キズアト

森崎緩

キズアト

 絶対秘密にしてくれる?

 最近、シモン先生の夢をよく見るんだ。

 放課後の図書室で先生は背中を丸めて本を読んでる。駆動音がうるさい車椅子ホバーモビリティもブレーキを引かれれば静かで、おりこうに先生の身体を支えてた。

「先生」

 わたしが声を掛けると、先生は電子眼鏡サイバーグラスを直しながら振り向く。

「お入りなさい、クレアさん」

 電子眼鏡は夕映えに逆らって瑠璃色に光る。

「あなたに読ませたい本があったんです。さあ、こちらへ」

 シモン先生は車椅子を飛ばしてこちらに来ると、わたしに手を差し伸べる。

 先生の指や掌は古い傷だらけで全然治そうとしない。脚だって今なら義肢サイバネティックスでも移植機器インプラントでも手に入るのに、病院に行く気はないようだ。

 だから綺麗ではないけど、わたしはその手がそれほど嫌じゃない。差し伸べられた手を握ろうとして――いつもそこで目が覚める。


 もちろん、これは夢の話。

 わたしは先生の手に触ったことないし、触りたいと思ってるわけじゃない。ほんとだって。なんでこんな夢見るか不思議なんだけど、親には言えないでしょ?

 絶対に秘密だから、誰にも言わないで。


 ――わたしは友情を過信していた。

 絶対に秘密って念を押したにもかかわらずメグは通報しチクった。

 わたしの夢の内容を、よりにもよって鬼の生徒指導に。


 それで今は絶交中だ。学校で会っても無視してる。

「そろそろ許してあげなさいよ」

 共通の友達のエマは毎日のようにわたしをたしなめてくる。

「メグはあなたが心配で相談したのよ。あなたがシモン先生のせいで退学になるって蒼くなってたんだから」

「心配だからチクるって意味がわからない。こっちは毎日死にかけてるのに?」

 わたしは彼女に抗議した。

「あら、やっぱ生徒指導のお説教って酷いのかしら。経験がないものでわからないのよ」

「一度食らってみればいいのに。ほんと死ぬ」

「お気の毒ねぇ、クレアさん」

 上品ぶって笑うエマが腹立たしい。

 生徒指導曰く、わたしの見た夢ははなはだしく劣情的で校内風紀を乱す恐れがあるそうだ。よって一週間居残りを命じられている。今日でまだ四日目だけどすでに限界だった。

 この国では昔と違い、夢にすら自由はない。

「メグがこちらを見ていてよ。かわいそうな子犬の目でね」

 エマが教室の隅を指差し、わたしもつられて振り返ってしまう。

 グループ作って机をくっつけ合う昼休み、メグだけ離れ小島でポツンとしている。完全孤立ぼっちも辛いだろうけどチクリ魔に同情なんぞしてやらない。

「あぁかわいそう。仲直りしてあげなさい」

 仲裁したがるエマがうっとうしいので、明日からはわたしが孤立ぼっちを選ぶつもりだ。


 放課後は生徒指導室に行かなきゃいけない。

 指導で死にかけてるってのは誇張でも何でもない事実で、全部終わると頭は痛いし吐き気はするし、気分はダウナーで最悪だ。今日は特に強めの指導を受けたみたいで、部屋を出た頃にはフラフラだった。

 それでもわたしは図書室に向かう。

 指導が始まってからは行けてなくて、そろそろシモン先生に会いたかった。


 図書室には退屈な本しかないから、いつ訪ねてもシモン先生しかいない。

 わたしも先生と会うまでは本なんて全然読まなかった。文字を追うのは目が疲れるし、どんな本も物語の結末は一つしかない。正しい行いをした人は評価され幸せになりました、友情は素敵で正義は守られ悪い奴は死にます、めでたしめでたし。

 学校指定の優良図書を受け付けなかったわたしに、シモン先生は別の本をすすめてくれた。最初に落とダウンロードしてくれたのはヴェルヌの"十五少年漂流記"。それだって学校では優良図書扱いだけど、少なくとも他の教師が読ませたがる物よりはずっと面白かった。

 初めての読書体験に興奮したわたしは、シモン先生にもっととせがんだ。先生も喜んで、読み切れないほどの蔵書を送信してくれた。先生のおすすめはどれも本当に愉快だったから、わたしも暇を見つけては読み、先生に感想を報告した。


 何十冊と読破した頃、わたしは図書室に通うのがすっかり日課となっていた。

 そしてある日、先生が紙媒体の本を隠し持っていることを知ってしまった。

 それは黄ばんで変色した見るからに薄汚い紙の塊で、表紙の文字は擦り切れて読めなくなっていた。でもシモン先生にとっては宝物らしく、傷痕だらけの手で抱えていた本を見つかった時、眼鏡を虹色に光らせて縋りついてきた。

「誰にも言わないでください」

 わたしは約束を守る代わりに、その本を触らせてもらった。

 みっともなくて汚くて擦り切れて古臭い紙の本。シモン先生の手に似てるって思った。

 その本はシェイクスピアの"ロミオとジュリエット"、我が国では発禁となった本だった。


 シモン先生の夢を見るようになったのはそれからのことだ。


「クレアさん!」

 指導の後で死にかけてるわたしを見るなり、シモン先生は車椅子で飛んできた。

「これは酷い――何をされたんです?」

「へーき、です」

 わたしはへらっと笑ったけど、図書室の床に座り込んでしまう。先生の姿を見て気が緩んだのかもしれない。膝に力が入らない。

 見下ろしてくる先生の眼鏡は鼠色に光っている。

「夢の話、うかがいました」

「やだ……」

 あのチクリ魔め。わたしはうめいたけど、シモン先生は落ち着いていた。

「僕のせいでしょう。あなたにあんな本を読ませたから、その影響が夢にも現れてしまったんです」

 先生は発禁図書をたくさん隠し持っていた。"嵐が丘"、"潮騒"、"風立ちぬ"、"はつ恋"、そして"ロミオとジュリエット"。

 同じ題材が描かれたそれらの本に、わたしは触れてしまった。


 かつてはこの国にも、気持ちを通わせた男女が共に子どもを作り、産み育てるという慣習システムがあった。

 でもわたしが生まれるずっと前に法律によって禁じられた。子どもを作るという行為には快感が伴う為、人を直情的に駆り立てて罪を犯す事例が多くあったらしい。

 そもそも特定の個人に入れ込んで尽くそうとする心理自体、我が国が掲げる平等の理念に反する。その証拠に結婚の組み合わせを厳正な抽選ランダムにして、工場ファクトリーで作った子どもを各家庭に配布するようになってから、この国の犯罪率は激減し治安も安定していた。

 わたしも先生の秘密の本を読むまでは、それが当たり前だと思っていた。


「わたしが勝手に夢を見ただけです。先生は悪くない」

「いいえ」

 シモン先生は強い口調でわたしを遮る。

「あれらの本が何故禁じられていたのか、あなたを見ていればわかります。近頃のあなたは瞳が美しく輝き、表情も明るく、頬はいつだって薔薇色でした。僕があなたを目覚めさせてしまったのです」

 その言葉はどうしてか、わたしを恥ずかしくさせた。

「人が生まれる仕組みは変われど、遺伝情報に刻まれた感情までを抹消することはできません。あなたは工場生まれですが、あなたの遠い先祖には自ら望んで子を成した者が必ずいたのです。その記憶を完全に断ち切ることは不可能なのかもしれません」

 不思議なことだ。禁じられているのにわたしは先生の夢を見た。生徒指導を四日も受けても、まだ先生に会いたくなってる。わたしの遺伝情報はいつの間にそんな感情を落とダウンロードしたんだろう。

「これっていけないことですか?」

 わたしは先生にたずねた。

「この国では禁じられていることです」

 シモン先生は静かにうなづく。

「僕はかつて軍にいました。そうした感情に目覚めた者を捕らえ、更生の為に収容する部隊に所属していました。あれらの本はその時に回収したものです」

 膝の上で落ち着きなく指を組み替えている。古傷にまみれた先生の手。

「傷痍軍人となりやむなく退役した後、僕はあの本を読むようになりました。そして自分がいかに酷いことをしたかを知りました。これほど素晴らしい文化を消し去ろうとするとは……」

 傷痕だらけの理由がようやくわかった。

 優しい先生が恐い兵隊さんだったなんて信じられないけど。

「先生がすすめてくださった本、とても面白かったです。紙の本はバラバラになりそうで読み難かったですけど、大切にしたいと思いました」

 わたしが正直に告げると、先生の唇が微笑んだ。

 同時に、電子眼鏡はふわんと暖かな薄紅色に変わる。

「ありがとう、クレアさん。しかしごめんなさい。僕のせいであなたに迷惑を掛けます」

「生徒指導も残り三日です。何とか乗り切りますよ」

「いいえ。残念ながら、これからもという意味です」

 シモン先生がわたしの手を取る。

 紙やすりのようにざらつく掌に撫でられると、背中にぞわっとした感覚が走る。思わず声を上げそうになった時、シモン先生が言った。

「あなたに会うのもこれが最後かもしれません」

 先生の声はかすれていた。

「ですから、貰って欲しいものがあります」

「最後なんて嫌です!」

「僕もそう思います。でも、残念ながらお別れです」

 シモン先生は未来を見てきたみたいに断言した。

 傷痕だらけの手が強請ねだるように伸びてきて、先生はわたしを抱え上げる。そして車椅子に座る自らの膝に乗せた。

「えーっ? 先生!?」

 ぎょっとして振り返ろうとしたら、強い腕の力で阻まれる。

「お願いです、今だけは僕の好きなようにさせてください。そしてどうかあなただけでも、」

 囁く言葉とともに、先生はわたしの制服のリボンをほどいた。

「            」




 翌日、シモン先生は学校から消えた。

 軍の兵士に連行されたところを見たという子がいた。


 そしてわたしは登校するなり校内通信で呼び出された。

生徒番号シリアルナンバー111004d、伊吹暮綾クレア、至急生徒指導室へ出頭せよ』

 命令口調の通信の先にいいことがあった例はない。教室を出ていくわたしを、同級生たちが呆然と見送る。

「クレア、クレア……ッ!」

 メグが泣きながらこっちに飛び出そうとした。エマが止めてくれたから、わたしはその泣き顔に小さく肯く。

 ごめん、メグ。ほんとにわたしを心配してくれてたんだね。

 仲直りしたかったけど、お別れだ。


 生徒指導室にはいつもオゾンの臭いが充満している。

 ここではありとあらゆる薬物がお説教の合間に使用される。生徒は椅子に固定され、然るべき投与を受けながら生徒指導のお説教を聞くわけだ。わたしも昨日までの四日間、劣情的な夢を見ない為の鎮静剤ダウナーを打たれ続けたけど、過剰投与オーバードースのせいでずっと死にそうだった。

 でも今日はもっと酷い処置をするらしい。ゴム手袋を填めた生徒指導が白衣の男たちと話している。

「遺伝情報の書き換えを……」

「早期の処置が必要と……」

 話し合いは決着し、生徒指導は椅子に縛られたわたしに近付く。

「伊吹暮綾。紫門シモンは捕らえたよ。アイツの家からは発禁図書がたんまり出てきた」

 やっぱり先生は――わたしの身体がぴくりと動いた。

「そしてお前は全てを忘れる。遺伝情報さえ書き換えれば、」

 生徒指導がわたしの制服のリボンをほどき、服を剥がす。

 工場生まれの子どもたちは背中に液晶制御板タッチパネルがある。普段は両親がわたしの学校での授業態度を調べたり、読んだ本を探ったり、交友関係を覗き見るのに使っている。わたしの身体には落とした本の情報も友達との通信も全て記録されているからだ。

 でも、シモン先生のことだけは。

「――これは!?」

 遺伝情報を覗いた生徒指導が声を上げる。

 その時にはもう、わたしは縛り付ける拘束具から関節を外して抜け出していた。

 目の前の生徒指導の足を払い、よろけたところに延髄蹴りを叩き込む。白衣の男たちが慌てて群がってくるのを宙返りでかわすと、一人が振りかざしていた電磁警棒ショックバトンを手刀で落とし奪い取る。得物さえあればこっちのもので、電磁警棒で薙ぎ払うだけで下手な戦争ゴッコのように男たちが倒れていく。

 決着がつくまでに一分と掛からなかった。

 わたしは肌蹴ていた制服を直し、床に倒れる男たちから目ぼしいものを漁った。見つかったのは回転式拳銃SAAぐらいのものだった。ショボ過ぎ。でもないよりマシだ。


 昨日の図書室で、シモン先生はわたしの遺伝情報を書き換えた。

 家族以外に液晶制御版を触られたのは初めてで、恥ずかしかったし途中で変な声も出た。だけど先生はわたしの為にたくさんの有益な情報を刻み込んでくれた。

 基本的な体術マーシャルアーツも軽重問わず火器アームズの扱いも、今では習ったように完璧だ。

 先生は言った。

「どうかあなただけでも、この悪夢からお逃げなさい」

 わたしはその約束を守るつもりはない。


 拳銃と体術で包囲網を突破し、どうにか学校から脱出した。

 今は茂みブッシュに潜んで周囲を窺っている。光学迷彩ステルスはいざという時の為に温存しときたいからだ。近くを巡回する兵士がドラム式機関銃トミーガンを携行してたから、奪い取れないかと画策しているところだった。相手は四人。奇襲さえ決まれば勝てる相手だ。

 今のわたしなら先生を助けることもできる。

 どこへ連れていかれたのか、無事かどうかもわからない。軍の連中は執念深くて容赦ないから、わたしのこともあらゆる手段を講じて捜し出し、捕まえようとするだろう。だけどもう一度、先生に会いたい。

 茂みで伏せるわたしの手にはいつの間にか擦り傷がたくさんできていた。シモン先生の手みたいになるのも時間の問題に違いない。

 わたしはこの手で先生を救い出す。

 そして傷痕だらけの手を掴めたら、先生にこう言うんだ。

「悪夢をいい夢に変えに来ました!」

 わたしはどんな夢よりも、シモン先生がいる夢を見たい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キズアト 森崎緩 @morisakiyuruka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説