一章 機工人間の修理工

1-1

 街で一番大きな建物が炎に包まれて燃えている。

 目の前で知らない男性がうつ伏せに息絶えている。


「あっ」


 目線の主は見たことある場景だとすぐに気が付いた。

 これは夢だ。鮮明な記憶を再現した夢だ。

 目の前で息絶えている男性に左手を伸ばそうとする。

 だが左手に感覚がなかった。

 やっぱりだ、と目線の主は思った。

 ウェストオルファ共和国の最北にある街が戦火に見舞われ、戦火に巻き込まれた幼い時の自分の記憶だ。

 あの時は煤煙を吸って肺も痛かった。

 当時と比べれば感覚の薄い夢の中は少しだけ楽観することができた。


「そこの君、大丈夫か?」


 話しかける声が聞こえて視線を上げる。

 息絶えた男性を隔てて軍服を着た精悍そうな若い男が心配そうに自分の事を見ていた。

 目線の主と眼差しがかち合うと、精悍な男は目線の主の左腕を見て顔を歪める。


「いや。君じゃない」


 男はそう言うと走り去った。

 目線の主はこの時あまり好まれた状態ではなかった

 立ち去った軍服の男は目線の主の左腕が血だらけになっているのを見て、助からないと判断したのだ。

 軍服の男がいなくなった後、目線の主は時々通りかかる被災者に視線に留まりながらも見えない所に出来た黒子のように扱われ、見捨てられた。

 誰も助けてなどくれない。

 当時はそう諦めていた。

 それでも違った。

 目線の主はこの後に救いの手が差し伸べられることを知っている。

 案の定、ゆっくりとした足取りで目線の主に近づく老人がいた。


「腕を怪我しているね」


 目線の主に近づいた小柄で白髭を生やした老人はいきなりそう言い放った。

 目線の主から見る老人は先ほどの若い男とは違う優しい雰囲気を纏っていた。


「うん」


 目線の主の視界が小さく上下する。

 老人が微笑んだ。


「わしがなんとかしてあげよう。着いてくるかい?」


 またも目線の主の視界が上下する。

 答えを聞いてか、小柄な老人が皺の波が出来た手を差し伸べてくる。

 目線の主の無事である右手が老人の手を掴む。

 老人の手は年齢に反して硬くゴツゴツしていた。


「家まで歩くことになるけど大丈夫かい?」


 自分を気遣った穏やかな口調で訊いてくる。

 他の誰も助けてくれないと諦めていた目線の主は、運命を賭けるつもりで老人に身を委ねることにした。

 この人は本当に助けてくれるような気がする。

 老人がゆっくりとした足取りで歩き出す。

 目線の主は手を引かれて老人の後をついていく。

 肺の痛みよりも右手に感じる温もりの方が印象強く残っている。

 どうしてこんな夢を見たんだろう、と考えたところで目線の主の視界が暗転した。



 朝の陽光が風通しを良好にするために開けられた鎧戸から室内に射し込んでいた。

 瞼の上に陽の光らしい熱を感じてキルト・カルデラは目を覚ました。


「おはようございます」


 彼の頭上で女性の機会音声が聞こえた。

 久しぶりに小さい頃の夢を見たな。

 キルトはそう思いながら粗筵の上で身を起こし、目元に垂れかかった手入れしていない黒髪を左手でかき上げる。

 慣れた仕草だったが、ふと夢の事を思い返して左手を見た。

 人の肌を模して造られた人造の左手。

 戦災により左手を失った彼を助けた老人もとい技師のマクダ・ゾーイが、彼のためだけに作った金属機構の左手だ。

 窓ガラス越しから射し込む陽光が眩しく、キルトは寝ぼけ眼を細めた。

 起動時間になると自分まで起きてしまうな、と内心で苦笑して傍に立っている機会音声を出したエプロン姿の女性に身体を向けた。

 女性の背中側に回り、首の根元辺りにある指を引っかける仕掛けの開閉器のつまみを下に降ろした。

 女性の首が力なく垂れて背中にある木製の外蓋のロックが緩んだ。外蓋とその縁の間に指が入るほどの隙間が出来る。

 キルトは隙間に指を入れて外蓋を外した。

 外蓋の内側には電子基盤が埋め込まれ、基盤を覆うようにして黄色と赤の電子回路が張り巡らされている。


「異常なし」


 基盤と電子回路を見眺めたキルトはそう呟くと、外蓋を閉め直して開閉器のつまみを上げ直した。

 女性の首に力が入り土壁を真っすぐに見つめる。


「命令履行を開始します」


 女性は機会音声を発し、唐突に歩き出して壁に背中をつけるようにして立ち止まった。

 キルトは女性が動きを止めるのを確認してから、ドアのない続き間になっている隣の細長い工房へ移動した。

 工房の中央にある天板がベッドぐらいの面積がある作業台に置かれた木製のマグカップを右手で取った。

 コップの中には水が張ってあり昨夜寝る前に漬けておいた三個のビスケットが水分を吸って少しふやけている。

 キルトはコップを持ったまま工房内を移動し、壁沿いの作業机の傍にある鎧戸と出入り口のドアを開け放し、工房内を空気を入れ替えた。

 コップに口を付けて傾け、中のふやけたビスケットが舌の上に乗る。

 噛み砕くとまだ内側はまだ焼き菓子らしい硬さが健在だった。

 キルトは三個続けてビスケットを食し残りの水を飲み干しながら、出入り口から工房の外に出た。

 工房の外は背の低い芝生が地面を覆い、キルトが道として使う下り方向だけに荷台の車輪の跡が芝生の上に残っていた。


 意味もなく晴天を仰ぎ、出入り口から三歩ほど離れた場所に置かれた彼の首ぐらいまでの高さがある樽に近づく。

 毎朝の日課として樽の中を覗いて水位を確認する。

 キルトの推算で二週間分ぐらいは貯水がありそうだった。

 樽の縁に掛けてある洗顔用の布を掴んで樽の水に浸した。

 水に浸した布を右手だけで顔に押し当てる。

 たちどころに寝ぼけ眼がすっきりとする。

 朝の簡単な洗顔を済ましたキルトは布をもとの位置に戻すと、コップの半分ぐらいに水を掬った。

コップを揺らして底に沈んだビスケットの屑を浮き上がらせて、水を飲み干しながら工房に戻った。

作業机の横の壁に埋め込んだ金釘から吊るしている木板に歩み寄り、画鋲で貼付した手書きの修理依頼書を読み直す。

 依頼書には依頼主の名前と所在地、それに機工人間という単語と修理内容が書かれている。


 機工人間とはキルトが住んでいるウェストオルファ共和国で二〇年前から普及した人型命令制御機械のことだ。開発された当初は人々の生活を支援する目的で民間会社により生産されていたが、隣国トートリクシー王国との戦争が始まって数か月経つと、機工人間は兵力の一部となり生産工場は全て国有化されてしまった。

さらに戦争が激化するにつれて民間用は胴体と手足が木製であることが義務化、それまでに出回った金属製の機工人間は軍部により強制供出が実施され、耐久性に優れた戦地用へと作り変えられることとなった。そんな情勢下でキルトは機工人間の修理技師として小さな工房を開いて糊口を凌いでいる。

 現在もなお戦争は続いており、キルトのもとには木製の機工人間の修理依頼が時々入ってくる。


  たった今キルトが読んだ修理依頼書の内容は〝左腕の動作不良〟だった。

 この依頼は昨夜すでに大半を済ませており、残すは配達前の最終点検だけだ。

 キルトは工房の端にある粗筵の上に寝かせていたウエイター風の服装の機工人間を抱き起して、首の根元にある開閉器のつまみを上げた。

 機工人間は電源が入るとキルトの手助けなく立ち上がる。


『命令が下されておりません』


 中性的な音声を発してからは微動だにしない。

 それもそのはず修理するにあたってキルトが急な動きをしないように立ち上がるだけの命令にしておいたからだ。

 立ったままの状態で機工人間の電源を落として背中の外蓋を開けた。

電子回路を退かして人間の脊髄に相当する部分にある柱状の命令髄という命令文の刻まれた金属棒を取り外し、作業台の引き出しに保管しておいたウエイター風の機工人間にもともと入っていた命令髄を出して嵌め込んだ。

 外蓋を閉めて電源を入れ直すと、機工人間が蠕動する。


『命令を開始します』


 動作開始時のお決まりの音声を出力してから、機工人間の表情に人間らしい笑顔が浮かんだ。

 キルトが目の前に移動すると、機工人間は肘を曲げたまま左腕を横に開いた。


『お客様。ご案内いたします』


 ウエイター風の機工人間は入店した客を席まで案内する役目をしていたため、キルトを客と認識して命令髄に刻まれた命令を実行したのだ。

 依頼主の要望通りに動くことが確認できると、キルトは機工人間の電源を落とした。

 依頼書を右手に持ちながら両腕を機工人間の両脇に入れて抱きかかえる。

 そのまま工房の外へ運び出して入り口の隣に一旦据え置き、樽の裏手に停めてある人力の荷車を機工人間の前まで引っ張ってきた。

 機工人間を荷車の荷台に寝かすと、依頼書を丸めて機工人間と一緒くたに荒縄で荷台へ括りつけた。

 修理後の配達業務の準備が済むと、キルトは荷車を引いて車輪の跡が残った緩やかな坂道をゆっくりと下り始めた。

 坂を下ってしばらく真っすぐ歩いた先にハイデンという市街があり、キルトはハイデンを目指して荷車を牽引した。

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一人ぼっちと修理工の物語 青キング(Aoking) @112428

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