舞台袖ー2


 春雪が、はらりはらりと、まるで、白い桜の花びらのように舞っていた。


 少しだけ標高が高い所に聳え立つ霊園は、薄化粧を施した女のように白く、美しかった。

 季節外れの大雪の中、その霊園に於いて、生きている人間はたったひとりだけだった。やせ細った長身の男は、骨と皮だけになった細い脚で、一歩一歩、歩を進めた。年の頃は四十代後半から五十代前半といったところだろうか。実際は、もっと若いのかもしれない。真っ白な白髪頭に、白磁のように白い肌、そして生気の感じられない世捨て人のような顔つき。霊園で静かに眠る人々の魂が、「あれはもう、こちらがわじゃないのかね?」とひそひそ話をしていた。

 男は、霊園内の東側奥の「宮間みやま」の姓が刻まれた墓石の前で立ち止まり、ゆっくりと腰を下ろした。男は、お供え物台の上に、ワンカップの日本酒の蓋を開けて、そっと置いた。

「久しぶりだな。大輔だいすけ。やっと娑婆に出ることができたよ。べつに鉄格子の中で一生を終えても良かったんだけどな」

 男はふふっと微笑んだ。

「あいつら、俺を置いて、さっさと逝っちまいやがったよ。人を巻き込んでおいて薄情な奴らだ。これだから、若いもんは」

 そう言って、男は自分の分の酒を口に含んだ。

「俺な、末期がんなんだってさ。あと一カ月って余命宣告されたよ。体のあちこちに転移してて手の施しようがないんだってよ。それ聞いて、俺、安心したよ。やっと生きることから解放されるんだって」

 ひんやりとした風が、男の頬を撫でた。

芹那せりな大智だいちのことなら安心してくれよ。ムショにぶち込まれる前に、俺との縁は切って来た。芹那は再婚したらしい。相手は入院してた時の主治医だってよ。女っていう生き物は、何だかんだ言って強くて薄情だねえ。この前、こっそり、大智に会いに行ったんだけどよ、新しい父親に大切にされてるみたいだったよ。『僕には三人のお父さんがいるんだ』なんて、自慢げに言ってたよ。可愛いよなあ。大輔、大丈夫だよ。あの子は、きっと、この先も幸せな人生を歩んでいける。安心してくれ」

 男は、拝石の上に置かれた、酸化した林檎みたいな色に成った『マクベス』の台本を手に取り、

「なあ、大輔、ちょっと、読み合わせの相手してくれないか」

 と言ったきり、風雪と同化した。


                                    了

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奈落にて咲き、散る 喜島 塔 @sadaharu1031

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