第12話 罪悪感のようなもの

「トールが? おかしいって?」


「ライオットの勘違いです」


「勘違いじゃないよ。マスターだって、気づいてると思うけど。何ですっとぼけんの」


 じろじろとライオットは、店主とトールを交互に見やった。


「私が何に気づいているって?」


「だから、トールの様子がおかしいことにだよ」


「そんなふうに思ったことはないけれど」


「嘘だあ」


「どうして」


 マスターは笑った。


「君たちの様子がおかしかったら、一大事じゃないか」


「エラーの表面化ということになりますね。もっとも、潜在しているよりは表面化した方がいいと思いますけれど」


「そうなれば修正できるからね」


 クリエイターはうなずいた。


「何でごまかすのさ。トールはともかく、マスターまで」


 実に不満そうに、ライオットは彼らを見た。


「じゃあどう言えばいいの、ライオット」


 苦笑いのようなものを浮かべて、店主は尋ねる。


「『そうだね、おかしいね。見てみよう、おいでトール』と?」


「そういう話じゃないでしょ」


「そういう話にしか聞こえないが」


「僕が、何もないと言っているんですから」


「俺らはエラーを自覚できないことだってあるでしょ。何で俺が言うの、こんなこと」


「ライオット」


 店主は彼を呼んだ。


「この話はもうおしまいにしようか」


「ちょっと、マスタ」


「君はそんなに、聞き分けが悪かったかな?」


 抗議の台詞を抑えたのは、いつも通りの店主の声だった。


 彼は何も声を大きくした訳でもなければ、語調を強めさえしなかった。


 いつも浮かべている、どこか面白がるような笑顔が消えることもなかった。


「え……」


 だがライオットは、反論をとめた。


「いや……そんなこと。ないでしょ、俺は。いつも」


 どうにも引きつった笑顔で、彼は両手を上げた。


「そうだね」


 変わらぬ笑顔のままで、店主は彼のリンツェロイドにうなずいた。


「トール、そこを片づけ終えたら、店頭に戻ってくれるかな」


「はい、マスター」


 追及されなかったことにほっとして、トールはうなずいた。


「そうそう、サラから連絡があったよ。君が帰りの挨拶をしなかったんで、デイジーが拗ねているそうだ」


「え……あ、すみません」


 つい、彼は謝った。マスターは笑った。


「もちろん〈デイジー〉は、傷ついたりしないとも。だから気にすることはないけれど、礼儀という辺りかな」


「はい」


 彼のマスターは言わない。〈デイジー〉が〈トール〉に恋をしているなどという馬鹿げたことは。


 リンツェロイドは恋などしない。


 当然のことだ。当然の。


「サラはずいぶん、君を気に入ったようだよ。プログラムの話より君のことばかりだった」


「は、はあ」


「また君を寄越してくれと言っていたから」


「ご用事があれば、いつでも」


「やらないよ」


「……は?」


「彼女に君を取られてしまったら困るもの」


「……あの?」


「だから、もう君を〈レッド・パープル〉にはやらない。行っては駄目だからね、トール」


「それは、もちろん、マスターの言いつけもないのに行くはずが」


「サラが君を呼び出すかもしれないでしょう。何を言われても行っては駄目だよということ」


「は、はあ」


「じゃあ私は部屋にいるから。何かあったら呼んでくれ」


「はい」


 返事をしてトールたちは店主を見送り、しばし、沈黙した。


「……何、あれ」


 ライオットが呟く。


「意外、ですね」


 トールも同じようにした。


「そりゃもう。意外なんてもんじゃない。珍しい。マスターが妬いてる」


「そんなんじゃないでしょう。僕が言うのは、マスターがサラを警戒するなんて意外ですということで」


「同じじゃん」


「違いますよ」


「トールを取られたくないって」


「僕たちは〈クレイフィザ〉の企業秘密でもあるんですから」


 外部に販売されない彼らのプログラムは、いずれクリエイターが販売用にも使おうとしている新プログラムのプロトタイプかもしれないし、違法すれすれの――〈クレイフィザ〉店主の場合、ずばり、違法の――ものかもしれない。トールはそうした意味合いで言った。


「でも俺やアカシだったら、あんなふうに言わないんじゃない?」


「どうしてです。同じですよ。むしろあなた方の方が最新ヴァージョンなんですから、より重要です。だから外に行くような『お使い』は僕なんでしょう」


「……何か噛み合わないなあ」


「そうみたいですね」


 彼らは肩をすくめた。


「まあ、いいや。仕方ない。俺は引っ込むよ。アカシの分もコーヒーもらってくね」


「お願いします」


「もう詮索しないよ、トール」


 ライオットは手を振った。


「――マスターは怖いから、さ」


「え?」


「『もっと聞き分けよくしてやろうか』って目だよね、あれは」


「は?」


「いいや。なあんでもない」


 じゃあね、と「弟」は去った。ひとりになってトールは、しばし考えた。


(落ちていたピアス)


(マスターが僕らと会わせまいとする人物)


(探るべきじゃない。マスターが、僕に告げないのであれば)


(サラにそう言ったのは、嘘ではないのに)


 どうしてこんなに気にかかるのか。マスターの秘密。トールの知らない、彼の過去。


 ダイレクト社員であったということすら知らなかった。


(もしかしたら)


 彼は思った。


(アジアート氏と連絡を取らないようにしたのは)


 〈ヴァネッサ〉の件で関わった、ダイレクト社員フレデリク・アジアート。マスターは、違法行為の発覚を避けるために彼との連絡を絶ったと言っていた。


 だがそれだけでもなかったのだろうか。


 思い返してみれば、ダイレクト社の内情に詳しかったのも、社員だったからこそではないか。〈ヴァネッサ〉に接続したとき、ダイレクト社製品を初めて手がけるような様子に思えたのはトールの勘違いで、過去の技術との差異を熱心に見ていたのかもしれない。彼女のプロテクトを解いてしまったのだって、ダイレクト社のやり方を知っていたからでは。


 マスターはそのことをアジアートに、或いはアジアートと関わったことをダイレクト社に知られまいとして、繋がりを断ったのでは。最初にダイレクト社に連絡を入れたとき、果たして本当に彼が自分の名を名乗ったものか、トールは知らない。


 だが、そのことはいい。トールが知らなかったのは、トールが知る必要のないことだからだ。マスターは意図的に隠していたと言えそうだが、それは彼の自由だ。そもそも人間がリンツェロイドに過去を語る必要なんてない。


 だから、かまわない。むしろ知ってしまったことに罪悪感のようなものすら覚える。


 しかし――「ソフィア」。初めて聞いたその名前。


(その女性ひと、なんだろうか)


(……あのピアスの持ち主は)


 あのあとトールは、サラから聞いたデザイナー「ウォルト・テイラー」について少し調べた。シャトルで楽に行ける場所に店があることが判り、少し迷って、出向いた。


 そこは〈クレイフィザ〉よりも小さな建物で――工房などは必要ないのだから当然と言えば当然だが――中年女性が接客をしていた。


 贈り物ですかと問われ、トールは例のピアスを取り出した。


「片方をなくしました」


 彼はそう言った。


「同じものは……ありますか」


 その言葉に女性は、あらと言った。


「先日も、そういう頼みごとがありましたよ。このデザインのものだったわ。いやねえ、いつもの工房に依頼しているのに、何人ものお客様がお落としになるなんて。少し調べた方がいいかしら。ごめんなさいね」


「あ、いえ」


 ぎくりとして、トールは手を振った。


 同じ頼みごと。


 もしやそれは、持ち主の。

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