第2話 ファベルジェの追想 1-⑵
飛田流介が地元、匣館新聞の記者になったのは三年前、二十歳の時だった。
匣館は北開道の南端の町で、その歴史は鳴事維新のはるか以前にまでさかのぼる。
港町である匣館は古くから海運の要所として栄え、教会や領事館など異国風の建物も珍しくない。そんな時代の風が吹き抜ける町で、巷の出来事をいち早く記事にして庶民届けるのが流介の仕事だった。
※
「ううむ、やっぱり何も思い浮かばなかったな」
幸坂の手前で立ち止まった飛田流介は、実業寺方向に伸びる坂を見てため息をついた。
このところ記事の元になる奇譚が無く、毎度実業寺に赴くのも気が引けたので方向が違う露西亜人墓地の方にまで足を向けたのだった。
――それとも坂を上って山上大神宮のあたりまで登ってみようか。
古い歴史を誇る山上大神宮は流介が気に入っている場所の一つだったが、問題は途中に実業寺に向かう道があるということだ。
――ううむ、説法か、神頼みか。
流介が坂を上るか上るまいか、足を出したり引っ込めたりし始めたその時だった。
「おや、誰かと思いきや飛田君ではありませんか」
聞き覚えのある声に流介がはっと顔を曲げると、坂の上から見慣れた人物が頭一つ分小柄な影を従えてやってくるのが見えた。
「住職……」
見知らぬ美少女を伴って現れたのは実業寺の住職、日笠だった。
「寺に来るつもりだったのなら申し訳ない。これから少々、弥生町の方に用を足しにいかねばならぬのだ」
「いや、特に寺に行くつもりでは……」
流介は言葉を濁した。今日は霊感に恵まれそうもないから足を向けなかった、などと本音を言ってはさすがに失礼だろう。
「おおそうだ、こちらの娘さんを紹介するのを忘れていた。山上大神宮で働いている
「パンですって?随分とハイカラな物を召し上がるんですね」
「飛田君、蕎麦や鍋もよいが、記者ならば西洋料理の味も知っておいて損はないぞ」
「なるほど、一理ありますね。……僕もご一緒して構いませんか」
流介がおずおずと申し出ると、日笠は「もちろん構わぬとも。すぐ近くだから説法を聞きたければパンで腹を満たしてからでもよいだろう」と言った。
「はあ……」
末広町にある『五灯軒』はまだ珍しい西洋料理の店だ。流介も噂では聞いていたものの、西洋料理にとんと馴染みのない流介は、近くに用があっても足を向ける勇気がなかったのだ。
――それにしても露西亜人墓地で外国船を眺め、領事館の門を横目に戻ってきたら今度は洋食の店だ。奇妙な縁というのは続くものだ。
進取の料理店も僧侶に神職に記者では驚くに違いない、と流介はそっと笑いを噛み殺した。
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