2-3)喫茶店
* * *
休日の喫茶店、というのはお互いの距離からギリギリ選べるところと言えるだろう。会話するなら個室の方が内容としては好ましいが、その理由を言えるものでもない。故に村山は、無難と言える喫茶店でも出来るだけ奥の席を選び、椅子に座った。
「や、すみません。わざわざお時間貰っちゃって」
からり、と笑って言った百田の左耳の穴は、先日よりも少し目立って見えた。気のせいだろうか。耳珠近くまでは中々見て取れない。最初は小さいともある。じろじろ見るわけにはいかないしな、と思いながら、村山はにたりと笑った。
「基本休みは暇ですからね、人とお話しする機会は嬉しいですよ」
「どうせなら桂士と一緒のほうがいいかな、思ったんですけど。……ほら、共通の知り合いだから」
百田は鬼塚と違い、よく笑うようだった。からりとした語調は村山の軽薄さと違う朗らかさ。自身の名前を朗らかで紹介したのは合っているな、などと思いながら、村山はその表情をじっと見る。
短く刈り上げた髪に、鬼塚ほどではないが鍛えられた体。眉は整っており、清潔感のあるスポーツマンと言うのが外見から見て取れる印象。
だからこそ、その目元の影を化粧で隠しているだろうことが少しだけ浮いていた。
「桂士さんとでないのは、休みの問題ではないですよね」
柔らかい声を意識し、村山は穏やかに言葉を落とした。尋ねる言葉に意味はある。なんてことないような軽さではなく、しかし言葉を受け止められる程度に柔らかく。糾弾する色が出ないように意識した声音に、少しだけ百田の口角が痙攣を見せた。
けれどそれは、一瞬だ。
「いやあ、桂士にやきもち焼かれたら心配ですけど、せっかくなら二人でお話を、……なんて言うと困らせますね」
冗談ですよ冗談、とすぐに言ってのけるだけの軽さと気遣い。あえて微苦笑だけで返す村山に、百田は頭を掻いた。
「いやまあ桂士がいてもいいかなあとは思ったんですけど、あんま突っ込むと不安で」
「不安?」
「もしこう、あいつの守秘義務みたいなところ触っちゃったらヤバイじゃないっすか。俺そういうキョーカイセン? みたいなの見てとれる自信ないんですよねえ」
桂士と違って頭はそんなよくないんで。そう眉を下げて言う百田に、なるほど、と村山は笑った。配慮できる人の頭が良くないというのは納得しづらいが、それでも友人故に聞くことを躊躇う部分があるのだろう。
村山はいいのかという話もあるが、友人よりも他人の方が距離がある分安心する、ということはままある。
「桂士、口は堅いけど分かりやすいっていうか、分かりにくいのに分かりやすいっていうなんか器用というか不器用なやつというか、なんつーか今回もで」
あー、うー、とやや困ったように言葉を濁す百田に、村山は頷く。とりあえず聞く姿勢を見せ、言葉を拾い上げる方が良いだろう。百田はコーヒーに手を伸ばし三口ほど飲むと、ほんとあいつ、とコップと一緒に言葉を落とした。
「言わないと決めたことはきっちり言わないくせに直球なんですよ。これまであんま突っ込んで聞かなかったくせに、突然なんかきついことはないかとかなにか引っかかることがあるんじゃないかって。人を心配するときはお前もっと遠回しだっただろってやつで」
はは、と村山は小さく笑った。鬼塚の心配がそのまま出てしまっているのだろう。症状の確認は普通ならそこまで不思議じゃないだろうが、鬼塚の口数の少なさはこの短い期間で村山も感じていた。
鬼塚は孤独と言うわけではなく、きちんとコミュニケーションは取る人だ。人の言葉を拾い上げるし、無口、というものとは違う。けれども圧倒的に聞き役でもある。
付き合いが長ければ長いほど、唐突さを感じても仕方ない。フォローするならば学生時代はかけられなかった言葉をかけられるようになった、としてもいいが――敢えて村山は笑うだけに留めた。
わざわざそんな話を、村山に個別でしている。それならば百田自身、なんらかの意味を、理由を感じているはずだ。
「なんもない、なんだよ突然みたいに言いはしたんですけど、こう、これまでしなかったから気になっちゃって。とはいえ後から突っ込んで聞くにも、もしなんかこう、しんどい事件とかであったことを俺から見ちゃって重ねてとか、そういう繊細な理由だったらあんま突っ込んで聞かない方がいいのかなあとか、とはいえ気になるなってやつで。村山さん、警察官ってわけじゃないなら聞かれちゃまずいレベルはそこまで知らないかもで、それなら迷惑になりにくいかもなとか、まあもし知っていても適当に誤魔化してくれるかなって、そういう下心ですね」
からっとした物言いははっきりしている。きちんと伝えることを意識したもので、率直さは好ましい。ただ、村山は少しだけ眉を下げた。
「……でも、そういうの聞くってことは、心当たりがあるように聞こえますね」
ぱちり、と、百田が目を丸くする。守秘義務を気にするような人が、気になるだけで他人に乞うかどうか。他人の方が距離がある分安心する、というのは村山自身先ほど想定した。けれども同時に、それは聞きたいからこそ必要となる安心感だ。百田の物言いや気遣いから想像するに、気になるだけで聞くかと言うと疑問がある。
なにか心配されている。それが、もしかすると本当によくないことかもしれない。けれども
「気になるだけですよ」
「そうですか。まあ、桂士さんも友人だから心配してしまう、ってことがあるかもしれませんねえ」
歪んだ笑みは壁だ。その壁を取り外せるかと言うと、村山はなにも持ち得なかった。情報として渡せるものは、鬼塚と同程度。現状仕事でもなんでもなく、ただの憂慮でしかない。だから
百田にとっての村山は信頼できる専門家ではない。仕事として会っているわけでないから当然だ。
「そんな心配される覚えねーんですけどね」
「たとえばそうですね、私も心当たりがあるんですけど」
言葉が出ない時、待つこと・聞く姿勢を見せることは重要だ。けれどもその聞きたいことが相手の柔らかいものの時、村山は聞き出すほどの話術を持たない。話を聞くのは好きだが、どちらかというとそれは相手が会話したいという感情を持つから出来るだけだ。相手の善意・好意によって成り立つもの。そしてそれを引き出すのは、おそらく鬼塚の仕事。その鬼塚を避けた相手で、距離があるから村山が選ばれていて。
ならば当然、距離を埋めることは選択肢として存在しない。まあ存在したところで、村山ができるかというと無理なのだが。村山はその点、自身への評価がシビアだった。
「なんだかこう、辛そうな友人に何もできないのは苦しいんですよね。眠れないとか、落ち着かないとか、悩みがあるとか。どういう形であれ、なんだかこう、やつれたなーとか落ち着きがないなーとかいつもと違うなーってところから拾い上げた時、普段離れているからこそ知りたくなっちゃう。傍にいられないから、聞いてしまう」
とはいえ、鬼塚はそれでも黙っていそうではある。あくまでこの話は村山の心当たりで、聞く百田も、ふうん、と小さく声を漏らすだけだった。眠れない、という言葉になんらかの反応を示したのかどうか。そこまでくみ取る能力がない自身に苦笑しながら、村山はあえて思考を内側へ向けた。
気分としては、野良猫との距離の測り方。目を合わせず、なんてことないように。百田の方を見るのではなく、内へ、内へ。記憶の中へ。――あの日の後悔へ。
「本当は傍にいれたらよかったんですけど、距離はどうしても存在しますから」
「……別に、知らなくてもいいんじゃないんすか。俺は距離なんて、そんなもんだと思う」
「そうですね。多分、距離はほんとは、問題じゃないんです。近くにいても、私はわからなかった」
少しだけ、酸素が薄くなった心地で村山は唇を噛んだ。夜空の冷たさを思い出しす。テーブルの下で小さく手を握ると、村山は意識して瞬きを繰り返す。
左手も右手も、お互いを隠しきることはない。ふ、と、呼気がテーブルに落ちる。
「死んだらなにも、届きませんからね」
村山の言葉に、こつり、と、コーヒーカップが音を立てた。
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