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 その次の週末、政は休みを取って御門台駅の近くにやって来た。久しぶりにサッカーをするためだ。今日はベンチコートの中に、現役時代に着ていたユニフォームを着ている。もう着るつもりはなかったのに、誘われたために。引退した時、もうサッカーなんてやらない、自分はサッカーをするよりも、見る立場になろうと思ったのに。政は少し戸惑っている。


 先日、サッカーボールをスローインした公園にやって来た。琉人と約束した場所はここだった。果たして琉人とその仲間は来ているんだろうか?


「あっ、お兄ちゃん!」


 と、後ろから誰かが声をかけた。琉人だ。正則と桜も来ている。見物に来たんだろうか?


「今日は久々にやろうかなと思って、現役時代のユニフォームを持ってきた」

「かっこいい! お兄ちゃん、本当に元サッカー選手だったんだ」


 琉人はほれぼれした。本当にサッカー選手だったんだな。サッカー選手としてはうまくいかなかったけど、子のユニフォームは何よりの財産のようなものだ。


「そうだよ!」


 琉人の後に続いて、8人の男の子がやって来た。うち5人は黄色いビブスを着ている。この子たちが対戦相手のようだ。


 政らはサッカーの試合を始めた。と言っても、5対5のいわゆるフットサルだ。その周りでは保護者がその様子を見ている。まるでここは小さなスタジアムのようだ。政は少し興奮してきた。もう引退した、サッカーはもうやらないと思っていたのに、この気分は何だろう。僕はやっぱりサッカーをするのが好きなんだろうか?


「それっ!」


 と、政の元にボールが飛んできた。シュートのチャンスだ。かっこいい所、見せてやる!


「いくぞ!」


 政はゴールポストに向かってボールを蹴った。だが、ボールは枠の外に飛んでいった。政は悔しがった。どうしてこんなに悔しいんだろう。


「あー、入らなかったか。残念」


 政は頭を抱えた。こんなに興奮したのは久しぶりだ。やっぱりサッカーは楽しいな。琉人はそのプレイを見て、すごいなと思った。これが元プロの実力何だろうか? 自分とは桁外れだ。自分はまだまだ未熟だ。もっと頑張らないと。


 その数分後、再びチャンスが巡ってきた。琉人からのパスに政は反応し、ボレーシュートを放った。


「えいっ!」


 政の蹴ったボールはゴールポストの枠内に入った。ゴールが決まった。


「よっしゃー、ゴール!」


 政は喜んだ。これがゴールした時の喜びなんだ。引退して、サッカーをやらなくなって以降、その感覚を忘れてしまった。こんなに楽しいとは。


「やっぱ強いじゃん!」


 琉人はほれぼれした。さすがは元プロだな。伊達じゃない。


「全盛期と比べたら衰えたけどね」


 政は少し照れた。強かった頃はもっとすごいシュートを放てたんだけどな。引退して、サッカーをやらなくなって以降、テクニックもスピードも落ちてしまった。


「でもすごい!」

「ありがとう」


 その時、その様子を田中が見ていた。田中は休日、市内を回って気分を晴らしていた。


「楽しそうにやってますね」

「うん」


 その横にいるのは、田中が勤めている小学校の教頭だ。教頭もかつて、少年サッカーの監督で、教え子の中にはプロだった子もいるらしい。


「これがまさやんだな」

「えっ!?」


 田中は知っていた。政はサッカーが好きで、サッカーをしている時が一番幸せだと思っているんだ。こうして、純粋にサッカーをの死んでいる姿を見ていると、少年時代の政の事を思い浮かべる。


「まさやんって、本当にサッカーが好きで、サッカーをしている時が一番幸せだと思ってたんだ。今はそうじゃないだろうけど」

「へぇ」


 田中はその時思った。もうプロは無理でも、サッカーをしたい、教えたいという思いがあるんだろうか? 一緒に子供たちを教えるのに興味があるのでは? だったら、うちの少年サッカーのコーチをしてほしいな。


「あの姿を見てると、まだ楽しくサッカーをするっていう精神を忘れてないのかな?」

「わからないね」


 教頭には全くわからなかった。本当に政は今でもサッカーが好きなんだろうか?


「うーん・・・」

「どうした?」


 と、田中は何かで悩んでいる。教頭は田中の表情が気になった。


「いやいや、何でもないよ」

「ふーん・・・」


 そろそろ帰る時間だ。音羽町に戻ろう。


「じゃあ、帰ろうか」

「うん」


 2人は公園を後にした。2人が来ていたことを、政は全く知らなかった。




 翌日の夜、今日も政は屋台を始める準備をしていた。サッカーをするのが再び好きになったためか、少し足取りが軽い。どうしてだろう。


「さて、今日も始めるか」


 と、そこに田中がやって来た。まさか、また来るとは。今日は何を注文するんだろう。


「あっ、ひろくんいらっしゃい!」

「熱燗ね」


 政はお湯の中から熱燗の入った瓶を出した。


「どうぞ!」

「ありがとう。つまみは、どれにしようかな? とりあえず、大根と黒はんぺんで」


 政は鍋の中から大根と黒はんぺんを出した。田中は寒そうな表情で熱燗を口にした。


「へい、おまち!」

「どうもありがとう」


 田中が来たのには理由がある。政はもうサッカーにかかわりたくない、ただのファンでいたいと思っているんだろうか? それとも、またサッカーを楽しみたいと思っているんだろうか? もしそうなら、うちの少年サッカーのコーチをしてほしいな。


「なぁまさやん」

「どうした?」


 政は顔を上げた。田中は真剣な表情だ。どうしたんだろう。


「うちの少年サッカーのコーチ、やりたいと思わん?」

「な、何だ急に」


 政は戸惑った。コーチをやるなんて、全く考えた事がない。サッカーをしたことがあっても、教えた事がないし、本当にできるかどうか心配だ。


「いや、こないだ、みんなとサッカーをしてるのを見て、まだサッカーが楽しいと思ってるのかなと思って」

「うーん、あの時やってるうちに、楽しいと思い始めてきて。でも、もう引退したんだから」


 政は思っていた。やはり僕はサッカーが好きなんだ。あの時、大きな夢を持ちすぎたから、挫折したんだなと。こうやってひっそりと生きるのもいいけど、プロとして生きてきた日々を生かせるような事をしていくのもいいなと。


「やってみてよ、お金はいらないから」

「うーん・・・」


 だが、政は戸惑っていた。自分には駄菓子屋があるし、屋台もある。コーチを兼ねて頑張るって、できるんだろうか?


「まぁ、考えてよ。いつでも待ってるよ」

「・・・、わかった、いい方向に考えとくよ」

「わかった」


 結局、政は何も言わなかった。後日、直之にも相談しよう。田中と一緒に、少年サッカーを教えてもいいんだろうか?




 次の日の夕方、政は悩んでいた。昨日、屋台にやって来た田中から、少年サッカーのコーチになってくれないかと言われた。もう夢なんて持たなくなったのに。だけどサッカーが好きだし、教えたい気持ちがある。だけど、駄菓子屋も屋台もやらなければならない。どうしよう。店を休むわけにはいかない。


「どうしたの?」


 政は顔を上げた。そこには直之がいる。直之は、いつもと違う表情の政が気になった。何を悩んでいるんだろう。気にせず話してほしいな。


「昨日の夜、ひろくんがやってきて、少年サッカーのコーチをやらないかと言われたんだ」

「どうなの?」


 直之も気になった。政は今でもサッカーが好きなんだろうか? そして、教えたいと思っているんだろうか?


「うーん・・・、悩んでるんだよ。もう僕は引退したんだけど」

「やってみろよ! お兄ちゃんも応援してるぞ!」


 直之は賛成だ。政がサッカーを教えたいと言う夢を持つなら、応援したい。何らかの差し入れも出すから。直之は政がサッカーを教える姿が見たいと思っていた。


「でも、教える力あるかな?」


 だが、政は不安だ。教えるなんて、経験がない。本当にできるんだろうか? 全然わからないと言われないだろうか? そして、成績が良くなかったらバッシングを受けて、またサッカーが嫌いにならないだろうか? 心配だらけだ。


「頑張ってみてよ! やってみなきゃ、始まらないだろう」

「そう、かな?」


 政は戸惑っている。本当にやっていいんだろうか?


「いつまでも悩んでないで、勇気を出してひろくんに言ってみろよ」

「わ、わかった・・・」


 政は決意した。コーチへの要請を受け入れると田中に電話しよう。きっとこれが、新しい人生のキックオフだと思って。


 政は携帯電話を取り、田中に電話をした。すでに学校が終わった頃だ。おそらく、少年サッカーの練習時間だろう。


「もしもし」

「あっ、ひろくん?」


 田中が電話に出た。雑音の様子から、少年サッカーの練習場だろう。子供たちの声が聞こえる。


「どうした、まさやん」

「コーチになってくれって話なんだけど、やろうと思ってるから」


 田中はほっとした。やっとまたサッカーをやってくれる気になった。やっぱり政はサッカーが好きなんだと改めて思った。


「そっか」

「教えるなんて、全くやった事ないから、どうなるかわからないけど、やってみようと思って」


 確かにそうだ。政はサッカーはしたことがあるけれど、プロになったとはいえ、教える側になった事がない。


「いいぞ。困った時は俺に聞いて。相談に乗ってやるから」

「ありがとう」


 政はほっとした。わからないときは田中に相談した方がいい。コーチとしてはまだまだ初心者なのだ。


「いいよ。だって友達じゃん!」

「そうだね!」


 電話は切れた。田中は忙しいのだろう。政は気が軽くなった。駄菓子屋、おでんの屋台の他に、もう1つの顔ができた。人生はこれから。もっと頑張っていかないと。そして、夢をもっていかないと。




 それから数週間後、夕方の少年サッカー練習場には政の姿があった。田中と一緒に少年サッカーの指導をしている。その様子を、直之は見ている。政はとても幸せそうだ。これがサッカーが好きな政の姿なんだな。直之はほれぼれした。


「もっとパスを早く!」


 田中の声が届く。その声に応えるように、子供たちはもっと早くパスをしている。2人とも、険しい表情だ。だが、その中にも、優しさがあるようだ。


「相手の動きを読むんだ!」

「そうだそうだ!」


 プレーがうまくいくと、政は子供た頭を撫でた。その子供は嬉しそうだ。きっと、もっと頑張らないとと思っているんだろう。


「元気にやってるね」


 直之が横を見ると、そこには正則と桜がいる。政が教えている姿を見ようと思って、やって来たと思われる。


「やっと夢を持ってくれたみたいで、嬉しいよ」


 正則は、少年の頃の政の姿を思い浮かべていた。あの時のように、夢を持っているようで、輝いているように見える。


 そして政の少年サッカーのコーチとしての人生が今、キックオフした。

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