第13話 正しいデータ
「その工房のせいじゃありません。たまたまです。その……彼女は少し、そそっかしくて。よく落とすんです」
出鱈目を言った。
「同じ、頼みごとが?」
「ええ。有難いことですよ。もう一度、同じものを購入していただけるなんて」
なくしてしまったら普通は諦めて、違うものを買うだろう。なのに再注文とは、余程このデザインを気に入ってくれたのだろう。女性はそんな話をした。
「けれど生憎、いまは在庫がないんです。お届けしましょうか」
「いえ」
彼は首を振った。
「また……きます」
「あら」
それは不自然な反応だったろう。女性は首をかしげた。
「では、ご用意できたらお知らせしますから、ご連絡先を」
「いえ……」
トールは困った。〈クレイフィザ〉への通信は彼が出るとも限らないし、メールだって同じだ。個人の連絡先などはもちろん持っていない。携帯端末の通信番号ならばあるが、リンツェロイド用に特化した特殊な回線だ。見ればすぐに、リンツェロイドの番号だと判る。
彼がリンツェロイドを持っているということにしてもいいのだが、それは抵抗のある嘘だった。
「また、きます」
結果としてトールはそう繰り返した。女性は不思議そうだったが、客に追及することなどなく、ではお待ちしていますとだけ言った。
いったい自分は何をしに行ったのか、トールはよく判らなかった。落とし主を探そうと思ったのか。だが、店の人間が客の素性をぺらぺらと話すはずもない。
それに、出てきたのは「自分の知人が落とした」というような台詞であって、彼が拾ったという話ではない。
拾ったものを店に届けるなど不自然であるから、そう言わなかったことは不思議ではない。
では何故、マスターにも言わずに、こんなことを。
(いまさら、言えやしない)
タイミングを失った、というのは以前から考えていたことだった。
(でもそれだけじゃない)
(言えば、禁じられるからだ)
その答えは出ていた。
禁じられると判っていることをやる。
これは、サラに告げたことと矛盾していないだろうか。
マスターが彼に知らせたくないことは、彼は知らないのだと。
(やっぱりライオットの言う通り、僕はおかしい)
(本当は、マスターに見てもらった方がいいんだろうか)
(マスターに隠しごとなんて、できるはずもないのに)
ログを見れば一目瞭然。〈トール〉の行動はきちんと記録されている。マスターではなく、アカシだって見れば判る。
(――そうだ)
(判る、のに)
おかしい、とそこで彼は初めて気がついた。
彼のマスターは、知っているはずだ。トールがピアスを拾ったことも。それについて何も言っていないことも。
メンテナンスは、その直後にあった訳ではない。その他の記録に紛れて、クリエイターが見落としているという可能性も皆無ではない。だが、今回のそれは見落としようがないだろう。日常的には行わない、彼の「外出」。マスターは必ずチェックするはずだ。
(アカシに頼んで、消してもらう?)
(……まさか)
トールはすぐに否定した。
アカシだって、マスターの意に反することはやらない。だいたい、消してしまえばそれは「なかったこと」になってしまう。
隠すという段階ではない。消えてしまうのだ。
それはなかなかぞっとする考えだった。
彼の内に残っている「過去のデータ」。それは人間の記憶と違い、曖昧なこともなければ、うっかり覚え間違っていることもない。使わないデータは圧縮してしまうが、それでも必要となればすぐにアクセスして「思い出す」ことができる。
もしそれが、間違っていたら?
どこかが不自然に欠けてでもいたら?
その「想像」は「怖ろしい」という擬似感情を呼び起こす。トールが本当に「怖れる」ことはなく、「それは怖ろしいことだ」と判断するだけだが、望ましくないことだけは確かだ。
(たとえば)
ふと、トールは「思った」。
(マスターは、僕らのデータを書き換えられる。消すことも)
(もしかしたら、僕のなかにある「記憶」は、偽のデータかもしれないんだ)
そんなことを考えて、彼は首を振った。
(何を馬鹿なことを)
(マスターがそんなこと、するはずない)
どうしてこんな馬鹿げたことを考えてしまったのか。トールは分析した。
(そうだ、ライオットが以前、そんなことを言ったから)
(あれは、ミスタ・マックスの騒動のあと)
(――休憩室で)
トールはその日のデータにアクセスした。
(僕が、アカシの一時停止が怖ろしかったと言ったら)
(ライオットが、そんな「怖い」ならマスターが消してくれるかもよ、だなんて言って)
(マスターはそんなことしないでしょうと僕が言って)
(じゃあ二日後に、覚えているか話してみようとライオットが言って)
(そう、そのあとで話したんだ)
きちんと覚えている、と彼は思った。
これは正しいデータだ。そのはずだ。
そう、データは変わらない。〈トール〉はきちんとそれを記憶している。そして、メンテナンスのときにマスターがそれを整理してくれたり、バックアップを取ってくれたりする。
今日みたいな日のことは、チェックする。
だと言うのに、いったいどうして、報告できないようなことをしてきたのだろう。
どうせ、知れるのに。
店頭からの信号が彼を呼んだ。来客だ。トールははっとして、コーヒーを淹れる手を止めた。
つまらない考えごとをしていないで、さっさとマスターにコーヒーを運べばよかった、と彼は思った。優先されるべきは客である。
(コーヒーが冷めてしまうな)
(ごめんなさい、マスター)
つ、と何かが引っかかった。
(――ごめんなさい)
隠しごとを隠しごとのままにしておけなくて。
探ろうとして。
内緒で。
ごめんなさい。
感じたのは何だろうか。「胸の痛み」などというものを彼らが覚えることはないのに。
それはあくまでも「そのようなもの」だ。こういうときには「つらい気持ち」になるという、プログラムの判断にすぎない。
「お待たせしました。いらっしゃいませ」
ショールームに向かうとトールは、いつもの笑みを浮かべて客を迎えた。
ピアスはまだ、彼のポケットにあった。
―Next Linze-roid is "Alice" or "Francois".―
クレイフィザ・スタイル ―ある日(2)― 一枝 唯 @y_ichieda
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