第6話 ファベルジェの追想 1-⑹
流介がとりあえず礼を述べると、浪人風の男は「たとえ異人であろうとあのような不埒な振る舞いを野放しにはできぬと思ったまで」と仰々しい口調で言った。
「あの……せめてお名前を」
男の古風な振る舞いにつられたのか、早智までが時代がかった口調になって言った。
「
「見てみぬふりをすればよい物を、何の縁もない私たちを助けて下さるなんて……」
早智が感心してみせると、紅三郎は「助けたつもりはありません。私は西洋菓子に目が無く、牛乳を売る店が荒事で立ち行かなくなればアイスクリンやケーキが食せなくなると思ったまでです」と言って頬の髪を払った。
流介は御一新を知らぬまま生きて来たような見た目と、西洋菓子と言う言葉の組み合わせに全身の力が抜けてゆくのを感じた。よく見ると紅三郎の顔立ちは天馬に劣らぬ男前で、天馬が西洋の貴公子なら紅三郎は妖しき美剣士と言ったところだろう。
「――では、私はこれで」
一礼した紅三郎が海側に向かってすたすたと歩き始めた、その直後だった。
「ちょっとそこの君、待ちたまえ」
ふいに声がしたかと思うと、小走りにやってきた影が紅三郎をその場に足止めした。
「君、その腰に差している物は刀ではないのか」
紅三郎に対し諫めるような口調で声をかけたのは、一人の若い巡査だった。
「……兵吉さん」
巡査の顔を見た流介は思わず声を上げていた。やってきたのは知人である
「ややっ、飛田さんではないですか。これはなんという偶然。この男に何か危険なことはされませんでしたか?」
「危険どころか、その方は僕たちを助けてくれたのですよ兵吉さん」
「助けた……?」
ぽかんとしている兵吉に、今度は早智が「あの……亜蘭のお兄様ですよね?私の事、わかりませんか?教会の女学校で一緒だった早智です」と言った。
「えっ、亜蘭の? ……ああ、そう言えば一度、うちに来たことがあったような気がするな。いやはや飛田さんといい亜蘭の友達といい、今日はいろんな人と会う日だなあ」
紅三郎への問いかけを中断し、驚きを露わにしている兵吉に流介は「この人は外国人二人組から僕たちを助けてくれたのです。しょっ引くのはやめてもらえませんか」と訴えた。
「外国人?」
「あそこの牛乳屋さんの前で立ち話をしていたら、急に言いがかりをつけられたのです」
流介が目で店の看板を示すと、兵吉が「牛乳屋と外国人とどういう関係が?」と尋ねた。
「それは僕も知りたいくらいですよ。とにかく……」
流介が生真面目な巡査を説得すべく頭を悩ませていると、背後で突然「まあ素敵!こんなところでまだお侍さんを見られるなんて」と女性の声がした。振り返ると、細長い布袋と紙の束を携え目を輝かせている若い女の姿があった。
「侍と言うのは私のことかな?あいにくだが、今の私は禄を離れたただの町人にすぎぬ」
紅三郎が応じると、若い女は「でも見た目は侍よね?私、絵を描くんだけど前から一度、お侍さんを描きたかったの。会って早々で何だけど、お願いできるかしら?」と言った。
――見た目は麗しいが、ずいぶんと厚かましい人だ。どうしてこう謎を追っていると変わった人物に巡り合うのだろう。
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