恩師が本気を華麗にスルーしてくる件について。*sideソルフィナ
◇
子供の頃に受けた衝撃は、大人になっても引きずるもので。
正直、この人が目覚めたら、わからせてやりたいとも思っていた。
『だから城下に出てはいけません、ってあれほど言ったのに』
あの時、受けた衝撃や屈辱を、同様に感じて欲しいと。
とにかくダサくて、地味で、お世辞でもあか抜けていると言い難い。
あまりにモサっとしているものだから、つけたあだ名は『ウニ』先生。
我ながらしっくりくるあだ名を考え付いたものだと思った。だけれど。
『ばかですね、危うく他国へ売られるところでしたよ?』
あれほど、ぼさぼさだと思っていた髪は、太陽を透かすと、紫陽花を煌めかせたように美しく、それでいて星を引いた様に綺麗だと思ったし。
『帰ったら、たっぷりお仕置きですからね』
分厚い眼鏡の奥から覗く時々見える紫の色の瞳が光を集めると、まるで宝石のようだと思った。
差し出された手を取って、その胸に抱かれる。
大丈夫だと背中を擦られる度、安心して涙がぼろぼろと出た。
今まで人前で泣いたことは一度もなかったというのに。
なんて優しく、温かく、今まで体験したことのないような、心地よさを感じるんだろう。
あの日、あの時から、あの人のことを考えると、少しだけ、心が温かかった。
いつまでもこんな時間が続くだろうと思ったし、あの人が自分を子供扱いする度にもどかしさと苛立ちをよく感じていた。
その感情が何かわからないまま過ごしていたある日、あの人は黒龍と共に消えてしまった。それはあまりに突然で、事態を飲み込むまでに膨大な時間を要した。
途方のない絶望は深淵を漂っていて、あの時に受けたショックは到底、計り知れないだろう。
きっとあの出来事は、自分を含めた周囲の人間の心を一瞬で壊してしまった。
ルーナに会いたい。その一心で頑張って来た努力の過程は、あの人はちっとも知らない。
それを言いたい気もするし、言わなくてもいい気がする。
だけど、あんな呑気な顔をして、簡単に自分たちから離れていこうとするなら、言ってやった方がいい気もした。
人の気も知らないで、と言う言葉はルーナのためにあるのかも知れない。
とにかく、あの人は他人に対してあまり感情の機微が読みとれないらしい。
ムカつく、腹立つ。
あのへらへらした顔を見ていると、煽り倒したくて仕方がない。
未だに自分たちから離れようとしている、その行為が。
漠然と許せない。
「俺と結婚しよ」
冷たい水でも頭から掛けられたかのように、思考が停止しているのか。
薄紫色の綺麗な目をぱちくりと見開いたまま、彼女は暫く固まっていた。
華奢な肩にかかった薄紫がかった星色の髪が、地面に向かってさらりと流れている。
毛先を掬いあげて、なんとなく指の腹で遊んでしまう。
それにしても伸びたな。そろそろ整えてあげないと。
「そ、それって、吐血した後に、地面にこびり付いた血の痕のことを……」
「それは血痕」
「では、どちらかが降参するまで剣で戦ったり……」
「それは決闘」
「……ま、まさかとは思いますけど」
「うん?」
「く、薬指に、ゆ、指輪を嵌める、あれのことを言っていますか」
「指輪? 仕方ないな、そんなに欲しいならルーナに合うやつ用意してあげるよ」
「誰もそんなこと言ってません!」
「何。他に何か文句でもあるの?」
「……も、文句がないと思う方がおかしいのでは?」
「やだなあ。人をおかしいだなんて、本当に酷いことを言うんだから」
「もしかして、ソルフィナ様、お酒でも飲んでます? 正気ですか?」
「疑うならもう一度しようか?」
「っいい、いいです!」
顎を掴み上げたら、首を振るように顔を背けられた。
「っ、ソルフィナ様、ご自身の立場をわかっておられるのですよね?」
「わかってるけど、でもお願いしてきたのはルーナだよ」
「じょ、条件があるとは思わなかったんです」
「えー? 人に頼み事するのに、何も見返りがないわけないでしょ」
にっこり微笑むと、彼女は引き攣った顔で、「てっ」と。
「撤回! 撤回します! さっきのお願いはなし!」
「じゃあ、ルーナは不自由なまま、黒龍も見つけられず、ルスの管理下に一生いるんだ?」
「だ、誰もそうとは言ってません!」
「言ってるようなもんだよ」
座り込んだまま、木の幹まで追い詰めたルーナの顔を覗き込む。
その何とも言えない、不満足そうな表情を見ていると、鼻で笑いたくなる。
成す術がなさそうに、この場から逃げ出すこともままならない、かつての恩師。
あれほど大きく見えたのに、こうして見下ろすと今の俺からしたら全てが小さく見えた。
「そんなに嫌なら、俺の手をさっさと取ればいいのに」
「ど、どういう意味……」
「ほらだって、ルーナは自由になって黒龍を見つけたいんでしょ?」
「はあ……」
「俺はルーナと結婚したい」
目元にかかった髪を、爪先で撫でるようにして耳にかけてあげる。
すると、その目に光が集まって、驚きで輝きを増しているように思えた。
「ね? 互いに利害一致してる」
「どこが⁉」
なんて威勢がいいんだろう。ルーナって、昔からちょっとがさつで品がないところがある。
そういうところが、結構好き。
「結婚結婚って、本当によく考えて発言していますか⁉」
「うるさ、急に大きな声出さないでくれる?」
「出しますよ! ソルフィナ様が適当なことばっかり言うから!」
「酷いな、それでも教育者? 教え子の本気を踏みにじるだなんて」
腰を引けば、「っな」とルーナの顔が真っ青になる。
「さっきので伝わらなかったの? 俺は冗談でプロポーズなんてしないよ」
「いい加減に……」
「いい加減にすんのはそっちだから」
「っ、ソル!」
ばちんっと叩くようにして、口元を彼女の手のひらで塞がれた。また同じことを。
それ、地味に痛いんだけど。
どうせ殺される悪女なので、一〇〇年ほど眠るつもりが『無理矢理』起こされて主人公たちに一生付きまとわれている件。 あしなが @AshinagaAo
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