二人目のカノン

ミクラ レイコ

社長秘書殺人事件

 警視庁捜査一課の部屋で、私、小川おがわ沙知さちは何度目かの溜息を吐いた。手掛けている殺人事件の捜査が、中々進展しないのだ。

 亡くなったのは、有名なIT企業の社長秘書。社長がテレビにも出演した事がある有名人の為、世間の注目度も高い。


「小川、ちょっと来い」

 私を呼んだのは、先輩刑事の御厨みくりや圭介けいすけ。年齢は三十代前半のはずだが、無精髭のせいか老けて見える。

「何でしょう?」

「今回の事件、捜査協力者の派遣を要請する事になった」

「捜査協力者ですか?事件が起きて十日目ですよね。少し要請が早くないですか?」

「世間が注目している事件だからな」


 近年、少子高齢化やその他諸々の事情で、犯罪の検挙率が著しく下がっている。そこで、『犯罪捜査協力者法』という法律が施行された。捜査が暗礁に乗り上げた場合、前もって登録された一般市民が捜査に協力できる制度だ。

 ただし、協力が許可される市民には条件があり、身元や実績等を事細かに調査される。

「今日の十三時、早速ここに来る事になっている」

今は午前十一時。本当に早いな。

「私、捜査協力者と一緒に捜査するの初めてなんですけど、どんな方なんでしょうね」

「ああ、俺は以前にも今回の協力者と一緒に捜査した事があるぞ。……まあ、頼もしい協力者ではあるな」

 それ以上、御厨さんは何も教えてくれなかった。


 十三時になった。

 御厨さんと二人で会議室で待っていると、ドアがノックされた。入ってきたのは、二人。

一人は、人の良さそうな眼鏡をかけた青年。私と同じで、年齢は二十代後半だろうか。精神科の医師で、堀江ほりえ雅人まさとという名前らしい。そして、彼の後ろから、もう一人が顔を覗かせた。


 その人物を見て、私は目を見開いた。黒いロングヘアの少女。どう見ても協力者には見えない。名前は木下きのした花音かのんといい、年齢は十二歳だという。彼女は、堀江先生の患者らしい。

「あの、堀江先生、捜査協力者ではない子供を連れてくるのはどうかと……」

「小川、違う違う」

 御厨さんが苦笑して言った。

「捜査協力者は、堀江先生じゃなくて、ここにいる木下花音さんだよ」

「……え」

 そんな事ある?この少女が?

 花音さんは、無表情で「木下です。よろしくお願いします」とだけ言って、頭を下げた。堀江先生は、ただ付き添って来ただけらしい。特例で付き添いが認められているとの事だった。私はまだ現実を受け止め切れていないが、御厨さんと一緒に、事件について二人に説明した。


 事件が発覚したのは五月二十日の朝。被害者は、IT企業「アルタイル」で秘書として働く宮尾静香みやおしずかさん二十八歳。会社から三百メートル程離れた公園で遺体となって発見された。刺殺だった。

 私達捜査一課のメンバーは、まず彼女の交友関係、殺害の動機の面から探る事にした。宮尾さんは独り暮らしで、まず彼女の友人達に話を聞いたが、動機になりそうなトラブル等に心当たりは無いとの事だった。


 次に、アルタイルに勤める彼女の同僚を当たる事にした。名前は横川よこかわ瑞穂みずほ

「静香に恨みを持つ人物ですか?……思い当たりませんけど……」

横川さんは、目鼻立ちがはっきりした美人だった。ブランド物のスーツを着ている。

「ああ、でも、よく人のものを欲しがってましたね。数日前も、私のバッグを欲しがってました。といっても、本当に奪う気はないんですけどね、彼女。……そういえば、あのバッグ彼女に貸したけど、返してもらってないですね」

「……それは、もしかして赤くて小さい、四角いエンブレムが付いた……?」

私の隣にいる御厨さんが聞いた。歯切れが悪い。

「ええ、そうですけど……」

「……そのバッグ、ご遺体の側に落ちていたので、証拠品として警察が預かっています。事件が解決すればお返しする事は可能かと思いますが、バッグに血が……」

横川さんは、顔をひきつらせた。


 次に、横川さんと同じ位宮尾さんと接触が多いであろうアルタイルの社長、高岡たかおかあつしに話を聞いた。

「うーん、宮尾さんにトラブルがあったという話は聞いていませんが……」

 四十代後半の社長は、首を傾げていた。

「私も、そんな話は聞いていませんね……」

 社長と同年代の妻、律子りつこも側で考え込んでいる。

 宮尾さんの交友関係や勤務態度等も聞いたが、何も収穫は無かった。

「お役に立てず申し訳ございません」

「いえ、お忙しい中ありがとうございました」


 そう言って私達が部屋を出ようとした時、御厨さんがふとキャビネットに目を向けた。

「仲がよろしいんですね」

 彼の視線の先には、写真立てがあった。高岡夫妻がツーショットで写っている写真だ。旅行の際に撮ったものだろうか。

 写真の中の社長はカジュアルなジャケットとスラックス姿で、大きい旅行用のバッグを持っている。律子夫人は、白いカーディガンに女性らしいロングスカートのワンピースといった装いだった。ワンピースは、今律子夫人が着ているものと同じ物のようだ。

「いや、お恥ずかしい」

社長は、そう言って苦笑した。

 その後も、宮尾さんと接点のある人物に聞き込みをして回ったが、収穫は無かった。


「……と、ここまでが今までの捜査の概要です」

 私は、そう言って花音さんと堀江先生を見た。堀江先生は、優しい眼差しで花音さんを見ている。花音さんは、相変わらず無表情で、誰とも視線を合わせない。

 御厨さんが、頭を掻きながら言葉を発した。

「聞き込みを続けていますが、全く進展がないんですよ。……犯人と動機はある程度絞られてるんですけど、決め手が無くて。関係者全員アリバイがはっきりしないし」

そうなの?私は絞るどころか皆目見当がつかないけど。

「……申し訳ないが、力を貸してもらいたい」

 御厨さんが、花音さんの目をじっと見ながら真剣な表情で言った。

「……木下さん、大丈夫?」

 堀江先生が、心配そうに花音さんを見る。

「……交代してみます」

 私には意味が解らなかったが、そう言うと、花音さんの様子が変わった。


 目が虚ろになったかと思うと、次の瞬間にスッと鋭い目つきになった。そして、両肘を机に突き、左右の指を絡ませると、妖しい笑顔でこちらを見た。

「やあ。久しぶりだね、御厨君」

「お久しぶりです。……秀一郎さん」

御厨さんの言葉を聞いても状況が理解できない。

 花音さんは、私の方に目を向けて、にこりと笑った。

「お嬢さんとは初めて会うね。小川さんと言ったかな?」

「はあ……」

「私の事を知らないようだね。御厨君、私の事を説明していなかったのかな?」

「ええ。言葉で説明するより、実際に目にした方が理解しやすいかと思いまして」

「成程。……小川さん、君は解離性同一性障害という言葉を知っているかな?以前は多重人格障害とも言われていたが」

 知っていると答えると、花音さん――秀一郎さんは、詳しく説明してくれた。


 木下花音さんは、解離性同一性障害で、自身の他に瀬尾せのお秀一郎しゅういちろうという人格を持っているらしい。花音さん自身と秀一郎さんの他に持っている人格は無い。秀一郎さんは、年齢六十代の大学教授との事だった。

 

「ふむ、決め手ねえ……」

秀一郎さんが考え込んだ。私が花音さんの状況について理解したところで、私達は再び事件の話に戻っていた。

「被害者は刺殺との事だったね。凶器はわかっているのかな?」

「凶器は見つかっていません。被害者の胸に刺さったナイフのような物を、犯人が抜いて持ち去ったと考えられています」

 御厨さんが答えた。

「だったら、返り血が犯人の服に飛び散っただろうな」

「ええ。返り血が付いてもいいように、使い捨てのレインコートでも着ていたかもしれませんが」

「被害者の関係者達が事件当日来ていた服を調べても、無駄だろうな」

「服と言えば、私、気になっている事があるんですが……」

 私がその後続けて発した言葉を聞いて、秀一郎さんが口角を上げた。

「いい事を思いついた。……小川君、お手柄だ」


 次の日、私と御厨さんはまたアルタイルを訪れていた。社長室には、高岡夫妻がいる。

「今日はどういったご用ですか?」

 社長が口を開いた。御厨さんに促されて、私は話を切り出した。

「今日は、奥様にお願いがあって伺いました。そこのキャビネットの写真立て、奥様がワンピース姿で写っている写真がありますね。先日伺った時も、写真と同じワンピースを着ておられましたね。そのワンピース、警察で少しお借り出来ませんか?」

 律子夫人の顔色が変わった。


「先日伺った時、おかしいと思ったんですよ。写真のワンピースは足首に届きそうなくらい長かったのに、先日はふくらはぎの半分が隠れるくらいの長さだったので。……裾を折って自分で縫い直しましたね?」

 夫人は何も言わない。私は、続けて言う。

「もしかして、裾が汚れたんですか?……例えば、血痕が付いたとか」

 宮尾さんを殺害した際、レインコートを着ていても、ワンピースの裾に少しだけ血が付いたのだろう。件のワンピースは、夫人がよく身に着けていたもので、急に捨てるのも怪しまれると思い、縫い直す事にしたと思われる。きっと、まだ捨てていないだろう。

「布に付いたわずかな血痕からでもDNAを検出できますが……やましい事がないなら、提出して頂けますよね」

何も言えない夫人を見て、社長は茫然としていた。

「律子……お前……」

「あなたが悪いのよ。あなたが、浮気なんてするから……」

 自白したも同然だった。


 数日後、私は警視庁の廊下の隅にある自動販売機でコーヒーを買っていた。

「よう、お疲れ」

 御厨さんがこちらに歩いてきた。

「例の事件、律子夫人が完全に自供したようですね」

「ああ、血痕からDNA鑑定が出来るっていうハッタリが効いたかな」

本当は、ワンピースに付いた血痕が微量で、DNA鑑定できるかどうかわからなかったのだが。ちなみに、恥ずかしながら私は、ワンピースの長さが違う事には気付いたが、血痕を隠す為だとは気付かなかった。


「……でも、私はまだまだですね。御厨さんは、花音さんを呼ぶ前から、犯人が高岡夫妻のどちらかだと目星を付けていたのに」

 実は、高岡社長は横川瑞穂さんと浮気していた。横川さんが宮尾さんに貸したバッグと、高岡社長が写真の中で持っていたバッグが同じブランドで同じシリーズのものだったので、御厨さんはもしかしてと思ったらしい。横川さんがブランド物の服で身を固めていたのも、高岡社長が貢いでいたからかもしれない。

 そして、律子夫人は夫が浮気相手と会っているのを遠目に見た事があった。相手の顔はわからなかったが、相手が赤いバッグを持っているのはわかった。

浮気相手を探して殺害する機会を伺っていたが、ある日、宮尾さんが以前見たのと同じ赤いバッグを持っているのを見かけた。それで、夫人は宮尾さんが浮気相手だと勘違いしたのだ。

「経験を積んでいけば、お前もわかるようになるよ」

御厨さんがそう言って励ましてくれた。


「……あの、話は変わりますが」

「ん?」

「……花音さんの両親って、どうしてるんですか?」

 解離性同一性障害は、親の虐待や強いストレスで発症する事が多いらしい。

「……彼女の母親はシングルマザーで、父親は誰かわからない。花音さんは、母親の恋人から虐待を受けていたらしい。その恋人は今刑務所の中。母親は、アルコール依存症で、今更生施設にいるらしい。花音さんは、今養護施設で暮らしている」

「……御厨さん、先日花音さんと会った時、『申し訳ないが、力を貸してもらいたい』って言ってましたよね。事件解決の為に秀一郎さんの力が必要だけど、本当は花音さんの人格が一つになる事を望んでいるんですよね?」

「……俺はそんな善人じゃねえよ」

 御厨さんはそう言って去って行った。

 また、秀一郎さんの力が必要となる時が来るのだろうか。なんにせよ、花音さんには幸せになって欲しい。

 そう思いながら、私もその場を後にした。

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