世界の果てで夜明けを見る 後編

 彼の名前はクレヒト・ループレヒト。

 数年前から頻繁に研究のため地上と月を行き来し、とうとう地球に移住してきた祖父のお気に入り。

 祖父が亡くなる一か月ほど前に研究のため同居を始めたが、今はシュエの保護者でもある。

 血縁はないが祖父の養子になったので、書類上の叔父になる。

 地球に永住を決めた者同士ではよくある事だが、甘えるには他人である。


 大地が恋しくなるには、ある程度は歳を重ねた者か幼少期に地上を経験した者が多いが、クレヒトは数少ない宇宙生まれ宇宙育ちの若者だった。

 祖父が気にいって連れ回していたせいか、今のように不意打ちで何かとかまわれてシュエは困惑している。


 どうしてこの男がこんなところに来るのか、訳がわからなかった。

 確かに書類上では家族にはなったが、早朝の寝静まった時間に誰にも気付かれないように、こっそりと村を出たのに行動が読まれている。

 歩く先が岬の岩場からあの世に変更される寸前だったので、申し出としてはありがたいけれど、夜明けを見るために無謀な行いをした事を伝えたくなかった。


「僕は大丈夫だから、帰っていいよ」


 当然だが、ハッと鼻で笑われてしまった。

 何故そんな思ってもない事を言ってしまったのかまで、見透かすような目を向けられてちょっときまりが悪い。

 体格も良く運動神経の良いクレヒトなら歩いて雪原を横断してもなんてことはないだろうな、などとほんの少しうらやましかった。


「面白いこと言いやがるじゃねぇか、ガキは黙って乗りな」


 それは……と否定の言葉を探すシュエにズカズカ近づくと、クレヒトはためらいもせずひょいと抱え上げてソリの上に放り投げた。

 人間が乗るスペースを空けて積まれた荷物の間に斜めに挟まり、小さな悲鳴をシュエは上げたが、そんなことにお構いなくクレヒトは犬たちに指示を出す。


 「行くぜ、しっかりと捕まってろよー!」


 体勢を立て直す前に走りだしたソリに「ちょっと待ってー!」と悲鳴に似た叫びをあげるシュエをてんで無視して、クレヒトはソリを加速させる。

 微妙に斜めになった姿勢でいるシュエは、必死でソリにしがみつく。

 クレヒトは無様にジタバタするシュエの様子を見て「落ちるなよー」と笑いながらも、体勢を立て直すまでは真っ直ぐに座り直すまでは控えめな速度を保っていた。

 シュエがしっかりとソリに座って文句を並べそうな気配を感じると、犬たちに指示を飛ばし速度を上げる。

 ぶつけるはずだったシュエの怒りも、頬を叩く風にまぎれて消えた。


 走ることが嬉しいのだろう。

 クレヒトの指示をうけた犬たちの足取りは軽い。


 あいまいな夜明け前の時間が、クレヒトは好きだった。

 藍に群青に青に紫に緑に淡い淡いオレンジが透き通り、まばたきする間にも移り変わっていく。

 もちろん白夜の間に見る地平線を転がる太陽も好きだが、極夜の刻一刻と色を変える空と世界の美しさは格別だと思っている。

 これほど鮮やかに色の混じりあう時間は宇宙空間には存在しない。


 クレヒトが生まれたのは巨大な輸送船の中だった。

 生粋の宇宙生まれの宇宙育ち。

 それは特別なことではない。


 物資を運ぶ部署の船員と医療班の看護師の恋は珍しくもなく、星雲を行きかう間に生まれる子供も多い。

 幸いかどうかはわからないが、巨大な輸送船の中には子供の教育機関である学校もあり、その学びは多岐に渡っていたので職業選択の自由も手に入れる事ができた。

 教育機関のない中小船ならどこかのステーションの学生寮に入って学ぶか、親兄弟に知識を分け与えられそのまま船乗りになるしかなかっただろう。


 教育も宇宙空間から人工のステーション、いくつかの惑星についてまで、望めば際限なく学ぶ事ができ、知識の幅が広がれば広がるほどに職業の選択の幅が広がる。

 それは良い事であったが、広がりすぎて選ぶ基準を見つけられないと、必要な物を選びそこなうということでもあった。


 クレヒトも例外ではなかった。

 学ぶのは楽しい。親たちのしている職業に必要な専門的な修学も納めている。

 だが、十代の半ばになっても、自分の一生を両親と同じ道に費やすビジョンが持てない。


 学べば学ぶほどに、自分が何をしたいのか、わからなくなった。


 そんなある日、不思議な物を見た。

 運送船が月ステーションに立ち寄るために航行している時のことだ。

 ふと見降ろした地球の一部で、わきたつように緑や青の光のカーテンが天使の輪のように美しく揺らめいていた。

 それは北限の空に現れたオーロラだと後で調べてわかり、月に滞在している間も何度も地球を観察し、その鮮やかさに目を奪われてしまう。

 二年に一度は月ステーションに立ち寄っていたというのに、地球に関心を持っていなかったのでオーロラの存在に今まで気付かなかったのが惜しかった。

 美しい光の魔法に 魅せられたのだ。


 それからのクレヒトは、地球学に傾倒した。

 研究者への道へ邁進し始めた事に、周囲は変わりモノ扱いしたけれど、そんなことはどうでもよかった。

 現地に降り立つには学術だけでなく、自然と戦うだけの体力や技能も必要になる。

 宇宙船もステーションもとにかく快適に維持された空間なので、周囲が人の心地よさに合わせて作られているが、地上は気ままで過酷に変化し続けるから人間が適応力を上げるしか生きる道はないので、他人の動向にかまっている暇はなかった。


 学び、身体を作り、適応力をあげ、地上で必要な技術もシュミレーションする。

 鍛えすぎてどこの戦場に向かうんだ? と友人には笑われたが、動けるマッチョでなくては原始に近づいた惑星の調査に向かえないと反論してやった。

 時間はいくらあっても足りないぐらいで、ただひたすらに夢に向かう。


 一粒の青い宝石に例えられる地球へいつか降りる、という夢を叶えるためだけにクレヒトは邁進したが、研究者への試験はなかなかに厳しかった。

 人類が飛びだしてからの地球は、地球そのものの姿を色濃くしているので、研究材料には事欠かないが特殊な専門性が必要とされるのでハードルが高い。

 挫折しそうになったときは、青い地球と揺らめくオーロラの映像を見て己を鼓舞した。


 そして、今に至る。

 シュエに二十歳か? と初見で尋ねられたが、実のところ二十八歳が終わろうとしている。

 東洋系の血が濃いので若く見えるのだ。

 シュエには「嘘だ」と変な顔をされたが、シュエの祖父には「若造だろう?」とからかわれたのも良い思い出である。


 現地に入って知った事も数多くある。

 なかでも、シュエの祖父と養子縁組した際。

 研究者にならなくても自給自足の移住者になれば簡単に北限の集落に住めたという事実を知り、やさぐれついでに二日ほど飲んだくれてふて寝したのはいい思い出だ。

 もっとも制度では可能でも、地球の各集落は住民の結束が強いので、研究者以外の受け入れは身内以外の先例はないからと、現実の記録を確かめて心をなぐさめた。


 努力をして研究者になった事は後悔していないし、シュエという本来なら他人と家族になった現在。

 家族という親しみを得るにはまだ互いに壁はあるが、実に有意義な生活を送れている。

 苦労してでも資格と職を得て良かったと心から思っているが、惹かれ焦がれてから学ぶ時間が長かったことだけは悔やまれる。

 

 犬ゾリの移動速度は風のようで、徒歩に比べるまでもなく格段に速かった。

 それは操者であるクレヒトの腕の良さでもあった。


 薄暗い雪原を、ソリは風のように駆け抜けていく。

 凍てつく一面の銀世界は、ソリの行く手を阻まない。

 道標がなくとも、グングンと安全な進路を選んで前へと進む。

 もうすぐ短い昼が訪れる。


 薄く雲が空を覆い星も月も見えないけれど、雪も風もない好天はありがたい。

 シュエが道を示すまでもなく、クレヒトは迷いなく岬の岩場を目指していた。


 太陽を見ることは叶わないけれど、世界は青く染まり出す。

 ソリを引いて犬たちは軽やかに雪原を駆けた。


 目指す岩場は、もうすぐそこだった。

 シュエが見たいものが何か、クレヒトはわかっていた。

 それはクレヒト自身も見たいものだったから、見るなら今だと思って追いかけてきたのだ。

 地球に降りてすぐ、シュエの祖父が「世界の果てだよ」と言って夜明けを見せてくれたからだ。


「これで君も私の家族だ」


 そう言って笑う朗らかで丸い笑顔は、夜明けよりも眩しく、天からの贈り物のように輝いていたのを覚えている。

 そして彼と縁を結んだことで、クレヒトにはシュエという新しい家族も出来た。


 暗い極夜の中でも楽しげに、青白く光る雪の飛沫を散らして走る。

 犬たちが散らす雪の飛沫も青白く輝いている。


「見ろ、シュエ! 夜明けだ」

「間に合った! ありがとう、クレヒト!」


 真っすぐな感謝に一瞬目を見張ったけれど、クレヒトは笑った。

 ちょっとだけ照れ臭そうに肩をすくめて、シュエも笑った。


 ほのかに南の空が明るんできた。

 朝が来ても昼になっても、太陽は姿を見せない。

 それでも放たれる陽の光は、地上を淡く照らすのだ。


 辿り着いた世界の果てで待っていたのは、美しい星の夜明けだった。



『 おわり 』

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世界の果てで夜明けを見る 真朱マロ @masyu-maro

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