第7話 ファベルジェの追想 1-⑺
「娘さん、残念ですがこれから私はこの人に質問をしなければならないのです」
兵吉がそう言って紅三郎の腕を掴むと、若い女は突然「あら?」と目を見開いた。
「誰かと思ったら兵吉君じゃない。そんな美しいお侍さんが悪者なわけないでしょう。今すぐ自由にしてあげて」と強い口調で言った。
「あなたには関係……んっ、待てよ君は……」
「小さいころ近くに住んでいた「せつな」よ。よく遊んだのに覚えてないの?薄情ね」
「ああ、せつな君か。そう言えば君の家はこの辺りだったな。悪いがこの人の身柄を引き受ける権利は君にはないよ」
「権利はなくても美を追い求める自由はあります。私はその方を描きたいのです」
どうやら兵吉とこの女性とは知り合いらしい。それなりに大きな商都とはいえ、東京などと比べると小さな田舎町だ。あちこちに知り合いがいても何ら不思議ではない。
「と、とにかくこの人の身柄はいったん、僕が預かる。その上で怪しい人でないとわかればすぐ自由の身にするからご心配なく」
兵吉はもごもごと「せつな」に告げると、紅三郎を引っ張るようにしてその場を立ち去った。一見すると「せつな」が諭されたようでもあるが、流介には兵吉の方が逃げだしたかのように見えた。
「ああ、行っちゃった。昔、近所の暴れん坊からさんざん助けてあげたのに。あんな綺麗なお侍を描けないなんて口惜しいわ。……それにしても、この牛乳屋さんの前って面白いことがたくさん起こる場所ね。『卵を盗んだ女』を見かけたのもこの辺りだし」
「せつな」が吐き出す文句の中に気になる一言をとらえた流介は、「あの、すみません『卵を盗んだ女』って、なんです?」と挨拶もそこそこに尋ねた。
「えっ?あら、まだ皆さんいらっしゃったのね。『卵を盗んだ女』っていうのは、私の父がお得意さんから頼まれて描いた……ええい、面倒だからうちにいらっしゃいな。お茶でも飲みながらゆっくり話しましょう」
「うちでお茶でもって……あなたのお家はお茶屋さんか何かなんですか?」
「いいえ、時計屋よ。……でも離れで今度、母が洋菓子店を開くの。とてもおいしいわよ」
――時計屋か。そう言えば早智さんの話に出てきた『国彦』という人も、時計を組み立てるのが得意だったな。
流介がとりとめのない思いにふけっていると「私は
「あ、僕は匣館新聞という会社で読み物記事を書いている飛田と言います。こちらの女性は山上大神宮で働いている早智さん」
「はじめまして、音原さん。早智と言います」
「あら可愛らしい。あなたもいずれ描かせてもらうわね。……それじゃ、行きましょう。うちはすぐそこよ」
刹那と名乗る女性は流介たちに微笑みかけると、くるりと身を翻し早足で歩き始めた。
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