第31話 偽りを裂いた光明
進んで。
進んで。
進んで。
進んで。
目の前を歩くフィルオーヌの姿すら朧げにしか見えない暗い一本道を延々と進む。
入り組んでいるらしいというのは間違いなかった。曲がったり上ったり下りたりを何度かしたからだ。
けれど、進む事に迷いは無かった。
何も見えずとも行く先は決まっている。そんな気がしたのはきっと俺だけじゃないはずだ。
だから進み続けた。
両手を広げれば端に届くほどの幅しかない暗い道を行くのは気が狂ってもおかしく無かった。或いはそれこそが追い返すために仕掛けていたもう一つの罠だったのかもしれない。
だが、関係ない。
脚は止めない。
有り得はしないが、例え一人になっても引き返しはしなかっただろう。
あんな……あんな暗闇に誰かを置き去りにするなんてのはもう嫌だったから。
「……空気が、止まった?」
先頭を歩くシャルの何処か困惑した声が聞こえる。
他人事のようにすら聞こえてしまうその声に、俺も、前を歩くフィルオーヌも、シャルの傍を歩いているはずのファズも、全員が足を止めて息を呑んだ。
行き止まりだ。そんな間違いのない確信が俺達の全身を包み、同時に[何者かがいる]という確実な感覚が真っ暗闇の視界から入って来た。
……やがて。
「…!眩し……!!」
眼球を焼き爛れさせかねない光が真正面で突発的に膨れ上がった。
火だ。俺達が敢えて使わないようにしていた明かりだ。
「前が…」
「眼暗ましよりキツいな、これ」
フィルオーヌの独り言に釣られて言葉が漏れ出る。
そのくらいには何も見えなかった。完全に白塗りだ。……瞼を閉じたから今は黒塗りだが。
「…誰も見えて無いみたいだから私が最初に言うわ。……あんたがここの巫女ね?」
唯一、火による明かりで視覚機能が阻害されなかったらしいファズの少し震えた声が聞こえる。
やっぱり迫害されるに足るだけの見た目をしていたんだろうか。でなければあのファズがこんなにも分かりやすく恐怖を声に乗せるわけがない。
……いや、関係ないな。どんな姿であれこれからは俺達の仲間だ。
「…うん!」
ファズの問いかけに返されたのは底抜けに明るいような声。
「私が獣人界の巫女、ドルム・シャルム・ユイームだよ!」
僅かずつだが見えるようになってきた目で声のする方を見ようとする。
…酷く霞がかった視界でも分かる。ユイームは相当に大きい。
転換によって余儀なくされている今のフィルオーヌの背丈よりも大きい。立つために天井にぶつからないよう首を傾げているほどだ。
もしかしたら三メートルはあるんじゃないか?
「思ったより元気そうね?私達が来るのが分かってたからかしら」
「んー、そういうわけじゃ無いケド…。なんていうか、性に合ってるのかな?ここがさー」
…有り得ない。と、直ぐに否定したかったが、それに足るだけの事実を俺達はまだ知らない。
迫害を受けるくらいなら、と本当に望んでいるとも確かに言えるからだ。まして本人の言葉。安易に否定していいはずも無い。
……はずも無いのだが。
「あんた、嘘吐くの下手ね」
ファズは完璧に一蹴した。
「…なんでそんな事が分かるのカナ?嫌なら居ないじゃん?こーんなとこにさぁ?」
「あ、そ。ま、わざわざ私の機能を使うまでも無いくらいわっかり易いってのだけは言っとくわ。見破って泣かせるのは私の役目でもシュミでもないしね」
「…泣かないし」
僅かに揺らぐユイームの声色。
それが聞こえたのとほぼ同時に俺の目がやっと見えるようになる。
そうして目にしたのは……確かに、バケモノと言われるだけの姿形をした彼女の姿だった。何も知らずに見ていれば声の一つも上げてしまっただろう。
だが、それ以上に。
「成る程な。確かに見抜くまでも無い」
……それ以上に、彼女の吐く嘘の脆さと儚さに胸が締め付けられた。
「何よ~。貴方が私を泣かせるってーのー?」
魚のひれのような下半身、人型ではあるものの灰色をした上半身、新緑色の綺麗な二房の巻き髪に一本だけ混じる蛇。そして、立ち切っていないのに三メートルはありそうな巨体は胸元を隠すためだけに何かの皮を巻いているせいもあってか野蛮な印象が拭えなかった。
それが、あの場に居た……恐らくはこの世界の獣人達全員にバケモノと言わしめたユイームの正体だ。
「泣かせるつもりなんかない。けど、素直にはなってもらう」
「…………………何それ」
目を細め、非難や侮蔑の込められた視線を俺に向けるユイーム。
だが、当のその目が、どれだけ見下して来たとしても俺は彼女に嫌悪や否定を向けられそうにない。
全てを捨てているんだと分かってしまったから。
薄幸な目元と言い切るにはあまりにも心苦しい。それほどに彼女の目は全てを見捨てている。
まるで見捨てる事そのものが望みであるように黒茶色の瞳を殺しているんだ。
これではどれだけ自分を取り繕っても嘘だと一目で分かってしまう。いや、嘘とすら言ってもらえないかもしれない。
なのに彼女は嘘を突き通せると本気で思っている。
誰にも教えてもらえなかったと自白するように。
「…分かった。まずは付き合ってやる。気が済むまでお前の思ってた事全部を俺達にやってみてくれ」
「何言ってるのか分かんないカナ~?ふふ~」
言葉だけは楽し気に。
全身の動きは緩慢に。
嘘を吐けば吐くほど彼女の本性が晒されていく。
「んで~?結局は君達が勇者様と巫女って事~?」
「…うん、そうだよ」
「担い手ってのが正式名称みたいだけどな。好きに呼んでくれ」
「へぇ~。思ったよりつよそーカナ?」
視界が正常に戻ったシャルは答えながらユイームを見ると一瞬目を見開き、けれどすぐに俺やファズの言葉の意味を理解する。
「……気が済んだら、一緒に外に行こうね。ユイームちゃん」
「…だから、好きでここにいるんだって」
「そう思われたいのならそのように行動するべきね。言葉だけでは無くて」
最後に視力が戻ったフィルオーヌの突き刺すような物言いが洞窟内に反響する。
彼女の発言は怒りを孕んでいるようにも聞こえる。けど多分違う。これは恐らく、自分の抱いていた悩みと近しいモノを感じたために出てきた想いだ。…どことなく、フィルオーヌの苦しみが滲んでいる。
そんな事を一切知らないユイームは彼女の言葉に混じっていた感情を受けて、返すかのように怒りを露わに声を荒げた。
「だから!しつこいよ!私は今も昔もこうだし、これからもそうなの!」
ひれで……足で地面を一度強く叩き、鼓膜を強打する暴音が俺達の瞼を下ろす。
だが不自然なほど素早く彼女は意識を切り替えると俺に近寄り、手を握ってきた。
「だからほら、ね?たまーに迷い込んできた誰かをこーやって誘惑してみたり~」
軽い口調とは裏腹に強い力が俺の手を包む。
「…なら、やっぱりあの魔法罠はお前が仕掛けたんだな。何かを伝えるために」
「む。そーいう言い方はよくないんじゃないの~?嫌だったら帰ればいいだけだし」
「そうしたら解けるのか?俺達の魔法や、お前の暗闇はさ」
「解けるよ~。だって魔法だけだしね~掛かってるのなんてさぁ」
言葉を交わしながら握り返したりはせずに好きなように手を触らせる。
そうやって反応を見せなかったのを快く思わなかったのか今度は縋るように首元に抱き着いてくる。…が、それもぎこちない。
されるがままの俺ですらそう感じているのだから傍から見ているシャル達には[首からぶら下がろうとしている]ようにしか映ってないだろう。
やはり歪だ。どんな風に育てばここまでちぐはぐになるのか想像が出来ない。
「そう言えば洞窟の長さも異常だったな。アレも理由があるんだろ?」
ユイームの好きにさせつつ彼女の施していた罠の分かり易さを指摘すると、一瞬手の回されている首元に強い力が籠められる。
彼女も気が付いてはいるんだ。だけどそれを切り返す上手い方法を知らないために我慢するしかなく、行き場を失った苛立ちを隠すために更に歪な嘘に出る。
「べっつに~。そういう場所ってだけじゃないの?」
だから今みたいに根拠も何もなく否定する事しかできない。
「……思うに、罠はお前の身体の悩みで、道のりはお前の心の距離なんじゃないか」
なら、逆に言えばその嘘の根幹こそが彼女を形作った発端と言える。
「違うよ?」
「得意げになって披露する事でもないんだけどな、こんな事はさ」
「なら辞めればよく無~い?知ったかぶるのはさー」
繰り返し繰り返し。彼女の隠し事を刺激し、出てくるのは怒りを隠すだけの道具になった言葉だけ。
俺だってやりたくはない。シャルに至っては今にも目を逸らしそうな面持ちでこっちを見ている。
だとしても誰かがやるしかない。医者じゃ無くたって分かる。吐き出させなきゃ駄目なんだ。
吐き出せなきゃ、一生抱えたまま目を背け続ける事になる。向き合う機会を得られなくなってしまう。
そうしたら待っているのは首を絞めてくる後悔と激痛のような虚無感だけ。全てを無為にしてしまったという覆しようのない絶望だけだ。
「お前が素直になってくれるならな。こんな責める物言いは俺達だって好きじゃない」
だったら。誰かが誘い水になって行き場を作るしかない。
「言葉とはちぐはぐな動きも、異様に早い切り替えも、全部お前がお前を護るためのものだ」
幾度生涯をやり直しても消える事の無い恨みを持たれても誰かがやるしかない。
「悪いとは言わない。けど、それだけで自分を作るのは絶対にあっちゃならない事なんだ。いつか、自分が誰なのか分からなくなる」
我ながら辛辣な言葉の羅列だ。ブラフが肉体を持ってここにいたのならきっと殴られていただろう。
けどさ。放って置くなんてのもできるわけがないんだ。仲間になるからってのを差し引いても、やっぱり無理だ。
だって、こんなにもユイームは苦しそうにしている。俺の言葉はこんなにも酷いのに、お前と違って殴り掛かっても来やしない。
ずっと、笑ってるんだ。笑顔の薄布を張り付けて。
だけどそれももう終わる。薄布一枚張り付けていた笑顔がほつれていくのが、もう、誰が見ても明らかだから。
「……ったら………だったら!」
叫びに合わせ、ユイームが自分に被せていた薄布を破り捨てる。
「…だったらさ、黙って付き合ってくれればいいよね。お前達の言う私の嘘に」
次に現れたのは被せられた布切れでは無く、ドルム・シャルム・ユイームという個。
今までが容易に偽りだったと分かってしまう、まるで別人のように暗く沈んだ声で恨めし気に俺達を殴りつけてくる視線が向けられる。
「やっと少し素直になったか。今のお前になら手を握られても良いぞ」
「何それ。意味分からないんだけど」
全てを見捨てている目が真上から降り降ろされる。
背丈がある上に傾げた状態で狭い空間で見下ろされているからだろう。肝が冷えるくらい恐ろしい。
「今のお前の方が好きだって言ったんだ。誘惑されたら乗り気になりかねないよ、ホント」
だけど、今の言葉こそが彼女の本当だった。
今の彼女には、彼女がちゃんといる。嘘や偽りではないドルム・シャルム・ユイームという一人の女性がいる。
ならばそこには必ず魅力があり、見い出せ、それをもっと見たい・知りたいと求めたくなるのは俺だけじゃないはずだ。
「………気持ち悪い。こんなの口説く奴いるわけないのに。こんなバケモノ」
けれど俺の今の言葉を彼女は嘘や嘲りと捉え、瞳の奥を俺を侮蔑するモノに変えてしまった。
なら俺は、嘘を吐いてはいないと彼女に示さなければならない。
どこまでも本心で、腹を割って話していると。
「…確かに獣人にしてみればお前はそうかもな」
「ほら、やっぱり。テキトーな事ばっかり言わないでよ。嘘吐き」
言葉以上に沈んだ声が耳を突く。
ーー[嘘吐き]か。出来れば『違う』と言ってやりたいんだが……その通りだよ。
「……最後まで聞け。いいか、俺やシャルみたいな人間にしてみればあいつら獣人だって充分バケモノだ。見ようによってはそこのフィルオーヌも、ファズも、今まで会ってきた異世界の奴ら全員がだ。勿論向こうだってそう思ってたはずだろうよ」
肯定も否定もせず、逃げるようにして説得を試みる。
こんな噓吐きの言葉がどれだけ届くかは分からない。それでもやらないよりはずっといいはずだと思って。
「じゃあ結局私もバケモノって事?それのどこが口説いてるの?」
「バケモノだろうが何だろうが気にしてないって言ってんだ。俺達が、今、お前に見てるのは外見じゃない。中身だ。なのにさっきみたいに仮面付けてたら何も判断できないだろ」
「気にしない…って、どうやってそうだって判断できるのか教えてよ」
「今こうやって目を見て話しているのだけじゃ足らないか?俺達は逃げも隠れも追い立てもしない」
「……そんなの」
少しだけ、ユイームの瞳の奥に光が灯ったように見えた。
何かが彼女の琴線に触れたんだ。
が、瞬きをする間もなく光は消え、代わりに拒絶心がありありと溢れ出る。
「……なら、それでもバケモノだったらどうするつもり?ぜーんぶ晒してやっぱり中身もバケモノだったら?私逃げ場無いんだけど。死ねって事?馬鹿にしてるの?」
口調と声色と内容、それらを額面通り受け取れば彼女の言葉は明らかな攻撃性を孕んでいた。
けれどそれは自分を取り繕えていない事の証明になるはずで。
だとすれば、俺は今、彼女と腹を割って話せているはず。本心を聞き出せているんだと考えていいはずだ。
それなら彼女を連れ出せる。こんな暗い場所から彼女を。
あいつにはしてやれなかった事を。
「そのままのお前を受け容れる。どうせ何もかもがバッチリ組み合わさる他者なんていないんだ。お前はお前のままで俺達に『私を受け容れろ』って言えばいい。『それがお前達の望みなんだろ?』って」
ああ、いや……違う。違うよな。
ユイームはあいつの代わりじゃない。ブラフはブラフで、ユイームはユイームだ。
「それでも駄目なら?受け入れられなかったら?」
「考えて無い。受け入れられないと思って無いからな」
暗闇にいるからって同じわけはない。
それぞれがそれぞれに抱えきれない苦痛を持っていて、それを見ないように、気が付かないようにするために用意した場所が暗闇なんだ。
「考えてよ。それで全部変わっちゃうんだし」
「考えない。今のユイームから漏れ出てる本心は俺の嫌うモノとは違う。あんな取り繕った遊び人より本来のお前の方が断然良い。今みたいに振り向かせたくなる」
似ているようで全く違う。一緒だなんて思ったら駄目だ。
今は、ユイームだけを見ろ。
暗闇を拒絶しない誰かはいるんだと彼女が気が付ければ、それだけで明かりが灯るはずなんだ。
「はぐらかさないでよ。あんたも、あんた達も本当は言葉だけで、誰も私を受け容れてくれなかったらどうするの?誰が?どこが?何が!?私の逃げ場になってくれるの…!」
そんな考えが根底にあった想いに、至極当然な指摘を受けて思考が一瞬詰まった。
真剣な眼差しが、涙袋に浮かぶ苦しみに照らされこの上なく強く、何よりも要求的に鋭く輝く。
間違いない。彼女は本気で向き合ってくれている。さっきまでの取り繕った誰かとは全然違う。
……なら、今度こそ間違えずに答えないと。自分の気持ちを伝えるだけじゃない。今の彼女が求める答えも示さなければ。
次を違えればきっともう、ユイームが心を開いてくれる事は無い。
「…お前だけだ」
「………はぁ?」
これ以上ない攻撃的な返事が鼓膜を揺さ振る。
けれど、絶対にあり得ないと断言する俺達すらも駄目だったとすればもう答えはそれしかない。
自分で自分を受け容れる。それ以外にこの問題の解答は存在しないはずだ。……死、以外は。
「誰一人としてドルム・シャルム・ユイームという個を受け容れられないのなら、お前自身が自分を好きになるしかない」
断言し、真剣さに陰りの見えたユイームを見つめる。
「何それ。頓智してるんじゃないんだけど」
「頓智でも屁理屈でもない。誰も受け入れてくれないのなら、逃げ場になってくれないのなら、自分が全部になるしかないんだ。そうすればお前は悩まなくて済む。誰にどう思われようと自由でいられる」
ユイームの表情に怒りが現れ、少しして思案と困惑が訪れる。
彼女の想いが入り混じった表情は数瞬の思考を経ると、徐々に一つに纏まっていき、やがて嫌悪に至る。
「…無理。私は私が大っ嫌いだもの。誰にも求められない私が大っ嫌いだもの。どんなに長く生きても、どんなに心が育っても、どんなに求めても、どうせ叶わない。生きる意味なんてない。なのに死ねないのはこの血(やくめ)だけ。この血だけが死なない理由。他に生きてる理由なんてない」
全てを見捨てた瞳が色濃くなる。
ーーそうか。これが今のお前を作り上げた根幹なんだな、ユイーム。
やっと吐き出してもらえた彼女の暗闇の原点はあらゆる生き物からの拒絶。そこには自分自身も含まれている。
それをどうすれば解消してやれるのか。俺には一つしか手が浮かばなかった。
「だったら俺が…俺達が、理由になってやる」
生きる理由が無いと言うのなら他の誰かがそれになればいい。
ここには、巫女としてではない彼女を望む俺達がいる。
すぐに無理なのは分かる、ゆっくりでいい。俺達に時間をくれれば……。
「……どうせ死ぬじゃん。勇者なのか担い手?なのか知らないけど、殺されるじゃん。私を受け容れてくれない世界のために死ねってさ」
彼女の瞳が一層深く染まる。
見つめる先にいる俺は、その目に見られただけで呼吸が止まりそうだった。
ーー…そうだな。そうだ。お前の言う通りだよ。
時間は無かったんだ。
俺達は近い未来に俺とシャルだけになって、涙を堪えているユイームは、話を聞いているファズとフィルオーヌは、どう望もうと変わり果ててしまう。
ブラフと、同じように。
こんな世界達のために。こんなにも苦しんでいる者を知り様も無い世界達のために。
そんなのは俺だって納得できない。
「こんな世界のために死ねなんて言うわけない。強要する気だって一切だ」
だから俺には…これしか言ってやれないんだ。
「じゃあ何?私は何のために死ぬの?どうして殺されるの?嫌いな世界を呪いながら死ぬのも駄目になったら、どーしろって…!」
「俺がお前との思い出を望んでやる」
「……は?」
意図を理解できるはずも無い俺の言葉にユイームの表情が固まった。
「誰よりも何よりも強く求めてやる。全ての世界で誰よりも悼んでやる。俺は、他でもないお前を求めて、そして死んでくれと言ってやる」
知らずに両の拳が握られる。
もう、俺には[元に戻る手段を探す]とは言ってやれなかった。
俺のために死ねとしか言ってやれなかった。
巫女の誰にも死んでほしく無いのに、希望に繋がる一言を言ってやれない。
軽すぎる俺の【それ】を口にすれば本当に護れなくなってしまいそうだから。
「俺にお前の生きていた頃の全部をくれ。ユイーム」
こんな事しか言ってやれない。
こんな、こんな……望めたはずの未来を否定するような事しか。
「私の……全部…?」
「そうだ。命も、恨みつらみも、願いも、全部だ」
それでもだ。それでも、渡せるものが無いのならせめて望むだけを抱え続けていたい。
勿論、元に戻す方法は探す。人生を増やしてでも探す。
だけど、俺の【それ】はあまりにも軽いから。
無意味で、無駄で、取るに足らないカスみたいな価値しかないから。
「俺の命尽きるその日までお前と一緒にいるから。誰にも求められないなんて考えはもう、棄ててくれ」
俺には、俺の意思だけで絶対に出来る事しか言葉にしてやれない。
「ずっと…一緒……。私が、誰か、と……?」
「そーだよ。リューン…あ、この人はリューンで、私はシャル。で、ファズとフィルオーヌね?」
噛み締めるようにして確かめるユイームに、何と言うか空気感を完全に無視した入りをしたシャルは、入りの持つ何処か弛んだ雰囲気とは真逆に、至って真剣な表情でユイームの傍へと歩み寄る。
「リューンの言ったように、もう自分の事を無価値みたいに言うのはやめよ?だいじょーぶ。リューンは冗談は言うけど嘘は吐かないから」
「一応は、だけどね。なんだかんだ私もこいつに助けられてるし。まぁ信用くらいしてやってもいーんじゃない?そこまで損はしないと思うわよ」
「ええ。向こう見ずなところはあるけれど、言い換えれば一途。そんな人が嘘を吐くって考えられるかしら」
「あ!もちろん私達も同じだからね!?寧ろリューンよりは信じてくれていいから!」
「……何か、全員一言多い気がするが。そう言う事だ。安易には決められないとは思うが、それでも。……俺達を信じてくれないか?」
みんなに合わせて彼女を説得し、吐いてはいけない嘘を吐く。
……いや、嘘と断じられるほど何もしていないはずだ。ああ、きっとまだ、何もしてない。
今はまだ、戻す手段がないと知っただけなんだから。
だから、ユイームもファズもフィルオーヌも。
ーー……ブラフも。お前も必ず、戻してやるから。
「……分かった」
懺悔を腹の底に落とし込んだ声が聞こえる。それは初めて取り繕っていない明るい声で返事をしてくれたユイームだと、見上げる事で分かった。
そこには涙を拭い、少し柔らかな表情になった彼女が俺達を見つめていたから本心なのだと理解できたからだ。
「え、えへへへ。このままじゃ首、疲れるよね。座るから」
そう言って彼女は立たせていた脚を寝かせて頭が天井に着くかどうかまで背を落とすと改めて俺達全員に視線を送る。
「……ありがとう、あんな風に言ってくれて。きっと違うんだっては分かってるけど、それでも[嘘でも嬉しい]って言わせて。そのくらい、嬉しいから」
ぎこちなく笑い、ユイームは頬を一筋濡らす。
そして俺を一心に見つめた
「だから、いいよ。リューン。貴方のために死んであげる。その代わり約束は絶対に護って。毎日私の事思い出してくれないと、酷いからね?」
「…ああ」
言い聞かせるような、指摘するような彼女に深く頷き約束を交わす。
破るわけがない、忘れるわけがない。
頼まれたって破るものか。
「…うん、良かった。今日まで生きてきた甲斐があるね」
彼女の頬にはもう涙は無かった。
代わりにあるのは涙も乾くほどの明るい笑顔と。
……雄黄色の光と、あの白く発光する粒だ。
「じゃ、最後にお願い、聞いてくれるよね?」
「何でも言ってくれ。望むならこの世界を滅ぼしにだって行ってやる」
「え、えへ、えへへへ。いいよそんなの。一緒にいられる時間が減っちゃうし。もうどーでもいいし」
ブラフの時と同じようにユイームの存在感が少しずつ希薄になり、同時に身体が消えていく。
彼女も宝玉に変わってしまうんだ。
ブラフと同じように俺を。……俺を。
「私のお願いはね、ぎゅってしてほしいの。私の顔を、リューンの胸にうずめさせてほしいんだ」
願いを告げられ、同時に彼女が目と鼻の先まで身を寄せた。
こんなにも細やかな願いを断るはずが無い。
俺は一歩彼女に歩み寄りながら軽装鎧を外し、下げてくれた頭の裏に両腕を回して目一杯抱き寄せる。
「思ってたより小さいけど……うん、悪くないね。……うん、想像より、ずっといい」
脚が二度三度とうねり、ユイームは顔を強く押しつけながら俺の背に両手を回す。
「えへへ、あったかいんだ、誰かの腕の中って。前も後ろもあったかい」
服が濡れるのが分かる。
分かったからせめて涙が零れないようにともっと強く抱き締める。
だからだろうか。ユイームの呼吸が乱れるのが分かった。
苦しいのかと思って力を緩めようとすれば、拒むように彼女はより強く俺を抱き締める。
だからこれは……嗚咽なのだと、理解できた。
「もう一個お願いしていい…?」
数分が過ぎて嗚咽が収まりだした頃、彼女は僅かに上擦った声で喉を揺らす。
「好きなだけいってくれ」
僅かに脱力したユイームに合わせて抱き締める力を緩めながら次の願いを待つ。
…けれど、そうして告げられた願いは。
「……今度、料理の仕方を教えて欲しいな。好きな人に作ってあげるんでしょ?ご飯をさ」
願いは、宝玉から戻らないと不可能な事だった。
「……ああ、いいぞ。これでも独り暮らしだったからな。それなりに出来る」
「変なお願いでごめんね。私は誰かと子供が作れないから、こんな事でしか何かを作るっていうのが出来ないんだ」
「良いんだ。当たり前に囚われなくったって。俺達には俺達の普通があるんだからな」
「そっか……。そうなんだ。え、えへへ。…えへへ」
「…ああ」
『できない』と、言えるわけがなかった。
一度弛んだはずの彼女の力が、願いを告げると同時に一際強くなったのだから。
当たり前だ。理解や納得が出来ようとも怖いものは怖い。避けられるのなら避けたい。
そんなの、当たり前だろうが。
「だから待ってる。また会える日を。リューンに、みんなに、会える日を」
回されていた手を完全に解き、姿勢を元に戻したユイームは俺達を見回しながら告げる。
その姿はもう、首元までが消え、顎付近までが透明になりかけていた。
「…だいじょ-ぶ。怖くないよ、ユイームちゃん」
「ああ、大丈夫。大丈夫だ。必ず見つけ出す。必ずだ。……必ず」
「……なら、うん。安心かな」
俺とシャルの言葉を聞き、紅く腫れた目元を緩ませるユイームは。
「じゃあね、みんな。私が、好きになっちゃった人」
ユイームは、目が痛くなるほどの白に染まった宝玉へと変わり、差し出した俺の掌の上へと降りた。
「じゃあね、か」
宝玉を手にし、別れの言葉が頭の中を何度も巡る。
ーーまたね、じゃあ、無いんだな。きっと、無理な願いだと分かっていたから。
変わり果ててしまったユイームを包んだ右拳を額に押し当て、込み上げてくる涙を堪える。
…いいや、いいや。堪える必要なんてない。
堪える必要なんて、無いんだ……。
「クソ……。クソッ……!!分かってんのに、分かってたのに!俺はまた…!!」
泣こうが喚こうが結果が変る事は無い。だとすればこの時間は無駄で、一刻も早く魔王を殺して元に戻す手段を探しに出た方が良い。
だとしても、それでも、俺にはその強さすらない。
「……いいんだよ、リューン。誰が許さなくても、私達は違うから」
俺を慰めてくれるシャルの温もりが背を伝ってくる。
暖かい。そして優しい。
そんな安らぎを持っていたはずのあいつが、今は俺の手の中で冷たくなっている。
冷たく、しちまったんだ。俺が、また……!
to be next story.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます