第11話 君たちが喧嘩とは

「……どれだけ」


 トールはゆっくりと声を出した。


「どれだけ人間に似せて作られても、僕らは機械です、ライオット。機械に心はない。僕も、そう思います」


 ぽつぽつと、トールは語った。


「それなら、これは何でしょう? プログラムで制御できない『何か』がないということが、どうしてつらく思えるんでしょうか? この『つらい』という気持ちも、擬似感情ソフトが再構成したものにすぎません。どうして……」


 トールはうつむいた。


「どうしてマスターは、そんなプログラムを?」


「そんなの、簡単じゃない」


 ライオットは肩をすくめた。


「簡単ですって?」


 トールは顔を上げた。


「そうだよ。それはね」


 真面目な顔で、ライオットは指を一本立てた。


「マスターがSだから」


「……は?」


「マスターは陰湿ないじめっ子なんだよ、トール。知ってるでしょ」


「……あの?」


「というのは冗談で。いや、間違ってはいないと思うけど」


「あの」


「俺、だから言ったじゃん。あの人はファンタジストなんだって」


 カップを持ち替えながらライオットは言う。


「心なんてない俺らのさ、この葛藤は何のため? 必要ないでしょ、使役機械には」


「ありません。ですから……」


「期待してるんだよ、マスターは。俺らが、最大級の学習機能で、彼が組んだのとは異なる『感情』を見つけ出すこと」


「――学習機能」


 トールはそっと繰り返した。


「そ。プログラムの働いた結果でも、自分たちで再構成した擬似感情は、『心』と言われるものに似ていると思わない?」


「似て……似ているかも、しれません」


 考えながらトールはうなずいた。


「でもそれは、あくまでも擬似的なものです」


「そりゃそうだよ。本当にプログラムにない結果を生み出すなんて、有り得ないもの」


 だから、と彼は言ってカップを掲げた。


「俺らがこの中身をステッパーと言わずにコーヒーと言うように、その擬似感情を心と言っても、いいんじゃないの? 少なくとも、俺らの間ではさ」


「そう……でしょうか」


 またしてもトールは、曖昧に言った。


「もっとも、これは俺の考えだし。マスターから聞いた訳でもない。あの人が素直に言うとも思えないけど」


 笑ってライオットは手を振った。


「だいたい、トールはマスターにいちばん手間かけられてるんだから、俺らのなかでも特別なんだよ」


「旧式ですから、時間がかかるだけですよ」


「じゃあ何で旧式なの」


 ライオットはまた呆れた。


「いい加減にしようよ、トール。マスターがヴァージョンアップ好きじゃないことくらい判ってんでしょ。でも俺やらアカシやらは業務に必要だから上げていく。トールはしない。トールがいちばん大事だからだよ」


「何か誤解があると思います、ライオット」


「どこに。どんな」


「マスターのそれは実験にすぎませんよ。僕は彼の最初のリンツェロイドですから、いくらかは思い入れというようなものもあるかもしれませんが、感傷ばかりじゃない。旧式のロイドで最新のハードでもソフトでも、どう稼働するか試す必要があることもあります。そんなとき、僕がいればちょうどいい」


「そんなふうに、思ってんだ」


 ふうん、とライオットは呟いた。


「まあ、僕もマスターに聞いた訳じゃないですけれどね」


「ときどき思う。俺らはほんとにマスターの子なのかなって」


「……は?」


「いや、だからさ。何でこう、同じ製作者なのに考え方違うかなって」


「およそ五年ありますからね、僕とあなたの製作年差は。違うところも目立って当然です」


「マスターの心境の変化?」


「さあ、どうでしょう」


 判りませんと最年長ロイドは肩をすくめた。


「さ、ライオット。アカシにも持っていってもらえますか、ステッパーコーヒー。僕はマスターに本物を淹れますんで」


「あ、追い払おうとしてる」


「そんな意図はないですよ。話に区切りがついたかと思ったんです」


「肝心の話を聞いてない。ごまかさないでと言ってるんだけどな」


「肝心、ですか?」


 首をかしげて、トールは尋ねる。


「そうやって判んないふりしても、駄目。言わないと、いまの話全部、マスターにぶっちゃけちゃうよ」


「告げられて困るようなことは言っていませんが」


「じゃあ、俺の推測で話しちゃうよ」


「……何をです」


 「嫌な予感」と言われるものを覚えて、トールは尋ねた。ライオットは、にやりと笑った。


「『お兄ちゃんは誰かに恋をしてるかもしれません、パパ』」


「ライオットっ」


「だってトールの様子はそう見えるんだよ。何か考え込んで、ため息なんかついて、お使いに出かければ帰りは遅く、どこかに寄ってきた理由をでっち上げてまで秘密を守ろうと」


「僕が誰かとデートでもしていたと言いたいんですか?」


「してたの?」


「してません」


「じゃあ何」


「ですから限定のステッパーを」


「トーォル」


 またしても中間部を延ばしてライオットは遮った。


「もっかいおんなじ話、頭から繰り返す?」


「ですが、ライオットが欲しい答えを僕は持ってな」


 あくまでもトールが言い張れば、ライオットはカップをがちゃんと置いた。


「よし」


「ちょ、ちょっと、何するんですか、ライオット!」


「こーなったらアカシにデータ見てもらう」


「じょ、冗談はやめてください、マスターどころじゃない性質たちの悪い」


 弟に両腕を捕まれた兄は、焦って言った。


「アカシはやらないって言うかな。じゃあグレン起こす」


「ライオットっ」


「……君たちが喧嘩とは珍しい。それも、掴み合いとは」


「ま」


「マスター」


 開きっぱなしの戸口から見えた姿に、彼らはそのままで静止した。


「よければきっかけを教えてもらえるかな。何かの参考になるかもしれないから」


「何の参考にするんです、何の」


「喧嘩なんかじゃないよ、マスター。トールが話聞かないから、ちょっと脅かしただけ」


 そこでライオットは、トールからぱっと手を放した。


「脅しだったんですか」


「当たり前でしょ」


「兄を脅迫とは。いつの間にそんな上等なことをするようになったの、ライオット」


 感心したように店主は言った。


「どこが上等ですかっ」


 トールは思わず叫んだ。


「複雑な、と言い換えてもいいけれど。似たようなものだよね」


「だいぶ印象が違うと思います」


「そうかな?」


 にっこりとマスターは笑んだ。


「あの、マスターこそ珍しいですね、ここにくるなんて」


「通りかかったら大きな声が聞こえたから、のぞいてみただけだよ」


 店主は肩をすくめた。


「トールの買ってきたステッパーのことで何か言い合っていたのかい?」


「え? あ、いえ、そういう訳じゃ」


「気になるのはステッパーよりトールの行動だよ。何かおかしいと思うんだけど。マスター、当人やアカシも知らない内に何かした?」

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