一人ぼっちと修理工の物語
青キング(Aoking)
プロローグ
――朝ですよ。起きましょう。
窓から朝陽が射し込む室内にひび割れた女性の機会音声が響いた。
今日も朝が来たから起きないと、とまだ七歳にしかならない少女は堅いベッドの上で身を起こした。
起き抜けの少女の目の前に、エプロンを着けた大人の女性が立っている。
「朝ごはん。用意しますからリビングに来てくださいね」
目覚める直前に聞いたひび割れた機会音声で告げられる。
エプロンの女性は伝えるべきことは伝えたとばかりに身を翻して部屋を出ていった。
少女はベッドから這い出ると途端に空腹を感じた。
寝室を出て吸い寄せられるようにリビングに入ると、一人用の古木材で出来たテーブルが中央に置かれており、テーブルの傍に日の光で色褪せたソファにエプロンの女性が腰掛けていた。
けれどもエプロンの女性の視線は少女には向かわず、それでいて何もない室内の虚空を見つめている。
「朝ごはん。用意しますね」
ひび割れた機会音声でエプロンの女性が言うと、ソファから立ち上がり台所に移動した。
台所から物音が聞こえ始めてきっかり三分後、素手でスープ皿とスプーンを持ったエプロンの女性がリビングに戻ってきたと思うと、スープ皿をゆっくりとテーブルに置いて何も言わずにソファに腰掛け直した。
少女はテーブルに近づきスープ皿の中身を覗く。
途端、少女の表情に退屈の色が浮かんだ。
いつもと同じ煮豆のスープだったからだ。
供された食事のため一応、スプーンを手に取り煮豆とスープを掬う。
口に煮豆を入れてスープごと飲みこんだ。
少女の表情は変わらない。
いつもと同じ味気ない食事だから。
少女は一口食べただけでスプーンをテーブルに置いてしまった。
退屈を持て余して椅子の上で足を振り子のように揺らす。
五分後、ソファに腰掛けていたエプロンの女性が少女に顔を向けた。
「朝ごはん食べましたね。次は本でも読みましょう」
少女はエプロンの女性から視線をわざと外した。
本を読もうという誘いを無視して建物の外へ繋がるドアまで歩み寄る。
「では読みますね。アンドラとゴムリンは……」
エプロンの女性がソファは移動すると、膝の上で絵本を開きひび割れた音声で読み聞かせ始める。
それでも少女はエプロンの女性に関心を向けることなくドアから庭に出た。
前庭に出ると、いつもと違う日差しが少女に降り注いできた。
空を見上げて雲の量がいつもと違うことに気が付き口元を緩める。
変化を見せてくれる空を見上げながら少女は庭を抜けて、庭の外を通る左右を畑に囲まれた農道を歩き出した。
いつもと同じ鋤を使った農耕作業中の畑を通り過ぎ、いつもと同じように豆の収穫作業をしている青年をも通り過ぎ、農道を進んでいく。
この集落では少女以外の住人が毎日決まった時間から決まった仕事を決まった時間まで勤しんでいる。
しばらくして少女は集落でただ一つだけある井戸まで歩き着いた。
井戸の前にスカート型の農民服で身を包んだ中年女性が三人並んで、何事かをひそひそと話している。
井戸を通り過ぎた先には鬱蒼とした森林地帯がある。少女は中年女性三人と目を合わさないように空だけを見つめて歩くことにした。
それでも三人の話し声はおのずと聞こえてくる。
「隣のうちでね。可愛がってた子猫が死んだらしいんですよ」
「それで」
「どうなったの?」
「それからね……」
また子猫の話だ、と少女は辟易した。
三日前のこの時間にも三人の中年女性は井戸の前で子猫の話をしていた。
二日前は三軒隣のおじいさんが風邪を引いた話。一日前は畑の野菜が野生動物に食われていた話。
さらに遡る四日前は、畑の野菜が野生動物に食われた話。五日前は子猫が死んだ話。六日前は畑の野菜が野生動物に食われた話。七日前は三軒隣のおじいさんが風邪を引いた話。
とにかく井戸端会議の話題は四つしかない。
少女が森林地帯へ近づくごとに中年女性たちの話し声が段々と遠くなっていき、ようやく集落の片隅にある森林地帯の入り口まで来た。
森の中に入れば毎日変化を見せてくれる楽しい遊び場所がたくさんある。
少女の横を黄色い羽根を持った蝶が飛び過ぎていく。
単なる黄色い蝶が少女にとっては飽き飽きした日常で眠っている好奇心を刺激させてくれる恰好の玩具だ。
少女は今日初めての笑顔を浮かべると、黄色の蝶を追いかけて森の中へ駆け出した。
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