3

 翌日の夕方、政はいつものように直之と店番をしていた。今日も平凡に時間が過ぎていく。サッカー選手だった頃は練習漬けで、サッカーが好きになれなくなってきた。そして、ケガをしてしまい、ここで余生を送っている。だけど、この日々が幸せだったんじゃないかなと思う。


 子供たちの下校時間はもうとっくに過ぎた。今さっきまでよく来ていた子供たちも、すっかりいなくなった。もう家に帰って、勉強をしたり、ゲームをしたり、あるいはテレビを見ているだろう。


 と、そこに1人の男の子がやって来た。サッカー用具が入っていると思われるリュックを背負っている。少年サッカーの練習の帰りだろうか?


「あっ、いらっしゃい! あれっ!? あの時の?」


 政はその男の子に反応した。先日、公園で出会った男の子だ。男の子の名前は琉人(りゅうと)。まさか、駄菓子屋に現れるとは。


「昨日、道に転がったボールをスローインしてくれたあのお兄ちゃん?」


 それを聞いて、琉人は反応した。あのスローイン、まるでプロ選手のようだった。あれ以来、琉人は思った。ひょっとして、あの人は元サッカー選手だろうか?


「えっ!? あの時の?」


 やっぱりそうだった。何という偶然だろう。


「うん。スローインがすっごくうまかったなって」

「いえいえ」


 政は少し照れた。プロサッカー選手だったとはいえ、短期間だし、レギュラーになれなかったのに。そんなにうまくないのに。


 と、琉人は何かを思い出した。お腹が空いたからここでおでんを買っていこうと思っていたのに、話に夢中で買い忘れる所だった。


「あっ、そうだった。これを買ってこと思ってたんだ」


 琉人は鍋の中から大根とちくわを出した。


「2本で200円ね」


 琉人は財布から200円を出した。するとすぐに、おでん種の入ったフードパックを取った。


「ありがとうございました」


 琉人が去ると、直之がやって来た。今さっきの会話に反応したようだ。


「どうしたんだい?」


 直之はその話の内容が気になった。政と会った事がある男の子だろうか?


「昨日、偶然会った男の子が、駄菓子屋に来たんでね」

「ふーん」


 まさか、先日で会った男の子がこの店に来るとは。何という偶然だろう。


「まさか会うとはね」

「練習試合の帰りかな?」

「さぁどうだろう」


 2人はとても嬉しくなった。また1つ新しい縁ができたようで、とても嬉しい。またこの店に来てほしいな。




 それから数十分後、静鉄電車に乗って、琉人は家に帰ってきた。家は御門台駅から歩いて10分ぐらいの所にある。2階建ての近代的な普通の家だ。


「ただいまー」

「おかえりー、あっ、途中でおでん食べてきたの?」


 玄関に入ると、琉人の母、桜(さくら)が反応した。少し帰りが遅かった。ひょっとして、また練習帰りに静岡おでんを食べてきたんだろうか?


「うん。音羽町駅の近くの『てしがわら』ってとこ」

「えっ、そこ?」


 桜はその駄菓子屋の名前を聞いて、反応した。あそこはなかなか有名な店だ。特に、この駄菓子屋を経営している勅使河原兄弟の弟、政が有名らしい。


「お母さん、知ってるの?」

「うん。あそこにいる政って子、昔はサッカー選手だったんだよ」


 桜は、政が元サッカー選手だったのを知っていた。中学校の頃に好きだった人で、福岡の高校に進学してからも、プロ入りしてからもファンだったと言う。だが、政はすぐに戦力外通告、そして引退になり、それから全く政に興味を持たなかった。だが、兄が経営している駄菓子屋を手伝っていて、夜になると音羽町駅の近くでおでんの屋台を開いているのは知っていた。


「えっ、本当?」


 琉人は驚いた。まさか、あの人が元サッカー選手だったとは。道理でスローインがうまかったわけだ。


「うん」

「琉人、明日の夜、その人が夜に営業してるおでん屋で飲もうと思うんだが、行ってみるかい?」


 と、リビングでくつろいでいた父、正則(まさのり)が反応した。正則も中学校時代の友達で、同じくサッカー部だった。


「うん」


 琉人は思った。元サッカー選手なのか。きっと面白い話が聞けそうだ。行ってみようかな?


「よし、決まった! 明日の夜は3人でおでん食べに行くぞ!」

「さんせーい!」


 3人は明日の夜、音羽町駅の近くにある政のおでん屋台に行ってみようと思った。どんな話が聞けるんだろう。楽しみだな。




 明日の夜、3人は静鉄電車に乗って音羽町駅にやって来た。琉人の両親は楽しみにしていた。政に久しぶりに会える。どんな顔をしているんだろう。そして、サッカーについてどう思っているんだろう、聞きたいな。


 音羽町駅から少し歩くと、おでんの屋台が見える。これが政の営業しているおでんの屋台だろう。暖簾をかき分けては行ってみると、そこには政がいる。昔と顔があまり変わっていない。


「いらっしゃい! あれ? あの時の子じゃん!」


 政は入ってきた男の子に見覚えがあった。昨日の夕方にやって来た男の子だ。まさか、屋台にも来てくれるとは。


「うん! お父さんとお母さんに誘われて」

「そっか。だけど、子供が酒を飲むのはレッドカードだよ」


 政は注意した。ここで出してる飲み物はみんなお酒だ。20歳未満は酒を飲めない。


「わかってるって。お茶で」

「そっか」


 ルールを知っているようだ。政はほっとした。琉人はペットボトルのお茶を出した。飲み物の持ち込みはいけないが、子供に限ってペットボトルのお茶のみ許可している。


「瓶ビールで」

「私、熱燗で」


 正則は瓶ビール、桜は熱燗を注文した。政はすぐに瓶ビールとコップを出し、栓を開けた。それと一緒に、カップに入った熱燗を出した。


「へい、おまち! 何頼む?」

「大根とちくわで!」


 琉人は大根とちくわを注文した。


「じゃあ、私、黒はんぺんと巾着で」

「僕、黒はんぺんと卵で」


 正則と桜も注文した。せっかく来たんだ。注文しないと。


「はい、どうぞ」


 政はすぐに注文の品を出した。3人はすぐに食べ始めた。


「ねぇお兄ちゃん」


 突然、琉人は聞いた。政は本当に元サッカー選手だったんだろうか?


「どうした?」

「元プロサッカー選手だったって、本当?」

「ああ。ケガですぐ引退しちゃったけどな」


 政は寂しそうな表情だ。本当はもっと頑張りたかったのに。だけど自分は天狗になりすぎていた。大きな夢を持ちすぎていたんだ。だから、早く引退してしまったんだ。もう夢を持つのはやめて、ここでひっそりと生きるのがいいだろう。


「そうなんだ。プロって、厳しい?」

「うん。競争が厳しいからね。レギュラーになれるのは大変だし、代表はもっと厳しいよ」


 政はプロになって、サッカーの厳しさを知った。もうサッカーなんてしない。ただのファンでありたいな。


「そうなんだ・・・」


 それを聞いて、琉人は下を向いた。プロって、こんなに厳しいのかな? 本当にプロになってもいいのかな? 政みたいに、すぐに引退するって事にならないのかな?


「どうした?」


 政は琉人の様子が気になった。何か悩み事でもあるんだろうか? あったら、話してほしいな。


「俺、プロになりたいって思ってるんだけど、こんなに厳しいのかな?」

「俺は天狗になってたから、ケガをしてすぐにクビになったんだ。だから、まじめに頑張っていれば大丈夫なのかなって」


 プロになったからと言って、天狗になっていたら行けないんだな。入ってからが大事なんだな。レギュラーになって、代表になって、ヨーロッパに行って、引退するまで頑張らなければいけないんだな。琉人はプロの厳しさを知った。


「うーん・・・」

「あくまでもこれは俺の考えで」


 琉人の両親もその話に聞き入っていた。だから戦力外になったんだな。つらかっただろうな。だけど、それで世間のつらさを知ったんだ。そして、自分を見つめ直したんだな。


「でも、プロに入ったからと言って、浮かれていちゃダメって事だね。プロに入ってからが勝負だって事だね」

「まぁ、そういう事かな?」


 政は少し笑みを浮かべた。だけど、こんなひっそりと生きる人生もいいな。


「あの時、すごい人に出会ったなーって。元プロサッカー選手でしょ?」

「まぁ、そうだけど。今はただの駄菓子屋のお兄ちゃんで、夜はおでん屋の店主だけどな」


 琉人は興奮していた。まさか、ここで元プロサッカー選手に出会えるとは。


「それでもすごいよ!」

「すごいの、かな?」


 桜はあっという間に熱燗を飲み干した。だが、まだ酔っていない。


「まぁ、深い事考えずに、おでん食べろよ! 冷めちゃうぞ!」

「そ、そうだね!」


 と、琉人は思いついた。今度、一緒にサッカーをしたいな。どんな腕前だったのか、見たいな。


「そうだ、お兄ちゃん、今度、サッカーしようよ」

「えっ・・・、もう、俺、引退したんだよ」


 政は焦った。もう引退したんだ。誘わないでくれ。


「お願い!」

「わ、わかったよ・・・」


 政は誘われるがままに、サッカーをすることになった。もうサッカーなんてやらないと思っていたのに。

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