ライゼルド視点

前編


 数十年も前の話だ。



 俺は頭に思いっきりゲンコツ食らった。

 でも殴られた理由は分かってるから、正座したまま項垂れる。


「ライゼルド」

「……はい」

「お前が祭司官の選定に苦労していることは知っている。だが、だからと言ってまだ真名授与の儀が終わっていない子どもを祭司官候補として連れてくるなど言語道断だ」

「……はい」

「だが、あの子の境遇を考えると、お前の行動はあの子にとって救われた行動なんだよなぁ…」


 深い、深いため息にエレヴェド様親父が困っているのが分かる。

 親父が言っていることは分かる。神の一柱である俺が、あの子に肩入れしているように見えるだろうから。

 そうなれば、周囲からあの子がどう扱われるか。


 神一柱につき、ひとりの祭司官が選定される。

 親父は創世神なため、祭司長と呼ばれる者が就く習わしだ。親父は原則、祭司長と訪問してきた神の祭司官以外会わないようにしている。

 …まあ、来たとしても祭司官と言葉を交わすことはしねェんだけどよ。


 そして祭司官となる人というのは、欲というものがある。


「ごめんなライゼルド…まさか俺だってお前がそんなイケメンで生まれてくるとは思ってもみなかったんだよ!まさか男女問わず魅了するだなんて!!歩く魅了じゃん!!」

「ぶっ飛ばすぞ親父!!」

「そして口悪いんだもんなぁ!ギャップ萌えするだろそりゃ!!」


 そう。俺は顔がいい。

 男女問わずキャーキャー言われるほどの、親父の言葉でいうなれば自他共に認めるイケメンだ。

 他の神々や親父ですらこんな相貌じゃねェ。俺はこんな顔より親父のような、人を安心させる相貌が良かった。無い物ねだりだって分かってる。

 つまり、俺の祭司官を希望する奴らは見た目麗しい神に仕えることに酔う。


 別に、祭司官になっても年を食わねェとかそういうのはなく、普通に年老いて死ぬ。俺ら神は不老だから、人を祭司官にすることで退屈を紛らわせてるようなもんだ。

 例外は親父に仕える祭司長だけで、親父が管理している大図書館を整理・補佐するためだけでも膨大な年数がかかるから、祭司長だけは竜人すら年老いていくスピードでも若さや寿命を保てるようになっている。

 ……竜人は他の三種族より長い寿命をもつから、最初こそ竜人が祭司長やってた頃もあるんだが、大体竜人はだだっ広い大図書館を整理していくのは性に合わねェようで。自然と、竜人の推挙は減って今では祭司長は人族か、精霊族のどちらかが担当することになっている。獣人族も性に合わねェらしい。


「仕方がない。ライゼルド」

「はい」

「お前があの子の後見になれ。そして、あの子が幸せに嫁ぐまで見守ってやりなさい。お前があの子の父親代わりだ。親から与える名前は…そうだな、祭司長に頼むか」

「…はい」



 俺は、ある子どもを拾った。

 ダンジョンの入り口に捨て置かれた子ども。

 ざんざんぶりの雨の中、ちょこんと座っていたガリガリの子ども。


 ……今から約百年ほど前から約五十年前まで、デカい戦争があった。

 小さな国が他国へ侵攻を開始して、どんどんと周辺国を併呑していった。

 その異様なスピードに神の関与が疑われたんだが、違った。あの国は効く魅了魔導具を開発していやがった。

 神も万能じゃねェ。いつの間にか魅了されて敵に回る神々も増え、人々は俺らに頼った。

 俺らも神が関与するならとその願いに応じたが、俺らは劣勢だった。

 魅了の加護を与えられる水神ネレイディア曰く「魅了で箍が外れたのかも」ということだから、奴らの能力にブーストがかかった状態なんだろう。普通、無意識で制御がかかる部分すら奴らは全開だったから。


 親父を説得してようやく力を借りることができて、終戦になったのは約五十年前。

 戦争による被害からの復興は進んでいたが、俺が拾った子どもがいた地域は山村ということもあり前々から貧しかったようだ。


 親父のいる図書館から出て、廊下を歩く。

 きゃあと黄色い悲鳴が上がったり、ぽーっと俺を見る視線にああ、苛つく。



 昔はこうじゃなかった。

 たしかに俺がカッコいいだとか素敵だとかは男女問わず昔から言われてたからその傾向はあったが、ヒースガルド大侵攻が終わってからは顕著にそういった輩が増えた。

 おかしい。けど、親父ですら原因がわからねェときた。

 更には親父よりも俺がとか言い出す輩が出たもんだから、俺がブチ切れた。祭司官なんざいらねェと。


 だが俺と人間を仲介するにはやはり祭司官という存在は必要だと祭司長から説得されて渋々と選定はするが、皆俺至上になる。

 違ェ。俺至上じゃなくて親父至上になれ馬鹿野郎。


 で、遅々として進まなかった選定だったが…。


 ドアをノックすれば返事があったので、開ける。シンプルに寝台と文机、鏡台だけがある部屋だ。十代後半の若い神官と拾ってきた子どもが寝台に座っていた。

 ぱ、と俺に向けられたその白く濁った目は、俺を映すことはない。


「おにいさん!…じゃなくて、ライゼルドさま」

「お話は終わられましたか」

「あァ。叱られた」

「まあ、そうでしょうね」

「名前は祭司長に決めてほしいってよ」

「私ですか…誰かに名を与える立場になるなど、終ぞないと思っておりましたが」


 若い神官は感慨深げにそう呟いた。


 …こいつは、八十九年前に祭司長についた男だ。若干十五歳で親から与えられた名を捨て、祭司長として生きていくことを決めた男。この世の理の中で、神を除いて唯一不老に近い男。

 いま、中央大神殿のトップである中央神殿長は今年で八十だったか。それよりも長く生きている。外見はさっき言った通り、十代後半の若造なのにな。


 普通、不老に近い存在になると周囲に置いていかれるというのは結構精神的に来るらしく、二十年前後で耐えられなくなって祭司長の座を辞していくんだが、こいつだけは例外中の例外だ。

 九十年近く経った今も、祭司長の座にいる。このままだと百年超えるんじゃね?

 

「さいしちょうさまが、わたしのあたらしい名前をつけてくださるのですか?」

「そのようです。このようなことは初めてですので、少し考えさせていただけますか?」

「はい!楽しみにしています!」

「ふふ、重大な任務ですね」


 …いつも澄ました表情の祭司長だが、子どもに向ける表情は柔らけェな。何度か話してはいるが、あんな表情初めて見た。


「連れてこられてすぐ、身を清めて事情を聞かれてと忙しかったでしょう。この部屋を自由に使っていただいて構いません、まずは休んでください」

「はい」

「ライゼルド様は少しお話があるので、ちょっとお付き合いいただけますか」

「おう」

「ライゼルドさま、もどってくる?」

「ああ、話が終わったら来る」

「わかった、まってるね」


 にへ、と笑った子どもの頭を撫でれば、子どもはますます嬉しそうに笑った。

 可愛い。守ってやりたい。


 子どもと別れて、祭司長の後をついていく。

 …そういや、祭司長は俺に対して盲目的な信仰は見せねェんだよな。まあ、そうじゃなきゃ祭司長なんざ務まらんか。


 神専用の貴賓室に案内される。

 俺ら神々としちゃどこでもいいんだが、神殿側はそうするわけには…ということでこの扱いだ。そこそこ値の張るだろう応接ソファは、どっかの国の寄贈だと聞いたことがある。

 ソファに腰掛ければ、祭司長も向かいに座った。


「お茶はいりますか?」

「いらん。さっさと本題に入ろうぜ」

「承知しました。あの子の扱いについてですが…、あなたの祭司官とするには、まだ幼すぎます」


 親父と同じことを言いやがった。

 自然と眉間に皺が寄るが、正論だ。反論の余地もない。


 本来、真名授与の儀はその子らが「神の子ではなくなった」という意味を表す。子どもが「十歳」に到達するまでは、神の庇護下にあると言っていい。

 寿命が長い竜人族は成長速度が遅いから、その他種族の年数で言えば二十年になるが、種族らにとっての「十歳」が節目だ。

 無論、庇護下と言っても病気や餓死、事故で瀕死の怪我を負った場合は死ぬときは死ぬ。

 それでも子が健やかに成長できるよう、十歳までは神の加護がほんの少し与えられて生きていく。


 拾ってきたあいつは「六歳」だと言った。

 まだ真名授与の儀に参加できない年だ。


「そこで提案なのですが。真名授与の儀までの四歳の間、彼女を一般的な神官見習いとして修行を積ませるのはいかがでしょうか?万が一、祭司官として勤めることが叶わなくなった場合も、神官の資格さえあればどこの国の神殿でも受け入れられるでしょう」

「…一般的な神官見習いとやらも、真名をもらった奴だけだろう」

「通常はそうです…が、神官への適正があり、かつ天涯孤独の身であれば授与前の幼い子どもも受けることができます。前例もいくつかありますよ。彼女にもきちんと適正があることは確認できましたので、例外事項は適用可能です」


 あの子に適正がなかった場合は、どうしたものかと思いましたが。

 そう苦笑いを浮かべた祭司長に、俺も苦笑いを返すしかなかった。

 後先考えず、拾ってきたのは俺だ。



 祭司長と別れ、子どもの部屋に向かう。

 ドアをノックすれば「はい!どちらさまですか?」と元気な声が聞こえた。


「ライゼルドだ」

「ライゼルドさま!どうぞ!」


 ドアを開けると、出ていったときと変わらず寝台に座ったままの子どもがいた。

 近寄って、隣に座る。俺が座ったことが音と振動で分かったんだろう、俺の方に顔を向けた。


「おはなしはおわった?」

「あァ。詳しいことは祭司長か、神官から言われると思うが…神官見習いとなって、十歳になるまで修行…あー、勉強することになる」

「十さい?」

「正確には真名授与の儀…エレヴェド様からお前だけの名を与えられる日まで、だな」

「…あの、でもわたし、目が見えないの。ちゃんと、おべんきょうできるかな…?」

「どうとでもなるっつったろ。…両手を出せ」


 差し出された両手をそっと握り、魔力を巡らせる。

 こいつを最初に抱えたとき気づいたんだが、俺と同じで水と風属性が混ざった状態の「雷」属性だ。普通、水と風は混ざらず別々に体内をぐるぐると巡ってる。

 雷は電気でできている。


 動体生物の体には微弱の電気の流れ ―― 電気信号、電流と呼ばれるものが流れている。

 その電流が脳に流れ、体のどこそこを動かすために更に脳が各神経に電流を流す。

 そして、電流や電気信号は反射する。


 目に魔力を溜め、周囲に微弱な電流や電気信号を発すれば…


 ぱちり、と子どもが目を瞬かせた。


「…?これ、」

「なにか見えるか?」

「…形?これ、なに?」


 伸びてくる手を、繋いだまま俺の頬に触れさせる。


「これが人の顔だ。たぶん、輪郭がぼんやりと見えてるだろ?」

「…すごい」

「俺が見えている世界とは全く異なるだろうがな。突き詰めれば相手がどんな表情を浮かべているかがで分かる。それまでは相手の表情も見えねェ。だが、ないよりはマシだろ」


 ふ、と魔力を巡らせるのをやめれば、子どもが戸惑った。

 見えなくなったからな。


「今は俺がやったが、今後はお前自身が魔力を目に集めてやるんだ」

「まりょく…いまの、あったかいの?」

「そうだ。一箇所に集めるのは難しいから、それこそ練習が必要だがな」

「…がんばる!」

「おう、がんばれ」


 意気込むその様子を微笑ましく思っているとズキ、と頭痛がして思わず呻いた。

 …しまった。魔力不足か。


「…ライゼルド様?どうしたの?」

「…いや、なんでもねェよ」

「なんでもなくないよ。なんか、いたそうにウッて聞こえたよ」


 心配そうに俺の手を触りながら「どこかいたいの?」と聞かれ、俺は思わず答えた。


「魔力不足で頭痛がしただけだ。寝りゃ治る」

「まりょくぶそく?」

「あァ…本当は、もっと魔力を使って色々できるんだがな。最近は魔力の減りが早すぎんだ」


 寝りゃ治るのは本当だ。

 だから安心させるように子どもの頭をぽんと撫ぜる。子どもは相変わらず不安そうな表情だが、問題ねェから重ねて「大丈夫だ」と答えた。



 ◇



 子どもには「フルミネーラ」という名が祭司長から与えられた。


 フルミネーラは、目が見えねェというハンデがありながらも一生懸命に神官になるために修行をした。あわせて、目に魔力を集める修行も。

 教えるにも「目が見えない」から教材を渡して説明を、というわけにもいかず神殿側も四苦八苦してるようだが、いい機会だと思われているらしい。


「神官で、事故等の後天性で視力を失ってしまう方もいらっしゃいました。彼らも日々の神官の仕事をどのようにこなすか試行錯誤していた記録があります。先天性後天性に限らず何かしら他人と違う部分がある子らでも、素質があるのであれば神官への道は閉ざすべきではありません」


 穏やかな顔つきでそう答える中央神殿長に、俺は「そうか」と安心した。

 

 中央神殿長はここ中央大神殿を統括する立場だ。

 他神殿には他神殿長がいて、それぞれ管理している。だからまあ、腐敗なんてものも稀にあるぐらいだ。他種族を受け入れなかったり、フルミネーラのような子を受け入れなかったり。


 だがここはそんなものは一切入り込めない領域。創世神である親父のお膝元だ。

 一度入り込もうとした輩がいたそうだが、親父が面白がって放置していたらいつの間にか神官共に袋叩きにされて放り出されたらしい。親父は「俺を慕ってくれるのは分かるけどまさかあそこまでとは…」と驚いてたが、俺はそれに驚いてた方に驚いたぞ。もう何言ってるか分からんだろうが。

 俺を含めた神々は、親父を畏怖の念を抱いている。だからこそ親父を貶す者共は許せない…が、親父から「二度は許してやれ」と言われているので、二度目までは許す。三度目は許さねェ。


 直近だと、海洋の女神の末っ子セレンディアが親父への侮辱を二度、聞き流して三度目で激怒した。国全体が嬉々として侮辱したとあって、そりゃもう、さもあらんといった状況。あいつもあいつで温厚な性格なはずだったんだがなァ…。

 あー、あとはどっかの国の大神殿が「中央大神殿など取るに足らぬ!我が神殿が最高峰だ!」とかのたまって、それを聞いたアスガルドが耐えに耐えて、最終的にその神殿がある地域に大地震を起こした。神殿?当然潰れたな。

 俺も最近何度稲妻を落としたか…って話が逸れてんな。



 中央神殿長曰く、フルミネーラはとても勉学に励む子だという。

 目が見えないなりに耳で一言も聞き漏らさぬという意気込みで集中し、知識を吸収していっている。子ども特有の頭の柔らかさもあるだろうな。

 週一ペースで俺が会いに行き、そのとき魔力の使い方を指導しているから目に魔力を集中できるようになって、自力で輪郭が見えるようになってきているようだ。ただまぁ、まだ一時間ぐらいしかできねェらしい。最近の目標は三時間維持できるようにすることだと。

 …神官見習いとして暮らし始めて、まだ三ヶ月だぞ?すでに一時間維持できるっつーのが驚きなんだが。


 あと、フルミネーラは俺に魔力を融通してくれるようになった。

 フルミネーラの魔力が俺と同じ系統ということもあり、魔力量を増やすためにある程度は魔力不足の状態にならねェといけねェということもあり、修行の一環で俺に魔力を融通している。

 おかげで最近は調子がいい。魔力不足で起こる頭痛の回数もだいぶ減った。



「あ、ライゼルド〜!」


 フルミネーラと会った帰り、呑気な声に足を止めて振り返る。

 アクアブルーの髪を靡かせてやってきたのは、六神のひとりであるネレイディア。俺があの戦で助力を願ったやつでもある。

 …そいつの後ろからしずしずとやってくる女祭司官が、俺は苦手だった。


「元気?」

「まァな」

「聞いたよ!ちっちゃい子連れてきたんだって?もうほかの大神殿でもすっごく噂になってるよ〜、とうとうライゼルドも祭司官つける気になったのかって!どんな子?」

「…そこら辺の奴らみたいに媚び売ってこねェからな。あと真面目で、努力家だ」

「へぇ〜」

「あいつなら今勉強中だ。会えねェぞ」

「え〜、残念」


 ―― ゾワゾワと背筋に悪寒が走る。

 そっと水の祭司官に視線を向ければ、ねちっこい視線をこっちに向けていた。


 この女祭司官、他の奴らと違って俺を崇めることはしねェ。

 水の祭司官としての立場だからかとも思ったが、なんかが違う。

 こいつの視線は、基本粘っこいんだ。まるで上から下まで舐め回すように見られているかのようで、できれば近くにきてほしくねェぐれェには、嫌悪感を抱く。

 だがかと言ってネレイディアや親父を蔑ろにするかといえばそうでもなく、ネレイディアをまず第一に考えて動いてるし、親父に対する敬意も感じ取れる。


 得体がしれん奴。それがこいつだった。


「…俺はこれから管轄に戻る」

「そう?私はエレヴェド様お父様に会いに行くとこなんだ〜。じゃ、またねライゼルド!」


 手を振るネレイディアに、頭を下げてにこりと微笑んだ祭司官。

 ……その笑みにぞわりと肌が粟立ったから見送らずさっさと踵を返した。

 武者震いとかそういうもんじゃねェ。本当、なんだアレ。





 それから、特に何事もなく。

 フルミネーラは十歳を迎え、真名授与の儀を無事迎えることができた。


 真名授与の儀は、覗き込んだ水鏡に映し出される文字を読み取るだけ。神官の立会いはあるが、神官もなんと書いてあるかは分からない。覗き込んだ本人しか分からないようになっている。

 文字を読めねェ奴でも、なんと書いてあるのかできるから、自分自身がどういう名を与えられたか分からねェなんてことはない。


 儀式を終えたフルミネーラは「とても良い名をいただきました」と嬉しそうに笑った。

 そのまま、中央大神殿で祭司長立会いのもと、フルミネーラは正式に俺の祭司官となった。フルミネーラは見習いから即祭司官となっても問題ないほどの努力を重ねたから、特に周囲の反発もなく。


 フルミネーラと共に、八年過ごした。

 世界各地を周り、必要な場所に加護を与え、時にはモンスター討伐に手を貸した。

 煩くなったと思った世界を落ち着いて見ることができるようになった。

 成長し、美しくなっていくフルミネーラに纏わりつく虫共は追い払う。不純な動機を持つ者どもなんざ、フルミネーラを幸せにできるはずがねェからな。


「ふふ、ライゼルドも娘を持ったかぁ」

「娘って…」

「家族だよ、家族。俺にとってライゼルドたちがそうであるように、ユウェンにとってライゼルドが家族なんだろう?だから真名もすぐに教えてもらったんだろうに」


 真名は家族以外には教えねェのが普通だ。

 親父は真名しか相手を呼ばない。親父が誰かの祭司官を呼ぶ場合は、祭司官が真名を明かしていねェ奴がいるときは神であろうがそいつが真名を聞き取れねェようにする。


 …俺が、フルミネーラの真名を聞き取れんのは、そういうことだ。


「ユウェンと子を成したいとか考えたことある?」

「は?んなわけねェだろ。つーか仮にそうだとしても産めるわけねェし」

「お前たちを生んだとき、俺はお前たちに恋愛感情を持ってはならない、子を設けてはならないなんて制限はかけていないんだ。出来そうになったらそのときバランスが崩れないように処置は色々考えようかなと思ってて、今までそんな機会はなかったんだけど」


 マジかよ。


「ここまで聞いて、改めてユウェンのことどう思う?」

「…どうって…あいつが幸せに婆さんになって、親父のとこに行けばいいと思うが」

「神の座を捨てて自分で幸せにしてやろうとかは?」

「俺が座を降りなくても問題ねェだろ。フルミネーラを幸せにしてやれる奴が現れなかったら、あいつが寂しくならねェように最期まで傍にいてやるだけだ」


 親父は「家族ってそんなもんだよ」と笑った。

 …親父は時々、よくわからねェことを言う。



 結局、俺が危惧していた「フルミネーラを幸せにしてやれる奴が現れない」なんてことはなく。

 イシュハンダという国にいた人族の神殿騎士の野郎に見初められ、俺には目もくれず猛烈なアタックをフルミネーラにし、フルミネーラはそいつと結婚することになった。

 ハロルドと名乗ったその騎士は「私の真名に誓って、フルミネーラ様を幸せにします!!」と俺に「ナイジェス」と真名を宣言して誓った。俺に陶酔することなく、フルミネーラを一途に想うその心とフルミネーラの幸せそうな表情を見て、俺は許した。


 ハロルドならきっと、フルミネーラを幸せにできると思ったから。


 祭司官は別に既婚でも独身でもどっちでもいいが、世界各国を周るため既婚者は務めにくかった。が、ハロルドが神殿騎士だったことも幸いし、祭司官の護衛騎士となってフルミネーラはしばらく俺の祭司官を続けていた。

 俺が思ったとおり、ふたりの仲は良く、喧嘩してもきちんと仲直りする。

 周囲からは俺も含めて家族のような関係だと評されて、居心地が良かったのを覚えてる。


 子が出来た、と報告を受けたとき、一旦フルミネーラの祭司官の任を解いた。

 妊婦を世界各国に連れ回すほど俺は悪どくねェぞ。


「落ち着いたらまた来い。どうせお前しか俺の祭司官は務まらねェだろうからな」

「ふふ、はい。子どもが生まれたらまっさきにお連れしますね!」

「生まれたばっかの赤ん坊抱えてくんじゃねェ。俺が行ってやるよ。…ああ、こいつ持ってけ」


 懐から、俺の加護を与えたロケットペンダントとブレスレットを渡した。

 ブレスレットの方は魔塔に引きこもってるフォンセルドに頼んで、収納型の魔導具をつけてもらったんだ。

 赤ん坊は何かと入用だって聞いたからな。

 ハロルドは恐縮しっぱなしだったが、ふたりとも受け取って身につけた。ハロルドはブレスレットを、フルミネーラはロケットペンダントを。


「ブレスレットにはどんな攻撃も一度だけ防ぐ魔法を。ロケットペンダントには俺を一度だけ喚べる魔法をかけてある。俺に会いたいと強く願って俺の名を言えば飛んでいってやる。生まれて落ち着いたら喚べよ。あ、なんか危ねェときもだぞ。使ったらまた掛け直してやるからな。俺に技量がありゃ、一度だけなんつー制約はつかねェんだが…悪ィな」

「とんでもないです!ありがとうございます!ライゼルド様!」

「絶対来てくださいね、!」





 それが、ふたりと顔を合わせて会話した最期だった。





 ライアという名の子が生まれたと神殿の祈りで報告があってから三年経っても呼ばれなかった。

 ここ二年は神殿に祈りにもこねェ。なにかあったのか。いや、なにかあったら呼べっつってあるし、忙しいだけか。


 そう思っていたある日。親父に呼び出されて、親父の大図書館に行った。

 神妙な表情を浮かべた親父は珍しく、祭司長も落ち込んでいるようだった。


 ―― 嫌な、予感がする。



「ライゼルド、お前に二冊の本を読む許可を与えよう。…あそこの机に置いてある。読み終えたら、声をかけなさい。俺と祭司長は奥の方で片付けているから」


 言うだけ言って奥の方へ引っ込んでいった親父たち。

 息苦しい。なんだこれ。こんなの、初めてだ。


 この大図書館にある本は、人の一生を記録したものだ。

 死んだ者たちは魂となって、自分の一生を書き上げてから輪廻に乗る。いつの間にかやってきて、いつの間にか置かれている本を管理するのが祭司長の役割で、親父はその本を合間に読む。その本を読めるのは原則親父だけ。


 ふらふらと、示された机へと向かった。机の上には二冊置かれていた。

 その本の題名には、その書き上げた者の名と死亡年が書かれている。

 それが遠くから目に入った瞬間、息が詰まった。


 駆け寄って、何度も何度も題名を見返す。

 けれどそれは変わることはねェ。当たり前だよな、もうすでに書き上げられた本なんだから。


 ハロルド・ナイジェス・ノース ー 587年

 フルミネーラ・ユウェル・ノース ー 587年


 相変わらず息苦しくて、震える手で『ハロルド』のページを捲った。

 最初は俺の知らない、話しか聞いたことのない幼い日々。成長して、神殿騎士として登用されて。フルミネーラに出会って、俺に認められて結婚して。


 子も、生まれて。



『ああ、早くライゼルド様をお呼びしたい!けれどまだこの頃の赤子は外界に弱く、フルミネーラも大変そうだ。人に会わせるなら三ヶ月ごろが良いだろうと産婆からアドバイスをもらったからその頃に来ていただこうとフルミネーラと決めた。可愛いこの子を早くライゼルド様に会わせたい。まずは報告だけしてこよう』

『近頃、何やら集落周辺がきな臭い。今までいなかった高ランクのモンスターたちがうろつき始めている。冒険者ギルド内でも討伐依頼が増えたが、対応できる者が少ない。何事もないと良いが…』

『ギルド長から「まだ赤ん坊がいるだろう、お前らはここよりも安全な場所に行け」とありがたい申し出をもらった。フルミネーラとライアを連れて神殿に行けばとりあえず大丈夫だろう』


『しくじった。神殿は目の前だったのに二体の高ランクモンスターに襲われた。一度はブレスレットのお陰で攻撃防げたものの、喉を切り裂かれて声が出なくなった。フルミネーラも背中からバッサリ爪で引き裂かれてしまったようだった。だがフルミネーラはライアを殺されまいと、ライアが泣かぬように眠りの魔法を掛けたようだから、モンスターたちはライアの存在に気づかなかったようで、去っていった』

『我々に気づいた神殿から人が慌ててやってくる。フルミネーラのペンダントを隠さなければ。あれは、俺のブレスレットよりもライゼルド様の魔力が濃い。神殿に取り上げられるかもしれない』

『ああ、私はもう駄目だろう。せめて、フルミネーラとライアが無事でありますように』


『申し訳ありませんライゼルド様。誓いを破ることになりました。どうか、ふたりの今後に加護を ―― 愛してる、フルミネーラ、ライア』



 よく見えねェ。苦しい。ボタボタとページに水が染みていく。

 目をこすりながら、まだ震える手で『フルミネーラ』のページを捲った。


 六歳までの生き様は初めて知った。家族に虐げられて、捨てられて。でも、俺に出会った。

 祭司官になるまで順調だと思っていたが、苦労もあったと初めて知った。虐めに近いこともあったようだ。なんだ、なんで言わねェ。言えば手助けしてやったのに。…いや、フルミネーラはそれを良しとしねェだろうな。

 記された文章の端々で、俺への感謝が綴られている。

 子が無事に生まれたことすら俺への感謝がある。ハッ、馬鹿だろう。俺は何もしちゃいねェ。


 …フルミネーラの死に際が記されているだろうページを捲ることができない。

 でも読まねェ選択肢は、ない。俺は知りたい。


 息苦しいまま、ページを捲った。



『ハロルドから「まっすぐ走れ!!」という悲鳴に近い言葉を聞いて、駆け出しながらそちらに振り返った。そこには二体、高魔力を持つモンスター。一瞬で悟った。助からないって。だから私はライアをモンスターたちに悟られぬように、眠らせた。その判断が良かったのでしょう、モンスターたちは瞬く間に私の首と背を深く切り裂き、ハロルドを攻撃した。ライゼルド様をお呼びできないぐらい、早かった』

『虫の息のハロルドが、這い寄ってきたのが音で分かる。私の頬を撫でて、それからペンダントに触れた。魔導具の発動音が聞こえたから、たぶんペンダントをブレスレットに格納したんだろう。あれは、普段から神殿の人たちに目をつけられていたものだから。きっと、私たちが死ねばペンダントは神殿の手に渡ってしまう。それを阻止したかったんだと思う』

『神殿からやってきた人たちと、ハロルドから引き離された。分かってる。ハロルドの魔力がわからなくなったから、彼は死んでしまったんだって。本当は私は生き抜かなきゃいけないのに、もう力が入らなかった』

『ライア。可愛い、可愛い私たちの子。ごめんね、ライゼルド様に会わせてあげられなくて。きっと、会えたらあの方も私たちみたいに可愛がってくれると思うわ。ごめんなさい、ライゼルド様。約束したのに、会わせてあげられなくてごめんなさい』


『おにいさん、どうか、この子を守ってあげて。愛してる。ハロルド、ライア』





 ふらふらと、立ち上がって奥へ向かう。

 読み終わったから、親父に会わなきゃいけねェ。


 苦しい。苦しい。

 こんな苦しいのは初めてだ。



 奥にいた親父に声をかけようとしても声がでない。すると親父が俺に気づいた。

 目を見開いて、それから俺に近づいてきて、そっと俺を抱きしめる。

 抱きしめられたのは生まれた頃しか覚えがない。


「声を上げなさいライゼルド。…辛いな、悲しいな」

「ぅ…ぁ、ああ゛ァあああ〜〜!!」



 そうか、俺、辛かったのか。悲しいのか。

 そう思ったらもう止まらなかった。

 どこからか落ちてきた水は俺の目から溢れた涙で、止めどなく落ちていく。



 もう、あの優しい時間はないのだと、気づいた。

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