第32話・幕間 青空よりも大きなみんなと、陽の光よりも眩しい貴方へ
暗がりの中で初めて見たのは身の毛もよだつバケモノだった。
『次は貴女の番よ、私』
初めはまるで意味が分からなかった。
けど、少しずつ。なのに急激に。溢れ出すように。
全てを理解していった。
彼女の言葉の通り、このバケモノは私なんだと。
『……私の時より理解が早いみたいね。そ、私達は見た目の構成も心も考え方もまるで違うけれど同じ存在。分裂したような存在。だから貴女は私で私は貴女。逃げられないの。この姿からも、鬱陶しい役目からも』
彼女は表情を変えないまま、けれど喜びを底の底からほんの微かに漏らしながら、酷く端的に『私』の事だけを言葉にした。
他には何もない。たったそれだけを私に。
なのに彼女は役目を終えたように背を向けると、するすると蛇の足をうねらせて暗がりの奥へと消えようとする。
『待ってよ!確かに私達は単為生殖に似ているけれど、だからって同じなわけないでしょ!?』
呼びかけて、ゆらりと彼女は足を止める。
だけど振り向かない。
『ならその記憶は?教えもしないのに使える言葉は?明らかに他とは違う複雑なこの身体を操れる理由は?』
『……!そんなの…けど、だからって私は……!』
事実を事実として突き付けられて言葉が詰まる。
分かってる。彼女の言っている事は全て本当で、私は受け入れるしかないのだと。
運命を変える変えない、拒む手段を見つける見つけないじゃない。生まれ落ちた瞬間にその種族として生きるしかないのだと彼女は言っているに過ぎない。
それだけは何が起きようとも変わりはしない、変えようがないと頭では分かってる。
……分かっているけれど、それでも。彼女の言ったように『私』と私は違う。記憶や肉体の呪縛を引き継いでいるだけで、私には私の気持ちが……!
『貴女の意志は関係ない。私達は、私達の初めである『私』に死ぬまで縛られる。そしてきっとその『私』でさえ望んではいない何かに縛られていた。……そうだって分かるでしょ?』
『……ッ!!』
気持ちが……あるのに。確かにここに、他の誰でもない私があるのに。たった一言で否定され、たった一言だけで納得している私がいた。
『だから貴女は巫女。迫害した世界のために命を捨てなければならない巫女。でもそれが少しだけ羨ましい。私には許されなかった出逢いが待っているのだから』
『ちょっと!!そんな事私は望んでない!私はただ…ただ誰かと……!それが貴女とでも!!!!』
叫んでも、呼びかけても、再び歩み出した彼女はもう止まる事も声を出す事も無かった。
暗がりに消え、脚音すら少しずつ聞こえなくなっていく。
『……待ってよ。独りは、嫌なのに……』
濁流のように脳を巡り狂う私達の記憶。
その中に在るのは迫害され続けた日々と、その末に辿り着いた孤独な洞窟。
そして、巫女という唯一絶対の目的。
この目的が果たされた時、私はーー私達は、この呪縛から解放される。
死を望む事によって。
『……そんなの、絶対に認めない。私は他の私とは違う。独りなんかで終わらない。絶対に誰かと一緒に…!』
ーーなんて。息巻いたのが一体いつの事だったろう。
この暗がりの中に時間は無い。
有るのはただ、私という存在だけ。
他者では無く、私というバケモノだけ。
そう、私はバケモノだ。
巫女である前にバケモノだったんだ。
「…そうだね。時間なんて止まっちゃえばいいのにね。そうしたら孤独が当たり前になるのに」
脳に直接流れ込んでくる声に相槌を打って少しだけ心が安らぐ。
この声は私の頭髪の一本として存在する蛇から届くモノ。
私の一部なのか、私とは別の独立した何かなのか、それは分からない。ただ、こうして時折私に声を送っては返答もせずに黙りこくってしまう。
「…なんて、きっと自分で作りだしたナニカだよね。あはは。…はは」
わざとらしく笑って見せても蛇からは何も返ってこない。
折角[アフォ]という名前まで付けたのに、この子は会話の相手とは成り得ない。
「…………虚しいなぁ」
結局、私は独りだ。
他には誰もいない。私を産んだ……それとも分裂した?彼女は当然ここにはいないし、今も生きているのかさえ分からない。
…ううん。きっともう死んでいる。寿命か、それとも捕まった末になのかは分からないけど、そんな気がする。
「また、外に出てみようかな…」
いつの日だったろう。
好奇心に引きずられて陽の光を見上げたあの日は。
目に染みる青空に吸い込まれそうだと何時間も眺めていたあの瞬間は。
そして、数人の獣人達に石や槍を投げられ、魔法を唱えられたあの日は。
「……やっぱり行かなくていいよね、アフォ。痛いのは嫌だもんね」
何が悪かったんだろうと考えた。
どうすれば分かってもらえたんだろうと考えた。
でも間違いだった。
そもそも同じ記憶が頭の中にあるのに、考える事自体が大きな間違いだった。
「そうだよね、私はバケモノだもんね。三つの種族が入り混じった肉体の、子の成せないバケモノ。子の成せない時点で私は獣人として失格だもん、その上こんな見た目で誰かと話をしようと思う事自体が間違いだった」
独り言ちて。
…独り言ちて。
……独り、言ちて。
………涙が、止まらなかった。
「誰でもいいのになぁ。一緒に話をしてくれるなら……誰でも」
自分(バケモノ)の鳴く声が暗闇に反響する。
虚しく、虚しく反響する。
お前しかいないんだぞと誰かに言われているみたいに。
ううん、いっそ誰かに言われた方がまだ……。
「なんでかな、何で私なんだろう。別に誰だっていいはずなのに。巫女だって、バケモノだって、私以外の誰かがやればいいのに」
こんな問いに答えがあるわけない。
選ばれたわけじゃ無いんだから。ただそうなっただけなんだから。
だけど問わずにはいられない。そうでもしなければ私は私を守る事すら出来ない。
大嫌いな私の命を繋いでいられない。
他の獣人なら当たり前に出来ているはずの[生きる]が私には出来ない。
ーーあぁ。早く……。
「…何、それ。なんなの?なんでそれを私が一方的に受け入れなきゃいけないの?」
本音が喉元を通ろうとして、でも怖くてやっぱりできなくて。
吐き出したのはそんな呪いのような怒りだ。
「そうだよ、だったらいっその事ここに来る奴らだけでも同じ目に会えばいいんだ」
耳に吸い込まれた怒りで思いついたのはそんな本当の呪いのような手段。
『私』が長い年月をかけて極めた隠匿魔法を使えばそれが出来る。
そうすれば私を殺しに来た奴ら全員を同じ目に遭わせてやれる。
わざわざ洞窟を長いと知覚させて餓死させる必要も無くなるんだ。
そうだ。望まない身体にみんななればいいんだ。
そうすればみんな少しくらいは私と同じ想いを抱いてくれるはずだ。
そうすれば、そうすればきっと。
「……うん、そうだよね、そうだった。なれるわけないよね。私と同じ気持ちになんて」
アフォに言われて思い直す。
同じ気持ちになるわけがないんだって。だって他の奴らには帰る場所がある。認めてくれている奴がいる。
そんな奴らが、孤独の中で死を待つだけの私を理解してくれるはずが無いんだ。
「でも、罠を仕掛けるっていうのはいい案だと思わない?中に来る奴が居なければ私はこんな世界のために死ななくて済むかもしれないし」
アフォに話しかけてもやっぱり返事は無い。
けど、別にアフォの同意を得る必要も無くて。
ただ、誰かと何かを決めた気になりたかっただけだからそれでいい。
「……それで、それでもしも、身体を変えられてもここまで来てくれる誰かがいたらその時は……」
その時は、せめて嫌われないように振舞おう。
見た目も役割も嘘を吐けないのなら、せめて中身だけは嘘を吐いて好かれるように努めよう。
「…うん、そのくらいしてくれる相手なら、好かれる努力をしてもいいよね?アフォ」
それで、それで、それで、もしも。
「もしも、だよ?もしも……」
私を『受け容れてくれる』って言ってくれたら。
そしたらその時は。
その獣人の事を。
………。
……。
「なんて、無理だよね。妄想なんてすればするだけ辛くなるだけなのに。馬鹿みたい」
口ではそう言いながら、無意味だと分かっていながら、妄想が真実になる日を待ち望んでしまう。
「でも、いいよね。長い長い無駄の中の一瞬だけだもん。夢くらい見たって、いいよね?」
今は返事をしてくれないアフォに話しかけても虚しさがあまりなかった。
理由は単に浮かれているからってだけ。
でも、そんな簡単な事で気分が変えられるなんて久しぶりに思い出せた。それだけでこの瞬間はもう充分満たされてるのかな。
「……まずは手を握って、そしたら一緒にお話しして、それでチューとかお願いしてみて、それで、それで最後は思いっきり抱きしめてもらって……!」
馬鹿馬鹿しいと分かっていても止まらない妄想。
やればやるだけ辛くなるけど、一度抱いてしまった喜びは簡単には消えてはくれなくて。結局、結婚してからの事にすら妄想が飛躍してしまう。
巫女なんだから末永く~なんて無理なのにね。
「あ~あ、来てくれないかなぁ。そんな日が本当にさー…」
もしもそんな相手に会えたなら。
その獣人はきっとあの日見た陽の光よりも眩しくて、あの日見上げた青空よりも大きいんだろうなぁ。
そしたらきっと反発するんだろうな。
何が分かるんだって。何もできないだろうって。
でも、それでもって言ってくれる誰かだったら。
そしたらきっと……泣いて心を許しちゃうんだろうなぁ。
そんな相手がいてくれたら、いいなぁ……。
to be next story.
異世界踏破譚~六つの異世界と五名の巫女~ カピバラ番長 @kapibaraBantyou
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