第8話 瑠璃の日常

 元の世界に戻り公園から移動する。

 服が汚れており、ズボンが少し破れているのもあってすれ違った人からは何事かと見られる。


 しかし瑠璃には目立った怪我がなく、表情も普通だからか干渉してくることもない。


 足がまだ少しだけ痛むので、ちょっと苦労して家に辿り着いた。

 もしみーこがあの泉を教えてくれなかったら大変なことになっていただろう。


 電気が付いている。

 父親がこの時間にいるとは思えないので、母親が帰宅しているようだ。


 鍵を開けて中に入る。

 玄関で脱いだ靴を揃えて中に入ると、母親がちょうど出かけようとしていた。


「ただいま」

「ああ、おかえり。遅かったのね」

「う、うん。ちょっと遊んでて」


 服の汚れやズボンの痛みが見えないように身を捩る。

 しかし、母親はそもそも瑠璃の方を見ていなかった。

 右腕にした時計を確認し、玄関に移動した。


「明日の分のお金は置いておいたから。明日も学校なんだから早く寝なさい」

「あの、お母さん」

「もう行かなくちゃ。じゃあね」

「あ、行ってらっしゃい」


 口を挟む間もなく母親は仕事に出ようとする。

 それを見送ろうと右手を上げると、ズボンのポケットから金のコインがずり落ちた。


 慌てて拾おうとしたが、コインは母親の方へと転がっていく。

 瑠璃は血の気が引いた。


 どこで拾ってきたのか聞かれるに違いないと。

 母親は金のコインを拾い、訝しげに見る。


「なにこれ。金めっきかなにか?」

「金めっき?」


 金という言葉は知っているが、めっきが何か分からない。


「何処で拾ったの?」

「こ、公園に落ちてた」

「そう。子供がこんなもの持ってたら何かと思われるわ。私が預かっておくから」

「……うん」


 みーこと集めているコインが持っていかれるのは嫌だったが、反論を許すような雰囲気ではない。

 幸い興味はコインそのものにあるようで、何も言わずに受け入れればそれ以上は追及されそうになかった。


「また落ちてたらいうのよ。落とし物なら警察に届けなくちゃいけないし」

「分かった」


 そう言って母親は仕事に出ていった。

 直前に香水を振りかけたのだろう。

 部屋にその匂いが漂っている。

 瑠璃にとってその匂いは苦痛だったので、せき込んでしまう。


 急いで窓を開けて空気を入れ替えた。

 匂いが残っていると、帰宅した父親が苛立って暴れて部屋が荒れてしまうのもある。


 冷蔵庫を開けて牛乳のパックを取り出す。

 この牛乳だけは必ず切らさないように買い置きしてくれている。

 それに冷蔵庫から好きに使っていいと許可されているのは、保温してある御飯にこれと卵だけだ。

 後は水道水。


 と言っても牛乳を飲みすぎると体調を崩すので、コップ一杯分注いで飲み干す。


 冷蔵庫は他にはお酒とおつまみ、後は調味料がいくつか。

 卵があるので、明日の朝はこれを焼いておかずにすればいいだろう。


 もうしばらく母親の手料理を食べていない気がする。

 この生活にも慣れてしまった。


 服を脱いで洗濯用のかごに突っ込み、湯船にお湯を半身浴できる程度に溜めて浸かる。

 湯舟に浸かるのは二日に一度。シャワーだけの日と交代だ。


 傷が染みるのではと思ったが、今はもう痛みも完全に引いている。

 髪を洗って、お風呂を終える。そして湯船の水で洗濯機を回す。


 洗濯機の音を聞きながら歯磨きを済ませた。


 洗濯物を干し、明日の授業の用意をして瑠璃は眠った。


 次の日の朝、目覚ましの音で起床する。

 誰も起こしてくれる人は居ないので、目覚ましで起きれないと遅刻が確定する。

 そして遅刻すると母親に連絡が行ってしまい、恥をかかせるなと怒られるのだ。


 目覚ましの音を止めて、眠い目をこすりながら部屋から出る。

 冷蔵庫から牛乳と卵を取り出し、フライパンに少しの油をたらす。


 コンロの位置が高いので小さな台にのぼり、フライパンを火にかける。

 卵を割って中身をフライパンに入れると、珍しいことに黄身が二つ入っていた。


「あっ、珍しい」


 思わず瑠璃は笑顔になった。

 目玉焼きを作る間、炊飯器で保温している御飯を茶碗によそう。


 丸一日経っているので炊き立てに比べるとぼそぼそしているが、半熟に焼いた目玉焼きを混ぜることで誤魔化す。

 食べ終わるとコップに注いだ牛乳を飲み干す。


 使った食器を全て洗って乾燥用の台に入れた。


 学校に行くために着替えて、戸締りとガスの元栓を確認する。

 問題がなかったのでそのまま登校した。


 地域ボランティアの人が生徒たちの登校を見回っている。

 挨拶を返しながら通学路を歩く。


 両親は地域の人とあまり交流しないので誰が誰かは分からない。

 何回か見たことがあるおじさんおばさんという認識だった。


 学校に到着する。

 今日は日直だったので花瓶の水換えと黒板消しを綺麗にし、朝のHRを迎えた。


 担任の先生が神妙な顔をして入ってくる。


「えー、朝のニュースを見た人は知っているかもしれませんが、学校の付近で事件が起こりました。登下校は地域パトロールの方が見守ってくださいますが、しばらく下校以降は出歩かないように。警察も巡回を強化すると聞いてます」


 先生の話にクラスがざわめく。

 詳細は説明してくれなかった。恐らく言っても分からないと思ったのかもしれない。


 瑠璃はいささかショックを受けていた。

 見回りの人に見つからずに公園に行くのは今までは簡単だったが、どうやら今日からは難しそうだ。


(今日もみーこのところへ遊びに行きたかったんだけどな)


 どうか家から公園の間には人が居ませんように、と瑠璃は祈った。


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君は騎士の如く HATI @Hati_Blue

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