裏返った男

トダカ

裏返った男

「座間先輩、ホントに行くんスかぁ?」

 鈴本は心細そうな顔をした。これは本気で怖がってやがるな? いい気味だ。

 二人の新入部員たちも、一様に不安の表情を浮かべている。どっちも可愛めの一年女子だ。これはうまくやったかもしれない。

 俺は懐中電灯片手に歩きつつ、笑いをかみ殺す。

 笑いたいのを我慢して、深刻そうな顔をするってのは、なかなか難しいもんだ。


 大学のテニスサークル、避暑地で夏の合宿。いかにもいかがわしい、ヤリモク男女が集まるイベントに聞こえるが、うちのサークルはリーダーがくそ真面目で、本当にヘトヘトになるまでテニスの練習をしやがる。

 二日にわたる地味で汗臭い健全スポーツの日々。しかし明日は中休みの日だから、みんなどこに行こうかとウキウキしてる。夜に何かするなら今晩しかない。

 うまい具合に、後輩の鈴本が二人の一年女子を引っ掛けてくれた。男二人に女二人。夕飯のあとの自由時間は男女入り乱れての酒盛りにしようと思ったが、これが、どうもうまくいかない。

 それというのも、鈴本の奴は男の俺から見てもなかなかのイケメンなせいだ。女の子二人とも鈴本の顔ばっかりうかがって、俺には塩対応とくる。

 面白くない。面白くないぞ。

 このまま飲んでいても、流れは変えられない。どこかに出かけるか、ゲームでもやるかして、俺に注目が集まるようにしなければ。

 そこで俺は計画を立てた。


「そこ、マジでやばいって話じゃないですか? たしか、行方不明になった先輩がいたじゃないですか?」

「あん? 噂だよ噂! 小川先輩のことなら、行方不明じゃなくて、ただの中退だから」


 渋る鈴本と、緊張した面持ちの女の子二人を引き連れて、俺は森の中の小道を進む。俺たちが向かう先は、国道から外れた位置にある廃墟だ。

 白い、コンクリート造りのこじんまりとした住宅で、元はちょっとした小金持ちの別荘か何かだったんだろう。空き家になってずいぶん経つらしく、俺たちみたいな肝試しに行く奴らがこの周辺では多いこともあって、荒廃が激しい。

 行った奴らが、思いついた限りの怪奇現象をでっち上げて人に話したり、ネットに書き込んだりするもんだから、今ではちょっとしたホラースポットになっている。俺も去年の夏に一つ上の先輩に連れられて行ったことがあるけど、なんてことはない、ただの荒れ果てた家だった。来た奴が記念に書き込んだのか、あっちこっちに赤いペンキで人の名前が書いてあったっけ。暇な奴もいるもんだな。

 もちろん、今晩の俺たちは赤ペンキなんて持ってない。

 俺は女の子二人を、散々に怖がらせてやるつもりだ。


「木村先輩から聞いた話なんですけど」と、鈴本は食い下がる。「小川先輩って、あの廃墟に行ってからなんかおかしくなったって話じゃないですか。もともとは飲み会の幹事するくらい人望もあって明るい人だったのに、戻ってきてからはブツブツ独り言ばっかり言うようになって、去年の暮れには退部して、今年の始めには学校も辞めちゃって」

「小川先輩が辞めたのは、家庭の事情って話だぜ」

 と、あえて素っ気なく俺は受け答える。

 悪いな、鈴本。お前も女の子が怖がる姿を見たいのかもしれないけど、今晩はお前にそれをやらせるわけにはいかない。怖がらせるのは、俺の役目なんだ。

「辞めただけならいいんですよ。でも、サークルで仲が良かった木村先輩が、小川さんの実家に電話を入れてみたら、親御さんたちは小川さんが学校辞めたことも何にも知らなくて、アパートも家具が置きっぱなしで、どこ行ったかわからないって」

 女の子たちの顔色がみるみる青ざめた。おいおい、本番はまだ始まってないぞ。

 行くのやめましょう。一人がか細い声でつぶやいた。もう一人も賛同する。鈴本め、やり過ぎだ。ここで帰られたらどうする。


 タイミングがいいのか悪いのか、生暖かい風が吹いてきて、木の枝がガサガサと不吉な音をたてた。女の子二人が、いや鈴本まで一緒になって、みっともない悲鳴を上げた。なんだコイツ。

「あのなぁ、先輩たちは後輩を怖がらせようとして、話を盛るんだよ」

 あえて、俺は明るい声で、怪談には興ざめともいえる話をぶちまける。

「怪談話ってのは、サークルで先輩から後輩に伝わっていくんだ。いわくつきの心霊スポットに向かった先輩が、失踪したとか発狂したなんて話は、何度も聞いたことあるぞ。サークル辞めたり大学辞めたりする人は、一期につき一人はいるもんだ。その理由をもっともらしく心霊話にからめるってのは、よくあることさ。鈴本、お前は木村に担がれたんだよ」

 鈴本は何も言わなかった。小川先輩の件は、コイツが自分で調べたわけじゃなく、全部木村からの受け売りだろう。ホントかどうかはわからないはずだ。

 もちろん知らないのは俺もそうだが、そもそもこんな話、信じる方がどうかしているだろう?

 怖がらせるのは建物に入ってからだ。ホラースポットに足を踏み入れて、女の子が独りじゃ夜道を戻れないって状況にしておかないとな。


 やがて、懐中電灯の照らす先に、問題の白い家が見えてきた。玄関のドアはとっくに壊れて、暗闇が虚ろに口を開けている。こういう時に、先客のカップルがいたりすると困っちゃうんだが、人の気配はない。これはありがたい。

「さぁ入ろう入ろう。うちのサークルに入ったなら、一度はここに来ないとな」

 俺は振り返って、後ろの三人をうながした。俺は、この場所にまつわる話を頭の中で反芻した。怪現象っていっても、みんなサークルのOBたちがでっち上げたものばかりだ。何も危険はない。


「あの、やっぱり嫌な感じですよ。この場所。やめた方がよくないですか?」

 ここまで来たっていうのに、鈴本はまだ煮え切らないことを言ってやがる。こいつはひょっとして心霊話とか大の苦手だったのか? 冷や汗をかいてるぞ。女の子たちも、お互いに目配せして、入るかどうか迷ってる。こういうのはうだうだ悩んでもしょうがないだろうが。

「なーにビビッてんだよ。どうせ幽霊なんていねえよ。ちゃっちゃっと回れば五分で終わりさ。一度は見ておこうぜ。ほら、キミたちも、一緒に」

 女の子たちに猫なで声を出しながら、俺はドアをくぐる。懐中電灯の光が、荒れ果てた家の廊下を、丸く切り取って映し出した。

 外から、鈴本と女の子が小声で何かを話す声がしばらく聞こえていたが、やがて意を決したのだろうか、三人の足音が入口から入ってくるのが聞こえた。

 よし。どうなることかと思ったけど、ちゃんと怪談を進めることができそうだ。


「聞いた話じゃあ、この家の持ち主は絵描きか何かだったらしいぞ。詳しい身元とか、今はどこに暮らしてるのか、何にもわからないけどな」

 俺は後ろに向かって声をかける。まずは、この場所の因縁話だ。もちろん、裏をとったような話じゃない。それっぽい作り話に過ぎない。

「俺たちみたいな悪ガキが、家の中にあるものを持ち去ったり壊したりするもんだから、今じゃあ痕跡もないけど、昔は絵描きのイーゼルとか油壷とか絵皿が山ほどあったらしい。描きかけの絵もな。その絵ってのが、この家が心霊スポットになった原因らしいんだ」

 廊下を進むと、二階に上がる階段がある。木製の手すりは残っているが、壁も床もコンクリートがむき出しになってる部分が多い。鉄筋が露出しているところもポツポツあって、そこから染み出した錆びが、白い壁に赤い筋を付けていた。

 よく見ると、階段の手前の壁に、赤いペンキで誰かの名前が書いてあった。

 この文字は「川越」か。誰のことだろうな。

 三人は、無言のまま後ろを歩いている。雰囲気に呑まれたんだろうか、みんな黙りこくっていた。

 さて、この建物のメインイベントは二階だ。一階には壊れたキッチンとか浴室があるけど、何も面白みがない。

 ゆっくりと時間をかけて階段を上り、二階の一番奥の部屋に入る。そこで怪談話のクライマックスを持ってきて、女の子を驚かせてやるのだ。

 俺は階段を一つ一つ踏みしめるように上り、話をつづけた。


「その絵に描いてあったのは『裏返った男』なんだって。ここに住んでいた絵描きが、どうしてそんな不気味な絵を描いたのかは知らねえんだが、後ろ向きで立っていて、手足の関節は逆向きになってる、変な人物画だったんだ。他の絵は、普通の静物画とか風景画だったのにな。二階の一番奥の部屋に、イーゼルが置いてあって、そこにかかってたんだと。で、それは、ここに肝試しに来た悪ガキが、気味悪がって破って燃やしたらしいんだが、それ以来、ここの近くには、絵にそっくりな裏返った男が出没するって噂が流れるようになったんだ」


 階段が尽きて、二階の床を踏んだ。全部作り話とわかっていても、思わず息をのむような、不気味な光景が映し出された。むき出しのコンクリートの上に、赤いペンキで人の名前が書かれている。それも数えきれないほど、すき間もないほど。


「どうよ。コレ?」

 俺は半笑いを浮かべて、階段の途中にいる三人に言った。

「気色悪いだろ? ここに来た奴らが記念に書いていくらしいんだ。誰が始めたかは知らないけど、悪趣味と悪乗りが広まったんだな」

 懐中電灯を振って、壁を舐める。壁に書かれた赤い文字が、限りなく現れては消えていく。

「絵があった部屋は、この先だ。行くぞ」

 廊下を進んでいくと、やがて、かつてはドアがあったであろう部屋の入口が見えた。

「もう跡形もないけどな。この部屋にはイーゼルが――」

 明かりで床を照らし、部屋の内側を晒した。

 部屋の中央には、古ぼけた木製のイーゼルがあった。

「なんだこりゃ?」俺は不意を突かれて声を出す。「前に先輩たちと一緒に来たときは、こんなもんなかったぞ」

 イーゼルには、キャンパスがかかっている。嫌な予感がしたが、俺はそれに懐中電灯の光を当てた。

 そこには、あの「裏返った男」が描かれていた。

 先輩に聞いたことがある。後頭部をこっちに向けて立つ男。ただし、手足は逆向きの男。その絵が、ここにある。

「変だな。破られて燃やされたんじゃなかったのか?」


 嫌な汗が全身から噴き出してくる。部屋の中を見渡した。これは誰のイタズラだ? サークルの誰かが、俺たちの先回りをして、イーゼルと絵を置いたのか?

 だが、誰もいない。廊下と同様に、白い壁と赤い文字が目に入るだけだ。明かりが、一つの名前をとらえた。

「鈴本?」

 鈴本。赤い文字の一つに、確かにそう書いてあるのが見える。まだ新しい。ペンキが赤く光って滴っている。

 なんだ、犯人は鈴本か。安心すると同時に怒りがこみ上がって来て、俺は大声を出してしまう。

「おい、鈴本。お前、ここに先回りしやがったな? ここに名前を書いただろ? ふざけやがって」

 後ろに声をかけた。人の気配はするが、誰もしゃべらない。俺の靴が床に落ちていた砂を踏み、ジャリっと音を立てた。

「おい、なんとかいえよ」

 部屋の出口に向かって歩き、ふと、壁を見る。そこには見慣れた文字があった。

「座間」そして「小川」

 俺と、行方知れずの先輩の名前じゃないか。悪趣味にも程度ってもんがあるぞ。

「おい! 鈴本!」

 大股に歩いて部屋を出る。これは一発くらい殴ってやらないと気が済まない。

 廊下にいた三人のうち一人が、懐中電灯の明かりの中に姿を現した。

 もちろんそれは鈴本――?

 なんだ? なんでコイツは後ろ向きに歩いてるんだ?

 服はボロボロで、露出した肌も皮膚が剥げかかっている。

 身長が違う。これは鈴本じゃない。シルエットも変だ。

 ひょろひょろと細い手足を引きずるように歩いている。それはまるで――手足が逆向きのような――

 背丈と服装から、俺はその人物の正体に気が付いた。

「お……小川先輩?」


 鈴本と、二人の女の子は、重い足取りで帰路についていた。

「やっぱ、ついていけねえわ。あの人」

 あの人とは、もちろん座間のことだ。

 彼は後輩たちの抗議の言葉も聞かずに、一人でずかずかと、白い家に入っていった。しかし、どうしても気が進まなかった三人は、先輩を置いて引き返すことにしたのだった。

 あとで殴られるかもしれない。鈴本はそんな予感がしたが、それを差し引いても、あの不気味な家に足を踏み入れるのは嫌だった。

 三人は、それぞれ手持ちのスマホでライトアプリを起動して、足元を照らしていた。懐中電灯に比べれば心もとない光だが、それでも、ないよりはマシだ。


「ねぇ、帰ったら、飲みなおそうぜ」

 鈴本は女の子たちにそう言った。二人とも、承諾の返事をする。少し声が明るいのは、もう怖い思いをしなくてもいいと知ったからだろう。

「合宿所の台所に行けば、なにか酒の肴もあるはずさ。それをつまみながら、先輩が戻ってくるのを待とうよ」

 女の子の一人が、不意に後ろを振り返った。そして、ひっ、と短い悲鳴を上げた。

 鈴本がその視線の先を見ると、暗がりの中をこっちに歩いてくる人影が見えた。あれは、座間先輩だ。

 悲鳴を上げた女の子は、逃げるように走り出した。もう一人も、わけが分からないという顔で、その後を追う。


「あっ、あの! 待って!」

 鈴本は声をかけたが、彼女らはわき目も降らずに去っていった。

「なんだよぉ。せっかくの女の子だったのに」

 遠ざかる二人の背中を見やって、彼はごちる。


 あの子たちは、座間先輩の顔がよほど怖かったんだろうか。この人ってモロに体育会系でガサツだし、しょうがないか。

 でも一応、白い家に置いていったことは謝っておかないと。


 鈴本は愛想笑いを浮かべて、座間に向き直った。

「先輩。女の子が行っちゃいましたけど、また飲みなおしましょうよ。今度は怪談とか無しで……」

 座間が近づいてくる。ぎこちなく、手足を引きずるように。

 懐中電灯を持っていない。無くしたのだろうか。明かり無しで、どうやってここまで戻れたのか。

 困惑が鈴本の表情を覆っていく。彼は言葉を選び、やっとのことでこう尋ねた。

「あの、座間先輩。なんで、後ろ歩きをしてるんですか?」







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