雨音に虹の声を聞き
海鳥 島猫
雨、ノチ晴レ。
「降ってるなぁ」
そう言って昇降口から外を眺めた。天気予報じゃ降水確率は低いと言ってたし、実際ついさっきまで見事に晴れていたのだけど。周りも傘を持ってきている人は少ないようで、女子同士やカップルで相合傘をしていたり、大胆にも雨の中を走っていったり、様々な対応を見せている。
さて私は傘もないし、相合傘してくれそうな傘持ちの知り合いもいない。大人しく止むのを待つか――とここで思い出した。数日前からカバンに入れっぱなしの折り畳み傘。面倒くさがりな性格が幸いした。それじゃあ止み待ち組の方々、お先に失礼。
降水量は中々多い。いわゆる夕立というやつか。夏の風物詩といえば風物詩だけども、下校の時間に降られるのはただただ憂鬱になるだけだ。おまけにうちの高校は、昇降口から校門までの道がデコボコしてるものだから地面が水たまりだらけになってたまったものじゃない。さっそく左足のスニーカーが浸水。最悪だ。雨の日に良い思い出なんて何もない。校門を出て早々に、私はイヤホンを付けた。
少し歩けばすぐ車通りも人通りも減って、がらんとした通りに取り残される。なんというか、世界って案外つまんないんだよな、って思う。小学校を出て、中学生になって、そして高校生になって。大人へ近づいていくたびに見えなかったものが見えるようになった。だけど同時に、世界は少しずつ色褪せていった。
シャッターだらけの世界。無味無臭の世界。まさにこの雨のような得体の知れないものに何もかもを流されてしまった気分だ。
こんな憂鬱の時はいつもイヤホンを付ける。イヤホンは周りと自分とを区切ってくれるから。ランダム再生をかければ流行のポップスが頭に流れ込んできて、雨音も車の音も何もかもがうやむやの中に紛れていく。
どこまでも陰鬱な外界とどこまでも陽気な音楽があまりにもミスマッチすぎてひどい。それでも、どっちに耳を傾けるかは決まり切っている。イヤホンの上からさらに手を当て、音楽に自分を飲み込ませる。これも全部雨のせいだ。何もかも消えてしまえ。全てをシャットアウトして、ただ音楽だけを――――
「危ないよ」
気がつけば、私は腕を掴まれていた。私のすぐ横を車が通り過ぎ、右足を濡らしていく。思わずイヤホンを外した片耳に、その言葉が聞こえた。
腕を掴んでいたのはクラスメートの女の子だった。私自身友達が多くはないというのもあるけど、下校ルートが同じ方向だと今知ったくらいには関わりのない、大人しそうな雰囲気の子だった。
十秒ほどの空白ののち、ようやく私の口が小さく「ありがとう」と動いた。自分が事故に遭う寸前だったということにびっくりしすぎて、感謝の言葉が全然出てこなかったのだ。彼女は全身ずぶ濡れの状態で、小さな段ボール箱の上にリュックを重ね、自分の上体をさらに覆いかぶせるように抱えていた。私の視線に気づいたのか彼女がリュックを少しだけずらすと、見えたのはつぶらな瞳に茶色い毛並。彼女は子猫を拾ったらしい。なるほど、それで服もリュックも犠牲にしてまで段ボールを守っていたのか。そんなの見せられたら……こうするしかないじゃん。
「……傘、入る?」
まぁ、さっき助けてくれたお礼もあるし。とりあえず、もうイヤホンを付けるわけにはいかなくなった。雨音を聴いて気づいたけれど、雨は思ったより激しくなっていた。
しかしどうしたものか、何か話をしたらいいのだろうか。何を話せばいいのやら。彼女の名前くらいはかろうじて分かる……逆に言えばそれくらいしか知らない。世間話も得意じゃないし……。なんてたじろいでいたら、彼女のほうから声をかけてきた。
「雨って好き?」
「えっと……ううん、あんまり。さっきも校門出たら速攻で靴に水入っちゃってさ。最悪だよホントに」
「そっか。私も雨、好きじゃなかったんだ」
でもさ、と置いて彼女は段ボール箱に視線を向けた。
「でもさ、雨が降ってなかったら私、この子を見捨ててたかもしれない。この子、屋根もないところで野ざらしになってたんだ」
段ボール箱の中がカサカサと動き、小さくニャーと声を上げる。
「雨の中で私は濡れてて、この子も濡れてた。それでなんだか共感湧いちゃって。雨のおかげで出会えたの。それに――」
不意に、彼女の視線がこっちに向いた。彼女と私の目が合った。
「――雨が降ってなかったら、こうして一緒に帰ることも、喋ることもなかったでしょ?」
そう言って彼女は小さく笑った。全身がずぶ濡れであるのにも関わらず、その笑顔はとても嬉しそうで、爽やかなようにも見えた。思わず目を逸らしてしまったのは、目が合った恥ずかしさのせいかもしれないし、その笑顔が色鮮やかに輝いていたからかもしれない。私がもう一度目を向けたとき、彼女は既に前を向いていた。だけどその顔には、笑顔がまだ残っていた。
「この季節の雨って、結構あったかいんだよ。手出してみて?」
「そうなんだ。……あ、ホントだ」
「私、この雨好きかも。たまには雨に打たれながら歩くのも悪くないなって。この子を濡らしちゃうのは流石にマズいかなって思うけど」
「でも、そんなにずぶ濡れになっちゃうのはちょっと」
「ふふっ。服なんて、後で乾かせばいいよ」
私は少しだけ歩くのを遅くしていた。まだ彼女と、話していたかったから。誰かと話すのがこんなに楽しいと思えるなんていつ以来だったかな。私と同じ通学路に、私と同じクラスに、こんな子がいたなんて初めて知った。
だけど私たちの相合傘にも、いつか終わりはやってくる。それは丁字の分かれ道だった。彼女は右へ、私は左へ。
「後は大丈夫だから。ここまで傘入れてくれてありがとう」
そう言って彼女は肩に雫を当てる。頭の半分までが傘から出たその時、段ボール箱の中の猫が小さくミャア、と鳴いた。それを合図に私は傘を彼女に押し付けた。
「使いなよ。猫だって抱えてるんだからさ。明日返してくれればいいよ」
「でも、それじゃあなたが……」
「服なんて後で乾かせばいい、でしょ?」
今度は私が、あの子に笑顔を見せる番。そのまま傘から手を離して、私の体はどんどん濡れていく。
「それじゃ、また明日ね」
程よく温められた雨水が私を潤す。雫はアスファルトに、木の葉に、そして私に当たって、千差万別の音を奏でている。あの子の言う通りだ。たまには雨に打たれるのも悪くない。
彼女と別れてすぐのことだけど、雨は完全に上がってしまった。なんだ、これじゃただ恰好つけただけになっちゃったじゃん。
「……虹だ」
雲は見事に消え去って、沈んでいく陽の光が真正面に見えた。色鮮やかな橙と藍のグラデーションに包まれて、その太陽を縁取るみたいに色鮮やかな虹がかかっていた。私は立ち止まって深く息を吸った。鼻に少し残るような、土っぽい香り。そっか、雨上がりって匂いがあるんだ。
見えないものが見えるようになる度に、世界は色褪せたと思っていた。だけど違った。私はまだまだ全然、見えていなかっただけだった。
雨上がりの匂いを感じながらゆっくりと息を吐いて、再び歩き出す。イヤホンはポケットにしまったままで。
明日はあの子と何を話そうかな。
雨音に虹の声を聞き 海鳥 島猫 @UmidoriShimaneko
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