第4話

 鳥の声。

 廊下側の障子越しに柔らかな朝日が差し込む。

 その光は程よく眩しくて、微睡んでいた意識をゆっくりと浮上してくれる。

 ああ、こんなゆっくり、そしてスッキリとした目覚めはどれくらいぶりだろう。

 私はかかっていた少し重い綿入り布団をはいで上半身を起こして伸びをした。この布団も、祖母との生活で使っていたものと同じで少し古くて、重くてとても暖かかった。

 祖母との生活は短かったけど両親と過ごした日々と同じように私にとって凄く大切で宝物なのだ。

 それを懐かしめる今の環境がとても有難く嬉しかった。


 さて。少し早く起きたのは日々の習慣か。

 それでも身体はとても軽く今にも走れそうだ。これは夫と生活していれば決して味わうことの無かった感覚だ。

 気分がいい。

 私は布団から出ると、再び伸びをして全身を起こす。借りていた寝巻きの浴衣を脱いで自分の洋服を着ようとして止まった。昨日着ていた服の隣に、綺麗な着物がある。軽く着れるような、普段着に出来る着物。襦袢から紐から半幅帯やら一式そろえて桐の箱に入っている。

 ……着ろ、という事だろうか?

 それはさすがに申し訳なく思ったが、昨日着ていたものを着るのも躊躇われたので有難く着物を着させていただいた。着方は祖母から教わっていたので難なく出来た。しかし少し不格好なのは久しぶりに着物を着付けたから、と言い訳しておこう。

 支度が終わればそれまで寝ていた布団を畳む。多分、ここが収納出来るところだろう襖を開けて、空っぽのそこに布団を仕舞う。ずしっと重い布団をしまうのは疲れたけれど朝の運動と思ってしまえば何ともなかった。


「……朝ごはん、食べるかな……?」


 やることが無くなり、手持ち無沙汰に呟く。

 ここにいる理由は毎度のごはんを作ること。だからきっと今日も作るべきだろう。

 そうなれば、と私は勝手知ったる厨へと向かう。

 廊下側の障子を開ければ気持ちがいい風が吹き抜く。

 不思議だ、現世は真冬だったのに隔世は少し肌寒いくらいで過ごしやすい。例えるならば天気のいい日の秋……と言うところか。これは縁側でのんびりとお茶がしたいな、と思った。

 そんな暖かな廊下を進む。次に右に曲がれば厨だ。


「起きたか」

「あ……オヤシロ様、おはようございます」

「あぁ、おはよう」


 廊下を右に曲がれば、そこにはオヤシロ様がいた。

 厨の前で待っていたのか、私に気付くと声を掛けてくれたので挨拶を返した。

 どうしたのだろうか?昨日、ミタマとマタマに一通り屋敷の案内はしてもらっている。

 オヤシロ様のお部屋は厨から遠かったはずだけど……。

 私が不思議そうにしていると、オヤシロ様は気まずそうに頭をかく。


「あー……なんだ、眠れたかな、と」

「ええ、それはもう」

「そうか」


 オヤシロ様は私の返答にほっと安堵すると、今度はじっと私を見つめる。


「……着物も、着れたか」


 ここで、はっと気付いた。

 きっとオヤシロ様は着替えを用意したものの着方が分からないのではないか、などの心配をしていたのだ。

 だからこそ気まずそうにしているのだろう。着替えなど男性から女性に聞くことが憚れる内容だから。

 正解だど言うように、当の本人は顔を真っ赤にしているではないか。


「祖母に着方を教わってましたので……その、着替えまでありがとうございます」

「いや、いい。こちらの事情に付き合わせているんだ。これくらいは用意しよう」

「お気遣いありがとうございます」


 私はオヤシロ様に礼をした。

 嬉しかったのだろうか、オヤシロ様の九尾のしっぽがゆらゆらしている。

 ……もふもふ……か、かわいい。

 ついその揺れるしっぽを見ていたら、視線に気付いたオヤシロ様がしっぽを消してしまった。

 おお、収納可能なのか……少し残念だ。


「他に、困ったことは無いか?」


 誤魔化すようにオヤシロ様が言う。


「はい、大丈夫です。ここは祖母と暮らしていた家と似てますし……厨なんか、本当にそっくりで……」

「ああ、そうか。言ってなかったな。すまん」


 屋敷を見回し、厨を見つめながら言うと、オヤシロ様が突然謝ったので何か、と思い小首を傾げた。

 すると、オヤシロ様は人差し指を口元にやり、ふっと息をかけた。

 ……と思ったら、周りの景色が変わった。

 その一瞬の変わりように、私はひどく狼狽した。

 何故なら、ここは……私が、オヤシロ様の元に来る前、夫と住んでいたマンションのリビングだったから。

 ひっ、と喉の奥が鳴る。

 トラウマのフラッシュバックが起こりそうになり、目の前が真っ暗になる寸前で元の屋敷……先程までオヤシロ様と喋っていた廊下の景色に戻った。

 目の前にオヤシロ様を確認し、その姿にほっと安堵すれば、それまで私は息をしていなかった事に気付き大きく深呼吸した。


「大丈夫か?……顔が真っ青だ」

「すみません、ちょっと……前の……夫の、マンションだったもので……もう大丈夫です。」

「すまない、説明の為にと……ここは常に術がかかっているんだ。その者が強く思っている場所を見せる。先程は強制的に変化させたのだが……そうか、嫌な記憶の方が見えたか」


 ふむ、と納得したオヤシロ様は状況の説明と共にこれまでの事も説明してくれた。

 私が今まで見ていた厨や部屋は私が使いやすいや住みやすいと思う場所が術により現れていた、ということらしい。特に厨はそれが如実に反映されるらしく、使う人によって変わるそうだ。ちなみにオヤシロ様には私と同じようなものが見えているそうだ。術者だから同じものが見える、との事。

 私には分からない分野……というのか、そういう神々の事はよく分からないというのが本音だ。

 オヤシロ様は私に深く謝ってくれたが、そんなこと気にしなくて良いのに、と私は思う。

 だって、神様なのだから人間対してどうこうしたところで……と思うのだ。

 だから私は満面の笑みで言う。


「今日、何食べたいですか?」


 突然の質問に、ぽかんとするオヤシロ様。

 鳩が豆鉄砲食らったらこんなかんじの顔をするんだろう、綺麗な顔が面白いくらい崩れている。

 ふふ、と笑ってしまうとオヤシロ様は顔をひきしめた。


「……お前は、少し意地悪だ」

「そうですか?」

「我は神ぞ?」

「あら、そうでしたねぇ……」


 などと、軽口を言えるくらいには私はオヤシロ様という存在に心を許している。

 夫以外の男の人など、数える位にしか触れ合ってなかったが、私はオヤシロ様の纏う雰囲気が好ましいと思っている。それはオヤシロ様が神様で、人々に慈悲を与える存在というのが根本にあるからと思う。

 私はそういう存在にきっと、安堵しているのだろう。

 神様は見捨てなかった、その事実こそが私がオヤシロ様を無条件に好ましいと思う結果なのだ。

 現に、こうやって助けてくれたのだから。


 厨の入口に掛かっている暖簾をくぐると、今日もコトコトと鍋から湯気がたっている。釜戸は火がくべてあるし、あたたかな厨が目の前にある。あがりかまちから土間用の下駄を履いて下りたところで、オヤシロ様があがりかまちに立っているのに気付く。


「オヤシロ様?」

「……食材は自由に使え。ソレは毎日配給されるから残量などは気にするな」


 指さす先にあるザルの中には新鮮な野菜が沢山あった。今は冬なので冬野菜が中心になっている。

 卵もあるし、全体的に一日で消費できる量ではないが、沢山ある訳でもない、と言うところだ。


「食材などは神界から毎日配給される。現世の供物を各神社に配給する形でな。大きな所ほど食材は豊富だと聞くが、うちは……な」


 苦笑を浮かべるオヤシロ様。

 だが、私からしたらどうしてそのような反応になるか分からない。

 こんなに食材があるなど、以前と違う潤沢な食材達を前に私の心が踊る。


「肉などは……まあ、気まぐれだな。欲しいものがあれば願っておくといい。運が良ければ届けてくれる」


 つまりはランダムに来る配給を使って毎日やりくりすればいいのだろう。そういうのは得意だ。夫にはやりくりは下手くそだと言われたが、少ない予算でやりくりする日々は割かし楽しかった。欲を言えば……いや、やめよう。ここはもう夫がいる現世では無いのだ。


「卵焼き」

「え?」


 私が考え事に夢中になっていると、オヤシロ様がぼそっと、つぶやく。

 耳が良いので聞こえてしまい、つい聞き返してしまえばオヤシロ様が真っ赤になった顔を隠すようにそっぽを向いたかと思うと、踵を返して逃げるように厨から出ていく。


 ……ああ、なんと可愛い神様なのだろう。


「しっぽ……出てましたよ」


 私はふふっ、と笑いながらザルから卵を数個取るのだった。

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