終章 夢の終わり
安らかに眠るあの男をしばらく見下ろしていると、次第に、怒りが湧き上がってきた。
その怒りのまま、小春はテーブルクロスを剥がし、あの男の肩の傷を縛ろうとした……けれど、左腕しかない小春には、そんなことさえできないことに気が付き、どうしようもない憤りに打ち震えながら、真也に電話をかけた。幾度か鳴らしても繋がらず、本部へかけた。
小春は、もう見納めだろうと、二階の、良く佐和と遊んだチョコレート工房へ行った。
そこに、簡易な棺に入れられた、佐和の遺体があった。
佐和の顔は穏やかに見えた。
佐和の家を虚無的とさえ言える状態で出て、何度も何度もそうしたように、その外観を見上げていると、聞き慣れた走行音が近づいてきた。
小春が空ろに眺める先で、真也たちが良く使用している車が数台、通りの向こうからやってくる。
その一台から、ひとり、軽やかに降り、小春に飛びついてきた。
「サラ!」
黒髪が波打って、陽に白い
「シナ!」
そう、まさしくシナだった。最後に見た時と変わらず、負けん気の強い幼顔に、
「シナ! 良かった!」
すぐに尋ねた。
「どうして? どうやって? みんなは?」
「動画を見てね、急いで来たの! ああ、もともとね、要塞に戻ったんだけど、もうサラの友達のお仲間さんがたくさんいてね、それで、ここまでたどり着くのに結構、かかっちゃったんだよ! ほんと、交渉役で良かったよ!」
最後の言葉を聞いて、小春は眉を
「え?」
「『歯車』にかけあったの! だって、言ったでしょ、あいつら殴り倒しても絶対、出してあげるって!」
小春はシナをまじまじと見つめた。
「……他のみんなは……?」
「大丈夫、もうすぐ解放されるって! なんかね、若干、手違いがあったみたいなんだけど……」
小春は黙り込んだ。
「サラ?」
「シナ、何があったか、知ってるの?」
「まあ、ちょっと乱暴過ぎたみたいだけど……でも、みんな無事だよ!」
シナの笑顔は、初めて会った時と同じく、朗らかだった。
その笑顔には曇りがなかった。
「うん? サラ、どうしたの?」
小春は弱々しく微笑みかけてから、何も言わずにシナに背を向けた。
「サラ? サラ!」
シナは何も悪くない……何も、知らなかったのだ。そうとも、シナは悪くない……。小春は何度もそう呟いた。
途中から駆け出していた。
いや、誰が悪かったなんていうことがあるのだろうか。……ユエも、ゼンも、セキも、リナも、潤も、恵津子も、真也も、あの男も、佐和も、あのサラリーマンでさえも、もちろん、あの少女も……誰もが、瞬間、瞬間に生きていた、ただ、それだけではないか……。
そう思うと、小春は、無性に笑い出したくなった。
小春はひとりで駆けながら、佐和との楽しく、しかし決して戻らない、あの夢のような日々のことを考えていた。小春は今、その夢のような日々に向かって、駆けている、そんな気がした。そうとも、あの夢のような日々が終わってからというのも、ずっとぼんやりと、夢の中で、まるで自分じゃないように、生きてきた気がする。
たどり着いた先は、あの公園だった。スズランが咲いていた、今はもうかさかさな石垣に座り、小春は右腕があったはずのところを左手で、繰り返し、繰り返し、撫でた。
左手の指が赤くなっても、その痛みをあえて感じようとするように、撫で続けた。
(了)
「返信 ―to/of modern society―」 縞あつし @shitsuamashi
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