Ⅲ 人魚の美貌には相応の礼節を

「──フゥ……これでよしっと……」


 その後、俺はエーリクとともに、日が暮れるまでかかって人魚を捕える仕掛けを作った。


 罠を張る場所は、あの小舟を着けて上陸した埠頭の跡らしき円形の入江。ぐるっとこの入江を取り囲む岩場を使って巨大な魔法円を描き、そこにあの人魚を追い込むっていう作戦だ。


 『シグザンド写本』も他の魔導書同様、その魔術には魔法円を使う。だが、前にも言ったようにこいつの魔術は〝魔除け〟に特化しているため、その魔法円も悪魔を召喚するんじゃなく、魔を退けたり、捕えるためのものっていうわけである。


 そのおかげで魔物や悪霊を捕獲するのにゃあ向いてるんだが、逆にいくら珍しくとも生身の動物相手じゃあ、まったく役には立たねえ……もしあの人魚が生物なまものだった場合、この努力も徒労に終わることになっちまうんだが……ま、昼間の様子からすればたぶん大丈夫だろう。


 てなわけで、俺達はまず岩の突端を丸くロープで結び、さらに五つの岩も星形にロープで結んで、人魚が泳ぐのを邪魔しねえよう海上に巨大な円と五芒星を縄で描いた…… こいつが『シグザンド写本』に載ってる魔法円だ。


 さらにロープを張った岩の表面に白墨で三日月を描き、岩の上に蝋燭を立てて麻布で包んだパン切れも置く……こいつは巻末付録の『サアアマアア典儀』にある魔法円強化法の、この入江に合わせた俺様オリジナルアレンジである。


 さあて、細工は流々。あとは人魚を誘き寄せるだけだ。


「おい! ほんとに俺の身の安全は保証されてるんだろうな?」


 その入江の真ん中で小舟に乗る、ひどく不安げな表情をしたエーリクが尋ねてくる……つまり、ヤツが人魚を釣るための餌なわけだ。


 一度狙いをつけたエーリクがのこのこ海に出てきていれば、きっとまた食いついてくるに違えねえ。


「なあに、心配すんな! また正気を失っても、俺がこいつを引っ張って海に落ちねえようにしてやる! それに『シグザンド写本』の魔術は人体には無害だ! 一緒に閉じ込められても人魚にしか影響はねえから安心しな!」


 そんなに対して、ヤツに巻きつけたロープの端を握りながら、岩場の端に立つ俺は安堵させようと声を張り上げる。


「一緒にって……その間に喰い殺されたらどうすんだよ!?」


「だいじょぶだ! 魔法円の力が発動すれば人魚も弱る! ……はずだ!」


「ほんとに大丈夫なんだろうな……」


 それでもエーリクはぶつぶつ不安そうに呟いていたが、かくして餌を海に垂らす・・・・・・・と、日の沈んだ藍色の海は徐々に夜の色を深めていった。


 奇しくもこの夜は満月であり、頭上に煌々と輝く巨大な月が、小波さざなみ立つ水面を蒼みがかった銀色に照らしている……まさに〝白金の港プエルタ・プラティーノ〟の名に相応しい景色だ。


 また、魔法円の強化のため、入江の岩の上に灯したいくつもの蝋燭が、周辺の闇を 仄かな橙色オレンジに染めあげてなんとも幻想的な雰囲気を醸し出していやがる……これから〝魔物狩り〟をするってのに、なんとも緊張感を欠く絶景だぜ。


「…ララーララ〜ララーララ〜…」


「…! 来やがった!」


 と、景色に見惚れて油断していたところへ、あの歌声がまたしても聞こえてきやがった。


 さらに沖の方へ目をやると、銀色の海にそれらしき女の影も浮かんでいる。


「ひいっ…!」


 その美しくも恐ろしい歌声に、エーリクは慌てて耳を手で塞ぐと、震える身体を船上で小さく丸める……が、そんなことで人魚の魔力からは逃れられねえようだ。


「……やっぱり美しい……ほんとに、なんて美しい声なんだ……もう我慢できない。早く俺を迎えに来てくれ……」


 今度も歌声に惑わされると、虚ろな瞳をしたエーリクはドボン…と小舟から海へ飛び込んでしまう。


 だが、それを見ても俺は慌てねえし、ヤツに結びつけたロープを引っ張ることもねえ……じつをいうと、エーリクが海中に落ちるとこまでが本当のおとりとしての役割だ。


 そうじゃねえと、人魚が食いついて入江まで入ってこねえからな。ロープはまあ、万が一、捕獲に失敗した場合、エーリクが沖合に連れ去られねえようにとの用心である。


「キィィィーッ…!」


 俺の目論見通り、奇妙な鳴き声を発した人魚は海中へ潜り、水面に浮かぶ獲物めがけてまっすぐ入江へと泳いでくる……。


「よし! 今だ! 太古より受け継がれしラアアエエの魔術によりて我は汝に命ずる! 邪悪なる魔物よ! 魔法円の檻に捕えられ、俺様の足下に服従しやがれ!」


 その好機を俺は見逃さねえ……身を隠していた岩の影から立ち上がると、俺は『シグザンド写本』を頭上に掲げて呪文を唱える。


「ギャアアアアーッ…!」


 すると、岩を繋いだ円と星形のロープ、そして白墨で描いた三日月形が青白く輝きだし、入江でエーリクを襲おうとしていた人魚は海面から顔を出して苦悶の雄叫びをあげる。


「……ハッ! ぷはっ…! な、なんだ? また海の中!?」


 と同時にエーリクも我を取り戻し、うっかり海水を飲み込みながら大いに慌てふためいている。ヤツも魔法円の力で術が解けたみてえだ。


「やったぞ! 人魚は捕らえた! 苦し紛れに喰われねえよう早く上がってこい!」


 今度こそロープを引っ張りながら、そんなエーリクに俺は嬉々としてそう呼びかける。


「キィィィーッ…!」


 人魚は相変わらず奇声を発し、身悶えて入江の中をぐるぐる回っている……突然、入江に張った魔法円の力で抑え込まれ、だいぶ混乱している様子だ。


「さあ、最後の仕上げといこうか。あとはこいつで生捕りだ」


 俺は人魚の状態を確認すると、傍に用意しておいた投網とあみを手にとる……こいつにも『サアアマアア典儀』の魔法円を描いた木札を方々に結え付けてあり、こいつで捕まえれば完全に自由を奪えるっていう寸法だ。


「おい! いつまでも水浴びしてねえで、早く上がって来ててめえも手伝え!」


「あ、ああ。わかったよ……」


 気づけば人魚と一緒に生簀いけすの中…というようなこの状況に、ついていけてないエーリクの野郎を俺は急かす。


 ……が、その時。


「キィィィィィィーッ…!」


 一際大きな鳴き声をあげたかと思うと、派手に水飛沫を散らしながら、不意に人魚が海面高く飛び跳ねた。


「……!」


 思わぬその光景に、一瞬、俺もエーリクもハッと息を飲んで固まってしまう……なぜならば、それはどうにも美しすぎたからだ。


 蒼白い月明かりを浴びて、銀色に輝く水飛沫と尾鰭を覆い尽くす鱗……それに、たなびく金色の長い髪と女性らしく引き締まったエロチシズムを感じるプロポーション……そういえば、初めて人魚の全体像を見たが、上半身は想像以上に麗しい乙女だ……。


 それはまるで、この世のものとは思えないような妖艶で蠱惑的な光景だった。


時が止まったかのように永遠を感じるも、それはわずか一瞬の出来事であったが、次の瞬間、ドボン…という水の音で俺達は我に返る。


「……ハッ! そ、そうだ。早く投網を……」


 気を取り直し、再び投網の準備に取りかかろうとする俺であるが、対してエーリクはなぜか予想外の行動に出る。


「……ん? あ、おい! なにしやがんだ!?」


 なんと、腰に挿していたナイフを引き抜くと、五芒星を構成する縄の一本を切りやがったのだ!


 慌てて声をあげるもそのはじから、形を損なった魔法円はラアアエエ魔術の効力を失う。


「キィィィーッ…!」


 その隙を人魚も見逃さず、再び金切り声を響かせたかと思いきや、さっさと入江から出て行ってしまう。


「クソっ! こうなりゃ奥の手だ……」


 逃げゆく人魚に、俺は投網を放り出して腰へ手をやると、下げていた燧石フリントロック式マスケット短銃を今度は手に取る。


 こいつには魔物に効く銀の弾丸が仕込んであり、苦しい家計をなんとか遣り繰りして買った俺の虎の子だ。


 せっかくの好機チャンス、こうなりゃ生捕りを諦めても逃す手はねえ……。


「キィィィィィーッ…!」


「こいつを喰らいやがれっ!」


 もう一度、大きな鳴き声とともに高く飛び跳ねた瞬間、俺は狙いを定めて短銃の引鉄ひきがねをひく。


 ……だが、パーン…! と渇いた銃声を夜の海に響かせたものの、値の張る銀の弾は獲物を外れて、どこか明後日の方向へと飛んでいっちまった。


「チッ…! おい! なに考えてやがんだ!? まだ人魚の歌声に惑わされてんのか!?」


 俺は舌打ちをすると、いまだ海に浸かったままのエーリクに苛立たしげな声をあげる。


「いや違う! ……ああいや、そうなのかもしれない……あんたも見ただろ? あんな美しい生き物は他にいない……彼女は神の創られし最高傑作。人がどうこうしていいような存在じゃないんだ……」


 だが、一度きっぱりと否定した後、すぐに頷いてみせたりして、歌声の魔力からは解放されるも、すっかりその美しさに魅了されちまっているみてえだ。


「ケッ! せっかくこんなとこまで来たってのになに言ってやがる。これじゃあ、とんだ骨折損のくたびれ儲けだぜ」


 所詮はやっぱり貴族のお坊ちゃん。そんな甘えことほざいてるエーリクに俺は吐き捨てるようにしてそう言うが、内心、俺もヤツを責めた義理じゃあなかったりなんかする……かくいう俺も、あの美しさにわざと狙いを外しちまったからだ。


「ったく。またなんともハーフボイルドな仕事をしちまったぜ……ま、これに懲りて、そう易々とは人魚も人を襲わなくなんだろう。んな慈善事業、飯の足しにもならねえが、世のため人のために魔物退治をしてやったってことにしといてやるか……」


 俺らしくもねえ気恥ずかしさと、ヤツばかりを責められねえ後ろめたさから、そんな自分を納得させるように俺は強がりを言ってみせる。


「ま、それに、報酬代わりと言っちゃなんだが、なかなかいいもん見せてもったからな……」


 そして、人魚の消え失せた銀色の海を眺めながら、エーリクには聞こえないよう、こっそりと小声でそう独りごちた。


(La Sirène Au Clair De Lune〜月夜の人魚〜 了)

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La Sirène Au Clair De Lune 〜月夜の人魚〜 平中なごん @HiranakaNagon

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