第30話 終祭の儀
ーー負けられるか。
混濁する意識の中、ただ一つの感情だけがリューンの思考を覆い尽くす。
ーーこんなところで、あんな奴にすら勝てない?なら、魔王になんか勝てるわけないだろうが……!
場慣れだろうと、実力差だろうと、ギンに勝てない理由を見つけるのは容易かった。
種族が違う、条件が違う、産まれ落ちた世界が違う。戦う世界が相手の生まれた世界なら全てに於いて自身の方が不利なはずなのだからと。
そうやって諦めるのは赤子の手をひねるくらいに簡単だった。
だが認めてしまっては[魔王]と呼ばれる遥かな存在に勝てるはずが無い。
高々種族が違い、産まれた世界が違い、使える魔法の等級が違う程度で泣き言を言っていたら映像の中にいた超常の存在になど近づく事すら出来ない。
ーー褒賞なんかどうだっていい。情報なんか何とかなるはずだ。けど、勝たないと。勝たないと駄目なんだ。
堕ちていく意識を繋ぎ止める一念は荒ぶるも弱々しい。
ギンに受けた一閃は全力では無かったからなのか威力が著しく下がっていた。下がってはいたが、それでもリューンを戦闘不能に追い込むには充分な一撃だった。
瀕死の状態ーー。そう表現するのが最も適切だろう。
ーー動け。動いてくれ。勝てるならなんだっていい。俺に、魔王を倒せる力があると思い込ませてくれ。巫女の力なんかなくても勝てるってだけの核心を、まやかしでもいいんだ…俺に……!
腕に。脚に。腹に。首に。
思いつく限りの部位に指示を出す。
だが返ってくるものは激痛だけ。吐き気を促す、耐え難い痛みだけだ。
ーーなんでだ。なんでいっつも俺には後一歩が足りない…!貰った力が半端だからか…!?
岩を握り潰せるだけの力を籠め、しかし指はまるで動かない。
ーーくそ、くそ、くそっ!なんなんだよ!いっつもいっつも簡単にやられやがって!!たまには強敵相手に圧勝してみろよゴミ野郎が!!
己に悪態を吐きつけ、怒りを原動力に身体を動かそうと藻掻くが、そうすればそうするほどリューンは己の弱さを知るだけになった。
「……けんなよ」
砂煙の漂う音にすら消え入ってしまいそうな声が漏れ出る。
「ふざけんなよ」
再び、明確に出て来たその声はやはり誰の耳にも届かない。
「こんな事であいつに何か返してやれるのかよ……!命を貰ったんだぞ…!俺は!!」
けれど。
「ーーーー!?」
一際大きく、強く、脈打ったリューンの心の臓だけが応えを示す。
…いや、そうではない。そうではないとリューンは直ぐに気が付く。
ーーなんだ、これ。身体が……。
あれほどの痛みが消えてなくなっている。
それどころか万全の状態を遥かに凌駕する力を全身に感じている。
まるで纏っているかのように。
ーー魔力……?それとも、これは…感、情………?なんだそれ。そんな事あるわけ……。
眼前に現れた何らかの本流を思わせるどす黒い炎にリューンは言いようのない不安を覚える。
恐らくこれは使ってはいけない力だーーと。
「…いや、今は選り好みしてる場合じゃない」
驚くほどすんなりと喉を通って出た言葉に、リューンは独り納得する。
何であれこれは俺の力なんだと。
「知らなかっただけで最初に貰ったチート的な力なんだろうな。趣味が悪い。今の今まで出てこないなんてな」
吐き気を覚えるほどの激痛はもうない。籠められなかったはずの力は有り余るほど漲っている。
ーー勝てる。
今なら魔王だろうと何だろうと負けるわけがないーー。
確かに。彼は確信を得た。
この血からは超常に対抗し得る確実な力だと。
「まだ負けてねぇぞ、ギン。呆けてんなよ」
「……」
脚に普段通りに力を込めて踏み込み、蹴り上げる。
途端だ。
「目の前!?」
天と地。大きく離れていたはずの二人の距離が一瞬にして詰まる。
彼我の間は最早特大の剣一本分しかない。
「な、何だこれ……!」
想像もしていなかった移動速度・距離に慌てて五歩後退して間合いを取るリューン。
その五歩も、命令としては半歩下がるつもりでだ。
単純計算して十倍。これまでとはまるで比較にならない圧倒的な力。
仮に万全の状態だったのならーー。そう考えてしまうだけでリューンの身体が身震いしてしまうほどだ。
「は、はは。流石にやばいな。強くなったなんてもんじゃねぇよ、これ」
想定外に過ぎる自身の強化度合いにリューンは苦笑いを浮かべてしまう。
嬉しくてーーと言うよりも今はまだ[衝撃的過ぎて]の方が近いが、それも直ぐに入れ替わるだろう。
ーー間違いない。これなら魔王にだって、俺の力だけで……!
目の前にいる格上だったはずのギンの事などリューンの眼中には既にない。
対し、当のギンはまるで逆の感情をリューンに抱いているようだった。
「……悪い事は言わない。溺れる前にそれを辞めろ。取り返しがつかなくなるぞ」
「取り返し…?て言うか、知ってるのか?この力を」
意味深な……と言うよりも意図的に真実を隠しているのだろうギンの言葉にリューンは戦いの中である事も忘れて聞き返してしまう。
そしてその心持は同様なのか、ギンもまた戦いを忘れて数秒ほど思考に耽った後に答えた。
「…………ほんの少しだけな。実際に使う奴を見るのはお前が初めてだ」
「…?なら、俺が貰った力じゃない……?」
「…貰う?」
数度のやり取りの中でリューンに芽生える小さくない疑問。
ーー転生した際に貰う力じゃない……?それとも、以前に同じような力を貰った転生者がいたとかか……?
特に引っ掛かりを覚えたギンの言葉を反芻するが当然答えは無い。
そも、ギンが転生者を知っているとは考えられなかった。仮に知っているのなら、[異界人]などという呼称ではなく、そのまま[転生者]と言っているだろう。なにより彼の鼻なら嗅ぎ分けるくらい造作も無いはずだ。
それに。仮にこの疑問を無視したとしても、初めに聞いた警告としか取れない言葉も充分に引っ掛かっていた。
つい先ほどに感じた『使ってはいけない力』という直感をギンが知るはずも無いのに。
どちらを分解して考えても、【この力は相当に危険な代物である】という前提条件は崩れそうにはない。とだけ結論付けたリューンはシャル達との約束をこれ以上破らないためにもどうすれば収まるのかは分からないが一先ず心を落ち着ける方向で謎の力を抑え込もうと努め始めた。
「なんにせよだ。そんな力を使ってまで戦いに挑もうとするお前に俺は勝てない。俺のこの祭に対する心持ちなど高が知れているからな。俺の負けでいい」
そんな中で告げられたギンの敗北宣言に、折角リューンが落ち着けていたはずの気持ちが驚きによって再びぶり返しそうになった。
「ま、負けでいい…って。俺は構わないが、お前は良いのかよ」
「良いも悪いも無い。腕力以外の部分で認めようと負けは負けだ。……本当は戦闘能力で勝ちたかったが、その点に於いても手数や思考速度はお前の方が半手ほど上だろうしな」
困惑のままに疑問をぶつけるもギンの顔は至って涼しかった。
リューンが思うようにこの戦いは締まりが悪い。
意図して使用したわけでは無い力によってギンは負けを認め、リューンは彼の忠告を他の要素も有れど信頼して全面的に受け入れている。
戦いの局面に於いても、今のやり取りにしても、引き分けと評するのが最も非難の少ない手打ちどころだろう。
何より観客がこんな終結を認めはしないはずだ。
現に観客席側から不満に近い声が上がり出している。文句に変わるのにそうかからないだろう。
……が、ギンは周囲の声を完全に無視し、浅ましい勝敗にも欲を一切出さなかった。
「聞こえるか!俺の負けだ!!こいつに褒賞をくれてやれ!」
リューンの同意を得るよりも前に高らかに敗北を宣言するギン。
それに対し何か言おうとするリューンだが、ギンの全身からは『異論は許さない』というような明確で強烈な圧を感じたために甘んじて勝利を受け容れるしかなかった。
もしも戦いになれば、謎の力を使わない以上勝敗は見えているから。
ーー…ホントに、これじゃどっちが勝ったか分かんないな。
僅かに面持ちを苦くして俯くリューン。しかし、直ぐに勝利を喜ぶ方向へと気持ちを切り替える。
ーーいや、今はこれだっていいじゃないか。目的は勝つ事じゃないはずなんだからな。
「って事で!俺の勝ちだ!!文句ある奴は叩きのしてやるからまとめて出てこい!!」
ギンに続き咆哮のように上げられた宣告に、納得のいっていない様子だった会場全体から雄叫びがチラホラと上がり始める。
やがてそれらは増えていき、気が付けば観客全員が勝者を称える咆哮を上げていた。
「…は。簡単に受け入れるか。情けの無い連中だ。同じ獣人として泣けてくる」
「乱闘が無かったからか?やっても結果は見えてたと思うぞ?」
「……そうだとはしてもな」
ため息交じりに溢すギンに小首を傾げるリューン。
二人はその後ゆっくりと地上に降りると、直ぐに始まるらしい[終祭の儀]の開始を武闘場の中央で待ちながら運営側の獣人による回復魔法の治療を受けた。
二人の傷は特にリューンが酷く、外的には重大には見えずとも内的には相当なものだったらしく、治療に来たイルカの獣人の老女はかなり四苦八苦している様子だった。
また、治療中に謎の力をどうにか抑える事に成功したリューンの身体には待っていたとばかりに痛みが駆け回り、激痛に悶えたせいで老女の治療を何度か阻害しかけた。
対するギンも背面に作られた大きな打撲傷の治療に悩まされた様子だったが総合して診ればリューンよりも軽く、治療も時間がかかるだけで容易らしかった。
そうしておおよそ十分の時が流れ。
終祭の義が開始された。
ーーーー ーーーー ーーーー
翌日。
俺の身体はフィルオーヌの治療もあって八割ほど回復し、ほぼ問題なく動けるようになったのでみんなと褒賞として受け取った情報を基に獣人界の巫女探しを再開していた。
……再開したのはいいんだが、少しばかりみんなとの雰囲気が険悪だった。
「…なぁ、悪かったって。頼むよ」
「……」
「…」
「………」
先を歩くシャル達に本日五度目の謝罪。しかし今回も返答は無い。ついでにファズとフィルオーヌも無視だ。ガン無視だ。
ーーそりゃあまぁ怒るよなぁ……。『大丈夫』とか言って出てきての昨日だし。
『あんなに酷い事には絶対にならないはず』とかなんとか言って押し切った結果がそこそこの重体。
一応、機生界ほどの怪我では無かったので約束自体は守れているが、そういう事ではない。
彼女達はーー無論俺自身もーー精々が腕の骨折程度の怪我を想定していた。だが蓋を開けてみれば骨折に加えて幾つかの臓器や器官の損傷などなど。
一つ一つは中級程度で治せる損傷だったので治療自体は大変なだけだったみたいだが、それが複数ともなれば治る治らないに関わらず重体だ。
見た目はそうでもなかったので騙せるかとも思ったがフィルオーヌに治療が引き継がれたお陰でそれも不可能。
結局、痛みを忘れさせないためにと治療もそこそこに昨晩は一人部屋に押し込められて全ての出入りできる場所に施錠の魔法が四重に掛けられた。
しつけや折檻の意味合いもあったのだろうが、大方ギンとの決着を着けに行くと思われたからの厳重警戒態勢だったのだろう。
ーー行くわけないんだけどな。無意味に戦う必要なんてないし。
戦いが始まれば勝つまでやる。そうでないのなら波風は立てない。そういうつもりではいるんだが、別段言っていないので彼女達が知る由も無いのも当然だ。
かと言ってそこまでされてる今言ったところで話半分に聞かれるのが関の山。最悪欺こうとしていると思われてより警戒されるだけだろう。
「……で。ここで合ってんのかしら?リューン」
「あ、……ああ、この辺りだな」
今日初めて口を聞いてくれたファズの言葉で周囲を見回して頷く。
昨日口頭で知った場所や、後で貰った地図を確認してみてもここに違いないだろう。
ーー封獣の入り江。
さざ波が砂を押しては返す音が心地良いここは、獣人界の巫女が住んでいるーー追いやられている場所だ。
「……美しいわね」
「そーね。それにしても本当にこんなところにいるのかしら。化物のような獣人が」
「分かんない。…けど、嫌な気配もしないし、私達は普通に感じる相手なのかも」
シャルの言うように俺達は誰も警戒心を抱いていない。
どころか、美しい海や心地良い砂の音に目を見張るような自然が眼前に広がっているためにとてもじゃないが化物やそれに準ずるような存在が追いやられているとは思えない。
寧ろ女神とか精霊とか人魚とか、その手の存在が隠れ住んで居そうなくらいだ。
「……で、その洞窟の奥にいるらしい」
一通り風景を堪能した後、少し離れた位置にある洞窟に視線を向ける。
俺の言葉に合わせて一様に視線を向けるシャル、フィルオーヌ、ファズ。
……やはりと言うか、そちらからも嫌な気配などは感じなかった。
「……では、リューン。これから一つ、約束をしてもらうわね」
「…約束?」
全員で洞窟を見やっていると、おもむろにフィルオーヌから言葉が投げかけらる。
すると、示し合わせたようにして彼女達は俺に向き直ると、至って真剣な表情を見せた。
「な、何だよ。改まって。袋叩きにでもされるのか……?」
思わず口を突いた冗談に彼女達は反応しない。注意すらない。
余計な事は口にしない、という事だろうか。…だとしたら相当本気の話らしい。
「昨晩話し合った結果、ここ最近の貴方の戦い方は目に余るという結論に至ったの」
「このまま戦われたらいつ死なれるか分かったもんじゃないし、だったらどうするのよってなってね」
「それなら、私達が代わりに戦うしかないよねって」
「だから今回貴方は後方にいなさい。分かった?」
「……はい?」
フィルオーヌ達に次々と言われて一瞬頭の中でこんがらがる。
それらを落ち着いて整理して正しく理解できたのは……。
「代わりに、戦う…!?」
「だからそう言ったでしょ。昨日頭の中までやられたのかしら、ボンクラ」
久しぶりに来たファズからのキツイ一言も気にならないくらいの衝撃に硬直したままの筋肉。
いや、理屈は分かる。俺自身、マード戦とギン戦のやり方はあまりに無謀だった事くらい。遡れば火氷界や妖精界でも割と無茶ばかりしていた。
だからその結論になるのは分かるんだが、そもそもの話俺は巫女を護るためにもいるんじゃないか……?なのにそんな事したら……。
「リューンの言いたい事も分かるけれど、貴方の最大の目的は魔王を滅する事。そのために私達巫女を護るのよ?なのに今の貴方ときたら大義を見失っているよう。……と言うよりも、最優先事項とは捉えていなさそう、なのよね」
「さ、流石にそんなはずは…」
言い掛けて言葉を飲み込む。
……確かにそうなのかもしれない。魔王に勝つ事を忘れた覚えはないが、巫女を第一優先にしていたのは間違いない。それが違う…と言われるのは納得いかないが、感情抜きにして考えればフィルオーヌの言うように巫女を護るというのはあくまで最も効率よく魔王を倒すための手段であって、命を懸けてまで行う大目的ではない……のかもしれない。
前例が無い以上、巫女の力を使えば必ず倒せるという保証も、逆に巫女の力が無ければ絶対に倒せないという前提も本当に正しいのかは誰にも分からないのが実際のところだ。それなら巫女の力を扱えるらしい俺を、その時までに手にした宝玉を持たせて魔王の前に送り付ける事を大目的とした方が正しいと言えるんだろう。
だが、感情込みで考えれば。
ーークソ以下の理屈だな。話しにならない。
……と、普段の俺なら言いかねないのだが。
「………」
「………」
シャル、ファズの射殺さんばかりの視線を前に出したい言葉が出てこない。
どうやら今回はフィルオーヌだけが言っているわけでは無く彼女達の総意のようだ。反論しようものなら縄に括られるだけじゃ済まないかもしれない。
「……分かったよ。ここでの戦いには基本手を出さないようにする」
総意であるというのなら俺が何を言おうとも覆りはしないだろう。
それに、巫女ではないシャルもいる。なんだかんだと言っても彼女はかなり強い。死闘祭の予選で言えば余裕で突破するくらいには実力があるし、機転も利く。並みの相手なら殺し合いだったとしても後れを取らないだろう。
以前、妖精界でシャクリーと戦った際も手数に苦戦していただけで決して負けていたわけでは無い。
それを踏まえて考えれば、嫌な雰囲気のしないあの洞窟に何かしらの敵が出てきても多分問題は無いだろう。
「但し、本気でヤバいと思ったら何を言われても俺も出る。それはいいな?」
総合的に見て問題ないとは判断できた。けれど、やっぱりそれはそれだ。死ぬ思いをするのは役に立たない俺だけでいい。
「……そうね。きっとそう言うと思ったわ」
俺の条件を聞き、フィルオーヌが呆れたような笑ったような表情を浮かべて小さく頷く。
その様子を見て触発されたのか他の二人もため息を吐いたり、苦笑いを浮かべたりしながら言葉を続けた。
「で、止めてもどーせ言う事聞かないし、良いよ、認める」
「でも、最前線で戦うのは私だから。リューンは援護役。いーい?」
「お前が情けない姿見せなければな」
「な、なにおう!?」
彼女達の真剣さはもう薄い。恐らくは俺の納得の仕方までを見越しての話だったんだろう。
とすれば俺は見事に掌の上で転がされた事になる。けどまぁ、心配してくれての事だし悪い気はしない。
「そうと決まったのなら。リューンは私の後ろ、シャルは先頭でその次がファズ。それでいいわね?」
「異議なーし」
「私も」
「……お目付け役って事だな。分かったよ」
フィルオーヌの指示を聞いて彼女の後ろへと回る俺。
それを確認してからシャルは満足そうに微笑むと俺達を伴って歩き出した。
…目指すは洞窟の最奥にいる巫女・ユイームーードルム・シャルム・ユイームだ。
ーーーー
天井から滴り落ちる水滴の落ちて弾ける音が絶え間なく響く。
どれくらい歩いただろうか。先頭のシャルに渡した松明の火と、最後尾の俺の持つ松明の火しかないこの洞窟の中では、感覚で時間を計る事も難しい。
「……やっぱり駄目ね。間隔開けて試しても私の時計は役に立たないわ」
ファズは機能として取り付けられている時計を再三試すもやはり分からないらしい。
機生界以外だから……とかでは無く、単に洞窟内の魔力濃度が高過ぎて狂ってしまうらしい。
周囲の魔力で半永久的に動くという画期的な機能の穴と言えるだろう。
「残念。ま!多分陽は暮れてないと思うしヘーキヘーキ!」
「……どういう基準だよ」
何がそんなに楽しいのか結構マズい状態にあるにも拘わらず足取り軽いシャルにため息が出てしまう。
…いや、思い返せばこいつは探検とか結構好きだった。薪割りに行くつもりだったのにシャルに手を引かれて隣の村までおかしな道を通った記憶がある。
その時もこいつはこのくらいかそれ以上には楽しそうにしてたっけか。
「…全く。こけるなよ」
「だいじょーぶ!子供じゃないんだしッ!?…っと!」
昔を思い出し、その時にも掛けたような言葉を投げかける。
それを分かっているのかどうか。シャルはもう一段階楽しそうな声で返事をし、案の定躓いてファズに腕を掴まれた。
それでも足取りを変えるつもりのないシャルはどんどん進んだ。
「……もー、まるで子供じゃない」
「ふふ、たまにはいいんじゃないかしら?」
「そりゃあまぁ、楽しそうだからいいんだけどさー」
どことなく不安を覚えている様子のファズと母親のように微笑むフィルオーヌ。
こんな風に気を抜いて冒険気分でいられるのも、魔力濃度が濃いだけで妙な気配一つしないこの洞窟の雰囲気のお陰だ。
何と言うか、ここに来て初めて命の危険が無い異世界冒険が出来ている気がする。
……なんて浮かべた小さな笑みも直ぐに終わった。
「!!??」
真っ先に異変に気が付いたのはシャルだった。
「こ、これは……!?」
次いで衝撃を口にしたのはフィルオーヌ。
そして、最後が俺だ。
「ちょ、何だこれ……!!」
「何?みんなどうしたってのよ」
ただ一人だけ何の異変も感じずに辺りを見回すファズは初めこそ小首を傾げたような様子だったが、俺達に起きている異変に気が付くと見る見るうちに顔色を青くしていく。
「な……何それ。なんでそんな事なってんの!?」
「俺達が知るかよ!つーかこれマジで言ってんのか!?」
恐らくはこの中で俺だけが自分の身体に何が起きているのかを理解できていた。
それは似たような魔法を使えるからであり、身に覚えもあったからだ。
だが、それを複数にしかも同時に起こすなんてのは普通じゃない。上級の、それも超級との間にある難易度の魔法だ。俺のできる一時的な変態とはわけが違う。
「ど、どどどどうしよう!!か、身体が……!!」
「魔力が膨張…!?体躯を維持できない…!」
目の前で次第に姿が変っていくシャル達。背丈を魔法で一般的に変えているフィルオーヌは突然のこの魔法に戸惑うあまり二メートルほどに戻っている。
ーーくそっ!やられた!!これは掛けられたんじゃない。ここを通ったら掛かるように施された罠だ!
周囲を見遣り、僅かに思考力が戻った中で何とか絞り出した答え。
周囲に何の気配も感じないのだ。罠だと言うしかない。
けれどそんなものは何の意味も無い。
この魔法を解く方法は上級以上の解呪魔法か、施した術者手ずからの解呪以外に無い事を知っている。少なくとも俺が使った時はそうだった。
「最悪だ。こんな何が起きるか分からない所で…性別を変えられるなんて……!」
ーー[驚天動地の大迷惑]。
ふざけた名前の魔法だが、現状を見れば正しく言葉の通りと言える性転換の魔法。
隠匿魔法の中級から存在する魔法で、主に変装や身を隠したい時に使われる魔法なんだが、このように罠としても使われる事もある。
けどそれはあくまで戦争なんかでの場合だし、大抵は真っ先に警戒する罠なので最早実用性が無い。…と、俺が試しに自分だけに使った際にモルモル村で聞いた事がある。
その時は半日かそのくらいで自動で解けてしまったが、これは俺が使える中級よりも遥かに肉体の固定感が強い。まず間違いなく上級だろうし、さっきの直感は当たっているだろう。少なくとも半日で勝手に解けるとは思えない。
「はぁ、はぁ…」
「もう、何なの……?」
「身体がこれ以上小さくできない…?困ったわね…」
転換が終わり、ようやく平常心を取り戻しつつある俺達。
が、当然互いの顔を見合わせてみれば再び衝撃が走り、恐らく機械だったから免れたファズは荒唐無稽に過ぎる今の状況に完全に言葉を失っていた。
「な…なんでリューンが女の子に……!?それにフィルオーヌさんは男の人!?」
「そ、そう言うシャルも男の子になっているわよ……?と、と言うより私も、なの…?これは…どう言う……?」
「なんでみんな急に性別変ったの…?わ、私もチャフの姿変えた方が良い…?」
「や、ファズはそのままでいてくれ。意味分からなくなる。……とりあえず、分かる範囲で説明するよ」
どうやらこの中で唯一俺だけがこの魔法を知っていたらしく、彼女達は変わってしまった姿を確認するように何度も互いや自分の身体を見つめている。
こんな状態で洞窟を行くなんて無謀だ。一先ず足を止めて、シャル達に驚天動地の大迷惑の説明をする事にした。
ーーその後。
「じゃ、じゃあ。もしもこの罠を掛けた人がもう死んでたりしたら……」
「上級以上の解呪魔法を扱える誰かを見つければならないって事ね……?」
「まぁ、そう言う事になるな」
「……冗談でしょ?」
シャル、フィルオーヌ、ファズ、三名の顔に明確な絶望が浮かぶ。
いや、多分俺にも浮かんでいる。
幸いシャルは中性的で可愛らしいし、フィルオーヌは背丈も相まって男の俺でも思わず見てしまうかっこよさがある。
で、俺は以前自分に掛けた時に確認したのと同じままだとしたら、それなりだ。十人にナンパすれば七、八人は引っ掛けられるだろう。
だから日常生活を送るという意味では解けなかったとしても問題が無いと言えば無いのかもしれない。俺に関してはこっちの方が見た目が良くなっている分戻す方がもったいないまである。
が、それはあくまでも望んで転換していたのなら、の話だ。
望むどころか臨むも何もない状態でのこれ。しかもいつ解けるか分からないときている。
ある意味、魔王云々よりも始末が悪い事態だろう。
「……どーしてこんな意味分かんない事したのかしらね。混乱させてどうのって言うならとっくに襲われてるはずだし」
一人だけ驚天動地の大迷惑が効かなかったファズは、へそを曲げたような安心したような難しい面持ちでそんな事を呟く。
すると、股下の異物に対して非常に居心地の悪そうな想いを抱いているらしいシャルが何かに気が付いて大きな声を上げた。
「も、もしかしてだけど…死んじゃってるから襲えなかった……とか……?」
「あ…あーー」
「……否定はできないわね」
「そ、そんなぁ…」
自分の腕周りの筋肉を確認していたフィルオーヌの同意に青ざめるシャル。開いた口が塞がらない様子だ。
「けれど、こんな風に周到な真似をした術者が他に罠を仕掛けていない、なんて言うのも変だと思わないかしら。例え死んでいたとしてもね」
言いながら今度は脚の様子を確認し始めるフィルオーヌ。
どうやら彼女は驚くのはもうやめて、今の状態でどれだけ戦えるのかというのを推し量っているみたいだ。
「俺もフィルオーヌと同じ考えだ。思うに、これは攻撃を目的とした罠じゃない」
「…罠なのに?」
「ああ。多分、『これ以上奥に入って来るな』とかその辺の意味があるんだろう」
ファズの疑問に答え、それを聞いていたシャルの顔色が戻り始める。
仮に俺の考えが当たっていた場合、今のところ他の罠が無い理由に説明が付き、術者が死んでいない可能性が出てくる。
なら今度はどうして近づかれたくないのか、って疑問が出てくるわけだが。
「……その前提を踏まえて考えるのなら、この罠を仕掛けた可能性が一番高いのは獣人界の巫女になるわね」
「だな。理由はもう充分だ」
「………」
「何がそんなに嫌われるんだかね」
思い出す昨日の一件。俺が死闘祭で褒賞を受ける際に対峙した獣人界を治める三大種族の長との会話だ。
人と馬が一体化したようなウロス族、人の腰から下が蛇になったジャ族、人肌の一部に魚の鱗が生えているメード族。
初め、彼ら彼女らは俺を見るなり同時に目を丸くした。多分俺がこの世界の生き物でないと一目で気が付いたんだろう。
それからほんの少しの沈黙の後、美しい女性のメード族の長が一歩前に出て『願うモノは何ですか』と尋ねてきた。
異世界人である俺を見てもその程度の反応を示さないのであれば大体の事は知っているんだろうと判断し、深くは話さずに『巫女の居場所を』と答えると再び彼らの時間が止まった。
それは長かった。時間としては数分だったが、ああいった場ではどれだけ異常な状態だったのかは考えるまでも無い。
会場がにわかにざわめきだした頃、ようやくウロス族の長の大男が口を開いた。
『無為の奇獣……バケモノの事か』ーーと。
途端に会場の雰囲気が大きく変わった。
別室でよりしっかりと様子を見れていたシャル達が言うには、苛立つ者、呆れる者、子の耳を塞ぐ者、そして即座に帰宅する者がいたらしい。
聞いて回れば嘘を吐かれるくらいだ。少なからずそういった思われ方をしているのだろうとは思ったが、まさか会場の獣人全員にまでとは思いもしなかった。
想像もしていなかった状況に放心とも言える状態を見せていた俺を我に戻したのは棍を持ったジャ族の女長が大声で発した『静まれ』という言葉だ。
その後、封獣の入り江の場所をメード族の長から聞き、帰宅の際にカピーノとモトーから地図を受け取ったのだが。
『…あんたらは嫌いじゃないけどさ。ありゃー良く無いよ。駄目だ』
『……ど、どうして平気なのか分からないですけど……。興味本位なら、二度とここに来てほしくない…です』
……と、気を使ってもらっているのがよく分かった上で相当な事を言われてしまった。
二人共良い印象だったために他の獣人達と同じ反応をするなんてのはかなり困惑した。特に、さっぱりと言うか姉御肌のようなカピーノでさえ拒絶感を見せるとは思いもしなかったので衝撃も相当なモノだった。
唯一、ギンだけが会場でも否定や拒絶のような感情を露わにしていなかったが、だからと言って好意的だったり憂いている様子だったりも無かった。言うなれば[無]。
興味の欠片も無い。そんな様子だった。
「…そんな扱いを受けてる巫女だもんね。きっと、誰にも襲われないようにって仕掛けたのかも」
「早合点は良くないけれど、考えとしては私も同じ。傷付かないために籠るというのは決して不思議な事では無いわ」
シャルとフィルオーヌの話を耳にしながら洞窟の奥を見遣る。
先はまだ長い。暗闇は深く、濃く、文字通り底知れなかった。
「……嫌だよな、こんなのはさ」
「ま、そーね」
独り言に対して返されたファズの返事に頷く。
そうだ。こんなのは納得できない。
あんな風に扱われて追いやられた暗がりが居心地の良い場所なわけがない。
自分で作った暗闇でさえ度し難い苦痛なんだ。無理矢理だなんて耐えられるとは思えない。
…それでもきっと耐えているんだろう。
巫女である以上、安易には死ねない。例え自分を追いやった世界だとしても、連綿と続く想いがそれを許してはくれないんだ。
「…ならそろそろ出発か。この身体にももう慣れただろ」
俺の言葉にシャルとフィルオーヌそしてファズは頷き、再び洞窟の中を歩き始める。
今はもう、誰も転換した身体の事など気に留めてはいなかった。
こんなものよりももっと辛い境遇にある誰かがこの先にいると確信できたからだ。
ーーーー ーーーー ーーーー
「……なんで、来るのかな」
洞窟の最奥。明かり一つない暗闇の際(きわ)に背を預けて座り込む少女がいる。
その身体は異形。誰の目にも化物として映るだろう姿。
故に彼女は……彼女達は、その血が記す追憶の時だけ迫害を受けている。
「あぁ、そっか。やっとなんだ」
独り言ち、一ッ脚で立つと天井にぶつからないよう彼女は首を大きく傾げる。
「………うん、そうだね。これで終わるのかも」
誰かに語り掛けるように微笑んだ少女は何も見えない洞窟の先を見つめ続ける。
歓喜と悲哀の入り混じった視線の先に見えるものなどは無くとも。
そうする以外に他は無い。
to be next story.
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