第5話 ファベルジェの追想 1-⑸


「青柳町に牛乳屋さんでございますか?そう言えばあったような気がいたします」


 蕎麦と泥鰌鍋どじょうなべで親しまれる料亭『梁泉りょうせん』の女将、浅賀ウメは流介が牛乳屋に付いて尋ねると即座にそう返した。


 早智と青柳町に赴いてはみたものの件の牛乳屋がさっぱりわからず、流介はやむなくその先の谷地頭まで足を延ばすことにしたのだった。


「天馬君も肝心の店の名を失念したそうで、あの天才にも粗忽なところがあるんだなとほっとしました」


「ふふ、どなたにも油断という物はございます。きっと何かで頭がいっぱいだったのでしょう」


「……で、牛乳屋の場所は?」


「つい先日、匣館公園の記念噴水場を見に行った際に、近くでそれらしい店を見たように思います」


「匣館公園か……すぐ近くだな。どうもありがとう女将さん。次はちゃんと蕎麦を食べに来るよ」


 女将に礼を述べ身を翻しかけた流介は、ふと座敷の奥に気になる人影を見つけ動きを止めた。


「女将さん、あのお客さん……あまり見ない方のようですが」


 店主に他の客の素性を尋ねるなど褒められた行いではないが、気になってしまったのだから仕方がない。


「あの方ですか?箱部はこべさんという方で、元々は武士の家柄だとおっしゃっていました」


「なるほど、お侍ですか……どうりで御一新前に戻ったような格好をされているわけだ」


 座敷の隅で胡坐をかいている着流し姿の若い男は、言われてみれば確かに侍風だった。


「お客様の中には箱部様を見て「隅の浪人」なんて口さがないことを囁かれる方もいらっしゃいますが、私はむしろ時代に流されないすがしがしさを感じます」


 ウメは一風変わった常連の肩を持つかのようにそう言うと、にっこりとほほ笑んだ。たしかに小さな竹細工をこしらえながら蕎麦を待つ姿は、傘貼りの浪人に見えないこともない。


「色々な人がいるものですね。……失礼しました。では僕たちはこれで」


 ふいに客のざんばら髪から鋭い目が覗いた気がして、流介はそそくさと店を後にした。


                   ※


 谷地頭から匣館公園まではごく近く、早智のような娘の足でも四半刻ほどの距離だった。


 青柳坂の手前、公園からやや海岸寄りの十字路に差し掛かった時、ふいに早智が「あっ、あの建物かしら」と立ち止まって声を上げた。


「えっ、どれだい?」


 早智に続いて足を止めた流介は、角地に立つ木造の建物に気づくと「なるほど」と大きく頷いた。洋風の入り口の上に掲げられた看板をよく見ると、確かに『平松牛乳店』という文字が記されていた。


「もしあそこの店で卵を売っていたら、香田さんのことも何かわかるかもしれないな」


 手がかりを求めて歩き始めた流介たちの足を止めたのは、扉の前に下げられた一枚の木札だった。


「あっ、これ……見たことがあるぞ。英語は読めないがたしか閉店を意味する札だ」


 流介は札を吊るしている取っ手を掴むと、手に力を込めた。


「だめだ、やっぱり鍵がかかっているようだ。……早智さん、これは日をあらためた方が良さそうです」


「……残念ですが、そうみたいですね。わかりました。明日にでも一人で来ます」


「声をかけてくれればお供します。なんだったら天馬君も誘って三人で……」


 流介が早智の気持ちをほぐそうと天馬の武勇伝を口にしかけた、その時だった。


 どこからともなく二人の外国人が現れ、流介たちの退路を絶つように広がった。


「この店は開いてない。何をしに来た」


「牛乳と卵を買いに来たんですよ。……ここ、牛乳店ですよね?」


 流介が咄嗟に出まかせを言うと、外国人は「嘘をつくな。お前たちは客ではない」と流介たちの目的を見透かすような言葉を口にした。


「客かどうか、見ただけでわかるんですか」


「わかる。……若い女が来たら追い返せと言われている」


「言われている?……誰に?」


 流介が食い下がると、二人組の一人が歯を剥きだし「我々は答えない。痛い目に遭いたいか?」と凄んだ。


 ――今度はおどしときたか。わからず屋の外国人め。


 流介がおとなしく引くべきか、逆に正体を探るべきか策を練り始めたその時だった。


「二人がかりで日本の若者を問い詰めるとは、不届きな異人達だ」


 いきなり声がしたかと思うと、谷地頭の方から見覚えのある人影がふらりと現れた。


「あなたは……」


 流介と早智は人物を見た瞬間、ほぼ同時に驚きの声を上げた。


 不穏な空気を切り裂いて現れた救い主は、先ほど「梁泉」で竹細工をこしらえていた浪人――いや浪人風の男性だったのだ。


「邪魔をする気か、サムライ」


「人のことをとやかく言うつもりはないが、この街の和を乱す不届きな輩を見過ごすことはできん。その者たちから離れぬというのなら抜くことも厭わんぞ」


 男の言葉に流介ははっとした。着流しの腰には脇差しを思わせる物体があり、剣呑なことこの上なかったからだ。


 ――本物ではないにせよ、あんな物を差していたら時代遅れの辻斬りと間違われて巡査に見咎められるぞ。


「☓☓☓☓」


 二人組の外国人は浪人風の男が抜刀する素振りを見せると、何やら小声で合図し合いそそくさとその場から立ち去った。

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