第5話

 卵を手に取ったものの、私は思った。

 ――昨日の残り、どこかしら?

 なので一旦、籠の中に卵を戻した。

 そういえば昨日は必死で余り厨の中をみていなかったと思い出し調理の前にじっくり見て確かめようという気持ちになった。

 設備的には10畳ほどの広さで厨の出入口から真正面に釜戸、右に流し台、正面左側の壁に出入口、という間取りになっている。

 出入口からは庭に行けるので、構造的に母屋から建て増ししたような作りになっている。これは火事など起きた時のことを考えてだろう。

 

 厨に入る前には暖簾があり、それをくぐるとあがりこまちがある。ここは少し高い小上がりになっており、人が座れるほどのスペースと高さがあるので休憩したり座りながら作業する場でもある。その左には食器棚がある。

 引き戸がついているのでこの下は収納スペースになっている。祖母の家にはここに漬物や梅酒、買い置きした調味料や酒などがあった。年代物の大きな漬物樽は納戸にあったので普段食べるものを置いてあるのだろう。足りなくなったら納戸から取り出し補充するのだ。

 

 あがりかまちから下りると土間になるのでそれ用の靴……というか草履をはく。昔ながらの押し固めた土ではなくここはコンクリート敷きなので掃除しやすく水はけが良さそうだ。厨の中央には大きな作業机。木で作られたそれはしっかりとしていて手触りもいい。この机の上で野菜などを切ったり盛り付けしたりと十二分なスペースを確保出来る。今はそこに新鮮な野菜などが入っているカゴや小分けした調味料類が置いてある。釜戸からの調理中、振り向けば取れるので便利なものだ。

 

 そして釜戸。三口のコンロにタイル張りの少し近代的な釜戸だ。普通は薪が横などに乱雑に置かれているものなのだが、そういった収納スペースはなく、ここは絶えず火がくべてある。不思議な釜戸だと思った。

 おかげで火起こしの時間が短縮できる。

 三口と言っても、二口コンロと一口コンロが隣合ってる様な釜戸だ。後から一口コンロを増設したんだろうな、という作りだ。一口コンロは米を炊く用の釜戸なので少し低めに作ってある。だけど大鍋などを調理する時はこちらになるのだろう。どちらにせよ、米を炊く為にコンロが一つ潰されるのは回避できるので便利だと思った。

 隅の方には七輪があり、魚を焼く時は七輪を使うのでいつか使おうと心に決めた。

 

 次はそのまま流し台へ。

 ステンレスの小綺麗な流し台に蛇口がある。温冷対応していてここだけ少し現代を取り入れているので祖母の家とは少し違った。

 これも私が作り出した『自分の思う理想』が具現化したのだろう。

 私は祖母の家の厨で一つ不満があるとしたら、それは唯一流し台だけだったので。

 冬は寒く夏は暑い。そして水道は水しか出ない。

 そんな少しの不満を現実のものにしてくれる幻術(でいいのか?)は本当に便利だ。

 現にその恩恵を如実に受けているだろう、流し台の横。そこには冷蔵庫とオーブンレンジがあったから、だ。 

 私はその中身を確かめるべく扉を開けた。

 ……が、中には何も入ってなかった。

 それもそうか、これは今、私が思う理想の厨にあるもので、私がのだから。


「ざっとこんなものか……」


 昨日の残りはなかったので、私はさっそくリクエストされた卵焼きを作ることにした。

 何故か炊飯はされてあるので米を炊く必要が無いからだ。きっと厨の主がやってくれたのだろう。

 そう頭で思うと、まるでそうだと言わんばかりにゆらりと頷くように湯気がゆれた。

 その様子に微笑みながら私は、ありがとうおばあちゃんと心の中で呟く。

 私は流しの下の棚からボウルやら菜箸など必要なものを取り出し作業机に置く。

 今日のメニューはメインに卵焼き、味噌汁は具は何にしようか。カゴの中には新鮮な野菜。うん、この大きな玉ねぎのお味噌汁にしよう。そしてこれまた大きく葉付きの大根は出汁で煮てふろふき大根にしてしまおう。大きな葉は細かく切って油炒めにでもしてしまえば箸休めにもなるだろう。


 そうと決まればまずやることは野菜を切ること。

 大根の歯を切り、部位ごとに分ける。

 トントントン、と小気味いい音が厨に響く。

 ああ、懐かしいな。

 今の私には料理に対する恐怖というものが全くなかった。代わりにあるのは使命感。

 私が作らねばいけないのだ、というその使命感は私に勇気を与えてくれる。

 そして……オヤシロ様の美味しかった、の一言。


 その言葉にどれだけ救われたのだろう。


 たった一言、されど一言。

 言葉は時に人を傷付けるものだし、逆に救いもするのだ。それが如実に現れた、と思った。

 料理をするものにとって、感謝以上に作ったものに対しての感想が一番嬉しいものなのだ。

 そう、ただ、一言……美味しかった、ありがとう。と言われたかったのだ、私は。

 自分の心と向き合い、自分がなすべきことをして、それを認められる。何と自己肯定感があがることだろう。

 もう、何年も感じてなかったこの気持ち。

 自分を認め肯定し、人に認められ肯定される。

 私に今まで足りなかったもの。それがたった一言で満たされ、こうも自信に繋がるものなのか。

 ああ、今はただ、純粋に――


「美味しいものを、作りたい、食べて欲しい」


 無意識に呟き、私は少し照れてしまった。

 集中しよう。

 料理を楽しもう。

 また、美味しかったを聞くために。



 ******



「……でき、た……っ」


 小一時間程かかり、配膳出来るまで何とか形になった。

 興が乗ってしまい、つい大根の皮できんぴらなども作ってしまった。朝ごはんにこれは少し多すぎだろうか?

 まあ、残ったらお昼に出してもいいか。

 私は出来たての料理を見て、達成感と充実感を味わった。

 ミタマとマタマも食べるか聞くのを忘れていたので一応人数分つくったが、大丈夫だろうか?

 少しの不安を抱えつつ、私は草履を脱いであがりかまちに登る。料理したものを何回かに分けて部屋に運ぶために。


 目的の部屋は主部屋で、ここを開けると昔ながらのちゃぶ台がぽつんとあるこじんまりとした部屋だ。端には積み上げられた座布団があり、戸棚にはお茶セットと何故か現代の機器、電気ケトルがある。有難い。

 私は厨と主部屋を往復する。

 なんてことない、厨から近いので配膳も楽だ。


 ちゃぶ台に一通りの料理と食器などを並べる。

真ん中にふろふき大根、きんぴら、大根葉の油炒め。

 各自の座るだろうと思われる所に伏せたお茶碗とお椀とお箸、そして卵焼きを各自の場所に置いた。

 私は下座に座るので、そこに炊きたてのお米が入ったおひつと味噌汁の鍋を置く。

 準備万端だ。

 さあ、朝ごはんを食べよう。

 縁側からポカポカ陽気が降り注ぎ、今日はいい天気なのだと知らせてくれる。

 私は息を大きく吸い込む。


「ご飯出来ましたよー!」


 屋敷の奥にいるだろう三人に向けて、久しぶりの大声を出したのであった。

 

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オヤシロ様に匿われてます。~あやかし神社で囲むほっこりあったか日常ごはん~ 野田藤 @fujimegane1

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