天使の心

高黄森哉

天使


 この世の中には、様々な病気を持つ人々がいる。遺伝子が多すぎたり、少なかったりする先天的な疾患。それは、様々な形で、人の体の形状を変えてしまうのだ。奇形というやつである。僕の先輩もそうだった。


「その翼、重くないんですか」


 僕は、学校の屋上の手すりに腕を組んで、その腕に顔を乗せる、先輩に尋ねた。手すりにもたれるため、丸めた背中から突き出た大きな、空を飛べそう(で本当は飛べない)翼は、天に向かってぴんと、ヨットの帆のように立てられていた。


「重いよ」

「やっぱり、重いんだ」

「肩がこるね」


 先輩は素っ気なくいった。けだるげな瞳は、ずっと下界に落とされている。黒色の学ランと、同じ色彩の瞳。


「羽が生えたみたいに軽かったらよかったのに。それに、軽かったら飛べたかもしれませんね」

「羽があっても飛べるわけじゃない。証拠に、脳みそがあっても、数学を解くことが出来ない学生もいる」

「それ、僕のことですよね」


 先輩は、頭が良い。だから、家で、勉強を教えてもらう。彼は、自分にとっては、兄的存在だ。こういった人間関係は、高校になって初めて出来た。


「聞いてますか?」


 ちらっと、目をやると、先輩はやっぱり下を見つめている。ちなみに真下には、駐車場がある。学校の教師用の駐車場だ。僕は、彼とは逆に、頭上を見た。

 曇り空は、異様な光が、排気ガスのような雲を縁取りしていて、気温は、すこし冷たく、風もかすかに出ていた。彼の三角の帆が、風に、時折、あおられる。日本国旗みたいに白い羽が、細かくなびく。


「そういえば、最近、物騒ですね。通り魔があったみたいで。南の生徒が殺されたらしいですよ」

「どうする。その通り魔が自分だったら」


 先輩の一人称は自分なので、どちらが言われているかは、文脈で判断するしかない。彼と知り合ったのも、そんなやり取りが発端だった気がする。それは、交流会での出来事だ。一年生と二年生の交流会。


「そんなのあり得ません。先輩は人の痛みを知っています。人の痛みを知っている人は、人を傷つけられるわけがないって。まさに天使みたいに」


 彼の病気は痛みを伴うのだ。骨の形成の異常で、翼が成長するたびに、痛みを伴う。それは気が遠くなるほどの激痛らしい。この病気になると、あまり長生きは出来ない。神経が焼き切れてしまうからだ。

 それで、だからか、世間からの評かは天使で一定している。同情もあるのだと思う。どこかが優れていない分、どこかが補うように人よりも優れている、という思想。だって、そうじゃなきゃ可哀そうではないか。救われない。なによりも、対等ではない。ただ劣った人間、という見方は、あまりにもあまりにもなので。


「馬鹿いえ。痛みを知っているから人は人に痛くできる。ずっと痛みを抱えている人間が、人が痛がるのを気にするはずがないじゃないか」

「でも」

「どうして、みんな、俺のことを天使だというんだ。こんな病気を抱えてても、人並みに邪悪だっていいじゃないか。矛盾することじゃない。どうして、天使は、かならずしも善良じゃなければならないんだ。どうして、健常者と、対等に扱ってくれないんだ。それで、平等のつもりか」


 羽が五枚、はらはらと外れて、風に乗せられて、どこかへと運ばれていった。

 先輩は、翼を折りたたむ。時折こうして、風にさらさないと、抜け羽がひどく、教室で迷惑をかけてしまうのだ。不便な病気である。それに、黒板が見えなくなるため、目が悪いにも関わらず、後ろの席をあてがわれているという。


「その逆もしかりだ」


 と彼は、その話を締めくくった。先輩が、悪口を言うときはいつも、バラストを積む。ちゃんと、見方が水平になるように。


「例えば」

「何も知らない、純真なお前みたいにな」


 雨が降り出しそうなので、僕たちは屋上から撤退した。

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天使の心 高黄森哉 @kamikawa2001

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