悪役令嬢が美形すぎるせいで原作が進まない

陽炎氷柱

お前がヒロインになるんだよ!

「は??これ私???」



 私の身長の二倍はあるであろう鏡に映ったのは、とんでもないデブスだった。




。。。




 転生したからといって、みんな美男美女になれるわけじゃない。鏡に映った自分の醜さで前世の記憶を思い出すなんて、後にも先にも私だけだろう。



「前世も太っていた方だけど、これはもはやテレビに載るレベルでしょ……」



 布を被っただけのようなドレスをつまみ上げて、鏡で自分の姿を見る。

 わずか五歳にして、少女の体は横綱かと見間違える立派な肉付きだ。こちらは脂肪のみで構成されているが。



「これは……なんて立派な五段腹なの……」



 顔は丸々としていて、目は頬肉に埋もれて糸のように細い。鏡に思いっきり顔を近づけて、やっと自分の瞳が蒼だと気づいた。

 常に汗をかいてるせいで体中がテカテカしており、腰まである黒髪ブルネットはギトギトしている。体がバスタブに入りきれないからと風呂を嫌がったせいだ。



「どう見ても黒豚と呼ばれる悪役令嬢クロエ・ベラドンナじゃないですかやだーー!!」



 一通り自分の姿を確認したところで、私は膝から崩れ落ち――ようとして、お腹の肉が邪魔して床に手が届かなかった。



「乙女ゲームの世界に転生しただけでも信じられないのに、まさかデブス系悪役令嬢なんて……夢なら早くさめて……」



 ゲームのクロエは、嫌なことがあっても嬉しい時も何でもない時もとにかく暴飲暴食を繰り返していた。しかも両親に溺愛されたおかげで、とんでもない我が儘娘でもあるのだ。

 そんな地雷要素を兼ね備えた上で、クロエは夢見るプリンセスだった。あらゆるイケメンに弱く、そして可愛い子に厳しいクロエは、攻略対象にひたすら纏わりついてはヒロインをいじるショボい悪役だ。



「せめて一人に絞ってくれ……だから公爵令嬢なのに婚約者ができないのよ……」



 ちなみにクロエの傍若無人っぷりは、彼女が一番熱を上げていた王子に「自制心のかけらもない。豚と変わらないね」と言われるほどである。しかしその言葉で逆上したクロエは、一層ヒロインへの嫌がらせに励んでしまう。


 結局はテンプレート通りに断罪されるのだが、幸いなことに罰は不細工な男爵と結婚することだった。公爵令嬢なのに最後まで結婚相手が見つからなかったクロエにしてみればむしろご褒美といえるだろう。性悪デブスがイケメンとの恋愛結婚を望んではいけないのだ。



「というか、断罪とは関係なく瘦せなきゃ!この生活習慣病がパリコレできそうな体じゃあ長生きできないわ!」



 ヒロインをいじめるつもりも、攻略対象をストーキングするつもりもない私にとって、肥満が一番身近の死因である。あと外見を何より重視する貴族社会において、デブスは社会的にも死ぬ。あまりにも儚い。



(今なら、まだ間に合う……!)



 幸い、クロエにデブの自覚はあったから、今までほとんど人前に出ていない。公爵令嬢という身分と、まだ子供だからまかり通ったことだ。

 原作でもクロエが社交界に初めて出たのは十歳のデビュタントパーティーである。



「まだ五年はある!子供は痩せやすいし、せめて『令嬢は少し肉付きが良いのね(笑)』くらいに瘦せないと」



 前世でも肥満気味だった私は生活習慣病の恐ろしさをよく知っている。若いうちに健康な体を作らなきゃ、本当に痛い目に見るんだ……!



「めざせぽっちゃり系!」



 この日から、私は一切の甘えを捨てて自己管理に励んだ。前世で手に入れたダイエット知識を活用して、それはそれはもう本気で頑張った。



。。。



「やっぱり世界が私に厳しい」



 デブス系悪役令嬢でも、結局は乙女ゲームのキャラクターだったからだろうか。

 五年間ずっとダイエットを続けた私は、ギャグ漫画のような劇的ビフォーアフターを果たしてしまった。



「はわわ、唇えちちすぎでは?」



 通りすがりにそうつぶやいた貴族のおっさんが、私の従者に気絶させられた。……また罪のない人間の性癖を歪めてしまったな。


 ――そう、私は目を腐らせるデブスから国を傾けられそうな美女に変異したのだ。

 あらゆる動作を邪魔していた五段腹は不可解なほどに綺麗さっぱりに消え、胸の肉だけ残していった。普通先に胸から消えるのに。


 埋もれていた顔のパーツはくっきり浮かび上がり、目が五倍くらい大きくなった。脂と汗でギトギトだった黒髪はさらつやで、見事な天使の輪が輝いているしいい香りがする。

 瘦せたことで綺麗なドレスを着れるようになったので、全身で魅せられるようになったのだ。



「まっすぐ見つめたら人を殺せるよ」



 とは我が父の話である。十歳の娘に真顔で何を言っているんだと思ったが、父は本気だった。


 そんなわけでまあ、デビュタントのときはえらい騒ぎになった。

 立てばざわめき、座れば囲まれ、歩くとモーセのごとく人が避けていく。あいさつをするたびに相手の目が感想で充血するほど見つめられた私は、瞬く間に社交界で話題になった。原作とは真逆の方向性で。


 この時点で当初の目標は果たされたわけだが、ここまでここまで変わると私にも欲が出てくる。



「まだ上を目指せるのでは?」



 健康が約束されたのなら、悪役令嬢わたしにとってのハッピーエンドを欲張ってもいいのでは?

 しかも今は磨けば磨くほど輝く素材がある。美しくなれば、あきらめていた攻略対象との恋愛も望めるはず。痩せるのに必死で忘れていたけど、このゲームには推しがいる。


 ここまで考えて、私は覚悟を決めた。



「すべてを狂わす魔性の女になるぞ!」



 こうして、私の私による私のための原作まる無視の自己育成計画が始まった。




。。。




 それから六年。私は十六歳になった。

 原作がスタートした時期であり、貴族学園に入学して攻略対象と出会う時がついにやってきたのだ。


 十年もの間、スキンケアも運動も勉強も本気で取り組んだ私は、同年代の令嬢たちと圧倒的な差をつけていた。素材がすこぶるよかったというのもあるけど、努力の積み重ねが顕著に表れたのだ。

 今では立てば花が咲き、座れば空が晴れ渡り、歩くと触れたいと風が吹くと噂される、立派な魔性の女である。



「ひぃ、それ以上近寄るな!目がつぶれる!」

「美!圧倒的な美!!」

「残り香最高スーッ」



 学園ですれ違う生徒が男女問わずこうなる。

 時折発生する不審者は、頼れる従者が音もなく仕留めていく。美しすぎるせいでごめんね。



 さて、攻略対象たちの方だが――たぶん、原作は崩壊した。なぜなら私の美しさに耐えられる人間がいないからだ。

 強いて言えば原作のヒロインくらいだが、私を見るたびに悔しそうにハンカチを噛んでいるのでたぶん同じ転生者だろう。敵意を感じるので話せないのが残念だ。


 その他に人間はすべて様子がおかしい。

 未だに気絶する人がいるし、そうじゃなかったとしても瞬き一つせずに見つめてくる。攻略対象は後者だが、正直怖いからやめてほしい。


 でも、変われたことで原作と違う未来を迎えられそうではある。

 何しろ、攻略対象と仲良くなれたのだ!



「あ、シャンプー変えた?昨日と香りが違うね。あのはちみつのような甘い香りも好きだけど、この爽やかな香りも好きだな」



 メイン攻略対象である金髪碧眼の王子・オリバーとは茶飲み仲間だ。瞬きはしてほしいが、いつもおいしい物を用意してくれるし、原作のような人間性を疑う言葉も出てこない。

 距離近いしボディータッチが多いけど、親しい証拠だろう。



「そそそそのととと通りだ。さささすがだだだななな」



 赤髪赤目のインテリ眼鏡キャラであるイアンは、小鹿のように震えながらも私と普通に話そうとしてくれる。勉強も教えてくれる。

 マナーモード搭載済みで声が震えすぎて少しも聞き取れないけど、会話しようとする意識を感じ取れるのは嬉しいよね。



「この花、綺麗だった。あんたには負けるけど、きっと似合うと思って」



 親近感を抱く黒髪黒目の騎士のレオは見た目に反してかわいいやつだ。体格のいい彼は突然摘んだ花を渡してくる。

 たまにボディービルダーのようなポーズを見せつけてくるし、常に顔が真っ赤だけどまあいいやつだ。



「ねえねえクロエ、これ見てっ!この宝石絶対にクロエに似合うと思って、買ってきちゃった~」



 最後に永遠の弟を名乗る、隠しキャラのルイスだが、彼は最初の友達だ。ハイライトがない目で瞬きせずに、真顔で見つめてくる瞬間がある以外、明るくて可愛い子だ。

 何かと彼の実家である隣国に連れていきたがるけど、私は彼が第二王子だということを知っている。ちょっと気軽に行けないかな。



 ……そういえば、何度かヒロインが突撃しようとしていたけど、その度に私を取り囲む人の壁にはじき返されていたっけ。


 ともかく。

 そんな感じで、私は何の恐れもなく生活を楽しんでいたが。



「あの、オリバー様。私の記憶違いでなければそのネックレスは国宝だったような……」

「それがどうかした?ああ、父上達も喜んでいたから気にしなくてもいいよ」



 良くないよ!?何一つ良くないよ!!!

 しかもそのネックレスたしか告白アイテムだったよね??国王様たちもお願いだから止めて。



 国宝を持ち出したこともあり、この話は瞬く間に広がってしまった。しかもこの日を皮切りに、攻略対象がやたらと私に重要アイテムを渡し始めたのだ。

 それも一人二人じゃない。全員が、である。



「はあ?クロエが一番喜んでいるのは僕のプレゼントだけど?筋肉だるまは黙っててよ」

「自己満足もここまでくると一層すがすがしいな」

「野郎の嫉妬は見苦しいぞ。そもそもクロエは私があげた香水を愛用しているんだ。早く現実見たらどうだ?」



 私は鋭いほうじゃないけど、さすがにここまでされたら好かれているのでは?と考えた。

 こんな美女になった時点で原作壊れているし、何より強制力はないということだ。恋愛できる……?と感激したのはわずかな間。



 贈り物攻撃をされること一か月。私は冷静に思い直した。

 これ、パトロンでは???金銭の殴り合い方が推しに対するそれである。



「このままだと、本当に傾国の美女になってしまう……!私が美しすぎるばかりに!」



 ヒロインにこの状況を中和してもらおうとしたが。



「私だってかわいいわよ!!その女は金と手間をかけてるけど、私は天然ものよ!!」

「何年も努力してきたクロエによくそんなことが言えるね?怠け者は目が覚めてても夢を見るんだ。知らなかったよ」



 勝手に喧嘩を売って自滅していた。

 オリバー、その毒舌は健在だったんだね。あまりにも原作とキャラが違っていたから、性格が変わったのかと思っていたよ。



(でも、努力を認めてもらえたみたいで凄く嬉しい)



 ……私は、自分が納得できる女になりたかった。

 はじめは健康のためでも、気づけば本気できれいになりたいって頑張っていた。別に褒めてほしいわけじゃなかったけど、努力を認められたような気がして嬉しい。



「……ありがとう」



 小さくつぶやいた言葉は思ったよりも弱弱しくて、はっきりと声にならずに空気に溶ける。

 それでもオリバーはしっかりと聞こえていたようで、それはそれは嬉しそうに微笑み返してくれたのだった。



 ……ところで。

 ヒロインが断罪されたんですけど、まだ原作始まってから半年も経ってないんだが??

 私とパトロンたちでどうしろっていうのよ!

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