3-4)警戒
* * *
召手取では、現在私服警官による張り込みがされている。不審者情報についても情報提供を求めており、神崎がいたずらに来るには難しい環境にはなっている。
そもそも、神崎が利用している目出度守の販売も停止されている状況で神崎が来るかどうかは不明だ。しかし、祠に神崎がこだわる可能性に賭けて人員が割かれている。
これだけの警戒がある中で神崎が来るのならば、ここの意味が変わるだろう。しかし同時に、百田の件でその可能性について揺らいでもいた。それでもこの場所に向かうとなったとき、天道は鬼塚、村山、天道の三人で動くことを選んだ。
鬼塚で頼りないというわけではないと天道ははっきり伝えていた。鬼塚自身、思うところがないわけではないが、それでも天道の選択はきちんとした理由で成り立っているとも思っている。
警戒する必要は十分にある。村山と鬼塚を一度待たせて、先に天道のみで祠を確認に言ったあたりからもその警戒の強さを実感させられもした。なにか、を天道は警戒している。そしてそのなにかが、少しずつ鬼塚にも降り積もっている。
百田に起きた先日の事象が、脳裏から消えない。あの日の村山に、なにかが重なりそうにすらなる。
「目出度さまの伝承は、神崎のしていることと相性が悪いんですよ」
思考を止めるように、とすり、と言葉が差し込まれる。村山の声に、鬼塚はその横顔を見下ろした。拝殿を見ている村山と視線は合わないが、それは鬼塚に押し付けないような語調とかみ合っている。
教師による授業というよりは、授業の合間にある雑談のような軽さという方が見合っているだろうか。あっさりとした軽さで、村山は鬼塚の思考に寄り添うように言葉を並べる。
「相性が悪い、とは」
「神崎のしていることは、手順作りです。でも、目出度さまって結局「おなりさまに果実を与えた」以外に特にすることがないんですよ。めでたいからお祝いしよう、くらいで、タブーじみたものもないんです」
平和な話だ、と、村山は度々いう。それくらいに目出度さまは、概念として祝い事に特化しすぎている言えるだろう。何か足りなかったから罰があたるといったものもなく、物語から感じるのは喜び。あっさりとした記念のようなものだ。
目出度神社の成り立ちが外部の人間による「祀った方がいい」という指摘からで、そのおかげで病が治った人たちがいるという話だが――それも結局、召手取の人間にとって実感から遠いものだ。祀った以上のこともなく、やはりここにも、禁忌性というものがない。対して百田の事件については、確実に法則と言えるものがあった。耳珠に増えた発疹のようなものを思い出し、鬼塚は目を伏せる。
「朗の時は、尋ねることが進行に繋がっていました」
「はい。百田さんの時は王道って感じですね。してはいけない、とか、こうしなさいみたいな取り決めは儀式に大事です。この部分をねじ込みにくいのが目出度さまの信仰ですね。果実を与えたについても、現状は目出度守を観光客に手にしてもらうくらいで、それが出来なかったらだめってものでもないですし、強烈なまじないのようなものもない」
神崎は、その取り決めを利用している。だからこそ、と村山は言葉を続けた。その語調は、思考でありながら思考以上の色があった。意思、と言えるだろうか。内側に向いた思考は、しかしはっきりと村山の意思を思わせる。
「だからこそ、あの祠を選んでいることに意味があるはず、というのが
祠、との言葉に、鬼塚は顔をしかめた。先ほど重ねてしまった妄が、また頭の奥で重なる。――村山の瞼が痙攣したように見え、妄がまた一枚、さらに今に重なった。
「怖くはありませんか」
つい落ちた言葉は、やけにぽかりと浮かんで聞こえた。自身の言葉を音で認識した鬼塚は、ゆっくりと目を見開いた。ぽかりと浮かんだ音は、言葉の意味をはっきり鬼塚に伝える。思わず口元を隠すように手の甲で抑えた鬼塚は、見開いてしまった目を鋭く細めた。
「すみません」
低く静かな声が、その謝罪を余計に神妙なものにしてしまう。恥じ入る心地と後悔で、鬼塚はさらに表情を険しくした。村山は職務としてこの場にいる。にもかかわらず、その問いはあまりに失礼だ。
「侮辱するようなことを、申してしまい……」
「あ、いえ、気にしないでください! 当人の状況確認大事ですからね、全然問題ないですよ!」
呻くように言葉を続けるだけでなくしっかり腰を折って謝罪した鬼塚に、ぱちくりと瞬くだけだった村山は慌てて声を上げた。ぶんぶんと手を振って否定する村山に、すみません、と頭を上げながらもう一度鬼塚が言葉を重ねる。慌てて手を振っていた村山は、たはは、と自身の頭に右手を添えた。
「いやあ、鬼塚さんにはあの時ご迷惑かけましたしね。うん、まあ心配になると思いますよ。私だってほかの人がそうだったら心配しますもん。ふつーです、フツー」
村山が言葉を重ねるのは、鬼塚の謝罪を重ねさせないためのものだ。そうわかるからこそ、鬼塚はそれ以上謝罪を口にしなかった。それでもどこか硬い表情の鬼塚に、村山は小さく息を吐くのに合わせて笑んだ。どこか仕方ないとでもいうような穏やかな微笑は、それでいて鬼塚には向かっていない。
数秒の、奇妙な間。一度目を伏せた村山は、自身の腹の前で両手を組むように合わせた。
「実際、怖いですし。……怖いですよ。怖かったし、今もそりゃ、ちょっとざわつくものはあります」
村山の言葉はあくまで穏やかだった。怖いというには感情を見せず、けれども無機質というにはやわらかい語調。冬の夕暮れのような、少しの寂しさを含んだ穏やかな声音。
「……すみません」
今度の謝罪は、なにを意味しているのか。説明のできない謝罪は不誠実だと思いながらも、自身で理解しきれぬままつい鬼塚は言葉を零してしまった。なにかを問われれば、不誠実に不誠実を重ねることになるだろう。しかし村山は、鬼塚に笑みを返すだけに留めた。問いは向けられず、そこにあるのは穏やかな許容だ。
「特捜室で言われている三原則は、
だから、怖いのが悪いわけじゃないです。そう続けられる言葉は、きちんと村山が業務と向き合っていることを伝えてくる。
村山は、自身を軽んじているわけではない。業務における矜持で立っているということは、怖がらないということでも当たり前にすることでもない。それは、あの三原則に詰められている想いでもあるのだろう。
「まあ、そもそも容疑者と直接対面どころかあんな急接近は初めてでしたしねえ、そりゃ怖くなっちゃいますよ。鬼塚さんにも、やきもきさせてすみませんでした」
「いえ、あれは自分が至らず……」
「いやいや、あれはホント私もああいう欲があるんですねってかんじで……捕まえられるなら、って思っちゃったんですよねえ」
なかなかあれは想定外でした。そう目を細める村山の言葉は他人事じみているが、それでもうんうんと頷いている様から実際の感情であることはわかる。返す言葉を持たずについ黙する鬼塚に、そういうの薄いほうだと思ったんですけどねえ、と村山は言葉を続けた。
「正直、容疑者としてもまだ薄いところで、ただの偶然かもしれなかったのにとか自分の問題は感じますが……それでもやっぱり、捕まるのならって感情があったんですねぇ。わが身大事に、がモットーなのに」
しみじみとした言葉に嘘はないとわかる。相槌のように頷いた鬼塚は、しかしもう一度、問うために口を開いた。
「お嫌でしたら聞かなかったことにしていただきたいのですが」
「はい」
「村山さんは、どうして今のお仕事を選ばれたのでしょうか」
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