最終章 幾多の可能性から導き出される1つの結末 肉塊が人々に与えしモノは戒めなのか?真なる弥勒と共に人々を救うのか? 涅槃の章





「まずは博士の危惧を取り除かねばなりませんね」



 釈迦しゃかの声は研究所内の全ての人々の脳内に響いた。


「研究所を中心に半径3kmの次元障壁じげんしょうへきを展開しました。これにより結界外部からの物理的な干渉は無意味となります」


「じゃあ、これで母さんやジィちゃん達も命の危険は無いって事だな」


 安堵したような阿修羅あしゅらの声に釈迦が答える。


「あくまでも今の所は、ですが。そろそろアナタもしんなる自分へと覚醒すべきです」


「へ ? 真なる自分ってアタシの事か ?」


 釈迦はゆっくりとさとすすように話しだす。


「アナタは自分でも仰っていましたよね。ワタシは人によって造られた細胞の集合体、単なる肉塊にくかいに過ぎません。そのワタシが仏陀ブッダであり釈迦如来しゃかにょらいとなり余剰次元よじょうじげんにもアクセスをして、その「力」を使いこなしている。おかしい、とは思いませんか ?」


「・・・・それはアタシが「ブッダ・釈迦」としての起動プログラムをインストールしたから・・・・いや、違うな。今の物理学や超弦理論ちょうげんりろんでは余剰次元は理論物理学に過ぎない。言ってしまえば机上の空論だ。アタシだって余剰次元を見る事も感じる事も出来ないんだから」


 阿修羅の声は段々と混乱してくる。


 そんな阿修羅を釈迦は冷静に観察している。


「そうだ、そうだよ。アタシのプロクラムではアンタは釈迦と言う名前で起動はするけど、それは単なる名前にしか過ぎない。そんなアンタが如来になっている! 何故だ! ?」


「・・・・それはアナタがしんなるマイトレーヤ。弥勒みろくだからですよ」


 釈迦は冷静な声で答える。


「は ? アタシが弥勒 ? そんな、そんな事って・・・・」


 阿修羅の混乱は頂点に達する。


「・・・・これは言葉では理解不能でしょう。阿修羅よ解脱げだつせよ」


 釈迦がそう発すると阿修羅は意識を失った。


 




同時刻



 地球を回る周回軌道上の国際宇宙ステーション・ISSの1部では大混乱が起きていた。それは主にアメリカのNASAが支配する区域だった。


「土星の周回軌道を抜けた物体の直径は33kmとの推定が出ました!」


 それを聞いた数名の人々から悲鳴が上がる。


「・・・・33kmだと。6600万年前に恐竜を絶滅させたと言われている小惑星の3倍以上の大きさじゃないか。そんなモノが地球に激突したら」


「激突する確率は今の所は52%ですが。接触するだけでも深刻な事態になりそうですね」


 ヒソヒソ声で話し合う研究員の額にも脂汗あぶらあせが浮かぶ。

 こんな巨大な物体が突如として現れて、その進路が地球である事も混乱に拍車をかけている。


「この物体は光速の0.1%である時速108万kmで移動していますので、地球に到達するのは約2ヵ月後と推定されます」


「この件は特殊重要機密とする。しかし、すぐにでもバレそうだがな」


 この区域の責任者らしき男が苦虫を噛み潰したように言った。




 




「どうですか ? 弥勒としての自己同一性アイデンティティは持てましたか ?」


 静かに訊く釈迦に阿修羅から解脱させられたマイトレーヤ・弥勒が答える。


「あぁ、しょーがねえだろ。アンタに解脱させられたんだから。しかし、アタシはオリジナルのアンタが入滅してから56億7千万年後に現れるはずじゃ無かったのかよ ?」


「56億7千万年後では、この太陽系は消失しているでしょうね。あの」


 いつの間にか地球と月の中間地点に移動していた釈迦が眼を細める。


「太陽でさえも」


経典きょうてんとはかなり違うな。まぁ、人が考えたモンだからしゃーないか。だけどアタシは弥勒になっても余剰次元にアクセスできねーんだけど」


 胡坐あぐらをしたまま弥勒は逆さまになって両手を頭の後ろで組む。


 銀の髪が遠心力で揺れる。


「それはアナタが菩薩ぼさつだからですよ。弥勒菩薩みろくぼさつ


「もっと修行しろ、ってか。あっ、だから如来であるアンタも現世に現れたのか」


 釈迦は否定も肯定もせずに、ある一点を見つめている。


「そんな事よりもアレはどうするんですか ? このまま激突すれば、「ホモ・サピエンス」と言う種族は滅びますよ」


「そりゃそうなんだけどな。産業革命後の「ホモ・サピエンス」は異常だ。地球にとって、この種族は必要では無いのかも知れない。むしろ害悪とも言える・・・・」


 長い沈黙の後、釈迦が口を開く。


 「本気ですか ?」と。



「そんな気持ちもある、って事だよ。今回は「ホモ・サピエンス」以外の種族にも甚大じんだいな影響を与える。やるしかねーだろ。って、アンタはアレを消失できるのか ?」


「やってみなければ判りませんね。アレの出現には人為的なモノも感じますし」



 その言葉を聞いて弥勒は「マジ かよ?」と言う顔つきになるが発した言葉は違っていた。



面白おもしれぇ! アタシの修行になるかも知んねーしな。ここから光速で何分だ ?」



「80分と言う所ですね。じゃあ、行きますよ」



2つの光りが土星の周回軌道へ向けて飛び去って行った。


 





20年後




 地球と言う惑星は今も存在していた。


 奇跡的にも以前と同じ太陽の周回軌道を回っている。


 20年前に地球に激突した隕石は当初予想されていた大きさの10分の1以下だった。


 それでも幾多の動植物は死滅し人類も例外では無かった。


 「核の冬」と呼ばれる現象も起こり、その名残で地球の大気も未だに茶色がかった部分もある。


 地球の人口も30億人になり今は原発の破損や核兵器がもたらした放射性物質の除去が最優先されている。その分、生活面での科学技術はむしろ後退した。


 しかし、人類はまだ存在している。他の動植物と共に。スマホやネット等が無くても生きていける。最近では物質面の豊かさより精神面の豊かさが重要視されている。



 地球の夜の部分は今は真っ暗だ。



 以前は人が造り出した光りで溢れていたのに。



 いな、そのような静けさの中でも生命はたくましく活動している。




 この姿も一種の「涅槃ねはんと言えるのでは無いか」と弥勒は思うのだった。




 






肉塊・肉壊・肉戒  完





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肉塊 ・肉壊 ・ 肉戒  北浦十五 @kitaura

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