学び舎へ

 葉月さやかは変わらぬ日常を過ごしている。


 あれから、貴槻朔夜は一度も学校に来なかった。

 お互いに納得して一夜を過ごしたのだ。翌日から普通に接する覚悟はできていたけれど、休みだと知ってほっとしたのも事実だった。

 完全に吹っ切るには一朝一夕では足りない。

 彼がそのまま転校していったのもちょうどいい区切りだと考えたからなのかもしれない。


「会えたらぐだぐだになっちゃいそうだもんね」


 あれから何度、朝を迎えただろう。

 街では大きな悪魔災害が起こったらしく、心身に不調があればカウンセリングを受けられると先生から連絡があった。

 その前に不調を感じて回復していたさやかは問題なかったけれど、友人の中にも相談に行った子はいたようだ。

 それと陸上部の顧問が学校を辞めた。

 部内では公然の秘密になっていた女子部員へのセクハラが学校側に咎められたからだ。証拠も押さえられ、お陰で教師の握っていた写真が外部に出回ることもなかった。被害を受けた部員たちは泣いて喜んだし、さやかも「これで平和に過ごせる」と胸を撫でおろした。

 もしかして、彼や由依のおかげなのだろうか。

 悪魔災害の解決には魔女の尽力があったらしい。タイミングを考えると彼らが関わっていてもおかしくない。そう考えると、なんだか同じクラスで授業を受けていたのが嘘のようだ。


「手の届かない人になっちゃったな」


 彼からは一通だけ手紙をもらった。

 悪魔については何も書かれていない。ただ転校することになったこと、会えないまま街を離れることになって申し訳ないこと、それからさらに変化した身体についての愚痴。そんなところ。

 再会の約束もない。

 最後に書かれていたのは「どうか元気で」という言葉。

 読み終えた時、何故か瞳からは涙が溢れた。何日も経っているのにまだまだ吹っ切れていない。それを思い知ると共に、もし再び会っていたら恋が再燃していただろうとあらためて感じた。

 やっぱり、会わないほうがいいのだ。


 会おうと思えば会える。

 手紙には街を担当する魔女の代替わりについても書かれており、次の担当者はある意味では当然のことだが彼の母親の名前が記されていた。

 お母さんに会えば彼とも繋がる。

 そもそも国立菊花学園の住所は公表されているわけだからあの手この手で会うことはできるだろう。


 けれど、それは止めておく。


 思い出は綺麗なままで終わらせたい。

 平和な日常にみんなで帰って、銀由依と彼を取り合う。そんな未来も楽しかったかもしれないけれど、きっと彼はそれだと困ってしまうだろう。

 魔法の力は人々の生活に根付いていて、同時にそのことを強く実感する機会はほとんどない。

 それはきっと魔女たちが人知れず頑張っているからなのだ。


「ばいばい、貴槻くん」


 彼からもらったヘアピンを髪につけるのはやめた。

 代わりにバッグにチャーム代わりに取り付けてお守りにする。きっとこれを捨てることはこの先もないだろう。

 平日の朝。

 彼のいた頃の夢を見たさやかは、きっとこれが新しい始まりなのだと別れの言葉を一人呟いた。

 パジャマを脱いで制服を身に着ける。

 今日も学校へ。

 彼が魔女として頑張ることを決めたように、彼女もまた彼女なりの生活を頑張っていく。


 いつか、また会う日が来たら。

 その時は笑顔で「久しぶり」と言えるだろうか。



    ◆    ◆    ◆



 月の墓前には彼女の好きだった白い花を供えた。

 天使の力は墓地には影響を与えなかった。

 悪魔の触手のほうは好き放題に地面を食い荒らしていたため、復旧には魔女が大変な思いをしたそうだが、なんとか見た目は元通りになっている。

 月の墓はまるで真冬が守っていたかのようにまるきり無事であり、まるであの騒動がなかったかのようだ。


 傍らには黒いワンピース姿の由依がいる。日本人離れした容姿の彼女がそういう格好をするとまるで本職のシスターに見間違えそうになる。

 咲耶はもう少しラフな格好。

 スカートにしようかと思ったものの、まだ慣れないのでレディースのパンツを選んだ。女性用だと男性用よりも身体の収まりがいい。

 首には葉月からもらったチョーカー。

 使えなくなるまでは着けようと思っている。彼女との出会いも大事な縁だ。


「本当にご友人に会って行かれないのですか?」

「うん。会っても名残惜しくなるだけだろうから」

「……そうですね」


 少し間を置いて頷く由依。短い期間だったにせよ、彼女もまた思い出を残したのかもしれない。


「まいりましょうか、咲耶さま」

「うん」


 連れ立って墓前を離れようとすると、一人の少女が墓地へと歩いてきた。

 平日の昼間だから会わないと思ったのだが。


「きっと会えるんじゃないかと思いました」

陽花はるかちゃん、体調はどう?」

「はい。しばらく不安定でしたけど今はもう。……気持ちもだいぶすっきりしました」


 自嘲めいた笑みを浮かべた陽花は「ごめんなさい」と呟くように言う。


にもみなさんにもご迷惑をおかけしました。……もちろん、お父さんお母さんにも」

「そうだね」


 迷惑をかけられたことは否定しないことにした。

 目的があって無茶をしたなら構わない。けれどあれではただの自棄だ。


「もう、あんなことはしないで欲しいな。陽花ちゃんがあれを続けているって知ったらきっと、悲しくなる」

「しませんよ。もう、あいつらとは縁を切りました」


 魔女の手を借りれば記憶操作も行える。

 特級悪魔が暴れたことでアフターケアはばっちり行われたようなのでその辺りはもう心配ないだろう。

 もちろん、起こったことがなくなるわけじゃない。

 陽花が口にした言葉も、してきた行為もなくならない。未成年には相応しくない行為の悪影響はこれから身体に出てくるかもしれない。

 少女の中にあった気持ちが増幅されただけだとしても、唆した真冬はやはり許せない。


「また、お墓参りに来てくれますか?」

「今までみたいに毎月、とはいかないかもしれないけど。……来てもいいかな?」

「来てください。お姉ちゃんもきっと喜びます」


 今までの態度を詫びるように、あるいは兄に甘えるように、陽花は微笑んで咲耶を見上げた。


「どうせならお兄ちゃんに抱いてもらえばよかった」

「陽花ちゃん」

「あの、今はもう、お姉ちゃんって呼んだほうがいいんでしょうか?」

「……そう、かな。いちおう、完全に女になったわけじゃないんだけど」


 声まで少し高くなっているので知り合いでもすぐには気づかないかもしれない。

 陽花は「完全には……?」と首を傾げた後で咲耶の下半身に目を落とす。苦笑して誤魔化した。あまり詳しくする話でもない。

 少女も気を取り直したように顔を上げて、咲耶の傍らの由依を見た。


「お姉ちゃん──咲耶さんをよろしくお願いします」

「お任せください」


 青い瞳の少女は微笑んで答えた。


「わたくしは咲耶さまのお傍に居続けると誓いましたので」

「そうですか。……それは、よかったです」


 話はそれ以上続かなかった。

 長引かせれば長引かせるほど名残惜しくなるとお互いわかっていたからだ。


「それじゃあ、また」

「はい。また」


 陽花とはまた会う機会もあるだろう。

 結ばれた縁は完全には切れない。

 桜並木を駅に向けて由依と歩く。


「これでやりたいことは全部終わったかな」


 戸籍変更の申請も終わっているし、転校手続きもほぼ完了。

 身体も通常レベルの魔力行使ならば問題ないレベルにまで回復している。

 ここに来る時に病室は引き払い、校医にも挨拶をしてきた。これからは学園の寮に入って由依と同室で過ごす予定だ。

 何気なく空を見上げて目を凝らしていると、半歩後ろを歩いていた由依が隣に並んだ。


「咲耶さま、手を繋いでもよろしいですか?」

「いいけど、どうしたの?」

「なんでもありません。……ただ、咲耶さまが遠くへ行ってしまいそうな気がしたもので」


 遠くへ。

 行きたいというのなら天国だろうか。

 由依が天使憑きであるように、神聖な力もまた魔力の一種だ。研究は進められているものの、死後の世界があると決定づける証拠は見つかっていない。

 人が死んだらどうなるのか、どこへ行くのか。それは未だ謎のままだ。

 だから、


「行かないよ。まだ、どこにも」


 重ねた手のひらをぎゅっと密着させる。

 由依へ抱いている感情は恋ではないかもしれない。

 ただ、彼女といるのは居心地がいいし、魔力を使ってやりたいことも似ている。めぐり合った縁と相性、そこにお互いの都合が加われば一緒にいるには十分だろう。

 身体の変化もあったことだし女子と触れ合うことへの抵抗も少ない。……と言うと嘘になるかもしれないが、慣れていかなければならないとは思っている。


「他に好きな人ができたらいつでも言って。その時は──」

「咲耶さま。一つ申し上げておきますが、わたくしはあなた様に人生を捧げました」


 繋いだ手に力が籠められた。どこにも行かせないと言うように。


「他のお相手に好意を向けるのは、わたくしがわたくし自身の信条を曲げる時です。おそらくそうなれば天使の力を全て失うことでしょう」

「あの誓いって、そこまで?」

「当然です。結婚とは神聖なものなのですから」


 もちろんこれは聖性を高めることで天使に力を借りる由依の理屈だ。

 咲耶の側からすれば「結婚なんてその気になれば解消できる」という解釈で間違っていないのだが、その場合、一人の少女が一生独り身になることを覚悟しなければならない。

 自分のしでかしたことの重大さに咲耶はより天を仰ぎたくなって、


「そんなの、由依から離れられるわけないよ」


 無責任に少女を見捨てられるくらいならもう少し器用な生き方をしている。

 一時の勢いのせいで一生を咲耶に縛られることになった少女は、けれどなぜか幸せそうに、


「ご安心くださいませ。わたくしが咲耶さまから奪ってしまった分、生涯をかけて尽くさせていただきます。それが命を救って頂いた恩を返す唯一の方法でしょう」

「命を救われたのはこっちのほうだよ。……でも、そうだね」


 この子とはこれからも一緒にいることになるのだろう。

 今でも月の蘇生は諦められないけれど。

 今までのように自分を投げ出してまで蘇生方法を探すような真似はもうできないだろう。

 一緒にいてくれる由依の未来までは投げ出せない。

 墓参りを月は喜んでくれる、と陽花は言っていたけれど、あの子は許してくれるだろうか。進んでいく咲耶を。月以外にも大事なものが増えていくことを。


「帰ろう、由依。僕たちのいるべき場所へ」

「はい。帰りましょう、咲耶さま。わたくしたちの学び舎へ」


 魔女となった咲耶を迎え入れてくれる場所。

 魔法の使い方を学び、悪魔との戦う力を鍛えられる場所。

 国立菊花学園が咲耶たちを待っていた。

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魔女の統べる現代は胸の大きさ=魔力量です ~男なのに突然胸が大きくなったけど、目的のためには好都合~ 緑茶わいん @gteawine

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