第3話

「……ミタマ、マタマ、もういい」


 オヤシロ様の声が、部屋に響く。

 布団を捲り、上半身をゆっくりと起こした。


「オヤシロ様!」

「オヤシロ様ぁ!」


 泣いていた双子が、目覚めたオヤシロ様に気付くと私を押し退け駆け寄り抱き着く。オヤシロ様は双子を受け止めきれず、少し後ろにかたむいたが直ぐに体制を戻した。


「無理強いは、してはいけない。相手にも事情というものがある。我儘を言ってはいけないよ」

「でも! オヤシロ様が!」

「オヤシロ様、消えるの、ヤ!」


 双子はいやいや、と首を横に振りながら胸に抱き着き拒否する。そんな双子の頭を優しく撫でながら諭すオヤシロ様。


「俺の事はどうとでもなる。変わりはいくらでも居る、大丈夫だ」

「やー! みぃは今のオヤシロ様がすきなの!」

「まぁも! まぁも今のオヤシロ様がいいんだゾ!」


 困ったように笑うオヤシロ様。

 先程までの厳しそうで、凛とした姿とは違う、慈悲に満ちたその姿。

 無理をしているんだろう、すごく汗をかいているのがわかる。その顔から見える色は青を通り越して白だ。

 双子を安心させるために無理矢理起きたのが見て取れた。今だって相当に無理をしているはずなのに。


 自分が消えるかもしれない時に、苦しい時に私への配慮をする人を見捨てるの?

 しかも助かるかもしれないという時に?

 普通なら助けてくれ、と言うのでは無いのか。

 そう考えていると、ガタガタと震える身体が、どんどんと落ち着く。

 オヤシロ様を見ていると、何だか力が湧いてくるのが自分でも分かった。


「……り、ます……」

「え……?」

「作ります、料理! 私、貴方に一宿一飯の恩義を返してませんから!」


 一宿一飯と言ってもご飯じゃなくてお水だけど。

 高らかに宣言すると、少しだけ怖気付いていた心も堅く決まった。オヤシロ様は私の宣言に目をパチクリとさせてる。

 この人を助けたい。だから、私に出来ることをする。たとえそれが上手くいかなくても、不味くても、出来ることを!


「双子ちゃん、お台所まで案内して!」

「「あいあいさー!」」

「あ……まて!」


 止めるオヤシロ様を尻目に、双子に案内されるまま、部屋を出る私であった。



*********


 廊下を双子に連れられ歩く。

 心做しか足がもつれるのは心が急いているからか、それとも……。

 情けない。

 啖呵をきったにも関わらず、もう怖気付いている。

 怖い。私が作る物が、不味くて神力がこもらず助けられなかったら?

 また罵られるのでは?

 そう考えると、血の気が引いてくるのが分かった。


 結婚してからというもの、夫には何度となくダメだしされ、罵られ。さらには義母までも巻き込み私を蔑んでくる始末だった。

 完璧な嫁。

 それを求められ、私は必死だった。

 努力した、と思っていた。けれどそれでは駄目だった。思う、ではなくやるのだと。その意識からお前はダメなのだ、と。

 頭の中で、夫が私に言う。

 何も出来ないお前に何が出来るというのだ、おこがましいのも大概にしろ、と。


 ヒュッと喉がなる。

 気がつけば私の足は止まっていた。


「あ、の……わた……し、……」

「厨はここなのー」

「ここだゾ!」

「……え、?」


 止まっていた、と思っていたのは案内が終わっていた、ということだった。 

 連れられやってきた台所……というか、昔の煮炊き所……いわゆる厨と呼ばれる場所。

 土間にかまどと水場、そして作業台。

 懐かしさを感じるのは、祖母の家の台所に瓜二つだったからか。


「ここ……懐かしい……」


 暖簾がかかってる入口。

 どこかで見たことがあるその暖簾をくぐるとふわっと気持ちが軽くなった。

 お出しの匂い、コトコトと鍋から湯気が出てる、身知ったお台所。

 

 ……――あたたかい。


「おばあ、ちゃん……?」


 何となく、呟いた。

 すると、鍋から出てる湯気がゆらゆらと形を変えた。

 本当におばあちゃんが振り向いた気がした。 

 

 昭和レトロな厨は祖母が生きていた頃に何度となく触れ合ったので扱い方はある程度わかる。

 私が幸せだった頃の、大事な記憶の中の、場所。

 それだからだろうか?いつもなら料理すること自体苦痛でたまらなく、キッチンに近づいただけで動悸が止まらず、身体が言うことを聞かなくなり、何もかも上手くいかないというのに。

 何度となく繰り返される悪循環に足掻き悶え苦しんでいたのに、今の私はそんなことがあったのかと言うように普通に台所の入口に立てている。何かに見守られているような錯覚さえおきている。


「これなら……!」


 私は土間に降り立つ。ちゃんと土間用の下駄があったのでそれを借りた。

 初めての場所なのに、借り物の下駄なのに、妙にしっくりくるのは何故?

 だけどそんな疑問もそっちのけで、私は急がねばならない。

 妙に頭が冴える。

 お供え……と言っていた。

 何を作ればいい?オヤシロ様は、すごく体調が悪そうだった。固形物など食べられるのだろうか?元気もなかったから、何か精のつくものだろうか?

 分からない、どうすれば……どうすればいいの?


『若菜、いいかい? あるもんでいいんだよ、あるもので。特別なことはなにもしなくていいんだよ』


 頭の中で、祖母の声が響いた。

 湯気が、またゆらゆらとゆれている。

 祖母が笑った気がした。

  

 そうだ、そうだった。

 祖母はよく言っていたではないか。心が籠っていればそれがおもてなしになる、特別になる。無理して頑張らなくていい、自分に出来ることをすればいい、と。


「うん……大丈夫、大丈夫……」


 呟きながら、私はかまどに向かう。

 作るものは決まった。

 待っててください、オヤシロ様……!



**********


「……戻りました」


 オヤシロ様が寝ている場所まで土鍋ののったお盆を持って戻ると、布団で寝ていると思っていた人物は先程と変わらず上半身を起こしていた。その姿は凛としていて、汗などひとつもなかった。

 平気なフリをしている。

 けど、顔色は変わらず青白い。本当はその気流しの下に大量の汗をかいていて気持ち悪いだろうに、そんなことを感じさせない厳かさがあった。

 さすが、御神体を守る護り神様だ。私……人間には弱みを見せないようにしているんだろう。

 相手が神様だと再び自覚すると、やはり怖くなってきた。


 夫にも長年成長しない飯マズ嫁とずっと言われてきた私のような者が、お供えした所で悪化させるのではないか?


 黒い想いが心を覆い尽くす。

 さっきまであった自信はどこにいったの?

 手足もつめたくなってきて、目の前も、真っ暗になって今にもお盆を落としそう。


 ――こわい。


 私の頭の中はそれしかなかった。

 また、罵られたらどうしよう。


 そう思えば思うほど、目の前が白く意識も遠くなっていった。

 ああ、倒れる……。そう瞬間思ったが、オヤシロ様の一言に私は意識を取り戻した。


「美味そうな匂いだ」


 オヤシロ様の低く通る声が静かな部屋にポツリと落ちる。


 美味しそう?オヤシロ様は、今、美味しそうだと言った?

 訳が分からす、俯いていた視線をオヤシロ様に向けると、オヤシロ様の視線は私の持っているお盆に釘付けだった。


「あ、の……私っ、その……作ったんですけど、私……っ、自信なくて……!」

「自信、とはよくわからんがお前の持つその供物は光り輝いているぞ?」

「……え?」


 思わず手に持っているお盆を見るも、何も無い。

 不思議に思い首を傾げると、私の後ろをついて回っていた双子が服を控えめに引っ張った。


「お供え、神気いぱーい!」

「にんげんの気持ち、伝わるゾ!」

「ああ、ずっといい匂いがする……優しい、それでいてどこか懐かしい匂いだ」


 オヤシロ様はスっと目を細めお盆を見つめる。早く、と急かすようにふさふさのしっぽが布団を叩いているのが見える。その仕草に犬を思い出してしまうも直ぐに失礼かと、思考を止めた。

 急かす仕草に私は急いでオヤシロ様の元に座り、お盆を置いた後、オヤシロ様は手を伸ばすが苦しそうに顔を顰めたので、静止の意味を込めて背を支えてから置いていたお盆を引き寄せる。


「……これは……凄い……」


 お盆を眩しそうに見つめながらオヤシロ様は呟く。

 ふらつきが収まったオヤシロ様から手を離して私はお盆をオヤシロ様の膝の上……――布団があるからその上――に置き、土鍋の蓋を開けた。

 すると、ふわっとお米の甘い匂いが部屋中を満たした。


「……おかゆ、です。消化にいいものがいいと思ったので……」


 言いながらお椀におかゆを移し、オヤシロ様に渡す。

 ……が、腕を動かすのも辛そうにしていたのを思い出し、私はレンゲを持ってひとさじとると、オヤシロ様の口に持っていった。

 オヤシロ様は驚き目を見開くも、思わず、といったふうに口元のレンゲに食いつく。


「なんと……!」


 オヤシロ様はまた目を見開くと、私が持っていたレンゲとお椀を取り、自分で食べ出した。

 ついには土鍋を囲って食べだした時は私の方が驚いてその様を目をパチクリさせて見てしまった。


 オヤシロ様は土鍋のおかゆをペロリと完食すると、目を閉じた。

 すると、オヤシロ様の身体が淡い光で包まれていった。私は驚きすぎて、そして眩しすぎて目を強く瞑った。


「……感謝する。神力が戻った」

「「オヤシロ様ぁ!」」


 オヤシロ様の声にそっと目を開けると、そこには微かに光るオヤシロ様のお姿。神々しさにクラクラしそうだ。

 私の後ろで様子を見ていた双子が堪らず、とオヤシロ様にダイブした。それを平然と受け止めるオヤシロ様。本当に神力が戻ったんだ。

 顔色もあんなに青白かったというのに、今では頬に紅がさしている。


「神力が戻って、良かったです」


 私はほっと安堵した。

 しかし、それは私の現世への帰還とイコールだと気付き、俯いてしまう。

 双子もそんな私に気づいてオヤシロ様から離れて私の顔を覗き込む。

 その様子を見て、オヤシロ様は静かに言う。


「神力は戻った……戻った、が。全開と言う訳では無い。お前には申し訳なく思うが、お前を現世に帰らせる神力が戻るまでこうして料理を作って欲しい」

「……え?私、ここに居ていいんですか?」

「ああ。そう言っている」


 オヤシロ様はふいっと顔を背けた。

 だけど、しっぽはゆらゆらと揺れている。


「……あー……なんだ、その。……美味かった」 


 オヤシロ様はそう言うと、ばさっと勢いよく布団に潜った。それ、私が使ってた布団ですけど……今更だろうか。

 表情は見えないけど、揺れるしっぽがその感情を伝えてくれる。


「ありがとうございます……っ!」


 私はオヤシロ様に頭を下げた。

 双子は、やったー!とバタバタとオヤシロ様が眠る布団の周りを走ってオヤシロ様に怒られていた。


 こうして、私はオヤシロ様に匿われたのだった。


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