第三幕ー58『終幕』
三月十日。午前六時。成島署内。
「中島警部、中島警部! いらっしゃいますかあ?」
早朝の成島署内に、明らかに緊急事態を告げる緊張を孕んだ声が響き渡った。徹夜で凶悪事件の対応に追われていた中島は、取調室で仮眠をとっていた。
「おう! ここだ!」
取調室から返事をすると、北原綾芽の留置場の「担当さん」が、血相を変えて取調室に飛び込んで来た。
「た……大変です! 北原が! 北原が!」
嫌な予感が中島の脳裏をかすめた。事の重大さを察した中島は、担当さんとともに、北原綾芽が収容されている居室へ向かって全速力で走った。
「な……なかじまさ……あえて……よか……た」
居室の床の上で、よだれを垂れ流しながら、苦しそうにのたうちまわっている北原綾芽が、中島の姿を視認し、薄っすらと安堵の表情を浮かべた。中島は、北原綾芽の傍にしゃがみ、彼女が紡ぎ出す言葉に耳を傾けた。
「て……てがみ……かいた……パパと……ママに……わたして……ね……やくそ……く」
そう言い終え、北原綾芽は絶命した。
「青酸カリか?」
中島は、担当さんに向かって訊いた。
「申し訳ありませんっ! 身体検査の時は、体のどこにも隠し持っていなかったのですが」
やられたっ! と中島は思った。昨日の取調べの途中で、中島は、北原綾芽が吐き気を訴えので、署員を同行させトイレに行かせた。あの時、丁度、自首しに来た松永悠介も署内のどこかにいた筈だ。どこかで監視の目をかいくぐり、松永悠介が北原綾芽に薬物を渡したのだろう。まさか、心中?
「おいっ! 松永悠介は今どうしてる?」
中島が眉間に皺を寄せて、担当さんに訊ねた。刹那、内海警部の声が留置場内に響き渡った。
「中島さん! 中島さーん!」
内海が声を発する前に、中島は、
「松永が死んだのか?」
と、獣が唸るような声で訊ねた。
「はい。青酸カリによる服毒自殺です。六時十六分。心肺停止が確認されました」
内海が答えた。
「そうか……こっちもだ……」
中島の憂いを帯びた声が、虚しく、零れた。
中島警部が北原綾芽から託された手紙からは、過呼吸、痙攣などの症状に藻掻き苦しみながら必死に最期の言葉を伝えようとした、北原綾芽の呪いにも似た執念が伝わってきた。彼女の最期の手紙は、彼女の実の父である北原陸斗と、継母である北原紫に宛てたものだった。
『りくとパパ ゆかりママ
ありがとう ごめんなさい
あやめは ゆうすけといっしょに
じごくへおちます』
「私たちはね、『運命共同体』だったのよ」
北原綾芽の、凛とした鈴の音のような声が、中島刑事の脳裏を過った。
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