特視研究所職員村山による怪異検案書
空代
第一話 目出度さまのおなりさま
1-1)初動捜査
――眼孔から、目が生えている。
天に向かって伸びるように立つ、と言えばいいのだろうか。理解しがたい惨状に、
「なんかあったら言えよ」
「……はい」
慣れるな・隠すな・侮るな。それが特殊捜査室のモットーだとは聞いている。配属して初の事件現場故に余計かけられているだろう気遣いに、鬼塚は奥歯を噛んだ。
「んな顔するな、そういう反応で正解なんだからよ。しかもこんな露骨なのは中々ない」
にや、と天道が眉をしかめながら笑う。元々天道は細いつり目故に物語の狐が笑ったような顔立ち故飄々とした印象を与えやすいが、それでも含む色は見えた。あえて見せているのだろう、と考え、鬼塚は神妙に頷く。
「そもそも初動で
「普通、ですか」
「普通だろ。ホトケさん以外はあまりに普通すぎるくらいだ」
天道が肩を竦める。確かに、住宅地の歩道以上の情報を鬼塚は見つけられなかった。思い込みは目を曇らせると言うが、例えば凶器らしい凶器はないし、被害者と加害者が揉め合ったような痕跡もない。しかし、おそらく鬼塚が想像するような異常ではない意味でもあるのだろう。鬼塚はこの現場が初めてだが、特殊捜査室の仕事については事前に聞いていた。
特殊詐欺事件捜査室と類似した名前でありながら、完全に異端の捜査室。刑事部でありながらどこの課にも所属しない、通称レイ課――霊課、オカルト課。そこの人間が見る普通、は、単純に言えばオカルト要素のない現場、と言えるだろう。
「なんでもかんでもオカルトにしたら目が狂う。あくまで普通の事件として扱って、やばそうな事態については現場である程度対応してもらうのが普通だからな。現場保存の基礎は学校でもやっただろ? 鑑識の方にも基本チェックは共有しているし、俺たちはもっぱらその後の仕事が多い」
あたりをいくらか確認すると、天道は遺体の傍にしゃがんだ。仰向けに寝転んだ遺体の中で飛び出ているのは眼球だけで、見下ろしている天道と丁度目が合う。
「初動で呼ばれる程度に酷いもんだが、こんだけ現場が綺麗なら俺たちの仕事はあんまないな。……ああ、お前はそんな覗き見なくていい。俺のもただの興味で、どーせ見てわかるもんじゃねーし」
後ろから近づいた鬼塚に、天道はひらひらと手を振って立ち上がった。つい疑問を視線に乗せる鬼塚を見て、天道は腰を伸ばす。まだ三十代前半とのことだが、天道はやや大げさに面倒くさそうな所作を見せるところがあった。
「俺たちは専門家先生じゃないからな。こういう死体を見るのは――」
「お待たせしました、特視研の
天道の言葉の途中で、現場に明るい声が入った。つられるようにそちらを見れば、女性が軽く頭を下げながら大股で鬼塚達に近づいてくる。眉上で短く髪が切られているので表情はわかりやすく、下がり眉と大きく探るような三白眼が遠目でもわかった。知った顔に、鬼塚は軽く会釈をする。
「鬼塚さんこんにちは、二度目まして。調子はどうですか?」
挨拶はにこにこと快活に、それでいて調子を伺う声音は少しだけ声量を落として女性――村山は尋ねた。鬼塚を覗き込むような視線は、天道に連れられて配属の挨拶に行った時と何ら変わりない。半楕円かつ釣り目の中の小さな虹彩はじっと鬼塚を見上げている。
「……こんにちは。問題ありません」
調子については平時の様子ではなく天道が問いかけるような気遣いからだろうと推察し、鬼塚は短く答えた。人からどうにも怯えられやすい、それこそ特捜室に配属前はマル暴が向いているんじゃないかと――鬼塚自身は能力的に向いていないのではと自覚していたが――言われるような迫力が前面に出ている鬼塚にとって、村山は少しだけ新鮮な距離感だ。パーソナルスペースに侵食することはないのだが、真っすぐ自身を覗き込む女性は貴重と言える。
そんな少し身構えるような鬼塚の様子を知ってか知らずか、村山はにたりと笑うとすぐに天道の横に立った。
「初動で
「呼ばれるだけのことはある、ってやつだ。とはいえ
「他はあんまですもんねぇ」
ふんふんと頷くと、村山はしゃがみこんだ。ひとつにまとめた髪が動きに合わせて少しはねる。先ほど天道がしゃがんだ時と違い膝を合わせるようにした村山の所作は、そのまま膝の上に肘が乗り、流れるような合掌となる。
いくらか小さく口元が動いた後、す、と、その合掌は解けた。
「では、失礼しますね」
その眼球が飛び出ていなければ、まるで遺体と顔を合わせて笑んだように見えたかもしれない。彼女は挨拶するように声をかけると、ふむ、と頭をかしげて眼球と眼孔を繋ぐ神経を見た。
「まあ、いつも通り詳細は解剖でなので、私の方は手早く。にしても、ちょっとだいぶ理屈を飛び越えているのは確かですね。視神経なのに天に掲げるように固まってるし、その長さも視神経飛び越えているし。うーん、この視神経の先は血管が長さ補っているのかな、寧ろ脳のほうかな……瞼も畳まれちゃってますし」
光あてますねぇと言って、村山は眼孔にペンライトを当てる。そうして覗き込んだ顔を離して、うん、と頷いた。
「綺麗ですね、これはちょっと……お顔から下も拝見しますねぇ」
また遺体に語り掛けるように言うと、村山はその鎖骨、指先などを確認するように順繰りに追いかけた。虹彩が小さめの三白眼故その視線の動きはわかりやすく、しかし何を追っているのかまで鬼塚にはわからない。
度々「失礼しますね」と声を掛けながらぐるりと確認を終えた村山は、いくらか考えるように目を伏せた。ぱち、ぱち。瞬くたび、その虹彩が静かに光をはじく。
様子を見ていた天道が腕を組む。そうしてから指先を2度揺らすと口を開いた。
「こっちの所見は、何もなし。見ての通りだな。こっから見つけるなら
「新入りじゃなくてもショックでしょ。天道さんも他の方も」
最後だけ茶化すようににんまりと笑う天道の表情は、物語の狐が化かすようでもあった。その態度に釘を差すようにしながら、村山も眉を下げて笑う。一瞬だけ視線を感じた鬼塚は、特に言葉を差し込まず背筋に力を入れた。刑事部に配属される程度には経験を積んできたし以前の部署での自負も矜持もあるが、それはそれとして『オカルト課』についてはあきらかに新参者の自覚はある。
「私の見解も何もなしですね。シロっぽく見えないので呼ばれたのはわかりますが……後は現場の方に任せましょう。ここからはいつもと同じですよ」
「了解、じゃあ話してくる」
言うやいなや、天道はするりと現場指揮にあたる男へ声を掛けに行く。
村山はそれを見ることなくもう一度遺体に手を合わせると頭を下げ、立ち上がった。鬼塚も軽く手を合わせ頭を下げる。邪魔にならないように遺体から離れた村山は、鬼塚を見上げるとにたりと笑った。
「天道さんからも聞いているかもしれませんが、初動でこういうのはあんまりないんで。貴重な例に立ち会いましたね」
「……勉強になります」
低い声で静かに鬼塚は言葉を落とす。同時に、眉間の皺が深くなった。確かに配属後初の現場だが、以前から警察という職務についているのだ。あまりに多い気遣いは寧ろ自身の不足を強める。
村山の下がり眉が少しだけその性質からではない意味で下がり、しかしすぐに村山は口角を上げてにたにたとした笑いを重ねた。
「ま、初動捜査は天道さんだってぶっちゃけ馴染んでないと思いますからね、刑事さんの力を発揮するのはこれからですよこれから!」
頼りにしてますよぉという語調はずいぶん明るい。もしかすると軽い、という方があっているかもしれない。けれどもそれは意味を含んだ軽さだった。
にたにた笑いのまま、村山は肩を竦める。
「私もここだと借りてきた猫になっちゃうんですよねえ。こんな綺麗な状態じゃほんとただの所見で終わっちゃう。検案を書くわけでもないですしねえ」
「綺麗」
鬼塚の復唱に、村山は瞼を少し持ち上げた。半楕円のつり目が持ち上がることで三白眼が四白眼の印象を作る。それからまた元に戻った瞼は、しかし少しだけ最初よりも伏せられていた。
「ええ、綺麗でした。どうみてもクロになりそうなのに、所見ではシロです」
「待たせた、戻るぞ」
村山の言葉に鬼塚が疑問を重ねるより早く、天道が軽く手を上げて声を掛けた。はい、と短く応える鬼塚と、有難うございますと頭を下げる村山の声が重なる。
「そういや村山さん、ここにはどうやって来た?」
「ああ、丁度出先で送ってもらったんですよね」
二人ともすっと笑みを消すと外に向かう。規制をしているとはいえ、現場自体は道路だ。一般人の視線を考えれば、ある程度の表情づくりは必要である。天道などは目元が笑って見えやすく面倒なんだよとぼやいていたので色々と気遣うことも多いのだろう。鬼塚自身は交番勤務時気安く話しかけてもらいづらいことが難しい問題だったが、場所により悩みは人それぞれだ。
「それじゃあ丁度いい、乗せてく。車内で簡単に話してくれや」
「あ、じゃあお言葉に甘えます。有難うございます。……よろしくお願いしますね鬼塚さん」
天道に頭を下げたあと、村山は鬼塚を振り返り再び頭を下げた。軽い会釈ではあるがわざわざなされた挨拶に、鬼塚も頭を下げ返す。
「よろしくお願いします」
外を意識している故に大げさではないが、それでも目を細め村山は頷いた。
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