中編
「やっぱり君、変なところで目ざといよね」
検査中、さっきのことを魔塔主に話したら褒めてるのか貶されてるのか分からない言葉をもらうと同時に、人ひとり入れる大きな魔道具がガコンと開いた。
中から出てきたのはライゼルド様だ。がしがしと頭をかきながら、欠伸をしている。
「お疲れ様」
「…色々覗かれた気分だ。気持ち悪ィ」
「まあ、あながちそれも外れではないね。この機械は倫理的に暴いてはならない場所も暴くから。で、結果なのだけれど」
大型魔道具のことを機械と呼ぶ魔塔主が、機械から出力された長い紙を眺める。
魔塔主の言葉でこの大型魔道具が世に出ず、利用にも申請許可が必要なのが分かった。大体これ、収容されてくる実験体に対してだけ使ってたらしいし。
魔塔主の手元にある紙にはなんて書いてあるのかあたしにはさっぱりだけど、魔塔主は分かるらしい。
「やっぱり、右目部分に魅了効果がある加護があるね。君と目が合うと、君をとても魅力的な人物だと思い込まされる。しかも、相手の魔力量に応じて自動調整する優れもの」
「ターニャの推測が当たってた上、嫌なオマケもついてきたな…」
「もはや魔眼だね。一番周囲への影響をなくすのに手っ取り早いのはその目をくり抜く「おい」…冗談だよ。その目を眼帯などで塞ぐことだね。たぶん、君と同じ根本属性である水と風属性を両方持つ人や僕らからの加護を持っている相手はレジストされるから効かない、あるいは効きづらいんだろう。この魔塔は、大小様々な魔力持ちがいるからねぇ。たぶん、研究員と顔を合わせる度に魔力を使ってたから回復しなかったんじゃない?」
「…親父の加護じゃねェな」
「だろうね。人の子らにはばっちり効くものを永続的に残してるあたり、度が過ぎた善意だ。いいよ。僕から父上に話を通しておこう」
……なんだろう。聞いちゃいけない会話を聞いてる気がする。
冷や汗をかくあたしに気づいた魔塔主が、にっこりと微笑んだ。思わず体が震えると、スッとライゼルド様の背中が視界いっぱいに広がった。
「フォンセルド」
「敏い子が好きなだけだよ、ライゼルド」
ちょっとまって。
今、ライゼルド様、魔塔主のこと「フォンセルド」って呼んだ?
数多いる神々のうち、エルヴェド様の側近と呼ばれる属性に応じた神々、通称六神がいる。
属性に応じて風、水、火、土、光、闇それぞれに神がいるんだけど「フォンセルド」はそのうちの闇の神様の名前だ。魔塔を構築した神で、初代魔塔主でもある。
だから魔塔所属の人間は、フォンセルド様の名前は誰でも知ってる…ご尊顔は知らないけど。
そっと、ライゼルド様の脇から顔を出す。するりとフードを下ろした魔塔主は、黒髪黒目の二十代ぐらいの男性だった。ご尊顔は…あ、エルヴェド様の神像みたいなあっさり目の顔だ。それでも綺麗な方だと思う。
にこり、と微笑んだ彼はひらひらと検査結果の紙を揺らした。
「たまーに、ね。魔塔主に相応しい子がいないときに、僕が
「どうせ一研究員としてまた引きこもるんだろ」
「だって研究は楽しいから。ねえ、ターミガン。研究って楽しいよね?」
「へ?あ、はい」
研究は楽しい。だから同意した。
まあ、下っ端研究員なんで、研究室を与えられてるにも関わらず何も出来ないけど…。
「…ターニャ?」
ちょっと困惑したライゼルド様の声に、ハッと気づく。
やだ、あたしライゼルド様の服掴んでた…!
ぱ、と手を離して両手を後ろに回して顔を逸らす。…恥ずかしい。顔が熱いから、絶対赤くなってる。
「んー、ターミガン」
「は、はい」
「こいつの魔眼を、最低レベルまで軽減させるメガネを開発してくれる?」
「メガネ、ですか」
「ただ布で隠しただけでも効果はあると思うけど、こいつの綺麗な顔が隠れるのはもったいないでしょ?」
「はい」
即答した。だって、ライゼルド様の顔はいい。
視界の端でライゼルド様が顔を赤くして照れてるのが見えて「あ、この神様も照れるんだ」と思った。…ちょっとその様子が可愛いな、と思ったのは置いておく。
「あの鑑識メガネにも似たような機能あるけど、野暮ったいんだよねぇ…。もうちょっと、普段遣いできるぐらいなものがいいな」
「…普段遣いといえば、世間一般に流通してるメガネもレンズも厚いしリムも太くて、特に女性には好まれませんでしたね」
ドレスには似合わないだろうな、と思うようなデザインばかりだ。
本当はメガネフレームも薄く、レンズも薄いタイプがいいんだろうけど、視力を補助する効果をもたせるとなるとそれなりの大きさの魔石と回路が必要だ。となると、視力を補助する力を強く持たせようとすると自然と回路を組み込むレンズが厚くなりやすく、それに応じてレンズを支えるリムも太くなる。
そのせいかメガネをかける女性が少なくて、目が悪い女性は目つきが悪くなりがちになる上、ぶつかったり躓いたりと大変らしい。
…任せてくれるんだろうか。
結構、重大な研究だと思うんだけど。あたし、まだ見習いだよ?
そんな不安が顔に出てたのか、魔塔主はポンポンとあたしの頭を撫でた。
「君は確かに見習いだけど、君以外に魔眼が効かない者がいないのは事実。僕が加護を与えればいいけど、やたらめったら加護をホイホイ研究員に与えるのは父上からも禁止されてるんだ。恐らくだけど、ライゼルドの右目を隠したとしてもすぐに魅了の効果は解けない。目を合わせた時間によるかもしれないし、回数によるかもしれない。君が一番、効果的に研究と開発ができるんだよ」
「…分かりました。がんばります!」
「しかし、魔眼かぁ…そっちの研究もした方がいいな。ライゼルド、悪いけどしばらく滞在してよ。人の子らやモンスターに、魅了の魔眼が出ないとも限らない」
「加護が何かしら変質する可能性もあるからな…いいぜ。ついでに魅了の効果を軽減する魔道具の検証もしたらどうだ?」
「あ、そういえばそれ試作品だけどある。いいの?」
「ついでだ、ついで」
「やった。実験体の何人かにつけさせて試すか…」
魔塔に在籍する以上、研究員も自ら実験体になることもあるけど、危険な実験は収監されている実験体を使うことが多い。
今、空きがある実験体も数体いるはずだから、すぐに実験が開始されるだろうな。
◇
早速、実験と試作品の作成が開始された。
実験体は阿鼻叫喚状態らしい。げんなりした様子のライゼルド様を見ると詳細は怖くて聞けない。
ライゼルド様は、右目部分に布を巻いて眼帯状にして、目を閉じているらしい。さすがに慣れなかったらしく、片目では距離感が掴めない様子だった。
魔塔主の部屋に行ってあたしの研究室に戻ってくる間にあまりにもゴンゴンぶつかるものだから、呆れた魔塔主の命令であたしが先導して歩く羽目に。そのせいで、魅了がまだ解けない人たちからの嫌な視線を受ける。
…手はさすがに繋いでないよ。段差があるところは手を出すぐらい。
「悪ィな」
「仕方ないからね」
「目が見えねェときは目に集中的に魔力を通せば、ぼんやりと物や人の形は見えるから…目潰しされたときはそうしてたんだがな」
憂鬱そうにため息をついたライゼルド様。
目潰し云々は聞き流すけど、目が見えない場合は見えないなりに、周囲を探る方法があるらしい。
教わってあたしも試しにやってみたけど、全然分かんなかった。ライゼルド様は「訓練すりゃ見えるようになる。実際、見えるようになったやつはいたしな」って笑ってた。
ただ、ライゼルド様は魔眼に魔力を持っていかれすぎてそこまで回せない、とのことだった。
普通、休めば回復する魔力がライゼルド様の場合三割まで減るのは魔眼の影響だったみたい。どうりで、八割回復させたはずなのに翌日には戻ってるわけだよ。
魔塔に落ちてきたのも、最寄りの神殿に戻るまで間に合うはずの魔力が保たなかったようだった。減る速度も、その日によって早かったり遅かったりしてたらしい。
たまたま魔塔が開いていたから人目があるところに落ちたけど、下手すると海の上に落ちてそのまま溺れていたかもしれない。
ライゼルド様は神様だから不老だけど、不死じゃない。
だから海に落ちたら溺れ死んでただろう。魔塔周辺の海流は強いから、その肉体も魔塔じゃないどこかへ運ばれて、海の藻屑になっていたかもしれない。
…えげつない。
どうして、ライゼルド様に加護を与えた神様は、こんなものを加護に加えたのだろう。
ライゼルド様は苦笑いする程度だけど、魔力不足に陥りやすくて顔を合わせれば誰もがライゼルド様に寄ってたかる状況はしんどいはずだ。あたしだったら無理。
そう、考えていたとき。
「ターニャ!」
「ひゃっ!」
ぐん、と腕を引っ張られた。
そのままの勢いでドンとぶつかる。結構痛い。
それと同時に何かがガシャンと割れる音と、焼けるような臭い?何、何が起こった!?
思わずぶつかったときに瞑った目を開けると、結構至近距離にあるライゼルド様が苦虫を噛み潰したような顔で上階を見ていた。
恐る恐る、前を見る。
あたしがこのまま歩いてたらいただろう位置に、ガラス瓶が投げ込まれてた。
石造りの廊下だから被害はないけど、傍にあった鉢植えの植物がじゅうじゅうと煙を上げながら溶けている。
あと、よく見たら跳ねた液体があたしのローブにもかかってたようで、覚えのない小さな穴が空いてる。
……は?え、これ、あたしが狙われた?
「…チッ、逃げたか」
「ライゼルド様」
「ターニャ、大丈夫か」
「う、うん」
嫌な汗がぶわっと出た。体が震える。
あれにぶつかってたらなんて、考えたくもない。
がっしりとした腕があたしの体に回って、安心させるように軽く叩いてくれた。
とくん、とくんと聞こえる心音に段々と落ち着いてくる。
そのとき。
「ちょっとぉ!!人の研究室前で何よ、うっさいんだけど!!」
バァン!とすぐ傍の研究室のドアが開いた。
口調に似合わず、声は低く体躯は大きい男性が現れる。スキンヘッドの頭がきらりと光った。
あたしとライゼルド様に視線を向けて怪訝そうな表情を浮かべて、それから廊下の様子に目を向けて…大きく目を見開き、絶叫。
「んぎゃーーー!!アタシの愛しいエーリンちゃんがァああ!!」
「…あ、え、と」
「え、ちょっとナニコレなんでアタシの研究室前にビトリオールまかれてんの!?」
「ご、ごめんなさ「ターニャ、謝るな」…で、でも」
エーリン草は、生育が非常に困難な貴重な薬草だって、門外漢のあたしでも知ってる。
そんな、そんな貴重な薬草が…あたしがここを通ったせいで。
目の前の研究室の主である、上級魔法薬師の中でもトップクラスのウルディエールさんがこちらに振り向いた。涙目になってる…けど、引っ込んで真顔になった。
「ちょっとターミガン、アンタに怒るつもりはないわよ。そんなビクビクしないでちょうだい」
「…で、でも、ウルディエールさん」
「でももへったくれもないわ。悪いのはビトリオールを投げつけてきたやつよ。とりあえず入って」
魔法でビトリオールを洗い流したウルディエールさんがもう原型を留めていない鉢植えを浮かせながら研究室に入っていくのを見て、ライゼルド様を見上げる。
ライゼルド様は微笑んで「行こう」とあたしの手を引いて、研究室に入っていった。
ウルディエールさんとは、彼が持っている魔道具の修理を請け負ったことがあってそのときやり取りしたぐらいで交流はない。
彼の研究は魔法薬学のエキスパートで、既存の魔法薬を飲みやすく、副作用が出にくく効能が発揮されるよう解消するのが主な内容。彼の研究のおかげで副作用に苦しみながら服用していた患者たちが苦しみが解放されたと喜んでいる。
そんな功績を叩き出している上級研究員と馴れ馴れしくすることなんてできない、というか主に魔法薬学の研究員面々に睨まれる。
彼の研究室は整理整頓され、綺麗だった。
応接用ソファも床も埃被ってないし、本が散らかっていない。他の研究員の研究室は結構汚いのに。…他の研究員のとこと比べるとあたしのとこは綺麗な方だけど、ここと比べると綺麗とは言い難いな。
「座っててちょうだい。お茶出すわ」
「あ、ありがとうございます」
研究室の主から許可をもらったので、応接用ソファに座る。
当然、ライゼルド様も隣に座っ……あ。手、握りっぱなしだった。
手を離そうとしたけど、ライゼルド様は離してくれない。なんで?
ライゼルド様を見上げたけれど、ライゼルド様は興味深そうに室内を見回しているだけだ。
ふわり、とティーカップが目の前のテーブルに置かれる。
思わずウルディエールさんに目をやれば、彼が繰り出す魔法で、ティーポットや茶葉がまるで踊っているかのようにくるくるとしながら準備が進められている。
その間、ウルディエールさん本人は原型を留めていない鉢植えを見てため息を吐いた。
「あぁ…愛しのエーリンちゃん…廊下の方が日差しがあるからって置いてたアタシが悪かったわ…」
「…ウルディエールさん」
「ま、過ぎたことを嘆いてもしょうがないわ。まだ幸いにも種はあるからやり直すわよ。ところでライゼルド様とターミガンはお砂糖やミルクは?」
「いらん」
「砂糖一個だけ」
「オッケー」
くい、とウルディエールさんがなにか指で合図すると、ティーカップに紅茶が注がれた。シュガーポットからころりと角砂糖が飛び出して、紅茶の中に静かに入るとティースプーンがクルクルと紅茶がかき混ぜられる。
すごい。無詠唱でここまでやるなんて。
向かいのソファにウルディエールさんも腰を下ろして、紅茶に口をつける。
ライゼルド様もようやく手を離してくれたから、アタシもティーカップを持って紅茶を飲んだ。茶葉とかよくわかんないけど、この紅茶は飲みやすくておいしい。
「ライゼルド様のその眼帯もどき。せっかくの美貌が台無しね」
「この下にある魔眼を防ぐにはどうしてもな」
「あーね。あれはひどかったわぁ…」
「…あれ。ウルディエールさんは大丈夫なんですか?」
たしか、ウルディエールさんもライゼルド様と一回は会ってるはずだ。眼帯なしのときに魔塔主の部屋で入れ違いになったのを覚えてる。
そのとき目を合わせて会話してたはずだ。
でもウルディエールさんはけらりと笑う。その目には、狂信的な色合いはない。
「ちょーど、ライゼルド様とかち合う直前に魔塔主から加護をもらったの。そのお陰で大丈夫だったみたいよ」
「なるほど…」
「あいつが加護を与えるって珍しいな」
「アタシの研究に闇属性が必要だったから、一時的にもらっただけよ。あ、そうだ。ウルディエールって長いでしょ、ウルドでいいわ。あと普通に喋っていいわよ」
「あ、うん。ウルドさん」
「んで、ターミガン。アンタ大丈夫なの?」
目が瞬いた。大丈夫とは。
さっきのことならこの通りピンピンしてるから、別のことだろうか。
でもあたしの代わりに回答したのは、ライゼルド様だった。
「直接的な危害を加えようとしたのはさっきが初。それまでは些細なイタズラはあったな」
「え、そんなことあった!?睨まれたりとかはあったけど…」
「そりゃお前、全部俺があらかじめ防いでんだから気づくわけねェだろ」
「なんで言ってくれなかったの!?」
「言ったところでなにか解決するか?」
うぐ…言い返せない。
あたしは魔塔内でも下位の立場だから、周囲は大体上位だと言ってもいい。
ライゼルド様が来る前、一緒にやっていた研究仲間でさえ下級研究員だ。あれはたまたま、アタシの研究目的と彼の研究目的が一致してたから一緒にやってただけで、普段は接点なんてない。
ライゼルド様が言うとおり、その報告があったとして何が出来るかというと、正直何も出来ない。せいぜい、対策を立てるぐらいだ。
「ふーん…じゃあ、今後酷くなる可能性はあるわね」
「え、みんな研究で忙しいんじゃ」
「そりゃそうだけど、アタシらも人だもの。嫉妬ぐらいするわ。それに魅了されているからこそ、加減が効かなくなってくるかもしれないわね」
「……早く魅了、解けないかな」
睨みつけてきた研究員に、よく一緒に研究してくれた人もいた。
ちょっとショックだった。魅了って、そこまで変えてしまうものなのかと。
だからこそ、魅了関連の魔道具や薬に規制がかかったんだろうけど…昔あった、ヒースガルド帝国の大侵攻のときはもっとすごかったのかな。
ライゼルド様が顔を歪めて、盛大なため息を吐いた。
「…悪ィ、ターニャ。俺がここに落ちてきたばかりに」
「そんなことは…あるけど。ライゼルド様の責任というのも、何か違うような」
「そうねぇ。なんでここに落ちてきたの?ここの周り、陸も島も何もない大海原よ?ピンポイント過ぎでしょ」
そうなんだよなぁ。ウルドさんの言う通り、ここは絶海の孤島ならぬ海中。
しかも、ライゼルド様は偶々ここの結界が解かれたタイミングで落ちてきた。
魔力が尽きて落ちてきたのは分かるけれど、それならどうして陸地の方を飛ばなかったんだろう。
ライゼルド様はしばらく沈黙すると、あたしを指さしてきた。
でもあたしの顔とかではなく、正確には手首 ―― ブレスレット。
「魔力が尽きかけて俺も、どこで落ちてもいいように陸地に行こうとした。だが、気づけば海の上を飛んでたんだ。…今思えば、そいつに呼ばれたんだと思う」
「え?」
「そいつは、俺が一度加護を与えた物だ。その中にあるものも。俺が物に対して加護を与えたのは今まで片手で数えるほどしかねェ」
心臓が跳ねた。
口の中が乾く。
「あら。なら、ターミガンの名前も納得ね」
「あ?」
「普通、魔塔での通称は自分で決めるのよ。アタシは崇拝する森林の神ウルディア様からいただいてるんだけど。ターミガンだけは、魔塔主が珍しく決めてたの」
「そ、そうだったの!?」
初めから「あ、君のここでの通称はターミガンだから」って言われたからそういうもんだと思ってたけど違ったの!?
「で、でもなんでターミガン?」
「アタシの故郷の鳥の名前なんだけど、雷の鳥って意味よ。とっても可愛いのよ~、今度写真持ってきてあげる」
「俺の鳥か」
「見た目はぜんっぜん、雷が関連してるだなんて思わないけどね~。ただまあ、雷雨のような悪天候に見かけることが多い鳥だから、雷と関連付けられてるわ」
それなら魔塔主は、はじめからアタシが持っているこの形見がどういうものなのか知っていたということになる。
ライゼルド様も呼ばれた、と言っていたから、魔塔主も何かしら感じ取っていたのかも。
でも、待って。
だってこれは、あたしのお父さんの形見だ。
思わず、ブレスレットを触った。
ライゼルド様からの加護を付与されたブレスレットを持っていたお父さんは、どんな人だったんだろう。
……怖気づいて、その日は聞けなかった。
だって「俺が加護を与えた物だ」って言ったライゼルド様の表情が、すごく…悲しそうに見えたから。
◇
そこからしばらく意識すれば、嫌がらせを受けていることが分かった。
でもそれはあたしに届く前にぜんぶライゼルド様が防いでくれていて、それであたしが気づかなかったのだと痛感する。
研究は順調だった。
学生時代からそうだったけど、無からなにかを創るのに成功した試しはない。一から設計図を組むのも。でも、既存のものを直したり改良することに関しては得意だった。
だからこそ、魔道具を生み出したいという夢があったのだけど。
それをポツリとライゼルド様に零したら「それも才能だと思うがな」と応えが返ってきた。
「新たになにかを生むこと自体はたしかに希少な能力だ。全く新しい機能を作るのもな。だが、問題はそこから先だ。どんなものでも初めから使い勝手がいいものばっかりじゃねェ」
「…たしかに」
「元の機構を壊さずに、いかに使い勝手良くするか。より効率がいい仕組みがないか。そうやって改良を重ね続けていくのは並大抵のことじゃできねェよ。ターニャがやってるそのメガネだって、もう機能自体は完成してんだろ?」
「そりゃ、まあ。魔力の伝導効率もその魔力から引き出される機能も、もうこれ以上ないと思う」
「そいつを応用して、より使いやすいものを作り出すのはお前自身の才能だ」
手元の、改良中のメガネに視線を落とす。
分厚かったレンズは大分薄くできたと思うし、それに伴ってリムも細く、全体的にほっそりした作りになった。それでもまだ厚みがかなりあるから、ライゼルド様がつけるとまだ不格好になる。
ライゼルド様向けに改良中気づいたことだけど、何もあのメガネについている機能すべてが必要なわけじゃない。彼に必要なのは、魔眼の発動を抑える機能だ。
従来は外から自分に向けて発せられる、目に見えないなにかを見つける機能がメイン。おまけで自身の弱い視力を補強するといったぐらい。
世間一般に出ているのはそのメイン機能の出力経路を極限に抑えて視力に特化させたものだから、ちょっといじればメイン機能が使えたりするんだ。まあ、だからゴツいんだけど。
ライゼルド様が求める機能は自動で発せられる魔力を外に出にくくする機能。既存の技術を組み合わせて、今は”相手から魔力を検知”したとき、視力や視界には影響を与えずに、その力を軽減させる機能を作っている。
余計な機能はいらない。ライゼルド様専用のものだから。
本当は遮断ができればいいんだけど、そうなると視界も遮断されるから、そこは難しいところ。
元ある機能をバランスよく削って、目的の機能だけを残す。そこからその機能に特化した術式回路で動くように改善する。
複雑な回路を持つこれは足し算はしやすくても、引き算は難しい。それをライゼルド様は「それも才能だ」と言ってくれた。
…じわじわと胸の奥が温かくなる。
「……ありがとう」
小さくそう伝えれば、ライゼルド様は嬉しそうに微笑んだ。
うっ、美の暴力。これ、魔眼なくても魅了される人たくさんいるんじゃない?
「そういや、そのメガネって両目につけなきゃなんねェの?」
「…え?」
「影響があるのは俺の右目だけだろ?別に左目はいらねェよな」
「ああ、まあそりゃそう……」
………なるほど?
そうすると片方のレンズだけになるから、そっちに回路を集中させれば、性能がもう少し上がるかも…?流す量に注意しないとレンズが割れるかな。
机に積み上げていた、試作品のメガネを取り出して左目のレンズを外す。この場合、リムが邪魔だな。左のリムは取っ払って、鼻のブリッジだけ残せばいいかも?となると片耳とブリッジだけでメガネを支えることになるから…。
「はぁい、ターミガン!調子は…ってあら」
「集中してるからたぶん聞こえてねェぞ」
「ほんとね。アタシが来ても振り返りもしないんだもの。まあ、こういうときは没頭させとくのが一番ね。ライゼルド様は暇じゃない?」
「いや?」
「……あらやだ。無粋だったわね」
そんな会話が聞こえたような、聞こえないような。
でもそんなことより今は目の前の
◇
「ほぅ。これは」
魔塔主が、ライゼルド様の観測結果を見てそう呟いた。
「うん。メガネをつけたときと、そうでないときの数値に顕著な違いが出ている。効果が出ていると言っていいね」
「じゃ、じゃあ」
「あとは実験を重ねてサンプルをとろう。使った実験体の中には魅了から回復してきたものもあるし、この状態でライゼルドと対面して前回のような結果にならなければ普段遣いしてもらっても問題ないと思う。ライゼルド、体調面の影響は?」
「今のところ問題ねェな。つーか、こいつかけ始めたら魔力も回復してきてる」
「うんうん。見たものすべてに対して、勝手に相手の魔力量に応じて魅了魔法を放っていたようなものだからねぇ。メガネを通すことで、見ている相手の魔力量が最低レベルと魔眼が認識すれば、現在のカテゴリの中では最低レベルの魅了効果しかない。この程度であれば、日常生活で困ることはないだろう…見た目もいいしね。これは研究室を与えるに見合った結果だよ、ターミガン」
今までに経験したことがないぐらいの高揚感を感じた。
結果が出せた。今まで、雑用ぐらいしかできなかったあたしが、認められた。しかも魔塔最高峰の、神のひとりである魔塔主に!
ライゼルド様が今つけているのは、片眼鏡だ。
ブリッジ部分だけを残し、左目のリムは撤去。右の耳にかけるテンプルとブリッジでメガネを支えてる。これでも両方テンプルがある状態よりは落ちやすくなってるから、万が一落ちてもいいようにメガネにチェーンを取りつけて、チェーンの先を着ている服に留めてもらっている。
ライゼルド様の顔つきは彫りが深いから、眼窩にレンズをはめるってことも出来たけど「動きにくい」の一言でこれになった。
レンズがある程度薄くなったので、レンズ周りのリムも従来よりはだいぶ細くなってる。そのレンズには、魔眼がライゼルド様以外の魔力を感知することを阻害する術式回路を組み込んである。
従来のものは対象の魔力や属性、呪いであればその魔法の魔法回路を、加護であればどんな加護かの情報を一気に見ることができるといった、機能が多すぎるものだったため「効果はあれど目が疲れる」という感想だった。それにレンズも分厚い。
だから機能を大幅に削って「魔力を検知する」機能だけに特化させた。その上で「魔力の検知精度を大幅にダウン」させる改造を施した術式回路を組み込んだ。
結果は上々。魔塔主からほぼ「成功だ」と言われたようなものだ。
「完成した暁には、階級を上げようか」
「えっ、でもあたし、魔石への魔力供給は…」
「うーん。考えてたんだけど、それは魔具士の基本業務の一貫だから目安としてあったんだよね。でも実際、ターミガンみたいに神々にも属性が混ざった魔力なんてざらにいるんだよね、ライゼルドがいい例だけど。そんなことでターミガンみたいに能力がある子が出てこれないのはちょっとね」
もっと早く気付けば良かったと口を尖らせる魔塔主に、呆気にとられる。
「ターミガンには今後、既存魔道具の改良をお願いすることになると思う。今の魔道具は多機能性を追求しすぎてて、人の手で扱いにくいものが多いだろうから。今回みたいに元の術式回路を改造して、全く逆の効果をもたらすのも需要があるだろう。まあその合間に、君の魔力に合う魔道具の開発を進めてもいいし」
「…がっ、がんばります!!」
「今回の件が終わったら、共同研究や助手も募ってごらん。たぶん、ちらほら来ると思うから」
個人主義が多い魔塔では、共同研究や助手はよほど大掛かりなものじゃないと募集しないし、人も集まらないと思うんだけど…来てくれる人、いるのかな。
まあ、魔塔主からの提案だし。きっと悪いようにはならないよね。
「ターニャ」
「ん?」
「ありがとな」
「…べ、べつに!」
嬉しそうに笑うライゼルド様に、一瞬見惚れた。なんだろう。顔が熱い。
ライゼルド様はもう少しメガネの実験をするとかで魔塔主に引き留められ、あたしは研究室に戻るため、廊下を歩く。
あの魔道具を作っている最中、他にも色々できるんじゃないかと思った。
既存の魔道具は多機能だからこそ高価なものが多い。例えばメガネで一番需要が多いのは、鑑定と視力矯正だろう。それを一緒くたにするんじゃなくて、視力が悪い人には視力を強化する術式回路だけを組み込んだもの、鑑定は鑑定だけに特化した術式回路を組み込むんだものを世に出せば、金がある人だけじゃなくて、市井の人たちにも手が届くものになるんじゃないだろうか。
うん。次のテーマは、視力矯正にしよう。
おまけの機能をメイン機能にするんだ、どうやって術式回路を書き換えようか。
そう考えながら、研究室のドアノブに手をかけて、固まった。
……掛けてあったはずの鍵が、開いてる。
個人研究室の鍵は物理鍵じゃなくて、魔力認証によるものだ。
このドアを開けられるように登録してあるのは、あたし、ライゼルド様、ウルドさん、それから緊急時のため、あたしの魔力が登録された特殊な魔道具を持っている魔塔主だけ。
魔塔主は、この魔塔の全研究室を開く権限を持っているから例外だけど……これ、無理やり開けた形跡がある。え?登録外の人が無理やり開けようとするとめっちゃ反動があるはずなのに。
ライゼルド様たちのところに戻るか、ウルドさんのところに行くか、迷った。
でもライゼルド様たちは今実験中だろうし、ウルドさんは最近忙しそうだ。ここは自分でなんとかするしかない。
ごくり、と唾を飲み込んで、護身用の
―― 室内の窓際で入り口に背を向けて立っていたのは、アクアグリーンの長い髪を持った人だった。
服装はここでは見ない神官服…ということは、中央大神殿から派遣されてきた神官?今更感が拭えないけど…。
「……あたしの研究室なんだけど、あんた誰?」
喉がからっからになっていた。
一見、室内は何も変わりはない。異常なのは、室内に立っているこの人だった。
あたしの声に反応して、その人がゆっくりとこちらに振り向く。
その人は…婆さんは、あたしを見てにこりと微笑んだけど、目が笑ってないってのがすぐ分かる。
「あなたが、ライア?」
…なんで、あたしの名前。
たらり、と冷や汗が額から流れる。
「やぁね。あの女そっくり」
「女?」
「ライゼルド様の祭司官だった女よ。目が見えない、欠陥品だった女」
教会前でモンスターに殺されたお父さんと、酷い怪我を負ってお母さんを介抱してくれた神父様から、お母さんは目が見えていなかったと聞いている。目が見えない中、這いずってでも
「ライゼルド様も強情なんだから。私のことを、私だけをあの瞳が見つめてくれれば良かったのに」
うっとりと呟くその瞳には狂気が垣間見えた。
異様に目が乾く。異様に喉が乾く。
ふと手を見れば、水分が失われてひび割れている。少し動かしただけでびしりと痛みが入って、血が溢れ出す。その血ですら、流れ落ちないほどのどろりと粘度をもったものだった。
「ネレイディア様からライゼルド様に、人から恐れられる彼が人に好かれるようにこっそり祝福を掛けたのだと聞いて、思ったの。ああ、私のためだって。だって私、ネレイディア様のために尽くしてきたのだもの」
声が出せない。
「ライゼルド様は私だけを見ていれば良かったの。だって、私にはネレイディア様の加護があって魅了魔法が効かないから。ネレイディア様の祭司官だったけれど、彼にも尽くしたわ。なのに……あの欠陥品のせいで」
力が入らなくなって、警棒を落とし、膝をつく。
水分が奪われて細くなってきた手首に不相応になったブレスレットがきらりと光る。
「だからね」
いつの間にか、目の前に彼女の足元があった。
ゆっくりと顔を上げると、彼女はしゃがみ込んで、あたしと視線を合わせる。
「欠陥品の娘であるあんたも欠陥品なんだから、生きているのも許されないのよ」
彼女が手を伸ばして、あたしの頭を掴む。
もう、なにかを考えるのもしんどい。
ただ、せめてライゼルド様のために作ったあの
あの人が嬉しそうに笑うのを見るのが、好きだったから。
声すら出ない。呼吸も苦しい。
けれどあたしは最期に、叶うならば傍にいて欲しいひとの名を微かに呼んだ。
―― その瞬間
「ぎゃああああああ!!」
手が離れて、悲鳴が響いた。
揺らぐ視界の中、倒れるところだったあたしを支えた誰か。ブレスレットが熱い。
バチバチとあのひとが苛ついたときに出る聞き慣れた音が聞こえる。
「―― 貴様、楽に死ねると思うなよ」
今まで聞いたことがないほど低く、冷たい声でもライゼルド様だって分かってホッとしたら、視界が真っ暗になった。
そこから、記憶はない。
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