20◾︎◾︎年 市杵京子のパソコンに残された未公開文書より


 この文章をどこかに公開する気はありません。これは懺悔です。あたしの──市杵京子の、そしてkiri、ひいては薙霧の懺悔。


 親友──天津燈子。すーちゃん。親友に恋をしていました。親友に引け目がありました。親友を心中に誘ったことがありました。あたしの文章がきっかけで、たぶん親友は筆を折りました。


 大学こそ同じところに進んだけれど、あたしは親友と距離を置くようになりました。


 お互い唯一無二なままではいけないと思って。親友の他に友達を作りました。八坂愛衣。アイちゃん。


 秘密を持てば、その分だけ埋まらない距離が生まれる。すーちゃんのお姉さん、天津颯葵──颯葵さんが夜の仕事をしていたことは、あたしが墓場まで抱いていく秘密です。そして、あたしがすーちゃんに恋心を抱いたことも。アイちゃんが援助交際をしていた理由も。


 DTM研のメンバーとは誰とも連絡を取っていません。あの場所はあたしを甘やかしすぎた。あたしには罪があって、罰を受けるべき人間だから、あの環境はあたしにはダメだったんです。


 「春と雨止み」はすーちゃんに向けて歌った曲でした。すーちゃんに届く必要なんかないけれど、せめてすーちゃんを想った事実を昇華させたくて。……これがたぶん、アイちゃんが言っていたことなんでしょうね。「京子は自分にナイフを突き立てて、血で文字を書いてるんだ。それ自体は昔から多くの文豪がやってきたことだし否定はしないよ。でも京子、あんたはそのナイフを他人にも突き刺せる」。アイちゃんはそう言いました。たぶん他人を勝手に創作物の糧としてしまう私の残酷さ、悪癖について言いたかったのでしょう。分かっていました。あたしが誰よりも、いちばん。


 アイちゃんとの関係も、颯葵さんとの関係も、すーちゃんとの関係ですら、全部歌にしてしまった。歌の素材にしてしまった。だからこれは懺悔です。あたしが生み出したもの全てに対する懺悔。


 いつだって終わらせることばかりを考えていました。創作をすることに罪悪感があったから。アイちゃんの言葉があまりにも正しくて、あたしの脳はそれを忘れられるほど都合良くはできていなかった。


 作曲で食っていくつもりなんてありませんでした。そんなのはうちのクソ親父が許さないからです。でもサヨナライリスがミリオン行っちゃって、なんだかトントン拍子に事が運んでしまって、あたしは動画の収益でさっさと家を出ました。親父には勘当だと言われたけどそんなことはどうでも良かった。あたしは本当の意味で自由になったから、自分の人生の幕引きのタイミングを決める権利を得ました。


 正しい終わり方、というのは穏やかなハッピーエンドです。でもあたしには正しく終わる余裕も権利もなかった。悪人なりのハッピーエンドっていうのは、幸せの絶頂で、参ったな死にたくないぞと思いながら死ぬことなのだと思っていました。


 ネット上の関係はあまりにも儚かった。基本的に同レベルの人気がある人としか一緒にはいられないのです。一緒に対談動画を出したくるくるくるなちゃんとはあっという間に疎遠になりました。マルチメディアプロジェクトの流行りに乗って展開した「キミソラ学園プロジェクト」は確かにあたしのファンが好きそうな爽やかな曲ばかり書いていたけれど、お金儲けのためだけに立ち上げたプロジェクトでした。だってあの頃あたしにはお金がなかった。ボカロPとしてずっとやっていくには期待に応えないといけないと思った。チョコチップ爆弾ちゃんとはその時仲良くなって、結局ネット上の関係で最後まで残ったのはその人だけでした。一緒にゲームをしたり作業通話をしたりして、チョコチップ爆弾ちゃんとはずっと普通に、適切な距離で友達でいられた。たぶんあたしがやってきた中で、いちばん普通っぽい友達関係。そんなのがネット上にしかないなんてどうかしてる。


 ネットで本名がバレました。海斗さんが掲示板に書き込んだから。市杵京子とkiriは混ざってはいけない存在だったから、あたしは海斗さんを恨みました。人のことを言えたものではないけれど、海斗さんはあたしが出会った中でいちばん最低な人。もう書きたくもないから、この話はやめにします。


 「市杵京子」と「kiri」が混ざりかけた今、あたしには時間が必要でした。kiriがkiriとしてだけ存在するために。kiriはアイちゃんが言ったような残酷な創作方法を良しとしました。だってそれしか創作のやり方を知らないから。心を削って、思い出すら削って、そういうやり方しか知らないから。そしてそれを懺悔するのは市杵京子の仕事でした。


 鬱病の噂なんかもありましたね。あたしには時間が必要だっただけで、そんなご大層なものではなかったんですけどね。


 2013年、あたしは五年以上ぶりにすーちゃんに連絡を取りました。本当に身勝手なことですが、あれはあたしなりの救難信号でした。kiriと市杵京子が混ざって、kiriにまで懺悔が及んできて、あたしは創作ができなくなったから。すーちゃんと会えば「市杵京子」がハッキリすると思ったんです。すーちゃんならきっと助けてくれる、そんな甘えた期待がありました。すーちゃんはあたしの中で、最後まで憧れでした。一度は折った筆を持ち直して。彼女なりの「普通」を貫き通しました。少しだけすーちゃんと会って、伊豆太一さん……すーちゃんがお付き合いしていた人との結婚式に行っちゃったりなんかして。好きだった人がちゃんと結婚してくれたことで、あたしが抱いた穢い恋心が少しだけ許されたような気になりました。


 それでもkiriと市杵京子はなかなか分離してくれなかった。こんな他人にナイフを突き立てるような創作はダメだって、kiriが否定するんです。気付いたらあたしは病院のベッドにいました。医者には心因性のものだと言われました。


 三年も休んで、あたしは活動を再開しました。ちょうど良くボカロの流行りは下火になっていたから、あたしの活動復帰はいい具合にいいニュースになりました。各月シリーズが終わったら死んでやろうと思っていました。だってkiriがその懺悔に耐えられないから。


 でも各月シリーズが終わって気付きました。あたしはkiri自身の懺悔を曲にすればいいって。そんで、そんな創作しかできない自分への恨み言をひたすら曲にしました。ダークな作風に変わったと言われたけれど、別に世間からの評判なんかどうでも良かった。あたしはせめてもの罪滅ぼしとして、世間から爪弾きにされたすーちゃんやアイちゃん、颯葵さんのことを思いました。そして、社会への怨嗟を曲にしました。一通り恨み言を言ったら、あたしの役割は終わり。言いたいことだけ言い終わったら死んでやろうと思っていました。あたしは思ったより世間様やクソ親父を恨んでいたようで、どんなに言っても言い足りなかった。どうせこれが終わったら死ぬのだから、過労なんかどうでも良かった。寝る間もなく曲を作っていたら、すーちゃんに会いたくなりました。最期の挨拶がてらにね。すーちゃんには顔色が悪いから休むようにと心配されたけど、あたしは無視して活動を続けました。


 でもそのうち怨嗟も尽きて、死ぬ気力さえ残らなかった。あたしは無期限活動休止を発表しました。疎遠になっていたチョコチップ爆弾ちゃんともまた一緒にゲームをしたりなんかして、ちょっとだけ贖罪を終えたあたしは、ちょっとだけ幸せっぽいことをする権利を自分に与えました。すーちゃんとも会ったけれど、どうにもすーちゃんの前だと甘えてしまいますね。またあたしの罪は増えて、死ぬタイミングを失いました。


 結局一年くらい休んで、あたしは活動を再開しました。すーちゃんへの謝罪を歌ったら、原点回帰とコメントされました。歌ったものが一緒だったのだから当然なのかもしれません。


 drop bedシリーズは適当に始めたやつ。これが良い仕上がりになったらそこで終わらせてもいいかもしれないと思ったけれど、案の定適当な仕上がりにしかならなかったから、終わらせるのはやめにしました。


 drop bedシリーズが終わった頃、紅白歌合戦の打診が来ました。何でも最近話題の歌手、luneちゃんがあたしの曲を紅白で歌いたいとか。あたしは許可を出しました。別にあたしの曲なんか全部罪か怨嗟なのにね。そんなものが好きだなんて奇特な子だと思いました。


 luneちゃんとはその後仲良くなりました。なったつもりでした。たぶんあたしの曲を好いていてくれたのは本当なのだろうけど、一緒にやろうと言った音楽活動はあっさり裏切られて。まぁ、luneちゃんの人気は絶好調だったから、経歴に傷をつけたくなかったんだろうということくらいは想像がつきました。これが大人の事情ってやつなんだなと、あたしはこんな歳になってから理解しました。


 バンドを結成する頃から、すーちゃんはベビーシッターだと言ってあたしを頻繁に家に呼ぶようになりました。すーちゃんの娘の霧月ちゃんは聡明な子でした。変に子供扱いするのは失礼だと思いました。あたしは霧月ちゃんが理解できないであろう話をたくさんしました。それがいつか糧になるだろうから。霧月ちゃんにはあたしたちみたいな歪み方をして欲しくなかったから。好き勝手に生きるダメな大人の姿を見せつけて、人生正規ルートだけが全てじゃないって教えたかった。


 その頃になると、すーちゃんに対する罪悪感はすっかり消えていました。すーちゃんに抱いた感情もすーちゃんが太一さんと結婚したことで上手く消化できていたし、すーちゃんへの贖罪になりそうな曲を何曲も作りました。結局全部が自己完結で自己満足のエゴであることは分かっていたけれど、あたしの中ですーちゃんと何の蟠りもなく会えるということが重要でした。そしてすーちゃんの方も生活が安定して、たまに小説を書いたりして、あたしへの厭な感情が消化されたことも分かっていました。


 あたしには悪人なりのハッピーエンドしかないと思っていました。


 でも、今なら──今なら、正しい形で終わらせられる。そう思いました。


 半年かけて遺作を作りました。正しく、穏やかに終われるように。穏やかで優しい、それでいてガラス片のような痛みを隠した、そんな話を書き続けました。六作品あるうちの五作品は悪人なりのハッピーエンドで出来ていて、最後の一作だけが正しい終わり方をしました。


 夏が来ました。夏は生命の季節です。あたしはこれから、穏やかな終わりを迎えます。完全に贖罪ができたとは思わないけれど。幾分かはマシになっただろうから。


 さようならだよ、すーちゃん。あたしの唯一無二だった。ごめんね、あたしがいなくなってもずっと大丈夫でいてね。


 さようなら。ありがとう。

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kiriに関する備忘録 木染維月 @tomoneko

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