができずに中断してしまった。

 しかし、源藤が工藤に確認をしたところ、田中が無属性であろうと推定され、結局詳しい話は、社に戻ってからと言うことになった。


「取り敢えず、第一関門も突破したことだし、ちょっと一息つきながら、心得について説明しようか。そうしたら、丁度お昼になるだろう。」

と源藤は言った。


 二人は、そばに設置されていた、できたばかりの真新しいベンチに座り、すでにぬるくなった経口補水液の蓋を開けて、喉を潤し、渇きを癒やした。

 よほど水分を欲していたのか、普段は不味まずく感じる経口補水液も、この時ばかりは美味うまく感じた。


 人心地つくと、源藤の講義が再び始まった。

「心得其の一は『自然の声に耳を傾けよう』だけど、今の田中君なら、自然の声というのが何を指しているかは、もう理解できるよね。」


「はい。気のことですね。」


「そう、その通り。気は万物の根源であり、物質そのものであることは、最初に説明したとおりだけど、その気を感じると言うことは、万物の根源の声、すなわち自然の声を聞くと言うことに他ならないんだ。

 心得其の一の説明書きに、『自然界のメッセージを受け取り、自然が囁く魔法の言葉を聞く努力を怠らないようにしましょう』て書いてあったと思うけど、ここで言う自然界のメッセージというのが、まさに『気』のことであり、そのメッセージ、すなわち自然の声である『気の流れ』を感じる努力を、怠らないようにしようと言うのが、この心得其の一の趣旨と言うことになるんだ。」


「なるほど、だから気功術を学び、気を操るすべを会得する必要があると言うことですね。」

田中は改めて、心得其の一の文言に合点がいった。


「そう、気と言うものは自然界の其処此処に存在していて、この世で起こる現象は、すべて気を原動力にして起こるものなのだ。

 例えば、人間の三大欲求、食欲、性欲、睡眠欲は、体内の気の流れが正常であれば、それを原動力として、これらの欲求を満たそうとする。

 働いて金を稼ぐという行為は、人間の社会行動の一つであり、一見、気とはまったく関係のない行動に見える。

 しかし、突き詰めて考えれば、この金を稼ぐという行為は、生きるための食物を得るためであり、良い伴侶を得るためであり、安全な睡眠を取るためでもある。

 だから、そこにはこの欲求を満たそうとする気の原動力が働くんだ。そのために起こす行動が、まさに働いて金を稼ぐという行為に繋がるんだよ。

 まあ、回りくどい言い方をしたが、要は気が正常に働いていれば、すべての生物は生存のために、正常な行動をすると言うことなんだ。

 これは、生物のすべての行動が、気を原動力にして発現していることに、他ならないからでもあるんだけどね。」


「体内の気が、生存に欠かせないものであり、原動力であることは理解できました。では、体外の気はどうなんですか。」

ここまでの説明を聞いて、田中は疑問に思ったことを聞いた。


「体外の気についても然り、すべての現象は気を原動力として発現しているんだ。

 例えば降雨や降雪は、科学的に言えば、大気の水蒸気が気温上昇で上空に昇って氷の粒となり、やがて、その重みで降下する。とければ雨、とけなければあられひょう、そして雪になる。

 しかし、この自然現象も、気が原動力になっていることは、気の流れを見れば一目瞭然なんだ。

 水蒸気が上昇するのにも、上空で氷になるのにも、降下して雨や霰、雹、雪になるのにも、すべて『気』が原動力となっている。

 そう、気はエネルギーであり、気の流れが水を水蒸気に変え、氷にし、再び雨や霰、雹、そして雪にするんだ。

 気が万物の根源であるから、この降雨や降雪と同様に、季節の移り変わりも、水も、空気も、大地も、この地球だけではない、この宇宙すべての現象が、気の流れによるものとなるんだ。」


「確かに、気がこの世の万物の根源であるから、すべての自然現象が気によって発現していると言うことは、何となく理解できます。まさか宇宙のすべてが気によって成り立っているとは、思いもよりませんでしたが。

 ただ、一つ疑問なのは、気の流れが自然現象であり、みずから流れていると言うならば、わざわざ私たちがその流れに干渉する必要も、意味もないと思いますが、どうでしょうか。」

田中は、率直に頭に浮かんだ疑問を、源藤に聞いてみた。


「確かに、君が言うとおり、すべての気の流れは、万物の根源から発露する原動力であるため、我々が干渉する必要も、意味もあまりないかもしれない。自然のことは自然に任せれば良いと言う考えも、実際見聞きするからね。

 ただ、人類は、この自然の中に文明というものを築いてしまった。

 この文明を破壊して、原始時代、そう洞窟で暮らしていた、道具も何もない時代に逆戻りし、最悪滅亡しても構わないと言うのであれば、干渉する必要はまったくないだろう。

 しかし、歴史はそれを選択しなかった。人類の祖先は文明を築き、この文明社会を造り上げてきたのだ。

 人類が、これからもこの文明を維持し、発展させていくと言うのであれば、少なくとも人類に危害を加えられないように、干渉するしかない。

 もちろん過干渉になれば、逆に牙を剥かれるから、干渉の匙加減は、我が社の腕の見せ所でもあるんだけどね。」


「なるほど。確かにこの文明を破壊されるのは、困りますね。原始生活なんて今更できる気がしませんし、勘弁願いたいです。

 私たちの役割は本当に重要なんですね。」

そう言った田中の言葉に、

「そうだね。『自然と共に、未来を築く』と言う社訓が示すように、我が社はまさに、自然との共存共栄を理想とする社会を作り上げたい、と考えているんだよ。」

源藤は、誇り高い仕事をしているという自負から来るのか、ドヤ顔をしていた。


 田中にとって、社訓にせよ、心得にせよ、最初はよく分からない文言が並び、反発心もあったし、守っているフリでもしておけば良いか、ぐらいにしか考えていなかった。

 しかし、当初源藤が言っていた、この会社の根幹に関わるものだと言う説明が、今になってようやく合点がてんがいった。

 今なら分かる。気と言うものを通して、自然と対話するという意味が。この会社は、自然との対話を通して、人類文明を守り、自然との共存共栄を目指すと言う、大きな理想を抱えていると言うことが。

 すべて、この社則と心得に集約しているのだ。


 田中自身が感じたあのモヤモヤは、おそらく対話する能力が足らなかったからか、対話を理解する力が不足していたからなのだろう。

 田中には、道教を信奉する気持ちは一切湧いていない。しかし、自然の声を聞き、自然を操るということに対するワクワク感が、これまで見たこともない世界に足を踏み入れると言う、その期待感に他ならないのかも知れないと、田中は思った。


 そんなことをつらつら考えていると、

「さて、そろそろ昼だ。事務所に戻るとしようか。」

と源藤が、講義の終了を宣言した。

「はい。」

田中は、この新しくひらいた世界への期待感と、いまだ理解しがたいあのモヤモヤに対する不安とが入り交じった気持ちを抱え、源藤について歩き出した。


 現場事務所に戻ると、待ち構えていた京極から、田中は矢継ぎ早に質問攻めを喰らった。

 心得其の一は達成したのかとか、気は何を感じたのかとか、どんな感じだったとか、根掘り葉掘りと。

 そして、田中が無属性だと知ると、さらに火が着いたように、質問の量が鰻登りとなり、質問は止まらなくなった。

 何度か源藤にストップをかけられていたが、どこ吹く風で、昼食を摂っている最中も、ずっと質問攻めだった。

 心得の修行に関してだけでなく、プライベートのことまで根掘り葉掘り聞かれたときは、さすがに辟易し、ほぼ答えをはぐらかしたためか、さらに京極の質問欲求に火を着けたようで、完全に質問マシーンと化したのだった。


 嵐のような昼食を終え、現場の確認をした後、源藤と田中は、社に戻るため軽トラに乗り込んだ。

「京極さんの質問攻めには、さすがに参りました。」

と田中が零すと、

「まったく、あの子は自分の興味があることになると見境がなくなるからな。

 黙ってればイケメンでモテるのに、あの性格だから、おばさま方からは可愛がられても、同年代からは煙たがられるんだよね。

 まあ、イケメン補正が入るから、結局皆許しちゃうみたいだけどね。

 独りっ子と言うこともあって、ちょっと寂しがり屋なところはあるから。田中君も面倒くさいとは思うけど、大目に見てあげて。」

と少し嫉妬心も混じった調子で源藤は言って、力なく笑った。


「そうなんですね。確かにそんなところありますもんね。別に気にはしてないので、大丈夫ですよ。ちょっと面倒くさい弟って感じで認識しておきます。」

二人は声を上げて一頻り笑うと、

「じゃ、社に戻ろうか。」

源藤の一言に、田中はエンジンを始動し、軽トラを走らせた。


 道中も、京極のことで話題は持ちきりだった。

 業務態度は言うに及ばず、性格から、プライベート、趣味、さらにはあの顔面偏差値にもかかわらず、現在彼女がいないって話まで、源藤がすべてバラしてしまった。


「仙道君とくっついてくれると、良い夫婦になりそうなんだけどね。」

源藤が冗談交じりにそう言うと、

「確かに、夫婦漫才としてお笑い界に進出できるかも知れませんね。」

と田中も冗談で返し、車内は笑いで包まれた。

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