終章(7) 旅路

 皇都の門を一歩出ると、秋口の空が頭上にひらけた。


 視線を落とすと、白い街道が、遥か地平線の向こうまで続いている。下生えを縫うようにして、どこまでも。


 アルベリクは今や、長い旅路の一歩目を踏み出そうとしていた。


 馬車はない。財産の大半は、ルイーズとローランの元に置いてきた。彼の懐にあるのは、退職金代わりに得た『リアーヌ』の商品群と、僅かな路銀ばかりである。


 傍らに佇むサラが、アルベリクに向かって問うた。


「忘れ物はない?」


 アルベリクはサラに向かって無言で頷く。


 サラは、フードを目深にかぶり、簡素な旅装に身を包んでいた。フードから覗く髪は短く切られ、銀糸の如くあった色は黒く染められている。加えて化粧もしていない。その貧相な女が、かつてのリアーヌであるなどと、誰が看破できるだろう。


 アルベリクは、左手に嵌るナタリーの指輪を、そっと見やった。指輪は、秋の陽光をはじいて、涼やかに輝く。その輝きに瞳を照らされ、アルベリクは穏やかに目を細めた。

 そんなアルベリクの姿を、サラはどこか寂しげに眺めていた。僅かな逡巡の後、彼女はそっと口を開く。


「アル」

「なんだね」

「……いつか、その指輪を作った人のお話、聞かせてくれる? 今更、遅いかもしれないけれど……」

「構わないさ。それ以外のことも、道中でたくさん話そう。時間はいくらでもある」


 アルベリクはサラに向き直ると、改まって問うた。


「……さて、それじゃあ、どこへ行こうか」


 一転、屈託なく笑って、彼女は答える。


「海を見に行きたい。私、一度も見たことがないの」

「──名案だ。そうしよう」


 アルベリクは破顔して背中の鞄を背負い直し、おもむろに一歩を踏み出した。

 爽やかな風が、歩み出した二人の背中を押す。幸先はよさそうだった。


(ナタリー。君の焦がれた、海晶の海だ。やっと、一緒に見に行ける)


 胸の中で呟き、空を振り仰ぐ。


 ──俺たちは、もうどこにだって行ける。そうだろう?


 誰に問うでもなく、アルベリクは秋雲浮かぶ空に向かって、そう問うていた。



 ◇



 アルベリクの手記より翻案した物語はここで終わる。


 ナタリーの作り上げた三つ目の指輪については、この手記の他、複数の資料において、その存在が記録されている。よって、実在したことは確かなようである。

 しかし、この指輪について言及する記録は、とある港町の宝石商の日記を最後に、ぱったりと途絶えている。


 アルベリクたちは、長い旅の後、マルブールに戻って宝飾技師育成のための私塾を立ち上げた。この私塾は、ブランシャールの技師育成工房と合流し、後に正式な学校となった。


 帰ってきたアルベリクの手に、何らかの指輪が残されていたという記録はない。

 ナタリーから贈られた三つの指輪は、その時点で既に、いずこかに隠されたものと思われる。


 指輪の在り処を知る者は、もはや誰もいない。

 だが、それらはきっと、今もどこかで、この世界を見守っていることだろう。

 微笑むように瞬きながら。



                      (了)

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マルブールの赤目烏と滅びの宝飾師 宮之森大悟 @miyanomoridaigo

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