僕の花嫁様

みんと

僕の花嫁様

「参ったなぁ……」


 どこまでも続く青い空を見上げ、青年はため息と共に呟いた。

初めて訪れた国の、初めて歩く王都の街並み。

レンガ造りの景色は美しく、洗練された雰囲気は心地よい。

そんな美しい街を散策していた青年は、気付くと道に迷っていた。

遠くに白亜はくあの城が見えている。


(こんなことなら、大人しく待っていればよかっただろうか。いや、しかし……)

「あの…大丈夫ですか?」

 すると、春風が舞う通りの真ん中で、悩ましげに濃いグリーンの瞳を細めていた青年は、ふと届いた少女の声に目を瞬いた。

気遣う声音に振り返ると、そこにいたのは、青年より頭一つ半ほど小さな女の子。

花飾りとリボンのついた鍔の広い帽子キャペリーヌを目深に被り、癖のあるオレンジ色の髪を優雅に流す少女は、佇む青年を不思議そうに見上げている。

「ああ、えっと……」

 そんな少女の姿に、青年は恥じ入ると、困ったように狼狽うろたえた。

初めて訪れた場所とは言え、十八歳にもなって迷子だなど、あまり告げたいものではない。

だが、腰元を膨らませた流行りのバッスルドレスを着こなすこの少女はおそらく、自分と同じ上流階級の人間だろう。

物腰から似た空気を感じた青年は、柔らかに笑って白状する。

「……実は、この国に来たのは初めてでね。散策中道に迷ってしまったようなんだ。恥ずかしい限りだよ」

「まぁ。外国の貴公子様でしたのね。ですが、どうしてそのようなお方がおひとりで?」

「うん。実を言うと僕は、さる高貴な女性との縁談のために来たんだ。だけど、いざ会いに行ったら不在と言われてしまってね。仕方なく散策の傍ら、プレゼントでも買おうと歩いていたのさ。そうしたらまさか、迷子になるなんてね……」


 現状を話していくうちに情けなさを募らせながら、青年は美しい相貌そうぼうに苦笑を湛え呟いた。

今日は彼にとって、特別な日となるはずだった。

そのために何日も掛けて準備を行い、万全を期して訪れたはずなのに、その結果がこれだ。

自らの置かれた現状を憂い、ついそんな話をしていると、少女は労わるように頷いて、

「それは難儀ですね。分かる範囲であれば、ご案内いたしましょうか?」

「ありがたい申し出だね。きみはこの国のご令嬢かい?」

「ええ」

「ならついでに聞きたいのだけれど、この国の女性は何をプレゼントされたら喜ぶかな」

 貴公子が迷子という、情けない状況を嘲りもせず、親身になってくれる少女に、青年は微笑むと少し屈みながら問いかけた。

自分の胸下辺りまでしかない小さな体躯たいくと帽子のせいで、少女の顔は、かろうじて口元が見えているだけ。

デザイン自体は美しいものの、少女にこの帽子は大きすぎていた。


「そう、ですね……。最近ですと、ラフィネットのぬいぐるみなどは人気かと」

「ぬいぐるみ?」

 アンバランスな帽子を不思議に思い、屈み込むと、少女はわざと顔を隠すように鍔を握りしめて言った。

もしかしたら彼女は、顔を見せるのが嫌なのかもしれない。

ならば無理に覗くべきではないと判断して姿勢を戻すと、少女はほっと息を吐いて。

「はい。老舗の仕立屋と人形師が共同開発したものでして、かわいらしい動物のぬいぐるみに帽子とドレスを着せたものになります。あまりの愛らしさに、ぬいぐるみとおそろいの服を仕立てるご令嬢も大勢いらっしゃるほど、この街では人気ですよ。大通りにお店がありますので、ご案内いたしましょうか?」

 ほんの少し上気した声音で語り、少女は青年に申し出た。

わずかに見える口元には笑みが浮かび、彼女自身もぬいぐるみを気に入っていることが窺える。

それならば、あの子も喜んでくれるかもしれない。

「助かるね。ぬいぐるみのお店に一人で行くのも気が引けるし。もしお時間が許すようであればお付き合い願えますか、お嬢さん」



 まだ見ぬ縁談相手を想い、暫し逡巡した青年は、目的地を決めると少女と共に歩き出した。

案内のため、自分の半歩前を歩く少女の顔は、相変わらず帽子に阻まれ窺うことはできない。

物腰から同じくらいの歳だろうと予想しているものの、なんだか小さな妹を連れている気分だ。


「そう言えば、きみこそ、どうしてひとりでいたんだい? ご令嬢が散策だなんて、あまり聞くものではないと思うけれど」

 すると、自分の現状ばかりを憂いていた青年は、ふとここで気になったように問いかけた。

ここレイドラング王国は他国に比べ治安もよく、王都でも浮浪者や物取りなどは少ないと聞いていた。

だが、だからと言ってご令嬢の一人歩きをゆるす家はそうないだろう。

不意に興味を引かれて尋ねると、少女は気まずそうに笑って。

「……私は、その…会いたくない人から逃げてきたのです。親にも内緒で出てきたので、心配されているかもしれません。でも、どうしても…会いたくないんです」

「ふぅん。なら深く聞くのはよそうかな」


 少女の声音に滲む切実さに気付かぬふりをしつつ、話題を切り上げた青年は、遠くに見えてきた店を視界に入れ、黙り込んだ。

二人が目指すラフィネットの店は、大きなショウウインドウと、そこに飾られたぬいぐるみが印象的な、いかにも女の子らしい店だった。

近付くほど前面に押し出される「かわいい」は、間違いなく男が一人で入れるような雰囲気ではなく、入ったとしても変な目で見られることは請合い。

少女と出会わなければ絶対に来れるはずもなかった店に、内心感謝しながら息を吐くと、彼女は口元に笑みを浮かべて言った。

「実は私も、直接店を訪れるのは初めてで……。少し緊張しますね」

「同じ気持ちでいてくれて幸いだよ。頑張って入ってみようか」

「はい」



 薔薇形のドアノブに手を掛け、軽やかな鈴の音を聞きながら扉を開けると、エプロンを着けた職人風の女性が出迎えた。

レースや花などで装飾された店内もまたかわいらしく、ゴシック・リバイバル調の装いと相まって、お姫様の部屋を訪れた気分になる。

改めて場違いを感じながら進む青年に、女性は優雅な辞儀をして言った。

「ようこそラフィネットの店へ」

「こんにちは。女性へのプレゼントを買いたいのだけれど、おすすめを教えていただけるかな?」

「お客様は初めてのご来店でいらっしゃいますね? 当店のぬいぐるみはすべて一点ものになります。人気の動物はくま、うさぎ、ねこでしょうか。こちらは新作の白猫です」

 シルクハットとステッキを手にした、いかにも貴公子な出で立ちの青年にも物怖じせず、女性は丁寧に説明すると、新作だというぬいぐるみを差し出した。

ふわふわの毛並みに、つぶらな瞳。フェアリーピンクと白を基調としたドレスや、花飾りが美しい帽子は、男の目から見てもかわいいとは思う。

だが、かわいいの基準に自信のない青年は、思わず少女に目を遣ると、

「どうかな?」

 彼女に問いかけてしまった。

縁談相手へのプレゼントくらい、自分で選べと思われるだろうか。


「とてもかわいいですね。手触りがふわふわで、繊細なドレスも素敵です」

 しかし、そんな青年の考えとは裏腹に、ぬいぐるみを手にした少女は無邪気に笑んで言った。

気遣いができる上に心も優しいだなんて、本当によくできたお嬢様だ。

叶うことなら、その相貌を見てみたいと思う。

(……いや、何を考えているんだ、僕は。無理強いはよくない。それに……)

「どうかしまして?」

「いいや。何でもないよ。このぬいぐるみを頂けるかな」

 不意に頭を過った衝動を自制するように首を振った青年は、慌てて職人の女性に向き直ると、支払いのために少女の傍を離れた。

青年は、縁談相手に会うために今回この国を訪れたのだ。

立場上、それ以外の選択肢は許されない。

だが……。

(会いたくない人から逃げてきた、か……。一向に顔を見せたがらない様子然り、いや、まさかな……)



 ラッピングされたぬいぐるみと、それに合う花束を見繕ってもらい、二人は店を出た。

爽やかな風が吹き抜ける大通りには、春の日差しが優しく降り注いでいる。

「今日はありがとう。付き合わせて悪かったね」

「いいえ。ぬいぐるみ、喜んでいただけるといいですね」

 すると、大通りを歩きながら礼を告げる青年に、少女は柔らかな笑みで答えた。

口元に浮かぶ笑顔はかわいらしく、少し癖のある髪が、春風に揺れている。


「ねぇ、最後に顔を見せてくれないかな?」


 その様子を見つめていた青年は、不意に足を止め、願い出た。

真剣な表情を見せる青年に、振り返った少女の、驚く気配が伝わってくる。

「……いいえ」

だが、わずかな沈黙を経て首を振った少女は、もの悲しげに呟いた。

「私は醜いので。あなたのような美しい方にこの顔を晒すなど、恥ずかしくてできませんわ」

「じゃあこれは?」

「?」

 予想通りの答えに、青年が指差したのは地面だった。

何事かと思い視線を向けると、不意に視界が明るくなって……。


「あっ、いけません!」

 帽子を取られたのだと分かった途端、驚いた少女は顔を上げた。

そこにいたのは、左目に傷を持つ、かわいらしい女の子だった。

紳士として頂けないやり方だと分かっていながら、帽子を奪った青年は、慌てて傷を隠す少女にある確信を持つと、


「やっぱり、きみがそうだったんだね。

「……!?」

「そういえば、僕も自己紹介がまだだったね。僕はフェリドア王国王太子アベルト・フォルスティア。リナリー・ウィルクレイド王女との縁談のために来た」

「!」

「つまり、きみに会いに来たんだ」

 突然の話に目を丸くする少女に、青年――アベルトは自身の素性をそう明かした。

途端少女は狼狽えた顔で目を瞬いていたが、否定する様子はない。

先程頭を過った可能性は事実へと変わり、嬉しさと共に帽子を返した彼は、なおも笑って言う。

「だけど城に行ったら王女は逃げた、なんて言われたものでね。夕時までには帰るだろうと散策していたんだ。そしたら偶然、きみに出逢った。これはもう運命だと思わないかい?」

「で、ですが、私は、こんなにも醜い王女です。傷のある女の子なんて嫌でしょう?」

 柔らかな笑みを浮かべ、平然と運命を口にする彼に、帽子を握りしめたリナリーは、今にも掻き消えそうな声で呟いた。


 隣国の王子との縁談を持ちかけられたときから、彼女はずっとそれを気にしていた。

傷のある醜い自分が、美しいと評判の王子様に受け入れてもらえるはずがない。

それどころか酷い顔だと罵られてしまうだろう。

だから逃げたのに。

なのに、どうしてこの人は運命だなんて言うのだろう。


「そんなことはないさ。人を愛するのに見た目はそんなに重要かい?」

 すると、俯いたまま泣きそうな顔で同意を求めるリナリーに、アベルトは優しく首を振った。

そして、散策に出る前に彼女の両親から聞いた話を口にする。

「見た目なんてものは時を経れば自ずと変化するものだ。それに、きみの傷は弟君を…この国の王位継承者を守るために負ったと聞いたよ。名誉の傷を醜いだなんて誰が思う?」

「でも……」

「僕は今日、顔の見えないきみと過ごし、それでも楽しいと思った。もっと一緒に話をしていたい。だからほら、帰ろう?」

「……っ」

「それにこのままでは、きみのために買ったプレゼントを渡す相手がいなくなってしまう。それでは流石に格好がつかないだろう。帰り道も教えてもらいたいしね」

 最後の言葉だけ悪戯っぽく加え、アベルトは帽子を握りしめるリナリーに手を差し出した。

ほんの少し前までは、迷子を情けないと思っていたはずなのに、今はそれを平気で口にできる。

弱さを見せても構わない。そう思えた相手に、素直に向き合いたいと願うから。


「本当に、私なんかで…よろしいのですか?」

「うん。きみがいいんだ」


 アベルトの心情を察し、惑う彼女を導くように、彼は力強く宣言した。

見た目だけじゃない、彼女の優しい、綺麗な心に惹かれたんだ。

美しい心を持つ彼女となら、この先の人生を歩んでいける。


 そう思い差し出す手に、しばらくしてリナリーの小さな手が重なった。

わずかに震える手を握り、彼らは帰途の道を行く。


 二人の婚約まで、あとすこし。

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僕の花嫁様 みんと @minta0310

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