第12話 戦いの果てに捧ぐ
まず目ざしたのは、この建物に入ってすぐから注意を引いていたあの脇の壁のドア。そのドアの前に至ると、イドラは気配を探るように凝視した後、普通に鈍い金色の取っ手をガチャリと回して押し開ける。
通路と同じ素材でてきていると思われる真四角の部屋。左の壁には地図らしきものが彫られ、右の壁には文章が彫られている。そして正面には棚があり、赤茶けた紙の束が並んでいるものの、その並びは黒い帯と錆びついた鍵穴に封じられている。埃は少しも積もっていない。
「あの地図は、昔のこの辺りのものかな」
僕はまず、左の壁に近づいてみる。
最初の遺跡で見たものに近いけれど少し違う。町を表すらしい、家が並んだ記号。そして森、湖、川……今のこの辺りにはそんな面影はない。でも、当時はこの辺りは砂漠じゃなかったのかもしれない。戦争により大地が荒廃し砂漠化していったとも想像できる。そして、フィリマルの街の遺跡で見たあの地図の黒い部分は湖だと判明する。
「我々ギモヴ王国は隣国イスリス帝国と戦端を開いた」
左の壁を一瞥すると、イドラは右の壁の文字を読み上げた。
今更だけれど、魔法の扱いや魔力の強大さもさることながら、彼の知識量はまさしく大魔術師そのものだなあ。
「発端はシェーブ湖の領有権を巡ってのものだったが、戦いが続くうちに後に引けなくなり、競って強力な魔法兵器を開発した。一帯を焼き尽くす大砲、魔法の巨人兵、どこまでも敵を追いかける投げ槍など。……あるとき、我々はイスリスの研究所が危険極まりない兵器を開発していることに気がつく。国どころか世界をも壊しかねない携帯型大砲……我々はそれらを奪取し、ここに封じることにした。いずれ、それを得るべきところに渡されるだろう」
途中省略しながらでも長文を読んで喉が渇いたか、水筒の水を一口。
「初めて来た砂漠の遺跡の古代語が読めるなんて凄いね。どこかで覚えたの?」
初めてきた場所の遺跡にある文章。普通に考えれば読める方がおかしい。でも、数千年は生きている大魔術師なら違いそう。
「ああ、別の国の古文書にあった言語に似ているな。土産物のナイフからしても、たぶん、時代が重なっているところでその国と国交があったんだろう。文字や文法の細部は違うが補完して読むくらいはできる。意味は読み取れているはずだ……ということは空振りにはならなそうだ」
「イドラには朗報だね」
外に持ち出されていないことはここまでに立ち寄った町でも確認済みだったし、世界を壊しかねない魔法兵器って、かなり危険なシロモノがここにあることになるけれど。
――でも、イドラは少なくとも世界を壊そうとはしないんじゃないかな。好奇心の対象が消えて無くなるから。
「こちらにも価値があるといいが」
特に魔法の封印などが施されているわけではないようで、彼は簡単に触れもせず棚の帯を断ち切った。
紙の束が三つ。材質は最初の遺跡のものとも現代のものとも違うようだけれど案外丈夫そう。最低限、原型は留めているし。
インクが薄くなっていることもないようで、イドラはパラパラと、ざっと目を通す。
「魔法兵器の開発方法や仕様についてだな。ギモヴのものがふたつと、イスリスから奪取したらしいのがひとつ」
言って、丸めて紐で束ね、鞄に入れた。
「それをどこかの国に渡して大金をせしめようとか」
僕は面白半分で推測を口にする。
「まさか。今だとなかなか手に入らない素材が多いし、作るのにかかる費用と労力も莫大だ。国の開発する兵器としては需要はないな」
話しながら部屋を出る。足はより通路の奥へ。
長く続きそうに思えたけれど、意外とすぐに次のドアがあった。ただ作りはさっきのとは違う、建物の入り口のそれに近い取っ手のないドア。
「ここは、本来の目的地ではないのか」
宝珠を掲げてもなにも起きない。この部屋に導こうとしているわけではない?
でも、せっかくここまで来たんだし内部が気になる。この国が滅んでからおそらく今までこの部屋の中を見た者はおらず、この先もいないかもしれないし。
でも、僕が希望を口にするまでもない。
「こうなると仕方がないな」
魔杖がドアに向けられる。赤い光線が一瞬にしてドアの四辺を焼き切り、ドアはそのまま向こう側に倒れる。
一部屋目より広い空間。部屋は円形で中央に金属の棒を組み合わせた長方形の柵があり、そこに立てかけるようにして、四つの見慣れないものが並ぶ。杖にも見えたけれど、細い柄のような部分は筒状になっているみたい。
本に描かれた絵でしか見たことがないけれど、銃、に似ているかも。この大陸じゃない、遠くの国で使われている兵器。
「これが、世界を壊しかねない魔法兵器?」
「らしいな」
なにか考え込んでいたイドラがうなずく。
「ふむ……なるほど。これは周囲の動植物の生命力を吸い取り攻撃力にそそぐ仕組みになっているらしい」
なんでかは知らないけれど、彼は見ただけで解析を終える。いつか僕もそれができるようになりたいものだ。
「はあ、そりゃ砂漠化も進むね」
「それだけでなく、人間も力に変換させる予定だったんだろうな……少なくとも生け贄を使うような戦術は想定していたと思うね」
この魔法兵器の燃料にするために、捕虜とか罪人を連れてきて近くに置いておく、とか。マデルホーンの生け贄の少女のことを思い出す。
それにしても、なんだかその仕組みは、宝珠が魔力と生命力を吸引するのと通じるものがあるような。奪った技術が転用されているのかもしれない。
「なんだか、妖精竜ももう少し魔力の吸収を慎重にしようという気になるね」
「妖精竜は草花を枯らすほど吸収しないだろう。さて」
パチン。
黒衣の魔術師が指を鳴らすと、魔法兵器は影も形もなくなる。まるでこの部屋に最初から柵しかなかったかのよう。
「あ」
いや、驚くことはない。魔法兵器を見つけた彼の行動として予想のつく範囲のことだ。
でも。
「もしやあの兵器を、どこかの国に横流しして」
「一般人には扱えないだろう、生命力の吸収を抑えるような護符も作れないだろうしな」
「じゃあ、魔法兵器を使って誰かを脅してみるとか?」
「あのな……魔法兵器というのは主に魔法が使えない者や魔力の弱い者を補助する目的のものだ。なぜわたしが魔法兵器を使わないと脅せないと思うんだ」
そうだ。イドラは魔法兵器なんて手もとになくても国のひとつやふたつ、簡単に滅ぼせるだろう。
「とりあえず研究室へ送って、後でもう少し調べてから、三つは魔力変換することになるだろうな」
「はあ、良かったね」
鼻歌すら歌いつつ部屋を出る彼を、僕は少しあきれながら追う。もう、イドラとしてはここへ来た目的の半分は遂げていそうだな。
もう半分の、宝珠の導く先が残っているけれども。
「どうやら出口らしい」
通路に戻ってさらに奥を目ざし始め、間もなく。
今でも充分明るいけれど、行く手から光が洩れてくる。外の光が入ってきているのか、それとも直接外へ続いているのか。
答はすぐにわかる。
通路に出るなり、天井も高く広い空間に出る。壁の片側には大きな窓が並び、塔のある中庭が見えた。そして、窓際の奥には中庭へ出るドア。
中庭には小さな祭壇のようなものがあり、その向こうに細長い塔。空高くそびえる塔は二階建ての家の屋根くらいの位置に小さめのドア大の長方形の穴が空いているだけで、地面から入れそうな入り口は見えない。それに、塔は階段などが中に入るには細過ぎる。
「たぶん、あそこが目的地だろうな」
彼の視線の先には、ワイングラスを大きくしたような形状の小さな祭壇。確かに、籠に似たそれは宝珠を収めるのに丁度よく思えた。
「じゃあ、さっそく……」
歩き出したイドラは、中央辺りで急に足を止める。
「イドラ?」
「トーイ、そばを離れるなよ」
後ろでヒュウウ、と風が吹き込むような音がした。
既視感。確か、建物に入った際にも同じように風が吹き込んでいたような。
一瞬、周囲を守る青緑の光線が描き出した魔法陣が見え、その表面に黒い火花のようなものが散る。
そして、僕らの後ろから吹きつけるように黒い帯のようなものが何本も前方に伸び、一点で絡み合うようにして像を結ぶ。黒一色のマントをまとった大きな男の姿。顔も髪も黒というか、まるで闇が人の形をしているだけのよう。目の部分だけが赤い。
「その杖、その魔力……やはり、お前はイドラか」
地鳴りに似た低い声。
そうだった。魔杖カールニフェックスは強い魔力を放ち続けている。この砂漠になにかが潜んでいるのなら、杖を目ざしてきても不思議じゃない。
そして、ゼリスター王国の古戦場で見た妖魔に似ているけれど、おそらくこの相手は。
「邪神か」
イドラの声は鋭いものの、平静だった。
一方の僕は思わずビクッとしてしまう。だって、話には何度も聞いていたものの、実際に遭遇するのは初めてなんだから。本で読んだことはあるけれど――ある国の大きな湖を一瞬で毒の沼に変えて、大勢の人間や動植物が死んで生き物が住めなくなった国は滅びたとか、邪神を退治しようとした軍隊の船が大きな島ごと真っ二つになったとか、城が中の人間ごと氷に閉ざされて三百年以上そのままだとか……恐怖を煽る内容ばかり。
「あいにく、魔法兵器はすでにわたしが回収したぞ。残念だったな」
イドラの声には恐怖など欠片もない。
僕とは逆に、この大魔術師は何度も邪神と対峙しているのだ。
「兵器など興味はない。強い魔力を持った生きた人間の方が魅力的だからの。数々の同胞を滅ぼした力……是非、手に入れたいものだ」
人間の胴を薙げそうな大きさの黒い鎌のようなものが三つ、回転しながら忽然と邪神の周りの空中に現われ、こちらへ飛んでくる。
それを防御結界で防ぎながら、イドラは青い光の帯を放つ。目に留まらない速さの一撃を避けることなどできず、それには邪神の左肩から脇腹の辺りまでを切り離した。
しかし。
「痒くもないわ」
切り離された下半分の部分が煙のようになって消えると、無くなった部分がすぐに生えた。
「超速再生か、精神体か?」
眉をひそめながらも、大魔術師に動揺はない様子。
彼はすぐに次の攻撃に移る。
巨大な黒い手が天井あたりから下りてきて邪神をつかむと、下から忽然と青い炎が噴き上がり巻き込む。
しかし、実体がないかのように効いていない。
「無駄だ。熱にも冷気にも、あらゆる衝撃にも耐えられる〈存在〉を研究し尽くしてつくり上げたのがこの異次元の身体だ。いくら漆黒の魔術師とはいえ、より長く研究を重ねた我にはかなうまい」
「そんな身体にならなくても、そちらの攻撃もこちらに通じてはいないけれどな」
イドラは嘆息する。
確かに、邪神の攻撃もすべて僕らを守る防御結界を破ることはできず、少しもこちらには触れられていないんだった。
「しかし……」
続いて、大魔術師はさらに攻撃を加える。
毒竜を召喚し毒霧を吐きつけ、電撃で打ちすえ、氷の矢の雨を降らせて凍りつかせ、針山のような牙を出現させて噛み砕く。
どっちが邪神なんだか、という攻撃の連続でも効かなかったりすぐに再生したり。苦痛も全く感じていない様子。
「えーと……再生しないよう一瞬で粉々にするとか、消し飛ばすとか?」
「試してみるか?」
言うなり、太い光線を放つ。
それは邪神の全身を捉えて消し飛ばした、ように見えた。でも、僕の目にもちゃんと捉えられていた。当たる寸前に足の裏から一滴、黒い雫が落ちたのを。
床に落ちたそれから、一瞬にして邪神が元の大きさを取り戻す。
「あそこから再生するんだ?」
さすがに驚く。イドラでも腕の再生に二日くらいかかっていたのに。
「普通の生き物をしていないな。精神体に近くなっている」
イドラは驚くより、あきれの声。
邪神はこちらのやり取りを聞き、笑っているようだった。
「そうだ、こちらは腹が減ることも眠くなることもない。生き物は不便だの? 攻撃が通じなくても、いつまでもそうはしていられまい」
そういう作戦で来たか。
「それじゃあ……」
イドラは邪神の周囲を、半透明な黒の四角い魔法障壁で覆う。
ああ、攻撃が通じなくても動きは止められるか。
「べつに、このまま我々が去るまで閉じ込めておく、でもかまわないかもしれないが」
「なっ」
やっと状況を理解した様子で、邪神が目を大きくする。
「この後なにがあるかわからないし、わずらわしいからな。できればこれは使いたくはないけれども、仕方がない」
杖を掲げ、漆黒の魔術師は呪文を唱える。
彼はほとんどの魔法に呪文を必要としないけれど、高度な魔法や効果を増大させるときには呪文を唱える。
それが終わると、魔法障壁の中の邪神の横の空中に、渦が表れ始めた。最初は小さく景色を歪める渦巻だったのが大きくなっていき、ある程度になると邪神を引き寄せる。
「な、なんだ、やめろ!」
最初は抵抗するものの、すぐに引き寄せられ、やがて渦に巻き込まれていく。その吸引力は信じられないような力のようだ。
「ひぃぃぃっ」
まるで紙をクシャっと丸めるように邪神の姿は潰れていき見えなくなり、渦ごと消滅する。
魔法障壁が消えると、もうどこに邪神がいたのかもわからないくらいに跡形もない。
「これをやると、魔力変換できなくてな」
イドラは心底残念そうに息を吐いた。
僕の方はほっとして息を吐く。最初の一撃以降はそれほど危険を感じなかったけれど、無意識に緊張していたらしい。
「邪魔者も消えた。あとは宝珠だけだ」
一体なにが起きるのか。それがもうすぐわかる。
目の前にすると早く知りたい欲も出るけれど、中庭への出口の前で、一度イドラが立ち止まる。まさか、また敵が……と一瞬緊張して彼を見ると。
「準備が必要そうだからな」
と鞄から取り出したのは、青い液体が入った小瓶。
「魔法薬?」
「ああ、生命力増強剤だよ。さすがにこれで間に合わないことはあるまい」
蓋を取って意を決したように一気に飲み干し、
「ぐっ、不味い!」
吐き出しはしないものの、少し咳込む。
「それ、自分で作ったんでしょ」
「味の改善が必要なのを忘れていた。次に使う機会までにはなんとかしないと……」
中身が空の瓶を仕舞い、ドアを横に押し開けて中庭へ踏み出す。
灰色の床に、短い階段。そこを登ると祭壇がある。近づくとわかるけれど、祭壇の手前の床に白い魔法陣のようなものが描かれていた。丁度、人が一人立てるくらいの大きさ。
その魔法陣の前で少し考え、彼はこちらに護符を差し出した。
「大丈夫だろうとは思うが、それを持って少し離れているといい」
「わかった」
離れて、と言っても人の足で五歩くらい後ろにいるだけだ。重要なのは魔法陣に入るか入らないかだろうし。
それにしても、ここから見る塔は威圧感がある。五階建ての建物より高いんじゃないだろうか。塔、というより高い煙突のようにも見えてきた。それにしては、途中の出入り口が変だけれど。
イドラは魔法陣に入る前に、塔を見上げながらその周りを歩いて一周していた。
「入口らしいものはないな。まあ、なにも起きなければ飛行してあの穴から内部を調べてみよう。なにも起きなければ、だが」
彼は〈青砂の白宝珠〉を取り出す。
ここまで僕らを導いてきた宝珠が終着点に辿り着いて、なにも起こらない可能性は少ないはず。
大魔術師は魔法陣に踏み込み、両手で祭壇に宝珠を入れた。
ブオオオ――
一気に色々な変化が起きる。
魔法陣は赤く輝き、宝珠から散った光が見覚えのある三人娘の姿へと変わる。
「やった、ここへ連れて来てくれるなんて、今回の〈導き手〉は優秀ね!」
「ありがとうございます、やっと役目を果たせます!」
「ほら、射出準備だ。行くよアンタたち」
ことばを交わし、空中の少女たちは塔の唯一の出入り口から内部へ。
「役目を果たす、射出準備……?」
イドラの目はずっと塔に向かっている。祭壇に宝珠を置いてからというものの地面も空気も細かく振動していて、その震源はおそらく、塔の下だ。
測りかねたように首を傾げる彼だったけれど、急に魔法陣から跳び退く。
塔の中腹のあの窓から赤い光が発射され魔法陣を焼いた。当たってもイドラなら防御結界で防げただろうけれど、普通の魔術師その他なら焼死している。
「ここまで来て力を供給したら〈導き手〉とやらは不要らしい」
「口封じ? 用済みみたい――」
ドン。
大きな重い音に震動で注意を引かれて見上げる。
空に黒い煙が広がった。それも普通の、自然界にあるような煙ではない。煙が形作るのはなにかの文字か記号に見える。僕には読めないけれど。
「あれは古代の祈りのことばだ。反転しているが」
言って見上げるうちに、イドラの表情がさっと変化する。なにかに気がつき、慌てたような様子。
「トーイ、逃げるぞ!」
「へ?」
反応できないうちに彼が駆け出して、僕は急いで追いかける。
いちいち来た道を戻ってはいられない、と、向かうのは遺跡の外周の壁。その一部を爆破して取り除き、外へ抜ける。
「あ、どこへ行くんですか!」
立ち昇る砂煙の中、追いかけてきそうな少女の声。視界が晴れる前にイドラは身隠しの魔法を使う。
「なに、塔からの口封じを避けたから追い討ちしようとしているの?」
姿を消すと少し余裕ができたのか、イドラは息を吐いて歩き出す。遅れないように彼にぴったりとついていきながら、僕には逃げる理由がわかっていない。
追い討ちしようというには少女の声はのん気に聞こえるし、攻撃されても防げるから、特に慌てて逃げることはなさそうなもの。
「違う。もうすぐ、ここへ神々がやってくるだろう」
「は?」
思わずそんな声が出る。
確かに、複数の神々が相手にでもなればイドラでも窮地に立たされる可能性はあるか。ただ、それほどまでのなにかをやらかしてしまったのだろうか? やらかしたとしても、それを神々が感知できたりなんかする?
でも彼の表情は真剣だし、冗談を言っているようには見えない。
「ここは大聖堂。魔法兵器を得るべきところへ渡すための……あの空の文字はおそらく、神々への合図なんだよ」
と見上げたそこには、多少輪郭が崩れかけてはいるものの、まだ形ははっきりとわかる黒い煙による文字が残っている。
――そうか。上から読むために反転しているのか。
自分たちが滅びても祈りが成就するための仕掛け。なんと回りくどい……とはいえ、ここにいる人たちが生き残っていたら自分たちで成就させるつもりだったのかな。
「今こそ長いときを経て古の人々の祈りと悲願が成就した、といったところなんだろうな。本来は」
いつの間にか、彼は杖に魔封じの符を貼り付けている。
「と、そういうことだ。まあ、まだ建物内に別の魔法兵器があったかもしれないけれども。全体を探索してから中庭へ行くべきだったかもしれない。やれやれ、うっかりしていたな。残念至極」
空の方の気配がざわついている気はするし、こちらを探しているらしき三人娘の声が後ろで騒がしい。そんな中、のんびり歩いて遺跡を離れていく。
姿を隠していても、飛んでいる僕はともかく、砂の上に地を行く者の足跡はつくんじゃないか。そう思ってチラリと振り向くと、小さなつむじ風が後をついてきて足跡をできるそばから消していた。
「神々が現われたら、魔法兵器を奪った盗人だ、って攻撃してくるだろうか」
今、一番気になるのはこれ。
「わたしが回収した時点では神々の所有物ではないから、盗人は成立しない。姿さえ見られなければ大丈夫だろう。あの三人娘は我々の外見くらいしか知らないはずだから他人の空似で乗り切るぞ」
「僕らに似た、ここまで到達できる人物って、もう僕らってことになってしまわないかい?」
「いいんだ、可能性は無ではないだろう。我々だと確定さえしなければいい」
なんだか、共犯にさせられている気分。
べつに、それが悪い気分というわけではない。むしろ、おもしろいとすら思えている。イタズラを仕掛けるときのように。
「神々の中にも、二人だけ正体の予想がつく者はいるが」
そうだ、メフェリとゼフィータの二人の姉妹はナスコの洞窟でイドラが宝珠を入手したところを見ている。
ただ、二人は宝珠がどういうものかまでは知らないだろうけれど。
「ベントレー山の天狗の住居へ行って残る巻物をもらうついでに、代わりの宝珠をひとついただこう。それをあのときのものということにすればいい」
「なるほどね……それにしても、財宝を手にするというのは危険がつきものだ。イドラくらいになると神々にも目をつけられるわけか」
「強欲、って言いたいのかそれは」
彼は不満げだった。
「今回だって邪神を一柱退治しているんだ。本来はそれなりの報酬を得てもおかしくないし、あれを放置したままにしていた場合、やって来た神々の側が退治されていたかもしれない」
と、途中までは確かにそうかもしれない、と僕も聞いていた。けれども彼は急にニヤリと笑う。
「よし、これで正当化できるぞ。邪神がいた証拠がないのが難点だが……あの圧縮の魔法はこういうところが不便だな、なにも残らないから」
まったく、悪知恵が働く。
三人娘たちは捜索をあきらめたのか、それとも全然違うところを探しているのか。喧騒は遠くなり、天空のざわめきもこちらからはかなり離れて感じられる。
行く手に広がるのは青白い砂の海だけ。
一度砂嵐に見舞われ、イドラはコンパスを取り出して進む方向を修正した。
「これだけ何度も砂嵐が起きるなら、他の遺跡も露出しそうなものだ。まあ、砂漠の全体を調べないとわからないだろうが」
今までの風景で見た人工物は立ち寄ったふたつの遺跡だけだ。砂がかなり厚く堆積しているらしい。
「ギモヴが魔法兵器を奪取して勝ったのかと思っていたけれど、結局、どっちの国も残ってないね。時間が経ち過ぎてるのかもしれないけれど」
「少なくとも今回の件まで見聞きした伝承や歴史書には、ギモヴとイスリスについての記述はなかったからな。戦争で相打ちになったか、勝利しても大地が荒廃して暮らしていけなくなり、国を保てずに人々はどこかに移住したのかもしれん」
あの地図の光景などまったく面影もない砂漠。それを見渡す赤茶色の目には、好奇の光がともっている。
「この砂漠の遺跡を全部調べてみたくなった?」
「遺跡巡りはそのうち、ほとぼりが冷めてからだな。さすがに、今は駄目だ。あいつらがいるから」
彼のことばを切っ掛けに、振り返ってみる。
遺跡の辺りの空の上、さすがに煙はもう大半が吹き散らされていたけれど、人影のようなものが五つくらい。強い魔力を持っている存在らしいことはわかった。
――どうか、こちらに気がつきませんように。
気がつかれたところでイドラなら上手くやるのかもしれないけれど、面倒ごとは少ない方がいいに違いない。
幸い、砂漠を抜けるまで誰かに妨害されるようなことも、呼び止められるようなこともなかった。
安心すると、神々はあの三人娘にどう対応したんだろう、とか、魔法兵器が存在したことや消えていることに気がついただろうか、そうしたらどう考えるだろう、なんて不毛なことが気になってしまう。
あそこにあった魔法兵器はとうの昔に盗賊が盗み出していたんだとか、そもそも古の時代のうちに別の場所に移されていたんだとか思ってくれると嬉しいのだけれど――希望的観測過ぎるかな。
砂漠と草原をつなぐ谷を抜け、近くの町で馬車を拾い。
あの遺跡から離れるほど、不安は薄くなっていった。神々にとっては距離なんて意味はないだろうけれど、何日経っても追手が来る様子はないし。
「どう解決したのかは知らないが、追っ手を仕向けられる状態ではないらしい。ま、わたしを倒したければ最低でも神の十柱でも必要だ。割に合わないだろうな。それ以前にあの三人娘からわたしに辿り着けたとして、あの遺跡や宝珠を調べたらわたしが導かれたことや殺されかけたこともわかるだろう」
「ああ、神々ならあの塔の仕組みもわかるかもしれないね」
あの邪神も言っていたけれど、神々の大半はイドラより歳上だ。魔力や魔法の扱いはどうなのか知らないけれど、長く生きている分その知識はさらに上を行くかもしれない。
それがわかれば、イドラの行動を神々も納得する、はず。魔法兵器が神々への捧げものだと知っていたら、塔を起動させるはずがないし。
なんて都合のいい想像をしてみるものの、実際は、単に三人娘の話からそれが僕らだと確証が得られないというだけかもしれない。
「メフェリさんたちは……洞窟でのことを恩に着て、黙っていてくれたりするといいな」
野宿に選んだ林の中。魔法の炎が揺れるのを前に、僕は願望を口にした。
「さあ、連中は連中の考えで動く。ただ、べつにわたしと神々は敵対はしていないからな」
それはそうだ。過去に邪神掃討のために協力したりしていたわけで、神々としてもできれば味方につけておきたいはず。
「まあ、あまり心配することもないだろう」
倒木を椅子代わりにしながら、彼は鞄から取り出した紙の束に目を通していた。砂漠の遺跡で入手した魔法兵器の資料だ。
「それ、どうするの?」
「これはな……」
と、読み終えた三枚を取って炎へ投げ入れる。焚火の上にはその辺で採集した食用の野草と持ち歩いている調味料を水に入れた、これからスープになるものをたたえた鍋がかけられていた。
古く乾いた紙は即座に焼け落ち、灰すらわからなくなってしまう。
「焚火の焚きつけには最適だ」
「焚きつけにって、魔法の炎なんだから焚きつけも薪もいらないじゃないか」
驚く僕を横目に、彼は目を通しては火にくべていく。
「技術的には現代のもので代替可能な内容が多いし、むしろ手に入らない材料があって実用には足らない。ガボドック砂漠の歴史書を編纂するとしても、せいぜい魔法兵器の種類を記述するくらいで製造方法などはいらないからな」
束がひとつなくなり、彼はもうひとつに取り掛かる。
「どこかに預けて展示するとかでも価値がありそうなのに」
「展示できるような平和な内容があるといいけれどな」
二つ目の束の紙も、次々ポイポイと炎へ投げ込まれる。
――いや、そんな危険なものが悪用されたり誰かの手に渡れば恐ろしいことが起きるんじゃないかと心配はしていたけれど。
でも、目の前で大昔の貴重な資料が燃やされていくとなると、止めたい気分になってしまう貧乏根性。
そんなことはつゆ知らず、イドラの手は最後の一束へ。
「兵器というものは、効率や攻撃力を追求すると変わり映えがしなくなるな」
また一枚、一枚と燃やされる。
しかし、ある一枚に手がかかったとき、手が止まった。
「なにか、平和な内容があったの?」
魔法兵器の資料じゃ、そういう平和的なのはなかなかないだろうと半ばあきらめていたのだけれど。
「この辺りは残していいかもしれないな……兵器開発競争前の、技術の発展の歴史について。これによると戦争が始まる三〇年くらい前まではギモヴとイスリスは友好関係にあって、共同研究も盛んだったという」
「へえ……そんな仲が良かったんだ」
なのに、なんで。
「ほんのすれ違いから、国の歴史が変わってしまうのもよくある話だ。この二国の場合、ある程度高い技術を持つようになり、それを活かすための素材の取り合いがいくつも発生してきたとあるな」
壁には湖の領有権がどうとかあったけれど、あれも湖にある素材が原因だったのかもしれない。食料はもとより、植物、粘土、石、油とか、色々と考えられることはある。
「ずっと譲り合っていけたら、滅ぶこともなかったろうに」
「力を持つと使ってみたくなるから、余計なことを考える。力に支配されている状態になるわけだ」
「自分に不都合な植物を絶滅させたり、魔法兵器を自分のものにしたり」
このことばに、鞄から谷の木でもいできた実のひとつを取り出したところだった相手は一瞬声を詰まらせる。
「わたしには、それは余計なことじゃないんだ。それにいくら威力に興味があっても、わたしは世界を滅ぼしかねない兵器を使ってみたりはしないよ」
うーん、それはなぜか信用できる。
「力に支配されるのではなく、力を支配できなくてはそれを使う資格がない」
「イドラに資格があることは認めよう」
彼のことばに納得して、僕はうなずいた。
「だってそうでないと、すでに世界は何回も滅んでいそうだし」
「ほう。それは良かった、トーイに認めてもらえたようで」
僕のことばがおもしろかったか。漆黒の魔術師はいかにも楽しそうに笑い声を上げたのだった。
〈白珠の謎編・了〉
漆黒の魔術師イドラ 宇多川 流 @Lui_Utakawa
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