雪原の虫けら

 一切の無駄のない、しかし重みのある描写。
 率直に云って、この方はプロの仕事をしておられると想う。
 こんなすごい方でもほとんど読者のいないまま埋没しているのが遣る瀬無い。
 だからだろう、この小説を、わたしはわたしを含む、カクヨムの底辺に沈んでいる無名の人々のことを重ね合わせて読んだのだ。


 勝利への飢餓感。競うからには馬を勝たせたい。
 身体が故障してもまだ競技を続けたい。
 この二つの車輪でひたむきに馬を走らせてきた引退間近の競馬騎手が主人公だ。

 帯広ばんえい競馬場。どさんこ弁が味を添えている。

 長年その背中を見てきた小面憎いライバル馬にも、衰える時はついに来る。
 主人公はどこかで、それを待っていた。
 名馬の潮時を目の当たりにした主人公だが、しかしその胸には違う衝動が沸き上がる。
 くたばり損ない。お前はもう駄目さ。
 ついにその日が来たんだよ。

 俺もそうだよ。

 這ってでも走れ。
 そのいななきは自己満足の為に。しかしそれを聴く者は、この雪原で足掻く虫けらを見下ろす天界の喇叭に聴こえるのだ。
 順位は最後でもいい、ただ、走っていたい。
 老齢による限界を前に、皮肉にも、その喇叭の音は主人公の耳にも歓喜と解放感をもってありありと聴こえる。
 馬が眼の前を過ぎる。
 歓びに満ちて跳ね回っていた春の若駒のように、彼らはいななき、また走り出すのだ。

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