第29話 狂雷たる所以
ーー翌日。万物獣処内四階。
本来であれはこの日は最後の予選日。
予選からの飛び入り可能最終日であると同時に、一切の制限無く褒賞の【願い事】を手に出来る最後の日。
だが、予選のために解放されるはずの三階は閉鎖され、本戦のためにだけ開かれる四階に観客が案内された。
理由はただ一つ。前日に行った予選でリューンが見せた規格外の戦闘能力だ。
およそ百名を超える参加者にたった一人で立ち向かい、勝利を修めた彼に対し、その日観客として観覧していた本来今日開催される予定だった予選参加者達が軒並み辞退したのだ。
『あれだけの数の戦士で勝てないのなら一対一でなど勝てるべくも無い』と。
リューンの戦う姿は大勢にそう思わしめるに足る様だった。
中には彼を[狂戦士]と呼ぶ者もいたが、それは少しばかり語弊があった。
彼は戦闘が始まったからといって豹変してはいない。
まして戦いに身を置きたいわけでもない。
死を、理解(し)りたいのだ。
己がこれまでに、そしてこれからも強要する死がどれほどのものなのかを理解りたいだけなのだ。
想像通り不幸なのか、想像に反して幸福なのか。それとももっと別のナニカがあるのかと。
けれどこの願望に彼自身は気が付いていない。
フィルオーヌも、ファズも、気が付いていない。夢にすら思わないだろう。
たった一人、シャルを除いては。
「…リューン」
本戦出場者の家族・友人にのみあてがわれる特待観客席ーー昨日のような観客席ではない、個室として用意された観客室にてシャルは小さく漏らす。
隠匿魔法[万の目(よろずのめ)]の効果である、あらゆる視点からの対象観察の特性を有する鏡が人数分用意されたその部屋で、ソファに似た長椅子に座る彼女達はもう四組の試合を観終えている。
しかし、彼女達は四組全てに興味を一切示さず、次の対戦者の一人であるリューンにだけ心を向けていた。
「今日の試合を辞退した戦士が六名……」
「『リューンを見て逃げ出したのが三人いる』らしいわよ。さっき軽食を取りに行った時に聞こえた」
「そう…。ならさっき戦い終わった八名を引いて残りは三名、ね」
手にフライドポテトのような食べ物が入ったバケツサイズの紙容器を手にしたファズの情報に自身の知っている情報を足し合わせるフィルオーヌ。
本来なら三日間の予選期間で各日十名の計三十名で行うはずだった本戦は、三度目の予選不開催によって二十名になり、更に九名が当日の権利放棄を行ったため十一名での本戦になっていた。
そこから四組ーー八名が戦いを終え、残り三名の内一名が決勝戦進出が確定……つまりシード権を得ている。
よって次の対戦者はリューンともう一名で確定していた。
……しかし、唐突に入った放送によってその戦いも消える。
《えー、業務連絡、業務連絡。四階の死闘祭本戦会場へ向けてです》
昨日同様の女性の声が響き、突然の放送に観客席が僅かにざわつく。
しかし、声が聞こえるはずも無い放送担当者はそのまま続けた。
《次の対戦でしたリューン対ラッコッコですが、ラッコッコ戦士の突然の辞退によりリューン戦士の不戦勝が決まりました》
放送により更にざわめく観客席。
が、それらは[意外]を示すモノではなく[予知]に近い声ばかり。
中でも多かったのが『やっぱりな』といった言葉だ。
《なお、本来であれば会場に登場して勝利宣告だけでも行うのですが、リューン戦士たっての要望により行わない事と致します。そのため、五分後に次対戦である……》
淡々と続く放送を、当然聞こえていたシャル達は終わるまでも無く、誰ともなく安堵のため息を漏らす。
「良かった……。これで危ない目に遭う回数が減ったみたい…」
「ええ、本当に」
「昨日のを知っててまだ戦おうとしてるなんて実力者に決まってるしね。ま、負けるとは思わないけど」
ポテトを数本つまんで口に運ぶファズは鏡に映る武闘場を見る。
そこは昨日までとは違って武闘場が小分けになっているわけでは無く、観客席以外の全てが一つの戦いの場だ。
地面は土であり、どういうわけかどれだけ乱暴な戦いをしても地面が抉れない。
「ホント、大丈夫でしょーね。あのバカプロデューサー」
小さく、隣に座るシャルに聞こえるかどうかという声でファズは呟く。
機生界を出て以降、リューンを『プロデューサー』とは呼んでいなかった彼女だが……それだけ、彼女にとってもここでの戦いが不安だった。
如何にリューンが強かろうと相手は獣人。それも選りすぐりの戦士ばかり。その強さは昨日と今日で充分理解しており、病み上がりである事を考量すれば彼女の不安は至極当然だった。
《……業務連絡》
先ほどの放送から五分と経たず再び響き渡った声。
その声は何処か焦っているような様子が伺えたが、微々たる感情であったためか気が付いた誰もが思い過ごしだろうと思いつつ耳を傾ける。
《予定を変更して一時間の昼食時間と致します。御観覧中の皆様はそのようにお過ごしください》
淡々と、けれど明確に困惑の声色を示すその放送に誰もが耳を疑った。
次いで先の放送の声から感情の僅かな機微を受け取った者達が数秒前を思い起こし、何かの事件を想像する者もいた。
しかしそれ以上の放送は……死闘祭中止の追記事項は無く。
想像を抱いた者も、そうでない者も、皆何処か思うところありつつも放送の指示に従い観客席を後にした。
「……今度は何……?」
「リューンが何かしたとみるのは、少し早計かしらね」
「……昨日のを見る限り本気っぽいし、何とも言えないんじゃない?」
「…………はぁ」
心配と呆れの入り混じったフィルオーヌのため息と、知らずの内にポテトを運ぶ手が止まり鏡を見つめるファズ。
そして、今日この場にいる誰よりも不安を浮かべたシャルは、渦中の人であるリューンの出番を再び待つ事となった。
まるで生殺しの如く。
ーーーー
一方、万物獣処内五階、死闘祭本戦参加戦士控室。
本戦進出者分が用意された個室の一室で静かに座する男がいる。
ーーリューンだ。
彼は軽装鎧にサリアンス王から頂いたマントを羽織り、特大の剣を背負うという普段通りの格好で出番を待っている。
今日、個室に案内されてからこの時まで。彼は何もしていなかった。
最初の一戦を待つ。
それが本戦での規則であり、破ればその時点で参加権の剥奪が行われるために急ぎたくて仕方がないリューンに成す術はなかった。
無論、一戦目にしてほしいと運営者側に直談判はしている。だが聞く耳を持たれなかった。
曰く、対戦順は無作為でなければ公平性が保てない。と
リューンにはそれを否定する事が出来なかった。
もしも死闘祭後に『不正があった』などと騒ぎ立てられれば堪らないからだ。
だが最初の一戦目さえ終えれば、昨日と同様の放送が入りその場で決着するというのもまた事実。
故に彼はそれ以上の要求をせずに待っていた。
結果、対戦順は最後。その上対戦者は突然の辞退が決まった。
現在は四戦目が行われているため放送はまだ入っていないが、これでリューンは再び最後になってしまう。
「……仕組んだ…わけは無いか。毎回乱戦が本番みたいな話してたしな」
独り言ちるリューンの通り、彼の焦りを見て楽しもうと考えた人物による妨害行為は無い。
当たり前だ。得する人物が何処にもいないのだから。単なる不幸でしかない。
……しかし。
「けど、これ以上は待ってられないな」
特大の剣と軽装鎧がこすれ合う音を響かせリューンは立ち上がる。
戦意のみを宿らせた瞳が向けられる先は部屋の扉。
開け放てば直ぐに廊下に出られ、連なる各部屋には戦士達が控えている。
「……行くか」
小さく漏らしたリューンはよどみない脚運びで扉の前まで行くと、迷いない動きでノブを捻って押した。
……が、その先にあったのは単なる廊下では無かった。
「よぉ異界人」
「…お前」
扉を開けたリューンに背を見せるーーというよりは、向かいにある部屋に用があるような立ち方をするーーその男はギン。
リューンを死闘祭の参加に誘導した張本人だ。
「お前、何してる」
冷静さを示しながらも敵意を感じさせる声でギンを牽制するリューン。
対し、隠密に長けていそうなーー有り体に言えば忍びのような格好をしたギンの方は何の思惑も介さない純粋な様子で言葉を返した。
「何って、次に決勝が出来るように手筈してるんだよ」
「…脅して回ってるのか?」
「良いね、近い。だがそれじゃあ俺が取り消し処分を受ける。だから不正解だ」
見ていろ、と言わんばかりに扉を開け、足音も立てず中へと進むギン。
その後姿を開け放たれた入り口から覗き見続けて、リューンは絶句した。
「死ぬのと願いを叶えられるかもしれないの、どっちがいい?」
控室にいるサイのような獣人の男……女…いや、男に気付かれる事無く背後へとすんなり回った彼は、同様に流れる様に短刀を取り出し、サイ男の首に刃を当てた。
「これは脅しじゃない。選択だ。自由に決めると良い」
言葉でこそそう言うものの声色はどう聞いても脅しのそれ。行動も同様なのだから脅しでない訳がない。
ーー何が『近い』だ。言い訳が雑過ぎるだろ。
その挙句。
「冗談でしょ?だあれがそんなうぐッ!?」
「次は頷くか振るかで応えろ。どっちだ」
サイ男が否定を口にしようとした瞬間、もう片方の手で口の中に短刀を突き刺して言葉を奪い、首の短剣はより強く当てられた。
ご丁寧に口内に差し入れた短刀も刃を横に向けている。
ーー最低だ。アレで横に首降ったら自分で首切る事になるぞ。
選択の自由など初めからサイ女には無かった。
サイ男は涙目で嘔吐(えず)きながら頷くと、武器だけを手に一目散に部屋を出て行った。
ーー確かに脅しじゃ無かったな。アレは拷問か何かだろうし。
あまりに非道な説得を目にしサイ男の背に憐れみの視線を送るリューン。
その傍にギンは再び現れる。
「どうだ?とても優しい説得だっただろ」
「そーだな。拷問にしてはだいぶ優しかった。痛くなかったんだろ、アレ」
「ああ、痛がらせては脅しだからな」
何がそんなに嬉しいのか微笑むギンにため息を溢すリューン。
手間は省けたとは言えあんな手段で辞退を命じられた参加者が不憫でならない、リューンの表情からはそんな感慨がありありと読み取れた。
が、同時に非難するつもりもまるで無かった。
彼が立ち上がり、別の参加者のもとへと赴こうとしたのはギン同様に辞退を促すため。最悪催眠魔法に訴えるつもりがあったのだから見方によってはリューンの方が悪質だろう。
いずれにしろ目的が達せるのなら過程は何でもいい。ーーそう考えを改めたリューンはため息を一つ吐くと右に視線を向ける。
その先は武闘場へと続く階段がある。
「なら、次は俺がやる。お前だけに…ってのは少し悪い気がするからな」
「……へぇ。義理堅いな」
「そんな良い物じゃない。単に気分が悪いからだ」
ギンの言葉に茶化されたような気持ちになりながらリューンは踵を返すと三つ隣の部屋の前へと向かう。
そこは現在戦っている馬女の部屋であり、その向かいの一つ左隣が同様に今戦っている鼬(イタチ)女の部屋になっている。
「俺の見立てはこいつだ。お前はどっちだと思う、ギン」
勝利して返ってくる方を予測し、先に部屋に潜り込んで[辞退の説得]をしようと考えたリューンは、最大の不安要素である自身の目の狂いを問うようにギンに尋ねる。
「賭けならばイータ、と答えるところだが単なる予想となればプリーティの方だな。ヒーヒン族は屈強な肉体に加えて知性的、その上荒事の際は普段とは打って変わり気性が荒くなる。見た目こそエン族と大差ないが種族に於ける戦闘力は爆発力含めかなりのモノだ。イタチッチ族の俊敏性も大したもんだが冷静な相手には通用しにくいきらいがある辺り、余程の腕前を持っていない限りまず勝てないだろう」
「……そうか」
まるでリューンの不安を見抜いたかのような、情報に基づく答えを返され彼は僅かに己に落胆する。
ーー情けない。
呟くような心情を決して声には出さなかったリューンは扉を開けて室内へと踏み込むと直ぐに扉を閉めた。
「なら、お手並み拝見と行こうか。異界人のリューン?」
そんな彼の心持ちをどこまで理解しているのか。ギンは意地の悪い笑みを一つ浮かべると結果を待つためその場に留まった。
ーーやがて。
「ギン…?なーにやってるん」
「ああ、少しな」
蹄鉄に似たナックルを拳に付けた馬のような女性ーープリーティが現れた。
「それよりどうだった?……と、聞くのは間抜けが過ぎるか」
「あっはは!そーいうこっと!」
悠々と歩き、ギンの近くで立ち止まったプリーティには擦り傷自体はあるが血の流れた形跡の無い殆ど無傷の姿。
撒いたサラシのような麻色の布に関しては一切の汚れが付いていないのを見るに、最小限の動きで対戦相手であるイータの攻撃を避ける・防ぐを行ったのだろう。
「ま、流石に疲れたけっどね。さっさと一眠りしったーい」
「なら行くといい。負けた言い訳を睡眠不足にされたら堪らないからな」
「はっはは!言ってろってーの!」
腰に手を当てて快活な笑い声を上げたプリーティはギンに軽く片手を振って自室へと入っていく。
……が、その直後。
「……始まったか」
プリーティの歓喜とも悲鳴とも取れない声が上がった。
「ちょいちょいちょい!ヒーヒン族の部屋に入ってくるって!ちょいちょいちょい!!いいのか~~~~!?」
恐らくはリューンも何かしらの話……弁明はしているのだろう。だが聞こえてくるのはプリーティの歓喜へと寄っていく声だけ。
それをギンは右手で顔を抑えて俯きながら聞いていた。
笑いを堪えながら。
「へぇ!今時そんなもぐりがいるのかー!じゃ、今回は勉強だなっ!」
「……!?ま、待て待て!俺はそういう事をしにきたんじゃ……!!」
「問答無用!だーいじょっぶ!い~感じのとこで止めてやーっから!」
「は、はぁ!?ま、ま…!!」
ーー以降、二人の声は全く聞こえなくなる。
まるで防音室に入ったかと思うほど一切合切ぱったりと。
「さて。プリーティの代わりに辞退宣言をしといてやるか」
少しの間無音を楽しんだギンは独り言ちると同時に運営が待つ六階へと向かう。
「こんな所で死ぬなよ?異界人」
変らず笑顔のまま。
いや、より下卑たような笑顔を浮かべて。
ーーーー
それからおよそ三十分後。
既に戦いを終えているはずなのに元気はつらつのプリーティが、げっそりと…けれど何処かまんざらでもなさそうな姿のリューンと共に室外へと出た。
彼女らを待っていたのは運営側の獣人数名。彼らはプリーティの様子を見るなり全てを理解したかのようにため息を吐く。
うち一人が傍にいたギンに頷きを見せると他の仲間に目配せをして六階の運営室へと帰って行った。
「あっはは!これで契約成りっつ~!大満足だし、ワタシはもー帰るねぇ~!」
「契約なんて…。お前が勝手に……!」
「けど、悪くなかったろ~?一人前にするのは遠慮してやったしさ~」
「ぐっ……」
「全く、なーんでワタシが生傷好きだって知ってたのっかね~。ガラにもなくマジになりそうだった~」
「あれで……まだ………?」
驚愕を浮かべるリューンの手首に指先を滑らせて微笑むプリーティ。
彼女の顔には清涼さが溢れてはいるが、部屋での事を知っているリューンはその顔がどれだけ怖ろしいのかを痛いほど理解しているせいで若干目が泳いでいた。
「それじゃねー。また機会があったらたっのむよ~ん!」
手首を指先でぐるりとなぞり、硬直するリューンの掌に這わせて五指それぞれの先に自身の五指を触れさせ、ゆっくりと離れていったプリーティは振り返る事無くらんらんと弾む歩みで階を降りてい行く。
対してリューンはプリーティの後ろ姿が完全に消えるまで固唾を飲んで待ち、階段を降りる音が消えるのを確認してから大きな……それはそれはとても大きな安堵の息を漏らした。
「次は逃げられんだろうな」
そんなリューンの様子に満足げな笑みを浮かべるギンは、どれだけ殺意の込められた睨みを向けられても平然としていた。
「テメェ……。知ってて止めなかったな……!」
「だが及んだのはお前の一存だ。俺に転嫁するな」
「ふっざっけんな!ガッツリ強制だったわ!強化する前にもう始まってたってんだよ!つーか頼むつもりだったの俺だろーが!!なんもかんも逆じゃねーか!!」
リューンの慟哭にも聞こえる叫び声が廊下に木霊する。
しかし、反応するのはギンだけ。参加者は既に彼ら二人しかいないがために。
「じゃ、その鬱憤、決勝戦で晴らそうか。異界人」
「上等だ!!嵌めた事後悔させてやるからな!!!!!」
刹那に視線を研ぎ上げたギンの目がリューンに突き刺さる。
が、リューンはそれを理解した上で調子を変える事無く返答していた。
ーー馬鹿にしやがて。これ以上お前にペースをくれてやるわけないだろ。
ギンがプリーティの種族としての習性・文化を用いて調子を乱してきた事ーー。それをリューンは今になって[初めから仕組んでいた事]ではないかと思い至っていた。
あの時、自分(リューン)が部屋を出て行かなかったらどうしたつもりなのかは分からない。もしかしたら突発的な策略だったかもしれない。
なんにせよどこかの時点で確信をもって嵌めたに違いないはずだと。
そして実際、当たっていた。
今のギンの目的は万全のリューンと戦いたいというもの。が、昨日の戦い方を見て彼は少しばかり違和感を感じていた。
緊張……とは違う、リューンの神経や筋肉を強張らせる何か。
それを払拭しなければ万全な状態のリューンとは戦えないだろうと考えた彼は、ヒーヒン族特有の習性・文化を用いて彼の強張りを物理的にも精神的にも解そうと考えた。
だが、それは失敗した。
ーーなんだ……?どんな生き物であれ、色に浸かれば少なからず解れるはずだ。なのにこいつの強張りは一切消えていない。
意図的に気の抜けた状態を演じているリューンを内心でも睨みつけるギン。
けれど幾ら見ようと強張りは消えていない。どころか、一層強まったようにも見える。
まるで決意を固めたのかと見紛うほどに。
「…まぁいい。なんにしてもお前となら楽しめそうだ」
「舐めんなバーカ。勝負どころか試合にすらならねぇよ」
研ぎ上げた視線はそのままに発せられた喜びに変わらず軽い調子で返すリューン。
二人は僅かに見合うと、同時に踵を返して自身の控室へと歩いて行った。
これよりおよそ三十分後の死闘のために。
ーーーー
《え~、想定外の出来事が幾つか起きましたがーー》
満席の四階に響き渡る放送。
女性ではあるものの昼前までに担当していた獣人とは変わっているのか声質がより落ち着いている。
起伏の少ない、あくまでも事実の開示として語られるのは何らかの事情によって死闘祭を辞退した戦士達それぞれの説明。
が、客席でそれらを聞く獣人達にしてみればこの場にいない戦士の話などどうでも良かった。
関心があるのは武闘場の中央にて睨み合う二人の事だけ。
互いが数歩の距離を開けて睨み合う、ギンとリューンの事だけだ。
《ーーと、以上が辞退の理由となっています》
痺れを切らしかけた獣人達が今か今かと次の言葉を待っている。
いや、恐らくは放送を担当する獣人すらも口にする次の言葉を待っているように聞こえた。
戦いを望んでいないのはシャル達だけだ。
《そのため、これより予定していた全てを削除し、決勝戦を行います》
放送と同時に歓声が沸き上がる。
熱狂とも呼べるそれは、望んでいない者達にしてみれば苛立ちを募らせるだけの音。
騒音以外の何物でもない。
「…仕方無い。とは言え、やはり見守るのは辛いわね」
「そりゃあね。やられるわけは無いけどさ」
「…………」
耳に届く音によって募り上がっていく苛立ちに蓋を被せるフィルオーヌ達。
変らず個室にいる彼女らは鏡を通して視る事しかできない今の身の上を恨めしく思っていた。
「さて、とうとう来たな。リューン」
「うるせぇよ。秒で終わらせてやる」
大歓声の中で睨み合うギンとリューン。
無風の武闘場で立ち尽くすばかりの二人は、やがて入った放送を合図に僅かに、けれど目で捉えられるだけの無手での構えを取る。
ーーそして。
《では、これより死闘祭決勝戦、開始!》
それまでとは大きく様子の変わった開戦の言葉を合図に大きく距離を取りながら二人は武器を手にする。
「短刀、さっきのアレはやっぱり武器か」
離れた先で、自然体に立ったギンが両手に下ろした二本の切っ先は短刀。
何処からともなく室内を満たす光で照らされ、文字通り白刃となるそれは間違いなくあの時にサイの獣人の首に当てられ、口の中に突き入れられていた短刀だ。
ーー二刀流…?それとも囮で本命は別か…?」
両手で中段に構えた特大の剣の先にギンを見据えながら及ばせる一瞬の思考。
が、リューンはそれを直ぐに拭い捨て、剣先を背後の地に着くほど落として前屈みに構えた。
「出し惜しみを考えても無駄だな。出す前に終わらせればいい」
全身の筋肉に魔力を巡らせて行う強化。
同時に脚部に施す[疾風]。
特大の剣には敢えて切れ味を落とす[鉛化]を行い、代わりに一撃の重さを飛躍的に向上させる。
ーーそれを見て、なのか。
ギンは僅かに低く腰を落とすと、右手にしていた短刀を逆手に持ち替え、遠雷を思わせる光を身体から放ちながら肉体強化を行った。
瞬間。
リューンが目で捉えていたはずのギンは影と消え、二重、三重に放電する白い稲妻の残光が現れた。
「探すなよ」
「!!!」
「お前はそんなに弱くないだろう?」
左側面へ。
反射的に構えた特大の剣の腹に突き抜けるような一撃が走る。
直撃は無い。しかし、突き抜けるような衝撃はある。
まるで鉄槌で押し退けられたのかと錯覚するその攻撃は、知らぬ間にリューンの真左へと移動していたギンが突き出した順手に握った短剣の先端で起こしたモノ。
「ぐっ……!」
ーーなんて馬鹿力…いや、集中した一撃だ。全霊を完璧に一点に集中してやがる。
脚で踏ん張るも大きく離された事に思考も向けられない攻撃にリューンの意識が一瞬散らばる。
その機を見逃さず、ギンは距離を詰めながら身を翻し、遠心力を込めた逆手持ちの短剣の先端を特大の剣の腹ーー先ほどと寸分違わぬ位置に向けて放った。
「丈夫な剣だ。デカいだけではないな!」
「くッ…!!」
再び走る白刃の一閃。
「ぐあ…!?」
しかしその一閃は先ほどとは違い後方には僅かしか抜けて行かず殆どの衝撃がリューンの全身に返ってくる。
……壁だ。
二度。たった二度の攻撃で、大きく離れていたはずの壁際までリューンは追い込まれていた。
ーーつ、強い…!こいつ、噂は伊達じゃ無い…!
「どうした?時間は数えられたか?」
「…っは。戦っても無いのに数えてどうするよ」
「…いいね」
再び押し出された事で彼我の距離が産まれたリューンは特大の剣を正面へと構え直し、ギンを見据える。
強気な言葉とは裏腹に、彼の中でのギンに対する評価はかなり大きく変わった。
ーー問題なく終わらせる、とかなんとかあいつらに言ったけど、ちょっと無理そうだな。
「なら戦おう。俺はお前の強さに興味がある」
順手のまま握られた左手の短剣をリューンに向けたギンは再び影だけを残して大きく距離を取る。
彼が先ほどまでいた空間にはやはり放電の名残が二重、三重と音を立てていた。
傍にいるだけでも感電しそうなそれは、完全に消えても尚少しの間は空間に触れるだけで何らかの影響を及ぼすだろうと容易に想像できる力の残滓だ。
ーー雷属性の魔法。それも肉体強化に変化させての使い方なら間違いなく上級でかなり練り上げられてる。恐らくは超級に至る寸でまで。
昨日に行ったライとの戦いでリューンが口にした『相性差』や『足元を掬われる』などの否定的な言葉が彼の脳裏を巡る。
彼の言葉は何も間違ってはいない。属性魔法は他の魔法とは違い明確な武器になる反面目、見える弱点でもある。安易に使えば付け込まれ、下手をすれば反撃の糧にさえなり得る諸刃の武器だ。
事実、属性魔法を扱う全ての者はそれらを加味した上での運用法を見出し、本質的な効力を最大限発揮できるように修練を積んでいる。
ならばギンのそれは何なのか。
戦いの中、次の一手がいつ来るか分からない現状でもリューンは既にそれに思い至っている。…否、思い至るまでも無い。
既に答えを理解しているのだから。
ーーふざけやがって。これじゃ俺は属性魔法を武器に使えねぇじゃねぇか。
リューンが初めて出会った、属性魔法を己の武器として極めた相手。
ギンは、ライに向けて発言した弱点全てを乗り越えた使い手だ。
であれば、如何に鍛えようと中級に収まってしまうリューンの属性魔法では例え有利属性を用いたとしても端的な力の差で負けて対抗は叶わない。
優位に立ちたいのなら属性魔法以外を用いるしかない。
基よりその心構えであったとしても、こうも分かりやすく戦力を削がれてしまえば落胆もひとしおだった。
ーーどうする。このまま突っ込むか?いや、それだと避けられて終わりだろうな。第一、あの速度を上回る手段を俺は持ってない。
既に先手を取られ、更には追撃すらも許してしまった上に圧倒的なまでの速度。攻撃にも回避にも応用が利くギンの雷属性の魔法の使い方は勝敗に直結はしないが対策できない分厄介だった。
恐らくはこの属性魔法こそが彼にとっての必勝の手段なのだろうが、他に切り札とも言える奥の手が無いとも言い切れない。
身体的な負荷は必ずあるはずだが、それを上回る回復魔法を有しているとすれば持久戦という手は使えず、仮に使えば使うだけ疲弊する魔法だったとしてもどの程度の時間でどの程度の消耗が見込めるのかが分からない以上は持久戦という手も現実的では無い。そもそも弱点の多い属性魔法を極めた使い手が諸々を考慮していないはずも無い。必ず何かしらの対策をしているはずだ。
かと言って。闇雲に反撃に転じて失敗すれば身を穿たれる一閃が控えているのも事実。
ーー……ムカつくが、本物の戦いじゃなくて心底良かったよ。
ギンに対してどうすれば優位を取れるのか。何種類もの考えを巡らせた結果導き出したのは正攻法では恐らく勝てないという結論。
ならば、と。リューンは構えを緩めた。
「…なんだ?」
戦いの場にいるとは到底思えない脱力したリューンの姿ーー。彼の余りに不審な行動にギンは警戒心を強める。
しかし、数秒ほど時が経っても構えを緩めたままのリューンに変化はない。
「……いいだろう、乗ってやるぞ。その企み」
戦いに於ける数秒は平時の数分以上の価値がある。それを知っているギンは、今この時に過ぎた時間の重みを理解し、何かしらの策が敷かれたと判断を下す。
故にこそ。ギンは不敵な笑みを浮かべ、動きの無いリューンへと両手の短剣に意識を伸ばして最速で距離を詰めた。
「さぁ、魅せてみろ!」
逆手による回転一閃後に放たれた順手の一閃。
一瞬の二撃をまともに喰らえば爆風穴が開いての即死は必定。しかし、攻撃行動を見てもなお動かなかったリューンは二撃とも直撃を受けて腹に穴を空けてくの字に折れ曲がり、吹き飛ばされながら後方へと倒れた。
……いいや、倒れたように見えた。
「…!!はは、良いぞ!そう来るか!!」
手応えはあった。だからこそギンは油断を見せた。
だがその手応えは虚構。リューンが作り上げた、完全なる紛い物。
ならば本物はどこにいるのか。
考えるまでも無く、ギンは背後の空気の流れを感じ取った。
「お返しだ、この野郎!」
ギンの背後に突如として現れたリューンは大きく振り上げた特大の剣を袈裟懸けに振り下ろす。
剣とは思えない空気を押しつぶす異音を巻き上げながらギンの右肩に一撃が叩き込まれる。
「ぐぅ…!!」
それを彼は辛うじて帯雷して転身し、両手の短剣で防ぐも完全な防御には成り得ない。
押し切られる形で防御は崩れ、ギンの右肩から左腰に掛けて斜め一文の切り傷が作られる。だが甚大と言えるほどの出血は無く、寧ろ内出血や骨折のような内部的な破壊の方が大きかった。
本来の刃物ではなく、[鉛化]を施されたままの特大の剣は今や鉛の塊。武器特性は大槌や棍による打撃攻撃に近い。
「やるな。あの数秒で隠匿と移動魔法とは」
「抜かせ。完全に不意突いたのになんで防御姿勢間に合うんだよお前」
跪きながらも決して短刀の構えを解かないギンと、二歩間を置いて特大の剣を中段で構えるリューン。
地に転がるくの字に折れ曲がったリューンが消える中、二人は次の手を探りながら視線を交わらせる。
ーー謀ってくれる。良い度胸だ。
消えていくリューンの身体に意識を僅かに向けたギンは悪態を吐くような言葉にも関わらず嬉しそうに心の内で漏らす。
彼が攻撃した偽のリューンは隠匿魔法[影絵]によって作られた精巧な偽物。手応えはあくまでもその偽物が持つ質量であり、中級で造り出せる偽物には本物とは比較にならない軽さが籠っている。
その後リューンは移動魔法[色彩寄せ]を用いて周囲の景色に同化して距離を取り、攻撃後の最も隙のできる瞬間を背後より狙っていた。
が、それでさえもギンに直撃を与える事はできなかった。
大きなダメージ事態は与えられたはずだが、構えを解く気配が微塵も無い以上戦闘続行は可能なのだろう。
ーーなんてな。ま、防いでくるとは思ったよ。雷で反応速度上げるだろうしな。
内心ではそう思いつつもやはり不満の残るリューンの睨む視線には苛立ちが纏わる。
対し、ギンの瞳には喜びが宿っていた。
かつてない強敵との戦いに胸を躍らせているがために。
「…イカれ野郎。こっちは全然楽しくなんかねぇんだよ」
狂気とも取れるギンの視線に引きつった笑みを浮かべるリューン。
彼の身体に怯えは無い。けれど初めてギンに会った時に飛ばされた[恐怖]よりも遥かにその視線を恐ろしく感じているのも事実だ。
けれど彼の底知れぬ闘争心によって観客には跪いたままであるはずのギンの方が優勢に見えている。
見下ろせる立ち位置であるのだから優位なのは明らかにリューンであるはずなのに彼も何処かそう感じている。
「…さて、形勢は逆転に近いか?防がれていたとはいえ二度も三度も喰らわせてやったのに足にキていないんだ。俺の方こそ嘆きたいくらいだがな」
しかしそれでは勝ちは一生見えてこない。
ーーだったら。
リューンはギンの言葉を無視して大きく飛び退き、地面に手の平を付ける。
「今度はどう楽しませてくれるんだ…。異界人……!」
眼前の脅威が去り、立ち上がる隙を得られたギンは呟きながら態勢を整える。
が、彼が完全に立ち上がった途端に、足裏の接地している地面に僅かな起伏が出来た。
「なに…?」
僅かな違和感だったはずのそれは一秒と立たずして明確な異常へと変貌する。
膨れ上がったのだ。ギンの立つ場所だけではない。彼を囲むようにして無作為に、広範囲で。
「…何を……馬鹿な事を……!」
唾棄するように漏らし、全身の筋肉と伝達神経に雷魔法を走らせて高く跳び上がるギン。
それと同時に膨れ上がっていた場所が爆発していった。
「爆発魔法を地中から放って足元を奪う……。そんな間抜けに、俺が引っかかるわけないだろうが…!」
まるで地雷が誘爆していくかのような凄惨な眼下。
爆炎と砂塵は眼暗ましの役割も果たせそうではあるが、既に遥か上空にいるギンには観客席を除く会場全体が見渡せている。
上空から見下ろせるこの状態では地面のみを覆う眼暗ましに意味は無い。
ーーさあどうする。今から飛び出ても遅いぞ。
眼暗ましから姿を現した瞬間に短刀で貫くーー。
考えるまでも無い攻撃手段を念頭に、万一の飛び道具に備えていつでも空中移動できるように[空歩]を準備するギン。
……しかし、彼の準備は瞬きほど遅く、間に合わない。
「だろうよ。だから避けると思った。アレは派手な囮だ」
「……!?」
背後に。
ギンの背後に、特大の剣を振りかぶったリューンが居た。
「おおおお!」
「まさか、二度目の……!」
大上段から振り下ろされる特大の剣。
防御姿勢を取ろうとするギン。
雷魔法によって劇的に身体能力が上がっているギンになら、ここからの防御移行は本来何の問題も無いはずだった。
だが、今彼は空歩を施す寸前だった。
ーー切り替えが…!いや、併用だとしても意識が……!!
間に合わない。
そう、思考が帰結するよりも速く。
特大の剣がギンの腹部目掛けて振り下ろされ、折れた紐のように身体が曲げるだけの力を込めて振り抜かれた。
「クソ…!侮ったのは俺か……!」
憎々し気に漏らすギン。超級でもない限りその身体はどんな魔法を使おうとも落下の速度を殺す事は出来ない。
故に、彼は魔法による威力の相殺が出来なぬまま地面へと叩きつけられた。
「ぐァ…ぁぁ…!」
背後から全身を殴り刺す激痛を着火剤に辛うじて上げられる呻き声は、けたたましく響き渡った地面の穿孔音によって誰の耳にも届かない。
「は……は…!はぁ…!はぁ!」
空歩によって空中に立ち尽くしながら大きく乱れた呼吸を何とか平常に戻そうと努めるリューン。
彼の顔は困憊を極め、ありとあらゆる部分から余裕が抜け落ちている。
「立つんじゃねぇぞ…。頼むから」
明確なまでの絶対の一撃に観客の中には『勝負は着いたな…』と漏らす者がいた。
それは一人二人ではなく、少なくとも二桁の数の観客がギンの敗北を確信している。
それまでは傷一つとして付かなかった地面が穿たれるほどの衝撃を一身に受けているのを目の当たりにしたのだからその帰結は当然だろう。
けれど、もしも。もしもこれでも彼が倒れなければリューンが二度も行った色彩寄せへの対策は今この時を持ってして確実に行われる。そして、それに類する移動魔法や隠匿魔法への警戒心は極限以上に跳ね上がり、同様に属性魔法による小手先の技にも警戒心が向くだろう。
だとすれば戦いの面では三分類もの魔法が使えなくなるリューンの方が、文字通り一瞬の隙さえ突ければ勝利できる可能性が非常に高いギンよりも戦略的にも精神的にも不利なのは明らかだ。
そんな見解はシャル達のように幾度も死線を潜り抜けた者達にしか到達できない一種の杞憂のようなものではあるが……
「…それがあるんだよね、リューン」
鏡の前で視るしかできないシャルは小さく漏らした。
彼女は知っている。普通なら有り得ないを起こすのに必要なのは運でも実力でもない。覚悟という意志だけだと。
生を裏付ける強い一念さえあれば死に至るほどの激痛にさえ耐えられる。耐えて、戦う事が出来る。
そんな非常識な答えを、他でもないリューンは骨身に染みるほど理解している。
「眠っててくれよ。次は無いんだからな……!」
己に言い聞かせながら、けれど特大の剣の柄には力を籠める。
ギンがどんな人物なのかをリューンは知らない。ならば彼の持つ覚悟の強さも知りようがない。
知りようが無いのなら、構えておくしかない。
例え雷魔法を用いて目の前まで一瞬で達して来ようとも不意を突かれないように。
「は……はは」
未だ穿孔音の残響が耳に新しい中、破壊音とは全く異なる音がーー声が、強化しているリューンの耳に聞こえる。
「……ふざけんなよ」
リューンを襲う強烈なまでの脱力感に抗い、決して崩れないようにと彼は筋肉を強張らせる。
ーーまだ、戦えるのかよ。お前…!
次第に晴れていく砂煙の中に視える大きく歪に穿たれた地面。
そこにはリューン以外には一つしかないはずの影が立っている。
「馬鹿は…俺の方だったか。まんまと出し抜かれた……」
「ぐ……ッ!」
両手に刃の折れた短刀を握るギン。
順手であったはずの左の短刀までも逆手に握られているのを見たリューンは彼が無事だった理由を直感した。
「お前、武器を犠牲にしてまで……!」
ギンが今までに見せた全霊を一点に集中させる一閃。それを地面に身体が触れる前に、逆手に持った二本の短刀の先端を地に付けて行い、落下の衝撃を大きく和らげたのだ。
結果として短刀二本の刃は完全に崩壊。同様に両腕にも相応のダメージがでたが数度ならまだ切り結べるだけに留まっており、地面にできた歪な穿孔痕は一閃が二度放たれた事によってできた事実を示していた。
「楽しい。楽しいな。こんなにも胸躍る戦いは久しぶりだ。お前はどうだ!リューン!!」
ギンは折れた二本の短刀を何度も見比べ、喜びに溢れた表情をリューンへと向ける。
それを目にしたリューンはゾッとする寒気を背筋に覚えながらも己を奮い立たせるようにして声を荒げた。
「そんなの一度だって経験した事ねぇよ!!」
リューンの言葉にギンは確かに笑う。
にやりと。喜びと、それ以上の興奮が満遍なく満たされた狂戦士の笑みだ。
「ならば今日味わい尽くせ!そして二度と忘れられなくなるほど骨身を浸せ!お前こそが!俺の待ち望んだ強者だ!」
「来る…!?」
咆哮と同時、ギンは雷魔法による全身強化を行い跳躍。
単なる視覚強化では追えない移動は真に稲妻と言える軌跡と速度を誇っている。
突如消えたギンを誰もが探す中、しかしリューンは当然のように対応する。
振り抜かれる右蹴りに合わせて特大の剣の刃を向け、ギンが反応して急激な逆回転を加えれば天牢堅守を施した左腕でその攻撃を迎え撃つ。
命中した回し蹴りの感触が甘いと確かめるや否や雷の残滓を残し、空歩によってリューンの背後へと即座に回り込むギン。狙いはガラ空きの背。
天牢堅守による防御展開は間に合わない。魔力を集合させての甘えた防衛手段では恐らく意味は無い。それらを拳が振るわれる点ほども無い瞬に理解したリューンは動かない。
無防備を無防備のままにする彼の行動を見てギンに走る無視できない恐怖心ーー。一杯喰わされたつい先刻の記憶。
反射的に背後を見てしまったギンに止まっていたリューンの一刀が迫る。しかし、即座にリューンの罠だと理解したギンは再び雷魔法での移動を行うと彼の上を取り、踵落としを繰り出した。
威力を求めたための必要以上の高さからの攻撃では防御は恐らく間に合う。けれどリューンは再び動かない。
ーー二度は無いぞ。
内心で決着を確信するギン。
が、しかし。
ーー素直だな、お前は。
踵落としが脳天に直撃する。
尋常ならざる速度で地面に叩きつけられたリューンの感触を、ギンは知っている。
「影絵…!」
度重なる搦手によって生まれた[次は騙されない]という確信とそれ故の深読みによって生まれた油断。それらを後悔するよりも早く背後に振り向くギンだが。
「搦手は少し変わるだけで大違いだから怖い」
振り向いたギンの背後ーー本来なら正面であった場所にリューンの姿が現れた。
「これで……!」
完全に無防備となったギンの背後から特大の剣が叩き込まれる。
如何なる速度であろうと防御も移動も間に合わない。
瞬すらよりも速い刻の攻撃は一切の妨害を受けずにギンに当たる。
……当たるが。
「…お前!!」
「正解だ。お前に勝つためなら恐怖(つうかく)すら惜しくは無い」
ギンはのけ反りもせずに何の防御も施されていない背でリューンの攻撃を受けた。
鉛化によって切る特性を失っている特大の剣。代わりに得た打撃としての特性は当然ある。
即ち、ギンの背には特大の剣を押し付けられた痕のような傷が出来上がっている。
なのに、痛みに喘いでいない。
「俺を慮ったのが敗因だ。背骨ごと砕けばお前の勝ちだった」
「この……!」
リューンが悪態を吐くよりも速く、雷魔法の移動によって彼の上を取ったギンは袖より滑り出したクナイのような武器を握ると、持てる力の全てを込めてリューンに一閃を見舞った。
「クソぉ……!!!」
「……祭は終了だ。楽しかった、本当に」
今の一撃に勝利の確信を得たギンは空歩で空に立ったまま天を仰ぐ。
今までに彼が感じた事の無かった満ち足りた時間。戦い。
当初は誘い出すための手段でしかなかったが、今はただ純粋に感謝と敬意の心持で褒賞の権利を譲れる。
そう、思っていた時だ。
「……!」
ーーなんだ…、これは……!!
リューンの落下した場所から土煙とは別に湧き上がる絶望的なまでにどす黒い感覚にギンの表情が一瞬の内に強張る。
ーー力…?いや、感情か…?ならこれは…!
今までに感じた事の無い感覚にギンだけではなく会場にいる獣人達全員が言葉よりも先に不安を表情に浮かべている。
その不安は何に対するものなのか。それを探ろうともギンには何も分からなかった。
いいや、知識としては知っている。だが納得できなかった。
「まさかあんなものを使ってまで…?いや、違う。リューンはそんなモノに頼るような弱い戦士じゃない」
独り言ち、思考を纏めようと躍起になるギン。
幾つもの仮説を立てるも納得のいく答えを導けない。
だが、考えの基準を変えた途端、驚くほどすんなりと納得のいく答えを出す事が出来た。
「自ら、至ったのか…?だが、何故そうまでして。それを得ればどうなるか、知らずとも分かるだろう……!」
驚愕に引かれるようにして思考の一部を漏らし、リューンを見遣るギン。
その目には先ほどまでの戦いを楽しんでいた彼はどこにもおらず、不安や恐怖、或いは心配といったような感情だけが込められていた。
「禁呪などと……!」
彼の漏らした言葉に呼応するように。
リューンを覆う土煙の中に一抹の黒い炎が現れた。
to be next story.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます