第12話 思い出(R side)

 まさか、そんな。いやしかし……。


 未だに俺は混乱していた。あの瞳は。あの表情は……。


 いや、そんなわけはない。奴が。あのアウロが……。


 彼女なわけない。


 そう自分に言い聞かせつつも、それでもまだ俺の胸はざわついていた。


 『それと、もう一つ。アウロが造られた存在だとして。実はある悪魔を元に造られたとは聞いたよ』


 『光の悪魔だそうだ』


 あのフードの男の言葉が脳裏をよぎる。


 光の悪魔……。光……。そういえば。


『私の名前。ルーチェって光って意味らしいの』


 馬鹿な。光の悪魔はルーチェとでも?


 そもそも光の悪魔がルーチェという、その根拠は一体どこにある?馬鹿馬鹿しい。


『ルーチェは彼と共に堕天したそうです』


 堕天したから何だというのですか、ラファエル様。堕天したからといってそのまま彼女が悪魔になったとは限らない!


 彼女は今も孤独に闇の中を彷徨っているんだ!あいつに騙されて……!


『違う、彼はそんな人じゃないわ!』


『どうしてそんなひどいこと言うの……!?』


『ラズルなんて――』


「うわああああああああっ……!」


 頭がひどく痛い。気がつけば俺はその場にうずくまっていた。


 胸が張り裂けそうだ。身体そのものがバラバラになりそうだ。


 痛い。痛い。どこもかしこも痛い。


 そのまま俺の意識は遠のいていく――。





 一人の天使が泣いている。女の天使だ。


 まだ幼い俺は彼女に話しかけていた。どうしたの?と。


 彼女は答える。今、とても悲しいの、と。  


 彼女の白に近い水色の長髪が美しく煌めいていた。とても不謹慎ではあると思うが、泣いている彼女のその瞳は空のようにとても澄んだ青で、美しいと思った。


 その日は、彼女の兄であり俺の父の命が終えた日だった――。


 その日から幾ばくかの年月が過ぎ、成長した俺はアズラエル家の当主として君臨することとなる。


 ある日のこと。天界に汚らわしい魔物が侵入したというので、それを一掃した帰りのことだった。


「誰かぁ〜、助けてぇ〜……!」


 声が聞こえた。森の茂みの奥からだ。声がした方に進んでみると、その先は崖となっていた。


「誰かー……」 


 崖の下の方から声がする。覗き込んでみると、そこには片羽根しかない天使がいた。ルーチェだ。


「ルーチェ!?どうしてそんなところにいるんだ……?」


「綺麗な鳥がいたの。追いかけていたら落ちちゃった……」


「落ちた!?全く……。少し待っていてくれ」


 そう言って俺は翼を広げ、彼女の元にふわりと降り立つ。


「大丈夫か?どこも怪我はないのか……?」


 そう言って俺はルーチェの元に駆け寄る。彼女は座り込んでいた。


「地面にぶつかる前、すんでのところで羽根を動かしてみたの。でも私は片羽根しかないから……」


 結局バランスを崩し、大きな衝撃は免れたものの、右足を怪我したそうだ。右くるぶしの上から血が少々流れていた。


「今、治療してあげるから」


 俺は彼女が怪我をしている部分に手をかざす。ポゥッと、黄緑色の光が出現する。怪我が少しずつ治っていく。


 その様子を見たルーチェは感激の声をあげる。


「わああっ……。怪我、治った!」


「治ったと言っても、これはただの応急処置だよ。ちゃんとラファエル様のところに行って治してもらわなきゃ」


「そうなの?でも、ありがとう、ラズル!」


 ふわっと彼女が笑う。まるで花のようだと思った。なぜか俺の胸が高鳴った。


「どうしたの?」 


「……何でもない。立てるか?ルーチェ」


 俺はルーチェに手を差し出す。うん、と言ってルーチェは俺の手を取り、ゆっくりと立ち上がる。


「結構、高い場所から落ちたんだな」


 俺は崖の上を見上げる。本当にこの高さから落ちて、よく軽度の怪我で済んだな、と俺は思う。まあ彼女の場合、片方だけとは言え、翼があったから。これが人間であったなら即死かもしれない。


「あんな高いところまで、私の片羽根だけじゃ飛べないわ……」


 ルーチェは半分泣きそうになりながらそう呟く。俺はそんな彼女を励ました。


「心配しなくて良い。俺に捕まって。二人で飛べばあれくらいの高さ、なんてことはないよ」


 そう言って、俺は両手を差し出す。

 ルーチェは相変わらず泣きそうだったが、俺のその言葉を聞いて、そうね、と言い、俺のその両手を取る。そして、せーの、という感じで俺達は翼を広げ、飛び始める。


 俺達がその場所から飛び始めた時には、既に日が暮れていた。だが、満天の星に大きな満月があったおかげでそんなに辺りは暗くなかった。それに、光る玉があちこちに浮いていたのもある(この光る玉は、蛍という虫らしい)。


 俺達が空中に浮かび上がった時、ルーチェが綺麗!と感嘆の声をあげていた。俺達の目の前には美しい光景が広がっていた。


 先程は、怪我をしたルーチェにばかり気を取られていたからか、全く気づかなかったが、ルーチェが座り込んでいたさらに向こうには、花畑が広がっていた。それらは満天の星と満月、そして蛍の光に照らされて木々と共に煌めいている。


「私もう少し、あっちに行ってみたい!」


 ルーチェが無邪気にはしゃぎだす。


「いや……。早くその怪我を治してもらいに行かないと」


 俺は少し焦るが、それにも関わらず、行きたい行きたいと、ルーチェは駄々をこねだす。


 仕方ないので、俺は少しだけそのわがままに付き合うことにした。


 空中に浮かんだ状態で、辺りを散策し始める。


 川が流れている場所もあれば、ただ森だけとなっている場所もあった。かと思えば、先程のような花畑が広がっている場所もあった。その花畑の方が先程のよりもだいぶ広く、湖もあった。


「そろそろ帰ろう。早くその怪我、治さないと」


「うん」


 まだやだやだと、駄々をこねられたらどうしようかと一瞬不安にはなったが、しかしルーチェは満足したらしく、すんなりと、帰ろうと言う俺の言葉に了承してくれた。


 そして俺達は、あの崖の上へと戻り、地に足をつける。


「さあ、早くラファエル様の元に行こう」


「ええ」


 その時だった。


「ここにいたのか、ルーチェ。随分と探した」


 真横から低い声がする。横を向くと、ルーチェと同じく白に近い水色の短髪の男の天使がこちらに向かって歩いてくる。その天使もまた、ルーチェと同じく片羽根しかなかった。


「ブイオ」


 ブイオ、とルーチェにそう呼ばれたその天使は随分と不機嫌そうだった。


「私から片時も離れてはならないと、いつも言っていたはずだが」


 ものすごく不機嫌そうなその声を聞いて、ルーチェは怯えた表情になる。


「ごめんなさい、その。とても綺麗な鳥がいてそれで――」


「言い訳はいい。今後私から離れるとか、こんなことがないように」


「はい……」


 しゅんとするルーチェ。その姿を見て俺はいたたまれなくなる。


 ルーチェを庇うように、彼女の前に一歩踏み出す。ブイオの目と俺の目が合う。彼は俺を睨んでるようだった。負けじと俺も彼を睨み返す。


「そこまで厳しいことを言わなくても良いんじゃないか?別にルーチェに悪気があったわけじゃない」


「貴方には関係ない、ラズル。貴方も知ってると思うが、私達は二人で一人。二人揃うことで私達はようやく完全な天使となる。少しでも離れるなんて、そんなことはあってはならない」


 淡々と言葉を紡ぐブイオ。確かに彼の言うことは最もだとは思うが、それでも俺は納得できなかった。少し離れたくらいで、二人の命がなくなるとか、そういうこともないだろうし、何よりルーチェが可哀想だ。例えば彼女にだって、時には一人になりたいときもあるのではないだろうか。


 ルーチェの自由意志は一体どうなる?


「確かにそうかもしれないが、そうは言ってもだな」


 俺の横でルーチェがオロオロしていた。俺達がこのまま諍い《いさかい》を始めるのではないのかと不安になっているのかもしれない。


 これ以上の言い合いは不毛だろう。

 

「取りあえず、ルーチェが世話になったようだ。礼は言わせてもらう」


 何も言わなくなった俺にブイオはそう言い、行くぞ、とルーチェを促す。ルーチェは、はい、と言って彼についていく。しかし、若干足を引きずっているように見えた。足の怪我が原因だろう。


「待て」


「何だ?」


 まだ何か用でも?という風に、ブイオは俺を見つめる。


「ルーチェは怪我をしている。一度ラファエル様に見てもらった方が良い」


 俺は若干イラつきながら、そう言い放つ。ブイオは了承した、とだけ言い、そしてルーチェを連れて行こうとする。ルーチェは一瞬だけ俺の方を振り向き、じゃあ、またね、と微笑んだ。


 そして二人は俺の目の前から消えた。


 ブイオ・ベリアル。


 ルーチェの片割れ。ルーチェが光なら、ブイオは闇。彼らは二人で一人。


 非常に気に食わない。


「もう遅いな……。俺もそろそろ帰るか」


 そして俺も俺で、神殿へと帰ることにした。





「う……」

 

 気づけば俺は寝台の上にいるようだった。ふかふかとした感触が俺の背中にあった。ここはどこだろう?


 今まで寝ていたのか、俺……。ひどく懐かしい夢を見た。俺とルーチェの、あの頃の記憶……。


 ゆっくりと、上体を起こし、周りを見渡す。見慣れた風景。ここは俺の部屋だった。


 あの時、頭痛と身体中の痛みに襲われた俺はそのまま意識を失い、倒れたに違いなかった。恐らく、そんな俺を見つけた誰かが、ここまで運んでくれたのだろう。

 

 後で礼くらいは言わないとな……。


 ぼんやりとした頭で、ふと彼女のことを――ルーチェのことを――考える。


 ルーチェ。君は今一体、どこにいるというのだろうか。


 君にまた、もう一度会いたい。


 そう考えながら、俺は寝台の上で深いため息を吐いた……。

 




 



 




 


 



 


 


 


 




 

 


 

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反逆の騎士 死の天使 chisa♪ @chisa124

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