後編



 ふと目が覚めると、見慣れない天井だった。

 なんだっけ。なにがあったんだっけ。


 すると、ひょいっとあたしの顔を覗き込んできたウルドさん。

 あたしを見るなり「あら、起きた?」とホッとしたように微笑んだ。


「……っ、?」

「ああ、声はまだ出しちゃダメだから魔法で制限掛けさせてもらってるわ。アンタ重傷だったんだからね。まだ横になっててちょうだい」


 言いながら、テキパキとあたしの診察を進めるウルドさん。

 ウルドさん、医師免許も持ってんの…?と疑問に思いながら身を任せながら、ここはどこだろうと視線を巡らせていれば見慣れない色が視界に入った。

 アクアブルーの髪を持つ誰かが、ソファに倒れ込んでいる。魔塔内にあんな髪色を持つ研究員いたっけ…?


 あたしの視線に気づいたのか、ウルドが「ああ」と…なんか、蔑んだ視線を向けた。


アンタの命の恩人?よ。まあ、今回の事態を引き起こした元凶でもあるけど」

「…?」

「とにかく、アンタは休むのが仕事!まだ辛いでしょう?寝てなさい。落ち着いたら説明してあげるわ」


 …気になるけど、まあウルドさんが言うとおり体がダルいのは事実。

 お言葉に甘えて寝ることにした。

 ライゼルド様の姿が見えなかったのには違和感を覚えたけど……ねむい…。




 それから、三日ほど懇々と眠り続けていたあたしは。

 起きて、声が出せるようになって聞かされた事実に、口をあんぐりと開けるしかなかった。



「だって、だってぇ~~~!!こうなると思っていなかったんだものぉ~~~!!」



 びゃああと子どもみたいに泣き叫ぶ、床に座り込んだアクアブルーの髪色を持った女性を取り囲むライゼルド様と魔塔主が腕を組んだり腰に手をあてて見下ろしている。

 まだトイレやシャワー以外は絶対安静と言われているあたしはベッドの住人。背中にクッションを入れて体を起こして座っている状態で、あんな大騒ぎを気にせずあたしを診る人に視線を向けた。


「……いいんですか、あれ」

「もちろん」


 にこり、と微笑んだこの人は、祭司長様。

 …創世神エレヴェド様に直接仕えている方だ。あたしと同じ二十代前半ぐらいだろうか。若い。


「自身の祭司官の暴走を止めるどころか、面白がって様子見していたんですから。普段は温厚で、寛大でいらっしゃるエレヴェド様も大層お怒りになられまして…」

「…あ、もしかしてこの前の世界各国同時に起こったやつって」

「エレヴェド様のお怒りの力が漏れてしまったようです」



 あたしが寝てる間のことだけど。

 二日前、世界各国で数時間だけ天変地異が起きた。


 砂漠地帯には大雪、万年雪で閉ざされるような寒冷地帯は猛暑、湖の水がほぼ干上がったり、海が大荒れになって津波として陸に押し寄せたり、そりゃもう大騒ぎだったらしい。津波については海洋の三女神の助力もあって問題なかったとか。

 その他神々の尽力と、数時間だけだったということもあって人的被害はほとんどなかったそうだけど…。



 こわっ。エレヴェド様、怒らせちゃダメじゃん。

 神様たちのエレヴェド様への崇拝にも近いあの言動は生みの親だからかな?と思ってたけど、ある意味畏怖も含まれてるんじゃないかな、あれ。



 ところで、なんで常日頃お忙しい祭司長様がここにいるかというと。

 エレヴェド様からの詫びの言葉をあたしに伝えるのと、あたしに治癒魔法をかけるために来てくださったとのこと。

 そのお言葉が、なんていうかめっちゃフレンドリーで「ごめん。まじごめん。体調大丈夫?うちの祭司長、光属性の上位治癒魔法使えるから使ってもろて。ほんとごめん」だった。祭司長様が苦笑いしながら、そのままの言葉伝えてきたからビックリしたわ。

 …ライゼルド様が以前「髪と目を誤魔化しゃ人間に紛れられるぐらいだぞ」って言ってたけど、本当にそうかもしれない。



「……で。俺の右目にかけたモン、外せるんだよなァ?」


 怒りを堪えた低い声が響いて、思わずそっちに視線を向けた。祭司長様もそっちを見た。

 組んだ腕に、トントンと苛立たしげに指を叩くライゼルド様。涙目だった彼女は、視線をウロウロとさせた後。


「…ごめん、無理☆ギャンッッ!!!」


 彼女がてへぺろ、と舌を出してウィンクした瞬間、ズガン!!とものすごい音がした。

 プスプスと焦げている彼女からして、ライゼルド様が至近距離から落雷を落としたんだろう。生きてるの、あの人…というか…ひと…?


 はあ、と盛大に魔塔主がため息を吐いて、ライゼルド様が地団駄を踏んだ。


「くっそ!!」

エレヴェド様父上はなんと?」

エレヴェド様親父でも無理だった。もしかしたら掛けた本神だったら解けるかも、とは言ってたが…」

「まあ、父上も万能ではないからね…今後も付き合っていくしかないだろう」

「う、うぅ…ごめんねぇ……」

「誰が許すか!!」

「本当に、お前は誰彼に世話を焼くのが好きだとは思っていたけど、ここまでだとお節介の域を超えているよネレイディア」


 ネレイディアって。水の神じゃん。六神の一柱!!どういうこと!?

 事態を飲み込めないあたしに、祭司長様は丁寧に教えてくれた。


「ヒースガルド大侵攻の折、雷神ライゼルド様は最前線に立つ故にエレヴェド様とネレイディア様に助力を請いました。エレヴェド様には、能力全般を一時的に上げる加護を、ネレイディア様には相手の能力を一時的に可視化する加護を。そのネレイディア様から加護を受けた折に、ネレイディア様は魅了の加護を授けたそうです。こっそり」

「こっそり」

「だってぇ~~!ライゼルドってばこんな美人なのに性格がこんなんだからみんなに怖がられてるのが可哀そうだなって!!ライゼルドめっちゃいい神なのに!!みんなもライゼルドを好きになればいいんだって思ってつけてあげたんだもん!!」


 あ。ライゼルド様の周りがバチバチしてる。ブチ切れそう。

 魔塔主が「どうどう」と落ち着かせようとしてるけど、大丈夫かな。



 ちなみになぜネレイディア様彼女がここにいるのかというと、あたしの治療のため。あの婆さんが水属性であたしの体中の水分を奪い去って、脱水で死亡させようとしたからその治療だ。

 本来は神の力を人に使うことはないんだけど、自分の祭司官を御せなかったというのが理由でエレヴェド様から厳命を受けてきた。

 あたしを襲ってきた婆さんは彼女の祭司官だった。勤続云十年のベテラン神官でもあり、周囲の評判は良いものばかり。そんな彼女が、水属性の高位魔法を使ってあたしを殺そうとした。


 そりゃもう、中央大神殿どころか各国の大神殿もひっくり返るほどの大騒ぎになったらしい。

 もともとあの婆さん、ネレイディア様の祭司官としては非常に優秀だけどライゼルド様が関わると暴走することが知られていて、代理祭司官を派遣することもあの婆さんの耳に入らないようにしていたはずなんだけど、どこから聞きつけたのか「私を派遣させろ」と騒いだとか。

 挙げ句、一部の者にしか知られていなかった本来派遣されてくるはずだった代理祭司官に自分がやったとわからないように危害を加え、それで大騒ぎになったうちにさも自分が代理祭司官かのように魔塔に訪問許可をもらい、来たっていう経緯だとのことで。


「…完全に巻き込まれですよね、あたし」

「…そうですね」


 祭司長様も苦笑いで答えるしかないほど、あたしは単に神様と大神殿の問題児の行動に巻き込まれて死にかけたという顛末。なんだそれ。





 それから、一ヶ月経って。

 すっかり回復したあたしは、魔塔主から階級を上げてもらい、見習いから中下級魔具士になった。魔塔の階級は上から特、上、上下、中、中下、下、見習いの七階級がある。見習いから二階級昇進、といったところだ。


 そして最近のあたしの装いには、ブレスレットの他にロケットペンダントが追加された。

 あのブレスレット型の魔導具に入ってたものだ。

 婆さんに襲われたとき、どうやっても解錠しなかった格納が解除されたらしい。らしいっていうのは覚えていないから。ただ、やけにブレスレットをつけていた手首が熱かったのだけは覚えてる。


 ロケット部分には小さなシトリンが散りばめられていて、中を開くと寄り添う男女の絵画があった。

 ……そう。あたしのお父さんとお母さん。あたしは生まれて初めて、両親の顔を見れた。



 生まれて初めて、という点では、もそう。



「いや~、俺にも人の娘ができるのか~。うんうん、二千五百余年、俺が産んだ神たちに恋愛のれの字もないから興味がないのかと思ったけど、あったんだなぁ~」


 あたしの体は緊張でガッチガチになってた。

 いやだって。



 目の前にエレヴェド様がいるんだよ!?本物の!!



 なんでこうなったかというと、発端はライゼルド様だ。

 あたしが療養中、珍しく三日ほど顔を見ないなと思ったらライゼルド様はエレヴェド様のところに行っていたそうだ。そこで、エレヴェド様に願ったらしい。


 神の座から降り、いとまを請いたい。と。


 後から聞いたあたしも「何がどうしてそうなった!?」って思わず叫んだんだけど、そうしたらライゼルド様、口を尖らせながらも顔を真っ赤にして「お前と一緒に死にたいから」とのたまった。

 たまたまお見舞いに来ていたウルドさんは呆れた様子で「あらヤダ、やっと?」と言ったので、ライゼルド様があたしに向けている感情を初めて知った。


『ターニャが誰かのために、懸命に開発している姿が好きなんだ。もちろん、俺と話してるときの表情も可愛いんだが』

『かわいい』

『俺は神の座を降りて、人として生きようと思ってる。どうやったって、俺はお前の寿命を延ばしてやることはできないし、親父も例外それはできない。だから俺が人になるのが一番だなと』

『…っ、でも、そうしたら雷神は』

『その点も問題ない。俺とターニャが後継者を育てればいいって。俺たちの血を引いてても、引いてなくても良い。後継者が成長して、引き継げたら俺は人になれる』


 だからあたしと一緒に生きて死ねるのだと、ライゼルド様はオッドアイのその瞳を嬉しそうに細めて笑った。

 ウルドさんは「ヤダ、宴会の準備しなきゃ」っていそいそと部屋を出ていくし。


 なんであたしの気持ちを聞かないまま進めたのだとか、なんであたしと一緒に生きてく前提なんだって色々あったけど。

 結局、あたしもなんだかんだでそういった意味でライゼルド様が好きだから、受け入れてしまった。だって死ぬ前、会いたいと思ったのはライゼルド様だったから。だってそうでしょう?

 なんだかんだ言って、ライゼルド様が一緒にいるのが当たり前になったし、傍にいないのは寂しいと、思うようになってしまったんだから。

 タイプなのはエレヴェド様みたいな顔だったのに。いつの間にかこんなキラキライケメンに惚れてしまったのだ、あたしは。


『……ライア』

『!』

『ライア、でいい』


 魔塔内は原則、入塔時につけた仮名でやりとりすることになっている。国のしがらみとかそういうのを避けるためだ。

 だから本名は知っていても、本人の許可がない限り呼ぶことは許されない。

 あたしの本名はライア・ノース。魔塔に入ってから教えるのは、ライゼルド様が初めてだ。


 告白の返事とは思えないあたしの返答に、ライゼルド様は破顔して、それは嬉しそうにあたしを抱きしめてきた。その一連の行動が本当にあたしが好きだと言っているようなもんだったから、嬉しくて心臓が破裂しそうになっただなんて、絶対言ってやんない。



 そして、あれよあれよという間にライゼルド様に中央大神殿に連れてこられ、驚愕する神官たちを他所に大神殿を統括する中央神殿長様から直接、あたしがライゼルド様の祭司官として任命されて戒律を守ると真名に誓って。

 祭司長、ライゼルド様とともに、中央大神殿のどこかにある、大図書館に足を踏み入れてエレヴェド様にお会いすることになったのだ。


 ここまでの回想をしていると「オリアナ」と声がかかった。

 オリアナはあたしの真名だ。呼ばれて、そちらに視線を向ける。

 エレヴェド様がにこりと微笑んでいた。


「ライゼルトをよろしくね。あ、もし後継者ができたら一緒に連れておいで」


 祭司長様を見て、彼が頷いたのであたしもエレヴェド様を見て頷いた。

 エレヴェド様への直答は許されていない。でも、このぐらいならいいらしい。




 大図書館を後にして、神殿内を歩く。

 あたしはライゼルド様の祭司官ということになった。神官以外の祭司官は史上初らしい。いや、そもそも神様と結婚することになる人というのも史上初だとか。

 ライゼルド様の傍にいるのであれば、祭司官が一番神官たちを納得させやすいというのと、エレヴェド様に謁見できるのが祭司長様以外ではこの立場しかないから。


「…祭司官って、何すればいいの?」

「別に何も」

「え?」

「ライアはいつも通り、好きに研究しててくれ。俺も今まで通り、座を退くまでは神としての役目を果たすだけだしな」

「……やってていいの?研究」

「神官共は喧しいだろうがな。んなの、夫である俺が許してる上、魔塔を管轄するフォンセルドがお前を手放すわけねェよ。まあ、ちょっと手伝ってもらうことはあるだろうが、そんな高頻度じゃねェ…はず」


 ふと、ライゼルド様がそわそわしているのに気づいた。

 手が少しだけ彷徨っている。もしかして、手を繋ぎたいのか?と思って手を伸ばしたら、繋がれた。その大きい手にちょっとドキドキしながら、一緒に歩く。


「…そういえば、ライゼルド様ってお父さんとお母さんのこと知ってるんだよね?」

「そりゃ、まあ。フルミナーレ…ライアの母親が祭司官を辞めたあと、結婚報告もしてくれたからお前の両親は知ってるっちゃ知ってる」

「教えてくれない?ふたりのこと」


 もし分かるなら知りたいと常々思っていた。

 お父さんのこと、お母さんのこと。


 ライゼルド様は少し考えてから「そうだな」と答えた。

 その表情は懐かしそうで、愛しそうで。



「フルミナーレは俺の娘のようなもんだ」



「…えっ、ということは孫みたいなあたしと結婚するんじゃ」

「ような、だ!言っとくが好きだの愛してるだので欲情できんのはライアだけだ!!」


 しん、と周囲が静かになった。

 それで我に返る。ここ、普通に人が行き交う神殿内の通路…!!


 オホンと誰かの咳払いにふたりして体がびくりと震える。

 恐る恐るそちらを見れば、顔を引きつらせた中央神殿長様がそこにいた。



「仲が宜しいのは大変良いことですが、場を弁えていただけませんか。ライゼルド様、雷の祭司官様」

「はい…」

「…悪かった」



 中央大神殿には、世界各国にある大神殿から神官がやってくる。

 雷神ライゼルドとその伴侶である祭司官の仲は大変睦まじいと全世界に拡散されるだなんて、そのときのあたしたちには知る由もないことだった。


 好みじゃなかったはずのイケメンな神様と結婚するなんて、人生何が起こるか分からないね…ほんと。


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